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ゆまにだより

賭 け(「よじれ窓」派) 投稿日:2014/02/07

 昼休み、職場から少し遠い郵便局へ行ったついでに、その近所の中華料理店に久しぶりに入った。料理店というよりラーメン屋さんという感じの庶民的な店で、わりと高齢のおじさんとおばさん5、6人がカウンターの内外で忙しく動いている。ただ、やや広いことと、昭和後期から変わってないであろう店内の造りのゆえか、意外に落ち着くことができる。そしてここのラーメンは、濃厚な味が流行っている昨今には珍しくさっぱりした味を守っている。変わらないことはいいことだ。
 半チャンラーメン(ラーメン+半人前のチャーハン)を待っている間、店内のテレビを見上げていた。国会の予算委員会の様子が映っている。答弁を終えた蔵相―いや、今は財務相というのか―が、いかにもちょっと気取った様子で席に戻るのを見た時、ふと、思った。ここは変わらないのだなと…。何百人かの人間がそこに集まり、立ったり座ったり、話したり聞いたり、時にどなったり揉みあったりしている。国会草創期の政治家たちもこうして立ったり座ったりしていたのだろうか。
 それは見つけられなかったが、『伊藤博文文書』第55巻「国会会議規則両院通用」という史料があった。「会議ハ政府ノ休日ヲ除キ毎日午前九時ニ始リ午後四時ニ終ル…」といった具体的な規則の検討資料で、西欧諸国の事例が多く併記されている。制度取調局の罫紙に書かれていて明治の国造りの熱気が窺われるが、「演舌」のやり方について細かく書かれていて、今の姿に近いことが書かれている。とにかく、国会は明治以来、「集まる」「会う」「話す」という伝統的なコミュニケーションで成り立っている。形式化、儀礼化した側面はあるかもしれないが、一国の方針を決めるにはこれが必要なのだろう。ただ、もっとIT技術なり何なりを導入する余地はあるかもしれない。何かがかわるかもしれないと思う。21世紀に入ってからも牛歩戦術といったばかばかしいショーを国民は見せられて
きた。

 『毎日新聞外地版』の第2回第9巻の中に、「関釜間の海底電話線」という記事(昭和5年5月11日)がある。釜山と福岡の電話線がこの年度内に完成するが、それでは足りないので、下関と釜山を結ぶ線の敷設を計画しているという内容である。こうやって科学技術が社会を変えてきたのかと思った。正確に言えば、人間が科学技術を使って社会あるいは世界を変えてきたわけで、それは企てであり賭けであったと思う。技術の導入は危険が伴う場合もあり、思わぬ副作用をもたらすこともある。私達も良いものは良い、悪いものは悪いと判断し、危険な賭けに対しては声を挙げねばなるまい。

 某社の古いOSのサポート終了が迫っている。ウィルスを作ってばらまいている人間やハッカーがいなければ、こんなことにならない、と、ちょっと腹立たしくなったが、これもコンピュータという技術のコストか。
 自宅にあるパソコンはもう7年は使っていて動きが鈍くなっている。この際だからと、某社最新OS「8.1」の入った最新型コンピュータを買ってしまった。今、それで本稿を書いている。あまりにも変わってしまい、電源を切るのにも一苦労するこの最新型の購入は正解だったのだろうかと自問自答しながら…。私の賭けはやや分が悪そうである。

暮れの二十八日 投稿日:2014/01/17

 いつ頃から始めたのだろうか。毎年暮れの二十八日は餅つきをする。準備は、前日のもち米を水に浸すことから始まる。朝から始めて、第一番目の臼(電気餅つき機だが)は鏡餅にして一階のショーウィンドーに飾る。同時に松飾や門松をゆまにビルの正面入り口に飾って正月を迎える準備をする。二番臼以降は、納豆餅や餡子餅、からみ餅、磯辺餅等にして食し、皆で仕事納めの乾杯をする。酒も出る。肴はなまこ屋特製の「皿鉢料理」だ。これも欠かすことはできない。締めくくりは神田明神。夕刻、一年お預かりした「御札」を納めてお礼参りをし、来年の商売繁盛と健康を祈願して新しい「御札」をいただく。これも今では欠かすことのできないゆまに書房の恒例行事だ。

 この日はアルバイトも一緒だ。通常登録している30名弱のアルバイトがそれぞれ自分のシフトを決めて働いている。学部生もいるが大学院生が中心だ。ドクターコースへ行っている者、修士課程の者、すでに学校を卒業している者も少なくない。留学生も数人いる。所属している大学もまちまちだ。彼らは研究している専門分野に近い企画の編集部員のアシスタント的業務を行っている。索引の作成、資料の調査や原稿の裏付け調査などを行う。ときには解題も執筆する。とても頼もしい。いまでは彼らなしには編集部は成立しない。彼らは、卒業と同時に大学や研究機関に就職する者が大多数だ。現在、准教授や助教として活躍されている人数は二桁を下らない。
 2014年6月、10年の歳月を費やして刊行を続けてきた『コレクション・モダン都市文化』(全100巻)が完結する。これも偏に監修者や解説者はもちろん、読者の皆様のお陰です。厚く御礼申し上げます。

 弊社には『コレクション・モダン都市文化』のように巻数の多い企画や刊行期間の長い企画が少なくない。現在『書誌書目シリーズ』(既刊104タイトル)をはじめ、『伊藤博文文書』(既刊98巻)、『社史で見る日本経済史』(既刊68巻)、『朝日新聞外地版』(Ⅰ期・Ⅱ期計・全105巻+別巻1)、『叢書近代日本のデザイン』(既刊56巻)、等数点刊行中だ。完結しているものは『文芸時評体系』(全73巻・別巻5)、『天皇皇族実録』(全135巻)、『昭和初期世界名作翻訳全集』(全230巻)、『近代雑誌目次文庫』(全82巻)等々、数十はある。これらも彼らアルバイトの人たちの力が大いに働いているからこそ世に出た企画だ。地道にコツコツと調査して初めて成り立つ。

 終わる企画があれば2013年新しくスタートした企画もある。『毎日新聞外地版』(巻数未定)や『シリーズ明治・大正の旅行』(巻数未定)等数点ある。いずれも好評裡に第一回配本が始まった。
 そのなかから映画関係資料を2点。一つは『戦前期映画ファン雑誌集成』。第Ⅰ期は「マキノ」。マキノ映画とは、「日本映画の父」牧野省三が京都に興した独立プロダクションとその映画作品を示す。日本映画界に多くの関心的な実績を提示し、絶大な人気を博したが、残存するフィルムは全体の三%に過ぎない。「マキノ」の後は、「蒲田」や「日活」も視野に入っている。本書も極めて貴重な資料だが、完結まで息の長い仕事である。
 もう一つは『映画公社旧蔵戦時統制下映画資料集』が2014年1月からスタートする。東京国立近代美術館フィルムセンターの協力のもと数十巻になる予定である。戦時下の混乱を奇跡的に免れて保存されていた極めて貴重な映画研究資料である。

 暮れの二十八日は格別だ。決算と一年の終わりが重なるばかりではないだろう。昭和43年や平成6年の暮れの二十八日などは特に感慨が深い。ゆまに書房の歴史が鮮やかに思い出される。これらの歴史を共有した戦友も少なくなってしまった。
 2013年は曜日の関係で27日が仕事納めになった。どうも暮れの二十八日の休日は長年の習慣か落ち着かない。やはり出社してしまった。1年の反省や来年の思いに浸るには絶好の時間だ。一人で残務整理やら書き残した原稿を書いているが、2階の編集部の明かりが点いている。誰かも出社しているらしい。まさか熱心なアルバイトではないだろうが・・・。
 さあ次の暮れの二十八日は40回目の暮れの二十八日だ。

                                            株式会社ゆまに書房

うえを向いて歩こう(編集部K・Y) 投稿日:2013/12/13

「写真集成 近代日本の建築」の第2期は「伊東忠太建築資料集」と謳っているのですが、建築史の研究資料らしいものは『伊東忠太建築作品』です。この作品集には、こちらから出かけさえすれば建物の中に入ってその空間を体験出来るものや歴史のなかで失われたものに加え、さまざまな理由で実現することのなかった建築物の設計図が収められています。
そもそも手書きの設計図面を見るのが好きなこともあって、写真図版とはいえ忠太自筆の設計図は面白いなあと思いながら、ページをめくってあらためてよく見てみると…なにやらあちらこちらに、背広、燕尾服、紋付き袴など正装した男性の姿が描かれています。数えてみると30人ちかいでしょうか。なかには「尺」のスケールのそばに立つ姿もあり、これは文字通りの「ヒューマン・スケール」です。伊東忠太があくまでも人間の尺度で建築という空間づくりにこだわりを持っていた、ということでしょうか。ただし、伊東忠太の尺度というのは、身体感覚でとらえることだけではなくて、人間の想像力が及ぶ先までも含んでいるような気がするのです。『阿修羅帖』を見ればむしろ後者のほうが勝っていたのかもしれません。
そのような忠太の眼差しと感性を育てた重要な要素のひとつが旅であったようです。それは調査や視察が目的でしたが、数回にわたる世界旅行は今回復刻する旅行見聞記『余の漫画帖から』にもまとめられています。建築家伊東忠太がじっさいに目にした世界の豊かさを追体験していただければと思います。

さて、復刻版の製作作業が大詰めになると、机に向かう、パソコンに向かう、と、1日のほとんど視線を落として過ごすことになります。こんな時こそ視線を上げるよう意識するのですが、12月の東京は朝から晴れることが多く、またクリスマスイルミネーションも始まったので、しぜんと上を向いて歩くようになる季節かもしれません。
ところで最近、見上げるものがひとつ増えました。いったい何かといいますと…東京駅そばのKITTEにお目見えした雪を頂いたクリスマスツリーです。しかも「高さ約14.5mの屋内日本最大級のクリスマスツリー」でして、これを企画・デザインされたのは谷尻誠さんという建築家(1974年生まれ SUPPOSE DESIGN OFFICE)です。
本という、両の手のひらサイズの物にかかわる身としては、自身のアイデアをこのような人間の大きさをはるかに超える物へと変換してゆくプロセスは本当に不思議で、魅力的でしょうがありません。

人間の日々のいとなみと想像力が豊かな時代でありますように。
今年も一年ありがとうございました。

『シリーズ 明治・大正の旅行』刊行開始にあたって(編集部E・Y) 投稿日:2013/11/12

 今月から『明治・大正の旅行』と言うシリーズを始める。
 歴史資料としてこれまで顧みられることのなかった戦前の「旅行案内書」を丹念に収集し、今まで語られることが少なかった旅行という分野から、新しい近代史の鳥瞰図を提供しようとするものである。
ここに、戦前、鉄道省が編纂した『汽車時間表』をご紹介しよう。ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現財団法人日本交通公社及び株式会社ジェイティービー)の発行になる、今で言ういわゆる「時刻表」である。その冒頭の鉄道路線図を見ると、現在の日本の領土のほか樺太や台湾にまで広がった路線図が掲載されている。さらにまた、当時の「旅行案内書」を見ると、パック旅行などが企画されていて、誰でも娯楽の一つとして植民地へ旅行することができたことがわかる。
 領土の拡大は軍用や商用にかぎらず、植民地を持った国の国民の、生活レベルで意識されていたことが一目瞭然である。このように旅行案内書は、実用書であるがゆえに、人々の社会意識や時代認識を如実に映し出す側面があることに着目してみたい。ついでに、前述の『汽車時間表』によれば、植民地であった朝鮮で、釜山から京城(現ソウル)・平壌(現ピョンヤン)を経て、満洲の奉天(現シェンヤン)や新京(現チョウシュン)まで運行されていた急行列車の名が、「のぞみ」であり「ひかり」であったことを付け加えておこう。「旅行案内書」が、現代につながる研究テーマ発掘の宝庫であることも理解されよう。
シリーズ 第1回配本は、明治初年の旅行案内書を集めてみた。お伊勢参りなど江戸時代から隆盛した旅行が、明治維新という近代国家の成立以降どのように変容し、次の時代にどうつながっていくのか。それを人々の旅の供となった旅行案内書がつむぎだす、興味深い世界で渉猟していただきたい。

東日本大震災と『世界の歴史を変えた日1001』(編集部S) 投稿日:2013/10/09

 10月15日に『世界の歴史を変えた日1001』が発売されます。本書は東日本大震災と因縁があります。原書の“1001 DAYS THAT SHAPED THE WORLD”を翻訳出版するかどうかで10名ほどで一室にこもり会議をしていたとき、東日本大震災が起こりました。もちろん会議どころではなくなり、そのまま中止されました。1カ月後、改めて行われた会議で刊行が決まりましたが、以後この本を目にするたびに、震災を思い起こすことになりました。
 
 当時の原書の最終項目は、2010年のハイチ大地震でしたが、翻訳作業中に英国版元より改訂版を作るとの連絡があり、十数項目が取捨選択され、東日本大震災が新たに加えられることになりました。日本のみならず、世界中を震撼させた大災害ですので、1001項目の1つに加わるのは当然といえば当然かもしれませんが、改めて震災当日の記憶がよみがえり、なにやら複雑な思
いがしました。
 
 仮に将来、本書の改訂版が出されるとしても、このような大災害はもう加わってほしくないものです。

編集部だより(編集部T) 投稿日:2013/09/10

昨年12月に、『ボクのせいかも…─お母さんがうつ病になったの─』という絵本を刊行した。
絵本といっても少し特殊で、やや長いシリーズ名は「家族のこころの病気を子どもに伝える絵本」である。
身近な大人がこころの病気になったとき、子どもは自分のせいだと感じることがある。子どもに『あなたのせいではないよ』とどのように伝えるか…、という内容で、読者対象は子どもだけではなく、大人も含まれる。

そういった家庭環境での活用を前提にしているので、後半には、絵本を与える大人に向けて、活用のための解説、病気の説明などをまとめている。だが、絵本の物語部分=子ども向け、後半の解説=大人向け、という風に杓子定規な編集はできない。小学校高学年くらいの子どもも、この解説部を読むだろうことを考え、著者であるプルスアルハさんと、それこそ一言一句、来る日も来る日も文章についての打ち合わせを重ねっていった。

著者である、プルスアルハさんは、精神科の看護師Ns+医師Dr、という二人からなるプロジェクトチームで、家族や支援者が使いやすい「必要だけどこれまでになかった」心理教育ツールの企画+制作と普及活動に取り組んでいる。
http://pulusualuha.p2.bindsite.jp/index.html
絵本は、その活動と共に、刊行後各新聞などにも取り上げられた。そして9月には、続編となる、統合失調編2冊を刊行する。

家族のこころの病気を子どもに伝える絵本②
お母さんどうしちゃったの・・・ ー統合失調症になったの・前編ー

家族のこころの病気を子どもに伝える絵本③
お母さんは静養中 ー統合失調症になったの・後編ー

ストーリーは前編は発症から入院まで、後編は退院後からとなっていて、後編は展開にあわせて、優しく柔らかく水彩画で描かれている。
統合失調症は、およそ100人に1人の発症と言われており、決して「まれ」な病気ではない。
だが、「正しい理解がされない」ことが、こころの病の持つ難しさであるだろう。そういった問題に的確にアプローチする内容であり、治療や支援の新しいスタンダードになることを期待する。

夏休みの宿題(営業推進部A) 投稿日:2013/08/12

 夏休みの時期ですね。学生の頃、夏休みといえば必ずオマケでついてきたのが、≪宿題≫です。問題集、読書感想文、絵日記、自由研究などなど・・・。
 毎年毎年前半に終わらせてしまおうと、初めは意気込んではみるものの、結局ラストの3日くらいが勝負になってしまうの繰り返し、ではなかったでしょうか?

 創造力の乏しい私を悩ませたのは<自由研究>でした。どんな研究をやったのかあまり記憶には残っていませんが、自転車で図書館に通い、持ち出し禁止の古い資料で地元の郷土史を調べたことははっきりと覚えています。

 つい先日、テレビで「夏休みの自由研究で頼りになるのは?」というアンケート結果を目にしました。
1位 インターネット 45% 2位 家族 36% 3位 図書館 13% 4位 友達 6%
そうです、図書館よりもインターネットの時代なのです。

 実際に現在小学生の母親である友人に聞いてみたところ、「インターネットで小2自由研究で検索して・・・」やっぱり・・・と思ったら、「テーマだけ決めて後は図書館に行ったりして調べるみたいだよ」、とのことで安心しました。10冊以上の読書も宿題になっているそうです。
 
 このメルマガを読んでくださっている方はもう夏休みの宿題はないとは思いますが、もし周りに宿題が進まず困っているお子さんがいらっしゃったら、涼しい図書館で宿題を進めつつ、時折数ある本をながめ、読みたい本を見つけて息抜きに読んでみる、という計画を提案をされてみてはいかがでしょうか?

 ゆまに書房からも自由研究に活用できそうな本を多数刊行しております。図書館に行く機会がありましたら、是非手にとって眺めてみてください。子どもさんはもちろん、大人でもかなり興味深く楽しめます。宿題のためだけではなく、新たな面白い発見もあるかもしれません。

営業推進部だより(営業推進部N) 投稿日:2013/07/12

 7月25日に刊行する「近代日本芸能年表」全2巻の、校正ゲラを編集担当者から預かり、目を通していたら、止まらなくなってしまった。

 まず最初の『舞台芸能』。1863年(文久3年)外国人の手品が日本で初演された。1865年(慶応元年)横浜居留地に円形劇場が出来、翌年に日本人軽業師が出演している。この軽業が西洋人に人気があったのか、翌年から、多くの軽業師たちが、海を渡り、米国やヨーロッパで興行をしている。そして現地で金を持ち逃げされた記事が見られる。明治元年徳川慶喜が駿府へ移住すると翌年にかけて追随する能楽師が多数いた。明治2年、寄席の上演は、軍書講談と昔噺に限るとの御触れ。明治4年、フランスの曲馬興行が始まり、人気があったらしく以降イタリアの曲馬団も来日するが、外務省は「国益なき遊芸だ」と厳しく対応。明治3年、京都では「芝居・寄席は木戸銭の5%、芝居茶屋は上がり高の5%を窮民救助に宛てると布達。明治5年、白川県(現熊本県)「芝居と酌取女の税金で管内警備員50人の給料に当てる」

『レコード』 明治42年最初期のレコードは長唄・義太夫・謡曲。明治44年に「何んで聞かいんでしょ節」が初めて流行歌として発売されている。大正になると唱歌が多くなってくる。大正11年、南地名物「へらへら踊り」これってどんなんでしょう。大正14年ある落語家がレコード会社との専属契約を理由にラジオ出演が出来ず、世論がレコード会社を非難。放送からレコードを作れることを証明して専属が無効になると主張、著作権問題出現。

ついで『ラジオ』 昭和7年ラジオドラマ『大隈重信』をめぐり新築地劇団が出演辞退。イデオロギーのないドラマへの出演が非難されたため。昭和20年7月3日「特攻振武隊の出撃」。10日交響詩「闘魂」。8月4日軍国歌謡「同期の桜」。9日ソ連参戦で番組変更「前線へ送る夕」中止。14日慰安放送中止。22日復活「和歌朗誦」。23日筝曲「千鳥の曲」。8月25日朗読「終戦一週間の日記」。26日木琴独奏「数の唄変奏曲」。28日「ピアノと管弦楽」。9月2日降伏文書調印―全演芸番組中止。

 一万項目に及ぶ芸能の「年表」からいろいろなことが浮かび上がってくるように思えます。推薦の先生方の言葉にあるように文化史研究だけでなく、近代史の研究にも必備の一冊になる本だと思います。

図書館を考える(編集部H) 投稿日:2013/06/07

 図書館とはどのような場所なのだろうか。
 仕事柄、公共図書館や大学図書館などに足を運ぶことが多いが、年々図書館の環境や利用の仕方に変化がでてきていることを実感している。また、図書館運営を民間委託する昨今の動きをみると、あらためてその在り方について考えてみる必要があるように思われる。

 図書館とはどのような場所であり、図書館はどのようにあるべきなのか。今月刊行の『図書館学講座』にはそのようなことを考えるヒントが散りばめられている。

 『図書館学講座』は利用者の視点からの「図書館」というよりも、「図書館」を運営するにあたってどのようなことが必要なのかなどを様々な論文や記事から説いている雑誌である。戦前に編まれた総合的な図書館学の講座としては最初期のものであるといえる。
 ここに『図書館学講座』の編者である毛利宮彦の印象的な言葉を挙げよう。米国帰りの図書館学者、毛利宮彦については本書の解題(中西裕)に詳しいのでそちらを参照いただきたい。
 毛利は最終巻である第十二巻の表紙に次のような標語を掲げた。

   一、時代の先端的表現、それは図書館である。
   二、試験のない新しい学校、それは図書館である。
   三、精神的饗宴の家庭、それは図書館である。
   四、誰でもの自由な書斎、それは図書館である。
   五、不朽不滅の文化の殿堂、それは図書館である。
 
 毛利が図書館に対してどれだけの情熱を持っていたのか、この標語からだけでもその様子をうかがうことができるだろう。ところで、毛利は昨今の図書館事情を予期していたのだろうか。この標語は今現在の図書館、あるいは、これからの図書館にも通用することばに思えてならない。

 『図書館学講座』にはその他にも、当時の著名な図書館学者や書誌学者による論考や、各地の図書館状況、読書状況が把握できる記事も収録されている。また、「ライブラリーゴシツプ」の欄には、図書館を取り巻く環境に対する不平不満などが、さながら「つぶやき」のように書き連ねられている。
 当時の図書館はどのような状況にあったのか、ぜひ、現在の在り方と比べてみてほしい。

時の流れの中で(編集部K) 投稿日:2013/05/14

 この春までアルバイトとして私達を助けてくれていた青年から、メールが届いた。大学を卒業し新聞社に就職した彼は、静岡に赴任し、定石通り警察担当となって駆け回っているようだ。多い少ないはあるが、毎年、そうやって旅立ってゆく若者を見送っている。

  桜の花ちりぢりにしもわかれ行く遠きひとりと君もなりなむ  釈迢空

 国学院と慶応で教鞭をとった釈迢空(折口信夫)が、折々、卒業してゆく教え子に色紙に書いてはなむけにしたという歌の一つという。輝かしい未来とも言わず、別れを大げさに嘆くのでもなく、様式から離れて、桜の花の華やかさに沿うように別離のさびしさを静かに言い、相手の心に届く歌であろう。

  年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず         劉希夷

 『唐詩選』にある劉希夷の詩の一節で、日本人には大変馴染み深い言葉である。ただし、この花は桃李の花であり、桜ではない。しかし、私達は桜に読みかえてこの一節を口ずさんできた。
                                
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 こういった時の流れを強く感じる季節に『近代日本芸能年表』のゲラを見ている。ペリー来航からマッカーサーが去るまで日本人がどんな芸能を楽しんできたか、歌舞伎、能、舞踊、邦楽、新劇、寄席芸、演奏などを含む舞台芸能、そして新しいメディアである映画、レコード、ラジオの動向を知ることができ、さらにその時代の諸相が見えてくる。ためしに1945年8月を見ると…

8.5  「国民の軍歌」、日本音楽文化協会・放送・新聞各社の共同募集、後援情報局、締切日(8.15)までに1万5206編応募、終戦で発表取り止め
8.6  広島:原爆投下、移動演劇隊「桜隊」の丸山定夫、園井恵子ら被爆、死亡
8.15 終戦、興行場は7日間休業、演劇場は月末まで休場、但し大阪歌舞伎座は22日から中村翫雀らの「伊勢音頭恋寝刃(こいのねたば)」を上演
8.16 「東海道中膝栗毛」市川猿之助、東劇〔東京〕
8.30 連合国最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着、9.2米艦ミズーリ号上で降伏文書に調印

 …となっている。8月15日をはさんで時代が変わる様が、芸能の動きからもわかる。しかし、すぐに歌舞伎は公演を始める。また、その後、秋にはクラシックのコンサートが多く催されていることに驚く。国破れ、食糧にも事欠くなかで、人々は、少なくとも一部の人々は、芸能や音楽への情熱を失っていなかったということだろうか。
 3.11の震災からの復興も順調とは言えず、壊れた原子炉を抱え、また、活動期に入ったというこの列島の上で、日本人がこれからどのように生きてゆくのか、そんなことにも思いが及ぶが、歌舞音曲、演劇映画は絶えないと思われる。

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 冒頭の彼が、ベテラン記者となって伝える日本の姿は、どんな風になっているのか、ふと考えてみた。月なみな感想だが、私達ひとりひとりの日々の積み重ねの総体が日本の将来かもしれない。
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