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スマトラ新聞 全1巻【new!】

スマトラ新聞 全1巻【new!】

[監修・解題] 江澤 誠

定価37,800円(本体35,000円) 
ISBN 978-4-8433-5127-7 C3000
刊行年月 2017年04月(予定)

関連情報

本書の内容

インドネシア国立図書館で新たに発見された九四号と国内所蔵の一号をあわせた九五号を収録。幻の新聞「スマトラ新聞」が明かす、軍政下スマトラの状況。

スマトラ新聞は、昭南新聞会によってスマトラ島のパダンで1943年6月8日に創刊された邦字紙である。通常は表裏2頁が1日分で、その内容は戦況報告、内地の動向、国際情勢のほか、スマトラのさまざまな動向を報じており、軍政下の現地の状況を知るためには不可欠な史料となっている。しかし現存部分が極めて少なく、その全貌は現在も明らかにされていない(1945年までに約650号が発行されていたと言われている)。そのような中、2016年にインドネシア国立図書館で、1943年10月1日から1944年1月20日の合計94号分が新たに確認された。本書は向後の研究に資するべく、その94号分にあわせ、個人所蔵の1944年4月28日の1号分を復刻するものである。


刊行にあたって 江澤 誠

 「スマトラ新聞」はアジア太平洋戦争中の日本軍政下、現インドネシアのスマトラ島・パダンで発行されていた邦字紙である。「昭南新聞会」(同盟通信社と一三の有力地方紙が設立)により一九四三年六月八日に創刊され、四五年八月の敗戦の頃までおよそ六五〇号が発行されていたと考えられる。陸海軍の指示により東南アジアで発行されていた邦字紙の多くは、欠号があるとはいえ今日マイクロフィルムや復刻版で閲覧が可能である。しかし、スマトラ新聞は戦後その存在が確認できず、「幻の新聞」と言われてきた。そして二〇一六年、該紙の一部一九四三年一〇月一日から四四年一月二〇日までの約四か月間、九四号分がインドネシア国立図書館で発見された。
 ポツダム宣言第一〇項で捕虜虐待などの戦争犯罪人を厳しく処罰することが謳われたことから、これを免れるため敗戦前後軍命令で夥しい書類が焼却され、スマトラ新聞も同様の運命をたどったものと考えられる。また、スマトラ新聞が「幻」であった理由には、スマトラ島が人口の少ない島であり、「周縁」の出来事に人々の目が注がれにくかったことや、保存を担うべき主体である同盟通信社が戦後解散したこともあろう。新聞の保存状態は良いとは言えないが、さらなる発見が望めそうにないこともあり、この度復刻に踏み切ったものである。
 ブランケット版一日二頁の第一面は、発行の中心母体である同盟通信社の配信による戦況の記事が多く、例えば四三年一一月六日は「大東亜会議」関連がトップ記事である。しかし、インドネシアは会議に招かれなかったので、出席したフィリピンの邦字紙マニラ新聞が一一月五日から写真入りで大々的に報じているのと比べれば地味な扱いと言える。これはジャワ島で発行されていた邦字紙ジャワ新聞の場合も同様であり、現地事情に配慮したからであろう。
 一方、裏面にはスマトラ地方版とも言うべき記事もあり、東条英機首相が帝国議会演説で「蘭印」住民の政治参与を打ち出したことにより、一一月九日には「原住民政治参与 スマトラにも実施」、一二日には「政治参与第一歩を踏み出す 参議会構成決る」、一三日「アチエは旗の波 吉報に狂喜」、一六日には「ミナンカバウ参政 感謝の爆発」と掲載している。そして一二月三日には「参政の重責果さん 各州議員定数決る」とあり、州参議会の参議員定数を公表している。しかし、見せかけだけの政治参与では統治が立ち行かなくなり、四四年九月小磯国昭首相が「蘭印」に対する将来の独立を容認する旨の声明を出すことになるのである。
 このように、スマトラ新聞は今まで明かされてこなかった日本軍政下「大東亜共栄圏」内スマトラの情況を伝えており、スマトラの軍政史ばかりか、ジャワなどインドネシア内の他地域、ひいては東南アジアの歴史を再考察する際の貴重な情報を提供してくれるものと考える。

江澤 誠 一九四九年生まれ。評論家、環境学博士。近書=『脱「原子力ムラ」と脱「地球温暖化ムラ」いのちのための思考へ』』(新評論 二〇一二)『地球温暖化問題原論 ネオリベラリズムと専門家集団の誤謬』(新評論 二〇一一)

【本書を推薦します】
軍政、戦犯裁判研究の重要資料「スマトラ新聞」
内海愛子 恵泉女学園大学名誉教授

 「スマトラ新聞」は第二五軍の軍政監部がシンガポールからブキティンギに移ってきた直後に発刊された。スマトラ軍政を知るための一級資料である。一面の同盟通信の配信はもちろん、スマトラでの軍政を具体的に知ることができる地域記事が注目される。
 戦後、第二五軍軍政監部は「組織テロ団体」として訴追され、オランダのメダン法廷で裁かれている。軍司令官の田辺盛武中将をはじめ、谷萩参謀長 山本経理部長、深谷軍医部長の四人に死刑判決が下った。スマトラ全域にわたる軍政関係、憲兵隊関係、抑留所関係などの最高責任者としての責任が追及された。判決は一九四九年六月一一日、オランダがインドネシアから撤退する前の最後の裁判である。死刑は執行された。軍政監部を「組織的テロ団体」と規定した背景にどのような「事件」があったのか。「スマトラ工作」と呼ばれる大規模なスパイ活動の摘発があり、これが戦後、裁かれていることは鈴木正夫氏が指摘している(「幻の「スマトラ新聞」」新聞通信調査会報 平成七年六月一日)。
 この事件をはじめメダン法廷で裁かれた事件は五九件にのぼる。戦後、スマトラでは再占領した蘭印軍にたいして、インドネシアが独立を求めて闘っており、一九四九年には各地で「暴動」がおこっていた。これは日本人が軍政の間、インドネシア人に反蘭感情を扇動したためだと、オランダ側の日本人に対する憎悪感情は極点に達していた。その感情が戦犯裁判に集中していたという。日本の軍政が問われたのである(巣鴨法務委員会編『戦犯裁判の実相』一九五二年)。
 今回、復刻された「スマトラ新聞」は、軍政研究はもちろん、オランダ戦犯裁判の研究にも重要な情報を与えてくれる。

本書の特色

●「幻の新聞」と言われた『スマトラ新聞』のうちインドネシア国立図書館所蔵の1943年10月1日から1944年1月20日までの94号を復刻。さらに、1944年4月28日号を併載。
●軍政下スマトラに関する貴重な情報を含む。
●日本の敗戦、戦犯、インドネシア独立など、戦後に続くインドネシア史につながる史料。

● 特におすすめしたい方●日本近現代史、アジア史、植民地史研究者ほか研究機関、大学図書館・公共図書館など。