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編集部便り
「いちにちの新聞の中で」 (編集部 K) 投稿日:2010/08/09
7月31日(土)の新聞の経済面に、「メーカー好決算 アジアの恩恵」という記事が載っていました。現在、日本の各メーカーの業績が好調で、その理由は中国をはじめアジア地域で売上が伸びていることが主な要因だとのことです。
日本企業が、中国やアジア諸国を安い労働力の豊富な生産拠点としてばかりではなく、広大なマーケットとしてとらえ、活動しはじめたのは、ついこの間のようで、もう随分前のことです。私はWBSを覗く程度で経済やビジネスに疎いのですが、先日、学校時代のゼミの同窓会に出た折、いろいろな業種の会社にいる友人や後輩たちが、日常的に中国やアジア諸国に出かけていることを聞きました。
実は、そうした昨今の状況を目にし、耳にして、ふっと既視感をおぼえることがありました。先月復刻刊行した東亜同文会の最初の機関誌『東亜時論』には、百年あまり前、大陸やアジアでのビジネスを夢見、また実際に活動していた日本人たちの姿がありました。
誌面には、もちろん政治、外交、軍事の記事・論説、欧米列国の動向などもありますが、中国、朝鮮やアジアの諸地域の様々な情報が掲載されています。各地の経済情勢や産業、鉄道、鉱山、水運などの記事が多く掲載されています。
今回、「解題」として掲載を御許可頂いた加藤祐三先生(都留文科大学学長、横浜市立大学元学長)の論文「東亜時論」(1978年)には、わずか13ヵ月26号で終わった『東亜時論』はその短い期間にも主張の変化があったとしています。「政治重視から経済(貿易・商業)重視への転換」であるとのことです。さまざまな要素をはらんで出発した東亜同文会の中の主役の交替を示唆するものですが、その後、経済活動のための調査活動と人材育成は、東亜同文会の柱となってゆきます。
大陸やアジアに商機と大きな可能性を求め、言葉や商慣習を必死に学び、日本を飛び出していった明治人たち。そして、グローバル化の中で企業の存亡をかけて、アジアに出て行く現代の日本企業。状況は大きく違います。例えば、西欧列強の圧力のもとにあった清朝末期の中国と、世界経済の主役の一人となった現在の中国。こわもての議論が交わされ銃剣がちらつく日清戦争後の日本と、長い平和のもと経済に専心してきけれど失速が危惧される現代日本。歴史は決して繰り返すものではないのですが、日本人や日本企業の動きに、何か、同じようなベクトルを感じました。
「坂の上の雲」を目指した日本は1945年に挫折するわけですが、現在の動きはどうなるでしょうか。たとえば中国やアジアの経済が転び、その影響でともに転んでしまうのでしょうか。あるいは東アジア共同体のようなものが現出するのでしょうか。
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同じ日の新聞の埼玉版に「来日直後に「生活保護」すぐ入院 中国人 医療扶助目当てか」という記事がありました。県内に住む中国残留孤児の親族として来日した中国人家族が、来日直後に生活保護を申請し、自己負担のいらない「医療扶助」を利用しているという記事です。その理非はともかく、人は生きるため、より良い生活のために、他国といえども移動するものだというのが第一の感想です。
かつて我々日本人も、よりよい生活をもとめて、移民や留学という形で、言語や文化の違う欧米やアジアの国々へ飛び込んでいきました。今、若者の中で海外への関心が薄れていると言われますが、それでも、さまざまな理由で、海外に出て行く人は身近にあります。
今年度出版を予定している『多文化理解と多文化交流(仮題)』(御手洗昭治編)は、言語・文化を異にする人間間のコミュニケーションは、どうあるべきか、どうしたらより円滑に行えるかなど、いろいろな示唆を私たちに教えてくれる本になるはずです。
もう一つの感想は、「中国残留孤児の親族として来日」というところに、まだまだ戦後は終わっていないと感じたことです。野中広務氏が、日本軍が中国に残してきた化学兵器のことを例に挙げて、戦後処理は終わっていないと語っているのを、ある本で読みました。敗戦は、はるかに遠い昔とも感じますが、ついこの間のこととも言えるでしょう。 (65年目の長崎原爆の日に K)
「?」をかたちにしてみる。 ―『美術批評家著作選集』配本にさいして 編集部(や) 投稿日:2010/07/07 NEW!
暑い日の気付け薬がわりに、私には一日に最低でも2杯のエスプレッソが欠かせません。しかも何か文章を書けということになれば、なおさらのこと。ただいまこの原稿入稿日前夜。まとわりつく湿気に気が散りつつも、空になったエスプレッソカップ(4杯目の)、それとヴェントゥーリの名著『美術批評史〈第二版〉』をお供に……否、これは眠気に襲われた時の枕として、手元に置いているまでなのですが……書いています。
学生時代に「日本近代美術史」を美術批評家の方に就いて学んだからなのか、美術批評家とよばれる、「文章を書く」ことで美術と主体的にかかわる存在がどこか気になり、さらには、いまの編集の仕事に携わるようになってからも、この分野を研究する取っ掛かりがあってもいいのではないだろうか、との思いを持ち続けていました。今回の『美術批評家著作選集』は、そんな二重の「?(クエスチョン)」をひとまずかたちにしてみようと考えたことが始まりです。
あらためて刊行間もない本を手に取り目次をながめると、それぞれの書き手が実に多様な顔を持っていたことに、単純に驚かされます。海外新興芸術運動の紹介者であり、美術教育者であり、その一生の仕事を通して見ると分量の点でも、いわば啓蒙的な比重が高かったように感じられます。
日本の近代において、何が「批評」とされてきたのか、またこれから、どのように批評「史」を検証し形成してゆくことが可能でしょうか。
エスプレッソ5杯目を注文。堂々巡りの空想にふけらないよう、ピリオドを打つことにしましょう。そしてこのシリーズが「近代日本の〈美術と言葉〉」(第3巻「新聞美術記者の群像」解説より)への道標となりますよう、星に願いを。
初めての宇宙食 (編集部S) 投稿日:2010/06/15 NEW!
中国で初めての有人宇宙飛行に挑んだ宇宙飛行士が、その自叙伝のなかで「宇宙食メニューに犬肉が含まれていた」と暴露した、とのニュースを読みました。
何もわざわざ宇宙で犬を食べてなくても、豚肉や牛肉ではダメなのかとも思いましたが、犬肉を食すと身体から熱が出て、保温効果に優れるからだとのことで、栄養士も推奨していたといいます。
さかのぼること1961年、宇宙空間で人類として初めて食べ物を口にしたソ連のゲルマン・チトフ宇宙飛行士は、宇宙酔いのため、食べたものをもどしてしまったといいます。現在のように立派なものではなく、歯磨き粉のようなチューブに入った離乳食風のものだったとのことで、犬肉の味にも遠くおよばなかったのかも知れません。
私も最近、市販されている宇宙食のアイスクリームを食べる機会がありました。パッケージには、「NASAの宇宙飛行士が宇宙で食べた食事と同じ製法・材料で製造された公式宇宙食です。」と書かれ、バニラ、ストロベリー、ココアと3つの味が入っています。
最初に口に入れた食感は「らくがん」そのもので、アイスクリームもどきを食べさせられたかと思いました。が、すぐに口のなかで溶け始め、溶けきると味はまさしく本物のアイスクリームです。ただ、あたり前の話ですが、まったく冷たくないので、ここが評価の分かれ目になりそうです。
アイスクリーム好きの飛行士にとっては、「冷たくはないが、宇宙でもアイスクリームが食べられる!」と喜ぶか、「こんな冷たくないものはアイスクリームとは呼べない、食べたくもない!」と、意見が分かれそうです。
さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(全6巻)の第1巻「宇宙探査機・ロケット」が5月末に刊行されました。ソ連のチトフ飛行士が乗っていたボストーク2号のひとつ前、ボストーク1号(ガガーリンが乗っていたもの)も、本書の1項目として、見開き断面イラストとともに紹介されています。
今月末には(2)自動車・バイク、以後、(3)デジタル機器(4)船・潜水艦(5)エネルギー機器(6)航空機と、毎月1巻ずつの刊行予定です。
「文藝時評大系の完結に寄せて」 (編集部K.T) 投稿日:2010/05/10
『文藝時評大系』が完結した。全73巻別巻5を、足かけ6年で完結に漕ぎ着けた…漕ぎ着けたというと、聞こえがいいが、自力でなしたことは幾ばくもなく、ただただ、ご協力をいただいた皆様、関係者の方々に頭を下げるばかりです。誠にありがとうございました。
さて、完結に寄せてということなのですが、いろいろありすぎて、何を書いたらいいのかに窮しています。そこで、本大系の全てに登場した唯一の作家、正宗白鳥を引用することで何かが現れるのではないかと思い立ちました。決して苦し紛れではありません。不一。
まずは明治篇、白鳥22歳
「作者の些細な主観の為に、自然が犠牲に供せられて居るのは、今の文壇の至る所の現象で、明治の文壇では大きい万能の自然が小さい仮山の様なものに盛られてまことに哀れにいぢけたものに為つて居るではないか、これではいけぬ……ぼんやりながらも自然の面影が明治文学に顕るるやうに」したいのが作者の希望であつて、我輩も至極賛成であるが、野の花がその序文にかよへるか否かは疑問である。(中略)此作もどうやら大きい万能の自然が作者の手細工で小さな仮山の様なものに盛られた一例ではあるまいか(花袋作『野の花』、明治34年7月1日「読売新聞」、明治篇第5巻所収)
次に大正篇、白鳥35歳
~田山花袋氏の「風雨の夜」(中央公論)は、この頃読んだ氏の作中での傑れ物だと思つた。(中略)花の咲く頃薄命な女が死んで赤の他人の手で埋葬されるといふ事件が絵のやうに描かれてゐて、哀愁の情が全面に漂つてゐる。ずつと以前の氏の作物を回想させるが、しかし、風雨を冒して穴を掘るあたりの冴えた描写はとても昔の氏には見ることが出来なかつた。(今月の小説、大正3年5月5~6日「読売新聞」、大正篇第2巻所収)
昭和篇1、白鳥49歳
~私も、時々、自己の興味よりも作家に対する好意から、努めて雑誌小説を読むことがあるが、滅多に批評欲が起こらない。この頃の雑誌小説よりも、円本の明治文学の方がまだしも読応へがするのである。所謂高級雑誌の衰運も自然の結果かも知れない。(二三の短評、昭和3年6月11日「読売新聞」、昭和篇1 第2巻所収)
昭和篇2、白鳥67歳
~「細雪」は二度読んだ。昨年(昭和十九年)七月、非売品として、二百部を限り印刷された細雪上巻の特種本を、著者から寄贈されたので、兎に角一読した。空襲を恐れて軽井沢に疎開したばかりの頃で、純粋の文学書なんかを落着いて読む気持にはなれず、自分で筆を執つて、閑文字を綴ることも全く断念してゐたので、最初の一部分が「中央公論」に掲げられて、問題となり、雑誌社にまで累を及ぼした「細雪」が、一冊に纏められて刊行されたのを意外に思つただけで、作品そのものに魅力を覚えることはなかつた。この小説については噂をしてくれるなと、著者は世間の思惑を憚るやうなことを、寄贈通知書に添書してゐたやうであつた。(文藝時評 細雪、昭和21年2月1日「新生」、昭和篇2 第1巻所収)
昭和篇3、白鳥82歳
私は新年号の雑誌を幾つか読んだが、それぞれにおもしろかったと、お世辞にも言ってもいいのである。しかし、明治末期のように、幾つかのおもな新年号雑誌の小説を大みそかの夜か、元旦の朝に手に入れて読んでいた時のような、のどかな正月気分は起こらない。あの時代には、私も四つ五つの短編を新年号に書いたこともあった。田山花袋は、ある年の新年号雑誌に十一編も小説を寄稿したといわれてわれわれは驚かされた。しかし、どれも短編なので、近年のように、流行作家や新進作家が、百枚二百枚ぐらいの小説を、三つも四つも新年の誌上に書き飛ばして、何食わぬ顔をしているのと大違いであった。(新年号雑誌を読んで、昭和36年1月9日「読売新聞」、昭和篇3 第3巻所収)
「便り」と書誌書目シリーズ (編集部E.Y) 投稿日:2010/02/10
「便」という字から何を連想しますか。
『ロハス・メディカル』という病院に置かれている雑誌を見たとき、はっと思いました。そこには、「排泄物に対して、なぜ「便り」という文字が使われているのか考えてみると、興味深いものがあります」とありました。
そうだったのですね。「便」は、見えない体調を知らせてくれる、重要な身体の「たより」だったのです。
この記事を読んだとき、思い当たることがありました。
私は、『書誌書目シリーズ』を担当することがありますが、このシリーズの意味についてときどき、史料の所蔵者や書店の営業の方に聞かれます。
その都度、これは日本の出版文化史の足跡を集めていくものです、史料の少ない出版文化史を、遺された書物の書目や書誌から再構築していくものです、などと申し上げるのですが、なかなか分かっていただけないのではと思っていました。
が、この「便り」という字で気がつきました。
無味乾燥に見える蔵書目録は、出版文化史の「便り」だったのではないか。
2009年刊行の『米沢藩興譲館書目集成』(編集 岩本篤志、解説 岩本篤志・青木昭博)は、昨年ブームとなった直江兼続の蒐書にはじまる米沢藩の蔵書目録を集めたものと言えば、少しは親しみもわくかと思いますが、古書マニアの方々には「米澤藏書」印や「米沢善本」の名が広く知られています。
解説では、11点の蔵書目録の書写年代や各目録中の同一書物の変遷を手がかりに、米沢藩の蔵書がどのように形成されていったのかが明らかにされています。書物が納められていた場所ごとに蔵書群の変遷の道筋が示されます。「藩邸系」(江戸藩邸麻布中屋敷にあった書物)、「支侯系」(支藩の米沢新田藩にあった書物、但し空間的には麻布藩邸内)、「学館系」(藩校興譲館とその前身の学問所にあった書物)、「官庫系」(国元の藩のくらにあった書物)の4群です。
宋元伝来の貴重な古本がどんな道筋を辿り、現在も市立米沢図書館にあるのかを知るのは、ちょっと胸躍るタイムトリップではないでしょうか。
これからも、様々な、書物の歴史からの「便り」が楽しみです。
はたして匂いはついたか・・・ 投稿日:2010/01/08
今は昔、とても匂いに敏感な友人がいた。いつも通る高速道路のある地点に来ると必ず車窓を閉める。いつもその行動を怪訝に思っていた。その友人は街の臭いを敏感に感じていたのである。食事も匂いに敏感であった。この場合、香りといった方が正確かもしれない。食材がもつ香りをとても楽しんでいた。青菜の香りやパクチのもつ独特な香りが大好きであった。アロマセラピーやお香は勿論である。庭には季節の香りを伝える花々が植えられていた。これらの微妙な香りを充分日常に取り入れていた。かつて、その友人に言われたことが懐かしく思い出させられる。「出版社をやるなら匂いのある出版社になりなさい」。
最近アメリカの知人から、アメリカの某有名大学のライブラリアンが書いた「今、アメリカの大学でライブラリアンと呼ばれる職業が絶滅しつつある」と題する、大変興味ある一文のコピーを頂いた。
その一部を紹介したい。
「・・・・(中略)・・・1980年代の中ごろから10年間位の間、図書館でもっとも活気のあったのはレファレンス・サービス部である。私も多忙な業務に携わった。私が働いていたアメリカの大学は州立大学であったから、一般市民にも開放されている。約5万冊のレファレンス図書が用意されているその大きな部屋の一端に設けられたカウンターには前後5人のレファレンス・ライブラリアンが待機して顧客の質問に対応した。学期末ともなるとカウンターの前には長蛇の列が出来、学内の利用者を優先し、学外者には別に並んでもらうようにとの決まりも作られた。それほどレファレンスは図書館の花形の場、でもあった。それが現在ではレファレンスに来る人はもうほとんどいなくなってしまった。・・・・
・・(中略)・・・その理由は他でもない、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリー化しつつあるからだ。100種以上のデータベースが年間購入契約されている。ビジネス・ライブラリアンの仕事のほとんどはデータベースの選択、契約、打ち切り、更新、それに伴う業者との交渉に費やされている。100種となれば平均3日に1度、契約更新の作業を行うこととなる。」
それに伴いライブラリアンの人員は減少し、スタンフォード大学では、29人いた職員のうち7名が昨年中すでに解雇され、そして今後さらに多くの人員が削減されるであろうと予期している。
このような現象は新聞界にも顕著に現れている。広告が減り、部数も減って、記者も減った。新聞界にも秋風が吹きまくっている。新聞界斜陽の原因は何なのか。草創期のヤフーやグーグルに米国の新聞社が記事を無料で与えたのが、経営的に致命的な失敗であった。当時は、ネット広告が順調に伸びさえすれば新聞広告の減少分を補えると予測していた。やってみると、広告の単価は安く、広告の出稿量も絶望的な少なさでとまってしまった。現在、日本の新聞社数が98社で、総発行部数が5,149万部であるのに対し、アメリカの日刊紙の数が1,408社で、総発行部数がわずか4,859万部まで減少してしまった。まさに瀬戸際のアメリカ新聞界である。日本でも、全国紙をかかげてきた毎日新聞が地方紙系の共同通信の加盟社に復帰するなど、その傾向の兆しが見えつつある。
また、国立国会図書館が所蔵する蔵書を電子化してインターネットで配信するという計画が進行している。国立国会図書館は、「これまでは書籍を読みたい人は図書館に来てもらわなければならず、遠くの方々にはハンディキャップになっていた。国会図書館の持っている膨大な資料や情報、出版活動の成果を日本中の方々にくまなく享受していただけるシステムに向けて、協議会が出来たことは大変嬉しい。書籍をデジタル化して配信すれば、本を探す時間も短縮でき、原本である書籍を傷めることもない。」と手放しで喜んでいる。
はたしてそうであろうか。前述したように、これらの計画が実現した場合、図書館からライブラリアンはいなくなり、データベースに関する業務だけが残ることは、目に見えて明らかである。図書館人は自ら己の首を絞め、自分たちの存在意義を排除しようとしている。また、このデータベースの基となる書籍や情報はいったい誰が提供するのか。
さらに、グーグルは世界の書籍を電子化してインターネットで配信し、世界のどこからでも閲覧できる計画を進めていた。が、米国をはじめ世界の出版社や著者の猛然な反対闘争の末、和解案を提出し法廷闘争に持ち込まれた。先般これらの計画を断念して、比較的影響が少ない英語圏であるアメリカ、カナダ、オーストラリアの3カ国のみに限定することを発表した。国会図書館は、グーグルが断念したようにこれらの計画を見直すか、もしくは現在本計画推進のための127億円もの予算を「仕分け」にかけ「廃止」にすべきである。「科学はなぜ一番を目差すのか」。この愚問に対し、私たちは怒るべきである。科学に限らず、学問は一番を目差してこそ発展があるのである。スタートから2番や3番を目差していたのでは、決して進歩は無く、模倣に終わるであろう。このまま図書館自らが蔵書のデジタル化によるインターネット至上主義を進めれば、図書館が倉庫に変わる日がそう遠くない日にやってきそうである。
今年は創業35周年である。出版不況が語られて久しい。昨年、21年ぶりに出版界の売上が2兆円を割った。しかし、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリーになろうとも、たとえグーグルやヤフーがこの世から新聞を消滅させようとも、国会図書館が総デジタル化の事業を推進し巨大な倉庫に変わろうとも、『源氏物語』が千年読み継がれてきたように、活字は、否、出版文化は不滅であると信じつつ、36年目に乗り出したい。
はたして、この35年間の出版活動でゆまに書房に匂いはついただろうか・・・。
今、友人は何と言うだろうか・・・・・。 平成22年正月 株式会社ゆまに書房
「車中読書」 (編集部K) 投稿日:2009/12/10
夕方、何かちょっとおなかに入れようと会社を出てみたら、神田界隈はぐっと冷え込んできていました。ようやく12月らしくなったようです。東京は12月に入っても冬という感じがしなかったのですが、ようやくクリスマスのイルミネーションがそれらしい輝きを放ちはじめるでしょう。
ただ、喜んでばかりいるわけにはいきません。寒くなって、新型インフルエンザの動向は今後どうなるのでしょうか。日本の新型インフルエンザの死者が100名を超えたという怖いニュースが伝えられました。新聞に「怖がらず、油断せず」といった記事がありましたが、かからない対策とかかったときの対処法を自分なりに考えておくべきでしょう。
それはともかく、「事業仕分け」の次は「沖縄基地問題」「首相の資金問題」とつづく政治問題、デフレ不況、また凄惨な殺人事件そのほか、日々新聞やテレビ、ラジオは伝えています。私たちは一応、それはどんなことで、自分はどう判断すべきか、考えてはみます。また、友人との話題にします。しかし、結局、報道の言葉や「識者のコメント」の一端を借りてきて、考えたり話したりしていることにふと気がつきます。
そんなとき、ある種の逃避ですが、何かまとまった本を読みたくなります。
最近、友人が勧めてくれた『日米同盟の正体―迷走する安全保障―』(孫崎享著)を何日もかけて電車の行きかえりで読みました。私はこういう問題について基本知識がなく、どこまで内容を理解できたかは怪しいのですが、多くの書物、論文、演説などを丁寧に読み解き、論を積み重ねてゆくところはたいへん面白く読みました。そして、今の沖縄の基地問題の答えが書いてあるわけではありませんが、その背景が見えてきたのは望外の収穫でした。「経済と日本ブランドを武器に、またヨーロッパとの結びつきを強めて日本の安全保障を進める」という結論に異論を持つ人も多いかもしれません。私も即座に賛成とは言えません。しかし、ジャーナリズムの大雑把な議論とは違う手ごたえを感じました。
ちょっと硬いものを読んだ反動か、つぎは『東海道中膝栗毛』を読みはじめています。近世文学は、別の作品を大昔少し読んで、意外に近代的な感情が描かれているのにびっくりしたことがあるのですが、読解力不足で挫折していました。勉強の一端と考えたのが間違いだったようです。今回はただ楽しみのためにと思い、書店の棚(コンピュータで買い物をするのはなんだか落ち着きません)を眺めていて、この『東海道中膝栗毛』に目が行きました。実は、『膝栗毛』に関する出版企画のお話があり、気になってはいたのです。今度は仕事の一端になってしまいそうです。いずれこの場で企画を紹介できればと思います。
まだ、読み始めたばかりですが、奇想天外な展開、赤裸々な人物描写に、電車を降りるのを忘れそうになったりしています。楽しみ八分で読んでいる次第です。その世界に浸っていると、影響されやすい私は、次から次と繰り出される強烈な江戸言葉に染まってしまうかもしれません。それがちょっと怖いのですが…。
それでは「わつちらアもふおひらきにいたしやせう」。
「幸福、口福。」 (編集部Y) 投稿日:2009/11/09
仕事をきっかけとして新しいものに関心の眼が向くというのはよくあることと思います。私のばあい、今年の7月に『銅像写真集 偉人の俤』と並行して担当した『吉祥図案解題』がそれでした。この『吉祥図案解題』は戦前の天津で貿易商として活躍した野崎誠近氏が、親交のあった日中両国の研究者の協力を得ながら、現地の人々の暮らしに息づく装飾や図案185種類を「吉祥図案」と名づけて纏め上げた、とても丁寧な仕事です。詳細は復刻版「解説」に譲るとして、さて、私が気になるようになったのは何かというと、神田西口商店街とその界隈に乱立する中華料理店です。ちょうど今回のメルマガ担当ということもあり、お昼休みにさっそく顔馴染みの店へ出かけました。
中国語が飛び交う店内で料理が運ばれてくるまでの間、しばしあたりを観察……壁には天地逆さまの「福」の文字の貼紙、器の回紋はおなじみですが、じっくり見てゆくと色々なものが眼に飛び込んできます。椅子の背もたれの透かし文様(龍らしき生き物)、天井には赤い殻付きの落花生が糸に繋がれ、縦横に張り巡らされていました。天井一面に赤い落花生がぶらぶらと垂れ下がっていて、藤棚ならぬピーナッツ棚です。しかしなぜ落花生が…? 忙しい店員さんをつかまえるのも憚られ、机に戻ってから『吉祥図案解題』をぱらぱらめくって調べてみました。すると、ありました、「長生不老 落花生の図」。説明によると「落花生は俗に長生果と称す。其根を牽けば鈴生りに累々として絶えず、且何時迄も生々として腐らぬ若さあり、又美味滋養に富みて長命不老と賞味さる。」なんとも素晴らしいお豆です。
ためしに秋の味覚のひとつ、柿を調べてみると、「事々如意 柿二個と如意の図」「百時如意」「新韻如意」「百事大吉」の4つが取り上げられています。「柿は事と同音同声(Shih)にして、二個にて柿々即ち事々を寓意」し、「事」と同音異声に「獅」(Shih)があるので、「柿」の代わりに「唐獅子」を描くこともあります。さらに、柿は七つの徳を備えた果物だとか。「唐の段成式の酉陽雑爼に〈一には木の寿命長し、二には樹蔭多し、三には鳥が巣を作らず、四には蟲が付かず、五には紅葉賞翫すべし、六には立派なる果実が生り、七には其の落葉が殊の外大きい。〉」。柿の蔕だって捨てたものではありません。「柿蔕紋」は建築に多く用いられるそうで、「所以は、爾雅翼に〈木の根の中にても柿が最も固ければ、俗に之を柿盤と云ふ。〉とあり、地盤の堅固、丈夫を寓すべければなり」云々。幸せを願う人間のエネルギーたるや、心打たれます。さいごのおまけ、モンブラン・ケーキや栗しぼりで楽しむ「栗」も、「栗子」「立子」(LiTzu)と同音同声で「戦慄自正を意味す」るそうです。
天高く馬肥ゆる秋。幸せでお腹も心もいっぱいにして、残り少ない2009年を乗り切りましょう。
「クラゲの美しさ、恐ろしさ」 (編集部S) 投稿日:2009/10/08
いまさらイルカショーを期待したわけでもなく、近くを寄ったついでに、といった感じで新江ノ島水族館に入りました。ちょっとした時間つぶしのつもりだったのですが、ここのクラゲ展示にはすっかり魅せられてしまいました。
「クラゲファンタジーホール」と名付けられたその一角は、大小9つの水槽からなっており、世界一大きなクラゲの一つとされるシーネットルをはじめ、常時15種類ほどのクラゲが公開されています。照明の落とされたホールでぼんやりと発光するクラゲは、何とも美しく、時間つぶしどころか、閉館時間がうらめしく思えるほどでした。
『最強動物をさがせ(全4巻)』〔(1)恐竜(2)太古の猛獣(3)小さな生きもの(4)ハンター〕が9月から刊行されています。本書は、大昔から現在までの動物たちを5つの項目をもとに点数化し、最強動物トップ10を紹介するものです。
私がとりこになったクラゲも「(3)小さな生きもの」(11月刊行予定)で取りあげられています。もっともここに登場するのは、「オーストラリアウンバチクラゲ」というもので、名前からもわかるように、日本の海にはいません。しかし、その毒はすさまじいもので、刺されてわずか数分で人が亡くなってしまったケースもあるといいます。
クラゲは水槽の外側からのんびりと眺めるのが一番よいのかも知れません……。
順番が前後しましたが、今月末は「(2)太古の猛獣」が刊行されます。この巻に登場する猛獣は、恐竜絶滅後に繁栄したもので、現代人の私たちには、幸か不幸かお目にかかりたくても、ぜったいに出会えないものばかりです。ただ、忠実に再現された豊富なイラストの数々は、子どものみならず、大人にとっても、ビジュアル的にひじょうに楽しめる仕上がりになっています。是非店頭でご覧頂きたいと思います。
「『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成」刊行に寄せて 投稿日:2009/09/09
選挙で某党が快勝しても〆切はやって来る。
明けない夜はないが、迫って来ない〆切もない。もうちょっと草食男子的に穏便(無気力?)になっていただきたいのだが。
ということで、近々刊行の『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成、に添付する索引の最終作業を行っている。これは戦後、昭和24年から27年まで河出書房が、刊行した全65冊という、大部な文学全集の解説部分を網羅するという企画なのであるが、この全集の特徴は、戦後初の「大系」的な文学全集ということであり、つまり戦後になって新たな視点で編纂された文学史に基づいた全集、ということになる。例を挙げると大正期の白樺派をはじめとする文学は「新理想主義」や「新現実主義」、モダニズム、プロレタリア文学以降の昭和10年代の混沌とした文学状況は、そのまま「昭和十年代」という思い切りの良さだ。「昭和十年代」の括りは全部で15冊あり、「大系」のなかでも最長である。その最終巻60巻の内容は「幸田露伴、永井荷風、正宗白鳥、徳田秋声」であり、それぞれ「連環記」「☆ボク東綺譚」(☆=さんずいに墨)「根無し草」「縮図」というように大家の戦前戦中の大作が収録されている、というようになかなかソツのない編集になっている。
…と偉そうに言ってしまうのは失礼な話だ。何と言ってもこの大系の編集委員は「青野季吉、片岡良一、川端康成、中野重治、中島健蔵、伊藤整、中村光夫、荒正人」なのだから!(ちなみに監修、は永井荷風、正宗白鳥、志賀直哉、谷崎潤一郎!)
この編集委員が代わる代わる解説を執筆しているのである。索引を作るためには当然すべて通読するのだが、それぞれのスタンスの違いが実に読んでいて面白い。また、時代を感じさせる解説があったので少し引用する。第59巻「昭和十年代14」で、いわゆる戦時中の「戦争もの」を集めた巻だ。収録作家は「丹羽文雄、石川達三、火野葦平、上田広、日比野士朗」で、解説は中野重治である。「読者のためにはじめに断っておきたいことが一つある。断っておくというよりも説明しておくという方が一そう適当でもあろうが。それは、この大系が目論まれ、その編集内容が大体の方針として考えられた最初のときには、いわゆる「戦争もの」はこの大系の中には入れないという方針がある程度考えられたということである。これは、戦後まもないころの一般の空気が予算に入れられたからでもあったが、それよりも、当時アメリカ占領軍によって検閲制度がしかれ、「戦争もの」の出版は、直接禁止されぬまでも甚だ好ましくないものという取扱いを受けていたからであった。すなわち、われわれ編集委員たちは、これらの「戦争もの」を文学作品としてそれ相応に評価し、あの戦争期をぬきにしては考えられぬ今日へ続く日本近代小説史の重要な時期をつくるものとして、学問的にもこれを大系から脱いてはならぬと考えたけれども、今いったような事情から「遠慮する」という空気が強かったのであった。」
ところが、検閲制度の廃止(プレスコード撤廃は昭和24年)を受けて、収録を再検討し、この巻の刊行は成った。発行日は1952年(昭和27年)4月15日、で奇しくもこの直後4月28日後に、サンフランシスコ講和条約の調印を受けてGHQは活動を停止するのである。
余談としては、さらにひと月後誕生する片山哲内閣は社会民衆党・民主党(もちろん別物)・国民協同党の連立内閣である。閣内の意見がまとまらず、親任式までに閣僚が決まらなかったらしい。おおらかと言えば聞こえはいいけどね。