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編集部便り

歴史を戻そう  投稿日:2012/01/14 NEW!

 今年の元旦に届いた年賀状は昨年よりだいぶ少なかった。福島第一原子力発電所二十キロ圏内に住んでいた兄弟や友人、知人、親戚からの年賀状がほとんどこなかった。いまだに会津や郡山、近くはいわき市の仮設住宅や民間借上げ住宅に、さらには東京、新潟、大阪の遠方に住居を移しているらしい。住所録を失ってしまったのか、それとも年賀状を書くような心境ではないのだろう。あれ以来連絡が途絶えている友人たちのその後の近況が知りたくて、喪中でない限り私は一方的に投函した。

 福島第一原子力発電所は、狐の巣穴の前や野兎のウサギ道に仕掛けた罠も、芝居の台詞や赤尾の豆単で暗記をしようと何時間も歩き続けた田畑の畦道や、近所の子どもたちと草野球をやった八幡様の境内も、夏休みの子ども相撲大会が行われたどこまでも続いたあの白浜も、全町民で歓声を上げた小中合同運動会の学校のグランドも、かけがえのない縁側の笑い声さえも、なにもかも放射能で覆い尽くしてしまった。愚かな歴代の首長たちが、無名な土地であるが故に誘致した原子力発電所は、彼らの目的どおり世界的に有名になって住民を追い出そうとしている。「帰還困難区域」に指定されるらしい。
50年は帰ることが出来ない。そんな状況の渦中に追いやられた故郷の人たちにかける言葉が見つからない。何人から返事が来るのか。元気に暮らしていればよいのだが。

「戦争を知らない子供たち」といわれて久しい。一昨年まではこのまま大自然災害や大きな戦争を体験しないで、平和な時代を送って人生を終えるものだろうと漠然と考えでいた。脳溢血か心臓まひか、それとも癌か、いずれにしても病で死ぬのだろうと己の死因を理由もなく考えていた。ところが昨年の東日本大震災の震災当日の悲惨な様子が次々とメディアに紹介されるようになって震災の現状を詳しく知ると、そこにはあまりにもむごく、悲しく、恐ろしい地獄絵が現実にあった。平穏時での出来事ならばどれ一つとっても大ニュースである。人間の極限状態がいたるところで発生していた。なんということか。平成24年1月1日現在、亡くなられた方1万5844人、いまだに3451人の方が行方不明である。さらに、33万4786人の方が避難生活を送られているという。「戦争を知らない子供たち」のまま死ぬわけにはいかなくなってしまった。

 弊社では今年、偶然にも『人類の歴史を変えた運命の日1001』を刊行する。人類史上、多くの人が死に、数え切れない人々が傷つき、歴史が変わってしまったであろうと思われる1001件の重大事件や大規模戦争等を年代順に取り上げ、有史以来人間は愚かなことを何度繰り返してきたかを検証する。もちろん今回の東日本大震災も取り上げる。どこまで真実を伝えられるかは疑問だが、私たちは永遠にこの悲惨な大震災を、特に人災ともいえる福島第一原子力発電所の放射能汚染を忘れてはならない。そんな一念が伝えられれば幸いである。

 あれから三度目の正月を迎えた。以来、「首都高速3号線の三軒茶屋で非常階段を下りてしまった」(『1Q84』村上春樹著、新潮社)ような、どこか今までの世界と何かが違ってしまったような複雑な気持ちが続いている。今回の大震災や福島第一原子力発電所の放射能汚染も、「人類の歴史」どころか私の人生の歴史を大きく変えてしまったことは間違いない。一刻も早く首都高速3号線の三軒茶屋まで行ってあの非常階段を上らなければ。
そして、これら一連の大災害は夢であることに気づかなければならない。
歴史を元に戻すために。

同窓会、そして妄想 (編集部 M.K) 投稿日:2011/12/13

 11月のある夕方、学校時代のゼミの同窓会に出かけた。同期の連中と一年ぶりに再会…。来ていない仲間の噂、各自の健康と病気、そして最近は近づく「定年」が話題になる。そのあとは、それぞれ属している業界のことに話は移る。金融、不動産、コンピュータ各業界についての話題を興味深く聞いていると、「デジタル本はどうなの?」という質問が飛んでくる。それぞれ本の良き読者たちだが、それよりも何かそこに新しいビジネスが生れつつあるのか、という興味をベテランビジネスマンたちはもっているようだ。いろいろな動きが折々経済の話題として報道されている。
 よく言われることだが、電話、レコード、カメラ、テレビ、そして、車も技術革新により大きく変わり、それに伴い、われわれの生活もめまぐるしく変わりつつある。本がデジタル化されることは、産業界から見れば、至極当然のことに見えるようだ。
 しかし、事はそう簡単ではない。偶然眼にした「本の長い歴史のなかで「電子本元年」を考える」 (「早稲田学報」1187号)で、津野海太郎氏は、今回の「電子本元年」といわれるブームも、以前のものと同様、尻すぼみに終るのではと危惧していた。
 私がもしデジタル本を作る立場にあったら、と妄想してみる。「紙とデジタルの共存」などという考えはいったん捨てて、「紙の本を根絶する」ぐらいの意気を持たないと事は進まないと思う。相手は、千年とか五百年とかの歴史がある。写真機やレコードとは違う。コンテンツが集まらないなどとよく言われるが、その内容に踏み込み、新しい内容を創造しようとしないからだろう。
 デジタル派がそのようになったとき、戦いが始まる。紙派のわれわれも本気になって、デジタル本によって相対化され、情報ツールのひとつとなってしまった本を、どうやって生きのびさせるか、考えねばならない。本は変わらないと言っているうちに、「戦争と平和」や「論語」をiPadで読破するような新しい世代が生れるかもしれないのだ。
 戦いの結果はどうなるかわからないが、ともかく、その先に、われわれの文化は少しは前進しているかもしれない。

 そんなことを考えながら、会場を辞すと雨が降り出していた。コンビニに駆け込み、折れ傘を買う。店を出てさそうとしたが、これが難しい。しばらくいじってみて、取っ手に埋め込まれたボタンを押すと柄が伸びて傘が開く仕掛けだった。しかし、閉じ方がわからない。店に戻って、店員さんに聞いてわかった。とかく新しいものが苦手になったのは、トシのせいか、と苦笑して、雨の街を歩き出した。

立冬を過ぎて  (編集部K・Y )  投稿日:2011/11/09

11月5日。朝日新聞に「七五三 仮設でお祝い」という囲み記事がありました。そこには、紅色の晴れ着を着付けてもらっている女の子の写真が載っていましたが、すまし顔にも嬉しさがにじみ出ているその表情に、あらためて人生の節目を祝うことの大切さを思いました。翌日、ある駅の構内で、おなじく紅色で古典柄の「宝尽し」の着物に、ふっくらと髷を結った女の子を見かけ、思わず、「かわいいね、おめでとう」と声をかけていました。3.11の震災の前後、初めて手掛けた児童書「偉人たちの少年少女時代 全3巻」の編集作業が大詰めを迎え、刻々と伝えられる被災地の状況を、目に、耳にしながら、「とにかくこの本を子どもたちに届ける」という一念で毎日を送っていました。そんなことも思い出されて、今年の七五三はこれまでとは違う特別なものに感じられます。

11月7日。今年のサントリーホールのスペシャルステージに、ピアニストの内田光子さんが登場。個人的に、いつかは聴きに行きたい!と思い続けていた音楽家のお一人です。内田さんはロンドンを活動拠点にされ、年間の演奏会を50回程度に抑えていると聞いていたので、思い立ったが吉日、つい3日前に最終日のピアノ・リサイタルのチケットを運よくおさえることが出来ました。この日はシューベルト・プログラムで、お好きな方のために曲目を書きますと、ピアノ・ソナタ ハ短調D958、 イ長調D959、変ロ長調D960の全3曲。自らの終焉(死)を自覚してこれほどまでに完成度の高い仕事をやり遂げ残したシューベルト(1828年11月19日没、享年31歳)と、内田光子という表現者。ふたりを目の当たりにして、休憩の20分間と演奏後しばらくは席を立つことが出来ませんでした。ちなみにこの日の出演料(調律師からも、スタンウェイ・ハンブルクを通じて)は、東日本大震災で被災した、おもに子どもたちへ寄附されます。

11月8日は立冬。仕事を終えてから、支援物資を送る活動を続けている知人に冬物の衣料などを届けるため銀座へ出ました。暦どおり、夜の空気には冬のにおいがしました。今年も残すところ2か月ばかりとなりました。クリスマス色に染まりはじめた東京の姿も、なんだか悪くはないな、などと思う今日この頃です。

英語圏版 マンガ『坊っちゃん』刊行に寄せて (営業部H.K) 投稿日:2011/09/13

9月11日の米同時テロから10年、追悼式をTVのニュースで見ました。毎年、この日が来ると思いだすことがあります。

9年前、私はアメリカに出張中でホテルのTVで米同時テロの1年目の追悼式を見ていました。この日が帰国日のため、何か起こると飛行機が飛ばなくなるかもという不安とともに。思えばこの時が最初のアメリカ出張でした。

その後毎年定期的にアメリカを訪問させていただき、色々な方々と知り合うチャンスを得ることができました。そしてある方にアイディアを頂き、今回マンガを使った日本語教科書を発売することになりました。しかも日本の文学の名作を題材に使ったものです。
タイトルは Learning Language Through Literature1 英語圏版 マンガ『坊っちゃん』 です。

教科書のスタイルも全く初めての試み、小社で日本語教科書を出すのも初めての試みです。ようやく今月末に発売になります。非常に楽しみです。

また、この日本語教科書ではもう一つ新しい試みがあります。それはこの教科書の学習支援サイトを特別に設けることになったのです。ここからは問題集のダウンロードができたり、先生方のコラムが読めたりと多彩なコンテンツを載せる予定で着々とサイトが出来上がりつつあります。
トップページのデザインも良いものになりましたので是非ご期待ください。
URLは
http://www.yumani.co.jp/Botchan-en/
です。
まもなく開設いたします。

この教科書で日本語を学ばれた方が日本の文学や文化にも興味を持っていただき、ゆくゆくは小社で出しているような学術書を読んでもらえればという希望を持っています。

ぜひこの新しい日本語教科書を手にとってご覧ください。

本は二度読む (編集部K) 投稿日:2011/07/07

 出張で出かけた某機関での用件が予定より早く終わり、東海道新幹線の某駅で、その駅にたまにとまる「ひかり」を小一時間待つことになった。暗鬱な夕方の梅雨空の下、歩き回るのはやめ、駅前の喫茶店でひと息ついた。こういうちょっとした待ち時間に駅の近辺を歩くと意外な発見があり楽しいのだが、蒸し暑さと軽くはない荷物のため、冷房とおいしいコーヒーを取ったわけだ。終えたばかりの打ち合わせのメモを見直したのち、読みかけの文庫本を取り出した。
 その本はすでに最後の章に入っていて、残りは二十頁ほどだった。しばらくして読み終えてしまった。本を卓上に置き、しばし陶然としていた。なんとなく、それを鞄にしまいたくない感覚を覚えていた。そして、はっと気がついた。「もう一度読んでみたい」と思っていた。久し振りの感覚だった。

「本は繰り返し読むもの」という言葉がある。繰り返し読むことの効用は古来いろいろ言われている。青年期に読んだ本を中年期に読み、さらに年を重ねてから読むと、見えてくるものが変わってくると、どこかで聞いたことがある。その域には達していないが、過去、二度あるいはそれ以上読み返した本が私にも何冊かある。もう一度その世界に浸りたい小説であったり、魅力は感じたが一度だけでは全体像がつかめなかったやや固めの本であった。そういう本は、やはり記憶に強く残る。ただ、「繰り返し読む」ということを実現するには、本を置くスペースと読む時間が必要だ。読みたくなったときにすぐ手に取れるように整理し、管理しておくことも必要になってくる。
 一方、「一度読んだらどんどん捨てる」ということを信条としている人がいる。私の陋屋の一部分は、読み終えた本や買ったままの本などに占領されている状態が長く続いている。この占領状態を解消し、住宅メーカーのテレビコマーシャルに出てくるような住空間を実現すべく、「読んだら捨てる」という原則に徹したいと常々思っている。いま必要な情報や味わいたい何かを得たらもうその本は用済みとなったと考えるのだ。あとで必要になったら、また買うか図書館で借りるかすればよい。特にデジタルブックが普及しはじめている昨今、現実的な選択と言ってよいだろう。
 ただし、「捨てる」というのは思い切りが必要だ。また、本にもよるが、一度の通読でその本の内容や魅力を把握できるかという問題がある。再度の通読で見落としも減り、思わぬ発見をしたり、体系的な把握ができたりする。一読で捨ててしまえば、そのチャンスを失う。それに私たちが本に求めているものが、元は「諜報」と同義であったきな臭い「情報」などではなく、ちょっと照れ臭いが「教養」だとすれば、「読んだら捨てる」はそぐわない。最近、小社でスタートした「ULULA叢書」も、繰り返し読まれるような本にしたいと思っている。

 冷めたコーヒーをすすりながらぼんやりと考えていて、ひとつのアイデアが浮かんできた。「本は二度読む」ということだ。二度読めばおおよそ内容はつかめる。そして、二度読めば手放してもいいかどうか、判断ができる。一冊の本を二回楽しむというのは経済的効用も大きい。たとえ手放すとしても本への礼儀は尽くしたことになるだろう。これはよいアイデアだと思った。

 東京行き「ひかり」に乗り込み、弁当を食べ終えて、その文庫本をひろげたまではよかったが、一頁も読まぬうちにタイムワープ現象が起こり、「まもなく新横浜」の放送が聞こえた。一度読んだ本を再読するには、聊か意思の力も必要だと悟った次第である。

『ゼロの焦点』 編集部K 投稿日:2011/03/08

 『ゼロの焦点』がテレビで放映されたので、つい、みてしまった。松本清張のファンではないが、『点と線』とか『砂の器』、『けものみち』などは、ドラマ化されたものや、映画などで、何度か見ていた。この『ゼロの焦点』だけは縁がなかった。今回のものは、2009年の2度目の映画化のもので、広末涼子、中谷美紀、木村多恵と、現代の代表的な女優が競演していることでも話題になった。
 映画であるから当然かもしれないが、ディテイルにこだわっていて、場面場面がなぜか懐かしく感じられた。たとえば、出張先で消息を絶った夫、鵜原憲一(西島秀俊)を思う若妻、禎子(広末)のいるアパートの一室の部屋や家具の様子、何度か出てくる北陸本線の夜行列車、海辺の寒村の家々、あるいは自動車や、その車の走る街の様子は、見覚えのある場面や風景であった。出て来る男達の多くが、どこでも煙草を吸っており、今昔の感がある。

 舞台となった時代は昭和30年頃だろうか。トヨペット・クラウンが出ているからそれ以前ではないようだ。原作は1958年1月から1960年1月に連載されている。敗戦から10年前後。本作は、戦争とそれに続く混乱期に傷ついた人々の心の苦闘がテーマであろう。戦争という不条理の中で死んでいった人々、生き残ったが辛い生活を強いられた人々が多くいたことは忘れられつつあるのではないだろうか。

 戦争の悲惨さについては、小社刊の
『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録―』(田中宏巳著)
であらためて知った。軍の中枢部の迷走によって、20万の兵のうち帰れたのはわずか2万という戦場であった。もちろん、日本軍が他国に残した爪あとも忘れてはならない。
 劇中、伝聞の形で出てくる言葉だが、成り上がりの工場主が鵜原憲一を評する「人が死ぬのを見てきた男」という言葉が一番印象に残った。憲一と同様、彼の世代は、戦争体験について寡黙であった。
 「引揚」や「復員」に関する史料の出版に関わってきたが、『ゼロの焦点』を見ながら、あらためて、戦後日本の出発点に立った人々の思いを考えていた。

「ULULA」に守られて  投稿日:2011/01/12

 約36年前の昭和50年、約一年間の準備期間を経てゆまに書房は創業した。資本金三百万円であった。お金はないので、自分たちで出来ることはなんでもした。

 当時はまだ、印刷の主流はオフセット印刷で、版下から直接製版カメラで撮影し刷版を作製して印刷機にかけた。製版カメラで撮影したネガフィルムにはどうしてもピンホールという汚れが映ってしまう。印刷所からライトテーブルを借りてきて自分たちでその汚れをオペックもした。校正も青焼であった。一頁一頁を面付け台紙に貼った青焼を折らずに印刷会社に持ってきてもらい、曲がりやノンブルや柱の抜けがないか、スケールを持って数ミリ単位でチェックした。ダイレクトメールも一時間で何枚書くことができるか昼食を賭けて時間を惜しんで自分たちで宛名書きをした。
 索引をつくるのも手作業であった。マーカーを付けた事項や人名、書名を一つ一つカードにとり、それらのカードを当時郵便局でハガキの仕分けに使っていたような箱を作り、カードを五十音に並べ原稿用紙に記入した。ある時は、活字に組む費用もなく著者との相談の上作製した索引用の原稿用紙に丁寧に手書きをし、直接製版カメラで撮影して印刷した。そうして発行した書籍が今でも数点、手元に残っている。草創期の貴重な宝物である。とにかく、経費がかからないよう、自分たちでできることはなんでもした。ゆまに書房が大好きな仲間たちの手で。皆ユマニスムを携えていた。
 コンピューターなどまだ普及していないアナログの時代である。それ故出来上がった書籍にはとても愛着があった。一冊一冊出来上がる過程に思い出やストーリーがある。著者より預かった原稿が印刷所より活字になって戻ってきたとき、たとえようのない新鮮な喜びが湧いてきたものである。

 電子書籍時代とうたわれる昨今、若い編集者たちは新刊が手元に届いた時どのような感想を持つのだろうか。最初からフロッピーやメールで原稿を受け取り、著者との校正のやりとりもメールで行う。索引もOCRで全文検索をかけて簡単に作ってしまう。そればかりか、本をバラバラにしてスキャナーで読み込み、電子書籍を自分で手作りする「自炊」と呼ばれるものまで登場しているという。大変便利な時代になったものである。
 読者も同様であろう。本を手元にとった時のインクの香いや紙の手触り、編集者が渾身を込めて産み出したタイトルの文字の大きさや形、表紙を彩る色彩を、それらあらゆる要素がトータル生み出されるものが「本」である。その中に表現されている内容だけが「本」ではない。電子で送られる本が従来の「本」となりえることは出来ない。
 かつて出版業界には欠かせなかった文選職人や写植職人がいた。彼らが今ではすっかり姿を消してしまったように、近い将来、紙の書籍がなくなって全てがデータ化された時、書物周辺に存在する書誌学や編集の世界は過去の遺物と化し、はたしてどのような「本」に係わる世界が創られているのだろうか。

 ともかく36年前こうしてスタートしたゆまに書房が、そんな電子書籍元年といわれた昨年、出版文化の流れに反するように、「ゆまに学芸選書ULULA」を創刊するまでになった。ありがたいことである。「紙の本」が無くなるのではと騒がれて喧しい中でのRE・STARTである。

・・・〝書物の森〟に迷い込んで数え切れないほどの月日が経った。〝ユマニスム〟という一寸法師の脇差にも満たないような短剣を携えてはみたものの、数多の困難と岐路に遭遇した。その間、あるときは夜行性の鋭い目で暗い森の中の足元を照らし、あるときは聖母マリアのような慈愛の目で迷いから解放し、またあるときは高い木立から小動物を射止める正確な判断力で前進する勇気を与えてくれた、守護神「ULULA」に深い敬愛の念と感謝の気持ちを込めて・・・
(“「ゆまに学芸選書ULULA」刊行に際して”より)
                        辛卯正月 ゆまに書房

リニア新幹線に乗れる日 (編集部S) 投稿日:2010/11/09

 3案でもめていたJR東海のリニア中央新幹線のルートが、直線ルートでほぼ決まりとの報道を読みました。このルートなら東京~名古屋間をわずか40分で結ぶといいますから、東海道線の東京~大船間と同じぐらいの乗車時間です。日帰り出張どころか、名古屋から東京に余裕で通勤できそうです。

 さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(第5巻)「エネルギー器機」が先月末刊行されました。この中でも「低エネルギー社会ののり物」として、リニアモーターカーが紹介されています。リニアの二酸化炭素排出量は、航空機の半分以下で、騒音、振動もほとんどなく、環境にやさしいのり物とされています。
 
 ただ、リニア新幹線の開業は2027年。まだまだ将来の話です。これまでも開業年は幾度となく先延ばしにされています。「ルート確定!」という現実的な話が出ても、「近未来の夢物語」に聞こえてしまうのは、私だけでしょうか。

ウルラ叢書刊行について (編集部 K.T) 投稿日:2010/10/08

 小社は創業より36年間、学術系を中心とした出版活動を行ってきた。少なからず学術界へ寄与したであろう自負とともに、さらなる展開と活性化を求め、このたび「ゆまに学芸選書」として、シリーズ「ULULA(ウルラ)叢書」を刊行することとなった。
「ウルラ」とはラテン語の「フクロウ」であり、ヨーロッパではしばしば学問の神、叡智の象徴とされる。活字離れなどが嘆かれる昨今ではあるが、電子書籍の台頭などに見られるように、「文字」「文章」が、最古にして最強のメディアであることに変わりはない。電子化に向けては小社もさまざまな展開を予定している。
 一見それらの動向とは、対極にあるかのごとき叢書の刊行についてであるが、媒体の多様化が進むなかで、やはり「a book」としての基本に立ち返るということは、最も重要なことではないだろうか。
 その、第一弾は『松平定信の生涯と芸術』(磯崎康彦・著)である。

松平定信といえば、大田南畝に、

  白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき

と揶揄された、今も評価の定まらぬ「寛政の改革」が有名だが、政治家としてだけではなく、江戸時代後期屈指の文化人の側面を持っている。彼のニックネーム「黄昏の少将」は定信の最も著名な、

  心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞわぶるたそがれの宿 

に依っている。「夕顔」はもちろん『源氏物語』で、定信は計7度も『源氏』を書写したという強者である。まさに「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」(藤原俊成)で、「心あてに 見し」などに見られる初句六音、句またがりなどの技法は、新古今ばりのきらびやかさで、質素・倹約を謳った改革を推し進めた人物の作だとは、すぐには結びつかない。
この「分かりにくさ」が、実は定信という人物の魅力なのである。幕府の学問として朱子学以外を禁じ、自身はその立場を貫いて失脚までしていながら(尊号事件)、外交と自身の尽きぬ興味のため、蘭学に目を配り、蘭画家たちの有力なパトロンでもあった――この定信の新たなる人物像に迫るのが、今回刊行となる『松平定信の生涯と芸術』なのだ。

 磯崎氏は福島大学名誉教授で「秋田蘭画」(江戸時代後期の、西洋画の手法を取り入れた和洋折衷絵画)の研究家である。その研究を通して、蘭画家たちのパトロンでもあった松平定信に着目し、今回の伝記を執筆されたのである。『福島民友新聞』に連載されたものに、新たな増補改訂が施された。誕生から政治においての活躍について触れられているはもちろんであるが、その好古癖や、文業、蘭書や蘭画への関わり、庭園芸術(白河藩に建設した南湖公園は、日本初の公園として著名)についてなど、その文化的側面を重点的に追った、渾身の一冊である。

愛煙家の呟き (編集部 K) 投稿日:2010/09/13

 いよいよ、10月から大幅にたばこが値上げされます。300円が400円あるいはそれ以上になるとのこと。喫煙者同士で「どーする」「やめようか」「値上げを理由にやめるというのはかっこわるいよ」といった会話が交わされています。
 国を挙げて禁煙キャンペーンを行っているマレーシアのたばこのパッケージには、未熟児で生れた嬰児の写真が印刷されていてギョッとします。写真の傍らに「たばこは早産の原因になります」と書かれていました。禁煙は世界の流れだと思い、また、ここまでしなければならないほど、なかなかたばこはやめられないのか、とも思います。

 それにしても、些か納得がいかないのは、今回の煙草の値上げは誰が決めたのかがよく見えないことです。医療費を抑えたい厚生労働省は、1,000円まで上げたかったようですが、税収を確保したい財務省がこの程度、つまり、やめるまでには踏み切れない程度の値上げに抑えたのではないかなどと報道されています。政治家でも官僚でもいいから「私が日本のためにそう決めた。理由は……」というメッセージを出して欲しいと思います。

 地上デジタル放送の開始によるアナログ放送の停止というのも、いつの間にか、誰が決めたともわからずに降って湧いたことのように感じます。調べてみれば、この改変は良い事であり、また、電波行政上必要なことらしいのですが、やはり、顔の見えない「お上」が決めたという印象を拭えません。とくに国民の財布に手を突っ込むことですから、しっかりした説明があってしかるべきでしょう。
 最近、携帯電話の会社から、請求書はネットでとか、今使っている機種は使えなくなるので新しい機種を購入せよ、などと連絡が来ています。決まったことだからと、 上からものを言う調子は、お役所と同じです。
 庶民が知らないところ、政府や自治体、大企業で、いろいろなことが決まり、庶民の暮らしに割り込んでくるといったことが、最近多いと感じます。メディアによる報道のあり方にも問題があるのかもしれません。

 こうなると、高くなるタバコをやめるように、テレビや携帯電話もやめてしまいたくなります。テレビ中毒、ケイタイ中毒から逃れることができます。静かな落ち着いた生活が、取り戻せるかもしれません。そんな生活のなかで、何がしたくなるでしょうか。心静かに本(もちろん紙の本)を読み、それに飽きたらカメラ(もちろん フィルムカメラ)をぶらさげて散歩する、……そんなときにつける一服はきっとおいしいでしょう。