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ゆまにだより

『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』(出版部 T) 投稿日:2020/05/15 NEW!

昨今、テレワークの日々です。今更ですが、「テレ」は「tele」で、「遠い」を意味する接頭辞で、たとえば「telegram」は「遠い+文字(gram)」で「電報」、「telephone」は「遠い+音(phone)」で「電話」です。これはSFですけど、超能力で「テレパシー」、「テレキネシス」もそうですね。

さて「テレビ」も、「遠い+映像(vision)」です。非常に不味い枕で恐縮ですが……、小社では先日『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』を、刊行いたしました。
詩人・谷川俊太郎氏は、1960年代前後に、黎明期であったテレビドラマの現場で、多くの脚本を執筆し制作に携わっていました。本書は、編者の瀬崎圭二先生の丹念な追跡により、谷川氏が執筆したテレビドラマの脚本、テレビにまつわるエッセイや詩を網羅し収録しています。巻頭には当時を振り返った、新たなインタビュー「テレビドラマをつくっていた頃」も併せて収録しました。谷川氏の仕事としては、これまで埋もれてしまっていた貴重なものと言えるでしょう。

テレビ放送の草創期における、新たな表現を模索した12編が収録されています。どの作品も根底にあるのは、人間が持つ「感覚」、現実を生きる人間の「感覚」を何よりも大切に考える、詩人・谷川俊太郎のまなざしです。あまり上手に語る自信がありませんので、収録した「遠さ」という詩を引用します。


「遠さ」

遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと見知らぬ国との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと野放図な夢との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらを不可視なものから距(へだ)てていた遠さは

ジェット機が遠さを殺す
テレビジョンが遠さを殺す
ぼくら自身の性急さが遠さを殺す
キロメートルでマイルで光年でパーセクで
ぼくらは遠さを計りつづけやがて忘れる
自分をとりかこむ計れない遠さを
目的地のない生きることの道のりを


文明の便利さが、人間の「感覚」を奪ってしまうことへの危惧を語っているこの詩が、世界の現状によく響くように思えます。

戦後博覧会 断絶と連続(出版部 M) 投稿日:2020/04/10

弊社ではこの度、『戦後博覧会資料集成』と題して、昭和20~30年代にかけて開催された、博覧会に関する資料を刊行する。
 日本における博覧会の歴史といえば、明治、昭和の万国博覧会を思い出される方も多いだろう。だが、戦前・戦中・戦後を通じて、日本各地で数多くの博覧会が開催されていたことは、今や忘れられている感が強い。
 本シリーズ所収の資料で言えば、大阪における復興大博覧会(昭和23年)、旭川における北海道開発大博覧会(昭和25)年など、地方における都市の再建、経済の復興を展示するものが多かった。また、珍しいところでは、奄美大島の復興博覧会(昭和22年)、石垣島の八重山復興博覧会(昭和25年)という、米軍政下の離島における博覧会もあった。娯楽の乏しかった時代、演奏会やスポーツ大会もあり、島民にとっては一大イベントであったことは想像に難くない。
 戦後の博覧会を見る際に、注目すべきは戦前との連続性である。例えば、昭和25年に西宮市でアメリカ博覧会が開催された。その内容はアメリカの歴史、民主主義や経済的な豊かさを宣伝し日本人のアメリカ観を象徴するものであった。しかし、全く同じ場所で、支那事変聖戦博覧会(昭和13年)、大東亜建設博覧会(昭和14年)という、日中戦争を宣伝する博覧会が開催されたという事実は、忘れてはならない。
 また、昭和23年には、伊勢市で平和博覧会が開催されたが、同地では昭和5年に神都博覧会が開催され、国史・国体をテーマとした展示も行われた。
 戦前の国粋的、軍国的なテーマから戦後の平和主義、アメリカ賛美への変わり身の早さから、「プリンシプルのない日本」と批判することは容易い。
 だが、博覧会の計画・運営に携わった人物に注目してみれば、違った面も見えてくる。西宮市では鍛冶藤信という装飾業者が、戦前には日中戦争の戦場再現に、戦後にはホワイトハウスの大型模型の作製に心血を注ぎ、大きな呼び物となった。また、伊勢市において戦前・戦後の博覧会を主催したのは北岡善之助という人物であった。北岡は生涯を通じて、博覧会による伊勢の振興という目標を追い続け、合計4回の博覧会を主催したことから「伊勢の博覧会男」という異名を取った。こうして見ると、博覧会には時代毎に異なった方向性があるとはいえ、これを実現せんとする者の強烈な意志なくしては、存在しないイベントであると言えよう。
 戦後史における博覧会を如何に評価するか。この問題には多くの議論が尽くされるべきであるが、まずは本書を繙き、当時の人々と共に非日常の空間を楽しもうではないか。

スーパー司書との出会い(第三営業部 T) 投稿日:2020/03/13

新型コロナウイルスの影響で、世の中が混沌としている。
私自身も2月からもう一ヶ月以上、休みの日は一歩も外出していない。
街中がどのような状況なのか詳しくは分からないが、
各種イベントや集まりなどの中止や延期が広がっている中、
明らかに人々の出歩く数は減っていることは想像ができる。

全国の公立の小中学校や高校が一斉に臨時休校になっている今、
こんな時期だからこそ、読書をする絶好の機会だとも思えるが、
公共図書館も自治体によっては臨時休館のところもあるので、
本を読みたくても読めない地域もあるようだ。

先日、テレビを見ていたら番組で、図書館に行くことによって
本からコロナに感染する危険性はないのか?という質問が寄せられていた。
医師などの専門家による回答はこうだった。
図書館の本は、不特定多数の人が触れている可能性はあるが、
膨大な量なので確率は低いだろうとの答えだった。

確かに図書館には膨大な量の本が存在はするが、
雑誌、新聞、流行りの本など人々の手に触れる可能性の高い本と、
学術書、専門書などのあまり手に触れられない本の二種類があると思う。
ゆまに書房の本は、どちらかというと後者だが、
図書館には、それらの本もちゃんと備えられているものだ。

私は、たくさんの本を車に積んで、それらを公共の図書館に持参し、
スタッフの方々に見てもらい選書をしていただくという仕事をしている。
毎回、1000冊前後の本を持参し、それらはどれも事前にその図書館の
蔵書構成を調べた上で、蔵書のないものを持参している。

図書館のスタッフからは、自分の図書館にない本を持ってきてくれるので、
そういった機会を大変喜んでもらえる。
その時、いつも感動させられることがあるので記しておきたい。

ゆまに書房の専門書は、10人のスタッフがいたら8人はスルーしてしまう。
もちろん、スタッフの方に勧めてみるのだが、選んではもらえない。
ところが、残りの一人か二人ぐらいは必ず目を止めてくれ、
図書館として、こういう本を置いておかないといけないと言ってくれる。
一年に一人、手に取るか取らないかという本でも、所蔵することに
図書館としての意義があると言ってくれる。大変ありがたい話である。

不思議なことに、どの図書館を訪問しても上記のような目で選書を
してくれる司書が必ず一人はいてくれるのである。
ここでは、勝手にスーパー司書と呼ばせてもらうが、
訪問の度に、スーパー司書との出会いが楽しいし、勉強にもなる。

幸い、今のご時世、ネットで図書館の本の予約もできる時代だ。
不特定多数の人が触れている可能性の低い専門書にも目を向けて、
この機会に触れてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
そこには、我々出版社の熱意と、スーパー司書の方たちの専門職としての
使命感の結晶が間違いなくあるのだから。

我的台湾(出版部 K) 投稿日:2019/12/12

義母が一時期入っていた老健施設が埼玉県三芳町の林の中にあり、折々車で通った。その辺りは林や畑が多いが、道路沿いには企業の物流倉庫や中小の工場がポツポツと並んでいる。その道路沿いにちょっと立派な造りの台湾料理店があった。夜は赤い灯が印象的で、その灯にひかれ一度夕食に入ってみたが、やはり美味しかった。家族経営のようで、注文を取ったり、料理を運んでくるのは台湾人の若い女性である。事情はわからないが、埼玉県の林と畑の中で料理店を営んでいる台湾人の一家にちょっと親しみを感じた。かつて、高田馬場にある小さな中華料理店で、台湾から最近嫁いできたという若奥さんを紹介されたことを思い出した。台湾の人は、海外へ出てそこで人生を切り開いてゆく人が多い感じがする。そして、日本は行きやすい国なのだろうと想像する。
 以前にも本欄で触れたが、『我的日本―台湾作家の旅した日本』(白水社)に収録されたエッセイは、それぞれ複雑な思いがあり個性的なのだが、著者の台湾の作家の方々には日本への親しみがベースにあると感じられた。普通の台湾の人々も同様ではないだろうか。
 多くの台湾の人達は日本に親しみを持ち、日本人も台湾に親しみを持っている。

 しかし、両者の間にはいろいろな時代や事件があった。半世紀にわたる日本の植民地支配があり、また、1972年には日中国交正常化に伴う日台断交があった。東西冷戦の時期、台湾は長く戒厳令下にあったことも、台湾を理解する上で忘れてはならないことだろう。

 日本の総督府が台北にあった時代に何があったかを考える一つの試みが小社の『コレクション・台湾のモダニズム』第1期全20巻である。「日本が台湾の近代化を促した」といった言葉より、「日本のモダニズムが台湾にも流入した」という方が面白そうである。鉄道、電気、都市景観、公衆衛生、登山、南洋航路、映画、新聞など、多くのものが日本によって持ち込まれた。当初は、移住した日本人を対象とするものもあったかもしれないが、台湾の人々の間にひろがっていくものもあり、現代の台湾につながるものも多いだろう。ちょっと楽しいテーマである。ただし、本シリーズには植民地統治の本質を語る巻、霧社事件を取り上げる巻もある。日本は親切で台湾を統治した訳ではなく、やはり資源と市場を求め、さらに台湾を中国南部や東南アジアへ進出する足がかりとしたかったことは、忘れてはならないだろう。
 
 ところで、今、もう一つ、準備を進めている本がある。『記号化される日本-哈日現象の系譜と現在』(張瑋容著)である。日本のアニメやアイドルに魅かれ、「日本オタク」になった、いわゆる「哈日族」の若者にインタビューを重ねるなどの手法を取りつつ、哈日現象の系譜と台湾社会を社会学の目で追う論考である。ここに、台湾と日本の関係の現代と未来が見えてくるのではないかと期待している。なお、台湾出身で日本の大学で博士号を取った著者も、日本への入り口はアニメだったという。

 私の台湾渡航は数回にすぎない。まだ、憧れの九份に行ったこともない。また、東海岸方面に足を踏み入れたこともない。ぜひ、行ってみて私の「我的台湾」を探してみたいと思っている。

『海は地球のたからもの 第1巻 海は病気にかかっている』を編集して(出版部 E・Y) 投稿日:2019/11/14

 漁獲量の減少が話題になっていますが、魚だけではありません。ある環境保護団体の調査では、海ではこの40年間に、哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類の生息数が半減したと言われます。原因は地球温暖化による海水温の上昇と海水の酸性化、そしてプラスチックによる汚染です。
 人間が快適さを求め続けたその先の恐ろしい現実には、戦慄が走ります。
 『海は地球のたからもの』全3巻は、直面するこうした問題の現状を認識し、あらためて海の果たす役割を再確認し、解決を探ろうとする企画です。
 海を知ることはそんなに簡単ではありません。
 海は地球の表面の約7割を占めます。しかし、その平均の深さは約3,700メートル。富士山の高さとほとんど同じです。海の面積の半分は水深4,000メートルより深いのです。 そのため、海を考えるために必要な科学的データが得られるようになったのは、そんなに昔ではありません。精度の高い水温測定が行われるようになったのは、ノルウェーのナンセンによるフラム号の北極海漂流航海(1893-1896年)からといわれますが、その後も長く、海水温は、船の上からバケツで汲み上げて計測されていました。水深数百メートルの海洋の世界平均水温の包括的な測定が行われるようになったのは、1971年からです。1980年代の人工衛星による測定の開始からは、画期的な飛躍を遂げましたが、海はこのように、今でも未知の領域なのです。
 海は、40億年前に生まれました。今から46億年前にマグマの塊のような地球が誕生し、ドロドロにとけたマグマが冷えていくときに、大気中の水蒸気が雨となり、その後数千年にわたり降り続いた雨によって、豊かな海を持つ星、地球になったのです。その後、地球の気候は幾度かの氷河期を繰り返し常に変化し続けています。だがしかし、そんな気が遠くなるような年月のなかで、一つだけ明らかなことがあります。産業革命以降今日までの150年間が、地球にとっては例外的、且つ急激な気候変動の中にあるということです。現在、地球に、海に、起こっている変化は、自然なものではない、つまり100%人間に由来しているというこのことを、私たちはどう考えたらよいでしょう。 
 水深700メートルをこえる深海の水温が測定できるようになって、恐ろしい事実も報告されています。水は温まりにくく冷めにくい性質を持っていますが、2000年以降、深海の温度が上昇し続けているのです。深海を暖めたこの熱がいずれ大気に放出され、地球温暖化が加速すればどうなるか……。
 時、あたかもこれを書いた13日、「人類は地球温暖化による『気候の緊急事態』に直面している」と警告する論文に、世界中の1万1千人の科学者が賛同して生態学の専門誌に発表したというニュースがありました。

 「私たちは未来に関心を持たなくてはならない。残りの人生はそこで過ごさなくてはならないのだから。」(チャールズ・F・ケタリング)の言葉を噛みしめます。

忘れられた外交を回顧する――『外務省戦後執務報告』(出版部 M) 投稿日:2019/10/17

 小社では、本年10月より、『外務省戦後執務報告 アジア局編』と題して、戦後、外務省各局が作成した回覧用の内部資料、「執務報告」を刊行する。
 第二次世界大戦の終結から70年以上が経ち、現在の歴史学における最新の分野は、冷戦時代となりつつある。日本においても、1950-60年代の国際関係に対して大きく関心が向けられているが、この時代を研究しようとしても、やはり史料の問題が立ちはだかる。
 まず、膨大な文書群が存在し、自らが必要とする情報が何処に存在するかを確認するだけでも、大変な困難が伴う。
 また、外務省外交史料館が所蔵する未公開の簿冊を閲覧するには、利用請求を提出しなければならないが、外交史料館においてはプライヴァシー等の記述を審査する必要があるため、公開までに1年以上待たされることも珍しくない。
 文書を1枚ずつ探して読むという効率の悪さは研究者だけではなく、文書を日常的に利用していた外務官僚も感じていたのだろう。そのため、戦前においては、局毎にその年の重要な会談や案件の処理状況を要約した『執務報告』という年報が作成され、省内での回覧に供されていた。これを利用すれば、例えば、ある国の大使と外務大臣が会見したのは何時か等は、容易に確認することができるという、大変便利な資料である。
 「戦前にあったのであれば、戦後も作成されたのではないか」、そう思いながら外交史料館で公開資料のリストを繰っていると、やはり戦後版の「執務報告」が公開の対象となっているのを見つけた。早速、請求して読んでみると、以下のような特徴があることに気づいた。
 第一に、戦前版は年報であったのに対し、戦後版は月報であるため、その時々の外交の動きが、リアルタイムで確認できる。
 第二に、膨大な文書群から要点を数行にまとめているために、必要な情報を見つけるのが容易である。
 第三に、関税、条約等の案件毎ではなく、国ごとに情報がまとめられているために、二国間の交渉の進展を追っていくのが容易である。
 このような利便性があり、かつ、極めて豊富な情報量を有すため、今回、出版を企図した次第である。
 戦後、日本外交の課題の一つは、戦争によって失った信頼の回復にあった。そのためにはかつて敵対した国家との条約締結や賠償、経済協力、研修生の受け入れ等を積極的に進めていた様子がわかる。
 また、戦後、アジアでは多くの独立国が誕生したが、これら国家の外交官が交渉する際に、強いナショナリズムを以て接してくるために、その対応に苦慮した様子もよく見られる。
 一般に、日本人は欧米よりもアジア諸国を軽視しがちだが、本資料を利用することで学べることも多いのではないだろうか。特に、最近は韓国との外交上の軋轢が強まっているが、問題の原因や過去における処理の事例等、現在の問題を考える際に、手がかりとなることも多いはずである。

関西オフィスだより(関西オフィス K) 投稿日:2019/09/20

ここ大阪でも明らかに季節の変わり目を実感できるようになった。

私の夏休み中にうれしいニュースが舞い込んだ。
当社で刊行中の「ビジュアル日本の住まいの歴史」と11月から刊行を開始する「海は地球のたからもの」が、秋以降の重点販売企画として取次会社トーハンにより選定された。  
当社のようにこのジャンルの刊行点数の少ない版元にとって、2点同時に選定されることはごく稀である。先に学校図書館出版賞を受賞した「日本の服装の歴史」に続き、大変喜ばしい。
秋からの営業活動が忙しくなりそうである。

その夏休み中、「新聞記者」という映画を観た。
久しぶりに社会派の映画を堪能した。
フィクションではあるが、昨年世間を賑わせた疑惑を題材におそらく今の日本がこんな様子で動いているのだろうなと思わせる力作だった。昨年話題になった森友問題での国会証人喚問であの人が発した言葉を思い出した。
「事実は小説(映画)より奇なり」日本の深い闇を想像してしまったのは私だけだろうか?

アメリカの話ではあるが、ジェフリー・エプスタインという大富豪が逮捕され、その後拘置所内で自殺し、その関連ニュースが出てくると欧米各国で大きな話題になっているようだ。
格好のワイドショーネタであるにも拘らず、日本のテレビがほとんど報じていないのが不思議でならない。

今年の日本の8月のワイドショーは、政界のプリンスの出来ちゃった婚と大型台風襲来、高速道路煽り運転男そして、嫌韓のニュースで終わってしまいそうである。

近世の索引(書誌書目シリーズ115 編・解題 U) 投稿日:2019/08/09

やけずとも一切経に用はなし昔者訓読今は積而置

 村田了阿の『一枝余芳』にこんな歌があります。歌意としては「燃えてなくなったわけじゃないけど、もう一切経に用はない、昔は訓読して読んだものだけど、今じゃあすっかり積ん読だ」といった具合になるでしょうか。
「積ん読」の初例に近い用例として、ネット上でもしばしば話題になる歌です。でも実はこれ、自らもう用済みになったぐらい一切経を読み込んでしまったという自慢の歌なのではないかと思われます。和歌の注釈に見える仏書の多さが気になりすぎて、自ら法師になってしまったと言われるぐらい学問にのめり込んだ村田了阿が、一切経を何度も読んで覚えてしまったので、今は置いておくだけで用済みだと嘯いているわけです。ですが、実際に一切経が用済みになってしまったわけではなさそうでした。
小社から刊行されている『日本古典籍索引叢書――宮内庁書陵部蔵『類標』』の第五回配本には、了阿の制作にかかる索引『藝林枝葉』が収められています。和書・漢籍・仏典における多種の書籍を対象とした故事成語の総索引で、了阿自作の草稿も国立国会図書館にありますが、『類標』所収本には、当時の学者たちが増補加筆したものを入手したと奥書にあります。東京大学総合図書館、駒場図書館、他静嘉堂文庫などにも伝本が残されています。了阿はもし記憶の引き出しに見つからぬ事柄があれば、この索引を引いて典拠を見つけ出そうと構えていたのでしょう。
 ところが、この『藝林枝葉』をしのぐ巨大な総索引がありました。それがこのたび刊行される『和漢仏書総合索引『文峰四臨』―小山田与清『群書捜索目録』Ⅱ』です。2回に分けて刊行します。
 冒頭にある目録を調べると250種の和漢仏の書物が掲げられており、イロハ順の末尾には地名部まで付されています。制作者は小山田与清。近世屈指の蔵書家と知られる大富豪の和学者で、その学識から後に彰考館にも出仕しました。
 与清が「索引」の制作に取り組みはじめた経緯は、岡村敬二『江戸の蔵書家たち』(吉川弘文館、2017)に詳しいのですが、あまりにも膨大で読み切れないほどの蔵書をなんとか利用できるようにしたかったのでしょう。『群書捜索目録』と名付けられた与清の索引類の大半は関東大震災と第二次世界大戦で燃えてしまいましたが、現存する副本の中に『八十八段類語』『二編歌集類語』『文峰四臨』などの巨大なコンコーダンスが残されています。
 特に『文峰四臨』は、近世の考証随筆・仏書解説を多数取り込んでいる点が特徴です。こうした近世の考証随筆の索引としては、太田為三郎編『日本随筆索引』正続(岩波書店、1926~32)があります。そちらは各項目や話題を拾い集めた近代的な総索引ですが、近世の索引類は網羅性や検索性からはみ出してしまうような事柄も採録されており、興味が引かれるままに語句を拾い集めた宝箱のような魅力が有ります。
近世期の索引類は、たしかに網羅性や資料の選択といった点で現代の索引やデータベースに負けるところもあるでしょう。しかし、一行一行斜め読みをしながら索引を眺めていると、思いもかけぬ表現や興味引かれる話題が陸続と現れてきます。書名の付け方、弓の引き方、可愛い女性、歴史的な事件のゴシップ、思わぬ雑学。ちょっと調べてみようかな、という気持ちになるようなトピックがてんこ盛りです。
崩し字も平易で漢字も楷書で読みやすいものが大半ですので、図書館の中で煮詰まった時にめくってみると、楽しい発見があることでしょう。

第21回学校図書館出版賞受賞『ビジュアル 日本の服装の歴史』               身近なものの歴史を知る楽しみを(出版部 K・Y) 投稿日:2019/08/05 NEW!

●無いならつくろう
弊社では2015年よりシリーズ「ビジュアル日本の歴史」を刊行している。本書『ビジュアル日本の服装の歴史』は、第1弾『ビジュアル日本のお金の歴史』(全3巻、井上正夫、岩橋勝、草野正裕著)をスタートに、『ビジュアル日本の鉄道の歴史』(全3巻、梅原淳著)、『日本人と動物の歴史』(全3巻、小宮輝之著)に続いて、第4弾として刊行したものである。比較的ベーシックな、子どもが好きなものや、大人が子どもに教えたい、知っておいてほしいと思うことをテーマとしてきた。
 そのなかでも「服装」は衣食住のひとつ、生活の基本のきである。そうなると類書も多いように思われたが、意外なことに、着物の着方を教えるか、年中行事と着物を組み合わせた内容のものか、おおよそこのどちらかに分かれている。では学校ではどの学年でどのように学ぶのかと思い、国立国会図書館国際子ども図書館児童書研究資料室にこもってみたところ、日本史と家庭科の教科書で断片的にふれてあるのと、高校レベルの専門的教科書のみ。手がかりがあるのか無いのか、読者層が見えないなぁ……と不安も湧いたが、そうか、無いからつくるのかとシンプルに考えることにした。ただ、個人的には漠然とした思いがあった。先に生活の基本と書いたが、東日本大震災を経験した私たちが「生活」に向けるまなざしは、それ以前のものからは明らかに変わった。過去の出来事や歴史に対しても同じだ。

●練らない企画案
「服装」か「服飾」か。この点も社内で検討を重ねた。後者はあらゆる種類の小物まで含む広い概念なので、子どもが理解しやすい本にするために「服装」でいこうとなった。タイトルは『ビジュアル日本の服装の歴史』で全3巻構成、ファション史ではなく、衣生活を切り口に日本の歴史を学べる内容としたい。今から思えば、企画の相談というにはかなり大雑把であったが、初めて監修の増田美子先生とお会いした際、ここに書いた以上のことはお伝えしなかったと思う。幸いにも増田先生はこちらの意図をすぐに汲んでくださって、大久保尚子先生(第2巻)、難波知子先生(第3巻)への執筆依頼、目次案の作成とほぼ同時に原稿執筆が始まった。

●ビジュアルの選び方
最初に原稿が完成したのは第3巻、明治時代から現代までである。ビジュアルの点で一番難しかったのはこの巻であった。なぜかといえば、すでに当時(明治以降)さまざまなレベルのメディアが氾濫していたので、掲載候補が多すぎるのだ。錦絵、雑誌、最新メディアの写真――想像で描かれたり演出過剰であったりと、観る分には十分楽しい。しかし学術的裏付けの無いものを採用するわけにはいかない。本書の図版は、現物資料も含めて著者が研究資料として収集したものを柱としているが、それ以外については、まず候補となりそうなビジュアルを集めて、それを著者が1点ずつ検討し、ふさわしいかどうかを決めていった。肖像権をクリアすることも難しかった。たとえば戦後(1945年~)などは、当時のファッション雑誌に掲載されている街頭スナップは、一般女性の間での流行や装いの工夫をリアルに伝える良いビジュアルなのだが、残念ながら掲載を見送った。
 文章にふさわしいビジュアルが見つかり、それをデザイナーの高嶋良枝さんにお任せする。レイアウトがピタリと決まり、文章とビジュアルが引き立てあう。このささやかな爽快感が積み重なったある瞬間、「あ、いい本になるな」と手応えを感じた。

●「難しい」の伝え方
難しいことを、どう伝えるか。そもそも服装にまつわる言葉は、時代をさかのぼると漢字の難しさも加わり高度に専門化する。私にとっては読めない・書けないのオン・パレード。しかし、はたと気付いた。モノが失われると、それにまつわる言葉も失われるのだ。専門的な用語をあえてそのまま使ったり、子どもに分かるように表現をやわらかくしたり言葉をほぐしたり。著者は、難しいことや専門的なこともきちんと伝えたいという思いとの間で、試行錯誤の連続であったことと思う。
 内容に関しては、もう一切を先生方にお任せして(するしかなくて)、デザイナーの高嶋さんと私は、ページをめくるわくわく感をどうキープするかに神経を注いだ。例えば第1巻の「冠位十二階から養老衣服令までの変遷」の一覧表では、高嶋さんのアイデアで冠位に対応する冠色の変遷が一目で分かるように色付けしてある。色見本から、当時の色の名称が表わすのに近い色を著者に選んでもらい、一色一色のせていった。また、全3巻を通して国宝や重要文化財も豊富に掲載した。ただ、なかには経年劣化で見づらいものもあり、それらは模本や復元品を採用して見た目の美しさも重視した。戦国武将が身に着けていた鎧兜や肖像画などを服装に注目して観るのは、われわれ大人にとっても新鮮で、歴史的想像力が駆り立てられるだろう。

●これからの「ビジュアル日本の歴史」
『ビジュアル日本の服装の歴史』が第21回学校図書館出版賞受賞との連絡を受けたのは、令和が明けて、シリーズ第5弾となる『ビジュアル日本の住まいの歴史』(全4巻、小泉和子監修、家具道具室内史学会著、2019年7月第1回配本)の編集にとりかかり始めた頃であった。その時、本は必ず誰かの手に届くものだという、とても当たり前のことにあらためて思い至った。
 普段は大学の教壇に立たれている著者の先生方にとっても、執筆を通して、子どもに向けてご自身の専門的学問の成果を伝える経験は初めてと伺った。弊社は学術出版を事業の柱としているので、これまでの蓄積と大学研究者の方々とのご縁を、子どもたちの学びの場づくりにつなげるような企画を、これからも継続してゆきたい。

参考文献をたどって(出版部 M) 投稿日:2019/07/08

 この度、弊社では『戦後千島関係資料』と題して、敗戦直後より、昭和30年代にかけての千島諸島(北方領土)に関する、北海道の自治体が作成した文書を資料集として刊行する。
 戦後70年以上にわたり、北方領土問題は日本外交の懸案の一つであったが、現在に至るまで領土は寸分も日本に引き渡されていない。この問題に対する政治的な見解は種々存在するが、これを客観的に分析しようとする研究者の側からしても、北方領土問題は全体像の摑みにくい対象である。その理由の一つは、日露(ソ)両国間における敏感な問題であるがゆえに、情報公開が著しく遅れているという事実にある。
 本企画を思い立ったのは、2年ほど前、北方領土に関する資料を調べていた際、ある書籍の参考文献として「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」という一行を見つけた時である。「綴」とついているのであれば、当時の状況に関する行政文書に違いないと思い、所在を確認してみたところ、北海道立文書館に所蔵されていることが判明した。その他にも、戦後の千島をめぐる行政文書が存在するようなので、真冬の折ではあるが、札幌へ向かうことにした。
 赤レンガで知られる旧北海道庁舎にある文書館で請求してみると、この「綴」はいとも容易く閲覧することができた。経年のために劣化した根室支庁の用箋には、ソ連軍の上陸を伝える各役場からの緊迫した電報や、命からがら根室に到着した引揚者からの生々しい報告が数多く記録され、敗戦直後の混乱した様子がありありと伝わってくるようであった。
 とはいえ、この「綴」は占領者の暴虐振りを示すだけではない。昭和20年10月6日付の文書には、同年9月下旬に色丹島で16歳以上の男女を有権者とする選挙が行われたという記述がある。もし、これが事実であるとすれば、日本国憲法の施行よりも早い段階で、社会主義国の指導により男女同権の選挙があったということになり、日本の選挙史における新たな一面が浮かび上がる。
 その他、「千島に関する資料」、「領土復帰関係書類」等の行政文書を閲覧し、連合国による占領期から日ソ共同宣言の時期における、生活の場を奪われた元島民達による返還を求める根強い運動が展開されていたことを知った。2日にわたって史料を調査し、改めて問題の複雑さ、根深さと史料が残ってきたことの幸運を感じずにはいられなかった。
 最近、ビザなし交流で国後島を訪問したある代議士が「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」という発言をし、顰蹙を買うという事件があった。彼は領土を単に武力の問題としてのみ理解していたからこそ、このような発言をしたのであろう。
 戦争の結果、千島で何が起こったのか、そして、島々を取り戻すためにどれほどの努力がなされてきたか等々、現代史に課せられた課題は多い。本書がその端緒を摑むきっかけになれば幸いである。