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ゆまにだより

「麒麟がくる」を見ていたら                  出版部 K  投稿日:2020/12/15 NEW!

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見ていたら、正親町天皇が
医師の望月東庵と碁を打ちながら、弟の天台座主覚恕との確執を語る場面があった。
堺正章演ずる東庵は舞台回しのための架空の人物であろう。
玉三郎演ずる天皇と小朝演ずる覚恕はドラマと違って
実は仲の良い兄弟だったようだ。なお、覚恕が兄であるとの説もある。
しかし、そのことより私は天皇が碁を打つこと、
勝負事をすることがちょっと意外だった。片膝立てて、
「その石、まった!」などと言うことがあったかもしれない。
 小社は『天皇皇族実録』という復刻版の本を2005年から2010年にかけて出版しているが、
今その電子版を作るべく一揃いが出版部の書棚に置かれている。
思い立って、その中から通巻第99巻『正親町天皇実録 第一巻』を
抜き出し開いてみると、あちらこちらに「御囲棊アリ」という記述がある。
正親町天皇は囲碁が好きだったようだ。ドラマの作り手も、それを確認しているのだろう。
 しかし、囲碁ばかりでない。同書の中には、和歌の催しはもちろん、
源氏物語や伊勢物語などの古典の勉強を行い、また、芸能の催しを楽しみ、
箏を自ら奏することも記されている。さらに闘鶏を折々楽しんでいる。
世は戦国時代、庇や屏が壊れたりしている禁裏の中で、
文化や学問を守ってゆこうという意思が天皇にはあったのだろう。
学術や文化に敬意を払わない政治家やジャーナリストが
大きな顔をしている現代を正親町天皇はどう見るだろうか。
 なお、この『正親町天皇実録』を見ていると、我々が知っている
戦国大名の名前が少なからず出てくる。毛利元就などから献上物が届いたり、
永禄5年7月9日には「三好義興、松永久秀、参内、剣等ヲ献ズ」とある。
さらに永禄12年3月2日に、二人の使者を織田信長のもとに遣わして
「副将軍ノ事ヲ仰セ下サル、但、奉答セズ」という記述がある。
これは、良く知られたことらしいが、天皇は信長を副将軍にしたかったということか。
とにかく朝廷は政局や軍事にも関わっていたことがわかってくる。

 テレビの一場面が発端で思わず戦国時代の朝廷の様子を見ることとなった。
史料、史書を読むのは楽しいことだとあらためて思った。
また、デジタル化は別の読み方、使い方も見せてくれそうだ。
 私のように専門の勉強をしていない者は、翻刻されたものがありがたい。
小社刊行の『江戸幕府日記 姫路酒井家本』を翻刻するプランも動いている。
 今月刊行の『くどきぶしの世界』(倉田喜弘編著)は、
江戸後期から明治にの庶民の世界を知る格好の史料である。
大事件、災害、大火、騒動、恋愛譚、盗賊、敵討などを題材とした
七七調の語り物が印刷物として世に流布されたもので、
「くどき」とか「やんれ」と呼ばれる。佐倉宗吾や国定忠治、
高橋お伝などのヒーロー、ヒロインが活躍するばかりでなく、
黒船来航や疫病、地震などを庶民に伝えたメディアであった。
原本は版本だが、本書は編著者によって翻刻され、私たちにも読めるようなっている。
ぜひ、開いてみていただきたい。
 
 私は主として史料出版に携わってきたが、実は、歴史の勉強は「日本史B」までである。
先生方の御指導を頂きながら、なかみも知らずに本にしたり、マイクロフィルムを作ってきた。
今、引退する年齢になって、ようやく「史料を読む楽しさ」がちょっとわかってきたのだ。
そろそろゆっくりする時間ができるので、史料、史書を開いてみようと思っている。

『住むこと。生きること。――藤井厚二建築著作集の刊行に向けて』    出版部 K.Y 投稿日:2020/12/02

11月1日付でクリスマスとお正月が同居を始めたコンビニの棚、
忘年会と新年会の受付開始を告げる店先の貼紙に、
なにかをいきなり突き付けられたような違和感を覚える。
例年ならば、あぁもうそんな時期になったかと、
ありふれた光景でも風物詩の一つのように受け止めていた。
師走を先取りする気ぜわしさも少しばかり湧いて、そんな心持ちがどこか楽しくもあった。
でも今は違う。季節のうつろいとはそんなものではないと猛烈に反発している。
そんなに急かせて、いったい何をしたいのだ? 
そういえば、この2020年を自分はどうやって過ごしてきたのだろうか。
とりあえず手帖を頭からパラパラめくってみる。

仕事のことで言えば、今年は建築と住まいをテーマとした企画が続いた。
3月に全4巻が完結した学校図書館向け児童書『ビジュアル日本の住まいの歴史』
(監修・小泉和子先生)は、ごくふつうの人間が暮らすことで
積み重ねられるものごとへの関心から企画したものだった。
東京が緊急事態宣言下にあった5月から6月にかけては出社と在宅勤務とで、
「写真集成近代日本の建築」シリーズ第5期『清水組彩色設計図集』
(監修・松波秀子先生)の精緻で美しい手描き図面に
惚れ惚れしながら編集作業にあたっていた。
梅雨が明けてからは連日の酷暑となり、そのさなか、
同シリーズ第6期『藤井厚二建築著作集』の準備に少しずつとりかかった。

『藤井厚二建築著作集』(監修・藤井厚二研究会)は建築史研究のための基礎資料集として、
建築家・藤井厚二(1888-1938)が執筆・編集にたずさわり、
書籍の体裁をとって公刊した資料を柱としている。この11月に刊行する第1回配本には、
今も京都大山崎の地に建ち、2017年7月に昭和期の住宅として
初めて国の重要文化財に指定された自邸「聴竹居」(ちょうちくきょ 1928年竣工)や、
49歳で亡くなる前年に竣工し遺作となった邸宅「扇葉荘」(せんようそう 1937年竣工)
などの作品集のほか、聴竹居のインテリアのアイデアを豊富に描きとめた2冊のスケッチブック、
「其の国の建築を代表するものは住宅建築である」として、
藤井厚二がその生涯にわたり探究しつづけた日本の住宅の理想的なありようをめぐる
考察の軌跡『日本の住宅』の、自筆原稿を収めている。
影印復刻版では十分には伝えられないのが残念だが、とくに聴竹居作品集のためには
オリジナルの和紙が漉かれており、それ以外の著作でも様々な種類の和紙がふんだんに
使われている。そのような本を一冊一冊見ていると、
おそらく書くことも作品の一部と強く意識していただろう彼のような建築家が、
あの当時ほかにもいたのだろうかと思わずにはいられない。

私自身も聴竹居には二度ほど足を運んだ。それから数年が経つけれども、
建物の細部に宿る美しさが瀟洒な空間全体へとつながってゆく様や、
あの室内空間に身を置く心地よさを今でもはっきりと体が覚えている。
藤井厚二が遺した本の手ざわりを通して、手仕事としての住まい、
書くという手仕事について、「新しい生活様式」「ニュー・ノーマル」を目に、
耳にしない日はない今この時こそ、ゆっくりと考えてみたいと思う。

『ツーリスト』と『旅』、2つの旅行雑誌 (出版部T) 投稿日:2020/10/12

今回は、昭和戦前期のふたつの旅行雑誌についてお話ししたいと思います。
小社では、ジャパン・ツーリスト・ビューローの機関雑誌『ツーリスト』(大正2年創刊)の
復刻に続いて、大正13(1924)年に創刊され、戦前期においては
昭和18(1943)年8月まで、およそ19年間にわたって月刊雑誌として
発行された『旅』の刊行を開始いたします。
『ツーリスト』は、ジャパン・ツーリスト・ビューローの機関誌で、
外客誘致の目的もあり、和文と英文で構成され、海外にも広く頒布されました。
対して、『旅』は旅行団体の同人誌を母体とし、戦前期においては旅行の
クラブ組織から発行され続けた旅行雑誌で、国内の観光誘致のための充実した
記事が組まれています。『ツーリスト』と『旅』は、戦前期を代表する2大旅行雑誌なのです。
執筆陣も豊富で、創刊号には田山花袋が巻頭にあたる原稿を書いています。

ざっと執筆陣をながめても、井伏鱒二、村松梢風、馬場弧蝶、木村荘八、丹羽文雄、
岡本綺堂、高浜虚子、武者小路実篤、三田村鳶魚……
そうそうたる文化人が「旅」についての文章をよせています。

さて昨今では、コロナ禍のなか、Go toキャンペーンはあるものの、なかなか以
前のように軽い足取りで旅行には出かけにくいのはないでしょうか。
ちょっとした決心が必要なのではないかと思います。決心を後押しするための
キャンペーンということなのでしょう。

英語では、「旅」は「travel」ですが(他にもtrip,tour,jorneyとかありますが)、
語幹を見てみると「tra」は「tri」に通じていて、つまり「3(trio)」を意味します。
ズバリ、「travel」の語源は、なんと「Tripalium」という3本(tri)の棒(palium)で
造られる拷問器具(!)なのだそうです。中世英語では「travail」、
苦労や困難を意味するとのこと(フランス語では「トラヴァイユ」なので「仕事」の意味で、
つまり語源から考えると「重労働」……)。
つまり「旅に苦労はつきものだ」ということになります。
近世以前は旅は気軽なものではなかったことがうかがえます。
日本語の「旅」も、「他日」「外日」「他火」などが語源として考えられるそうです。
「住んでいる土地を離れる」=「旅」で、やはり決して気軽なことではなかったのです。
現状を考えるとなかなか皮肉な感じがしますね。

さて、『旅』にあわせて、昭和期の『ツーリスト』も刊行中です。昭和に入り、
どんどんと発達していく交通網にあわせて、
旅行は一部の人が行ける高価なものではなくなり、庶民の娯楽として発展していきます。
誌面はガイドブックの役割を果たし、
読者の旅の予習や追体験として愉しまれたのです。

早く、旅が以前のように気安いものに戻ってくれることを祈ってやまぬ次第です。

『関西オフィスだより』(関西オフィスK) 投稿日:2020/09/08

この原稿を書こうとあれこれ考えていたら安倍総理辞任のニュースが舞い込んできた。
以前から体調不良が取りざたされていたので、一部では予想されていたことではあるが、
「やっと・・・」というのが私の本音である。

はからずもコロナ禍によって世界中のグローバリズムの流れは完全に機能停止しており、
その結果、新自由主義の瓦解が明白になっている。
その瓦解をごまかすために中央銀行がなりふり構わずその資産を膨張させている
という図式なのではないだろうか?

安倍政権はコロナ禍以前から中央銀行を動員して、
グローバリズム・新自由主義を肥大化させた政権であったともいえるのではないだろうか?

次期総理大臣の大本命である「令和おじさん」は
日本における新自由主義の権化である
竹中平蔵パソナ会長と大変深い関係にあるとのことなので、
次の内閣では難しいのかもしれないが、
日本においても世界の流れに沿った政治の実現を期待したいものである。

『日本列島』(営業推進部S) 投稿日:2020/08/18

日本で「1番すごしやすい」といわれる県、何県何市だと思いますか?

生まれ育った地域が一番住みやすいし過ごしやすい!というご意見もあると思いますが、
ここでは「気象的にみてどうか」というジャンルに絞ることにします。


正解は「仙台市」。


東北と言うと冬の厳しい気候を想像する人も多いでしょう。
確かに宮城県でも山沿いは雪が多く降りますが、
仙台をはじめとした太平洋側は積雪が少なく、冬でも比較的温暖です。

一方で梅雨の時期に蒸し暑くなることはほとんどなく、
仙台市の最高気温の平均は7月が25.7℃、8月は27.9℃と過ごしやすいのが特徴です。
ちなみに仙台市は47都道府県の中で、
気温30℃以上の真夏日と気温0℃未満の真冬日の合計が最も少ない県庁所在地として有名。
極端に暑くも寒くもない、気候がちょうどいい街なのです。

気候が比較的温暖で、東京を始めさまざまな所へ出かけるにもアクセスがよく、
食べ物は海・山・大地の幸すべてがおいしい。
これだけ暮らしやすい地域は、そうはないです。

とはいってもここは「あくまでも気象的観点からみて」になります。



近年の日本の気象は梅雨の時期に毎年被害が出るほどの大雨が続いたり、
異常な暑さや台風で、被害ばかり目についてしまいますが、
日本列島は四季折々地域ごとに様々な顔をみせる素敵な島です。

そんな日本列島を地理と気候から深堀するのが、8月に刊行する
『ビジュアル 都道府県別 日本の地理と気候 全3巻』!!


こちらはオールカラーで、写真や図版満載のビジュアル版。
気象庁のデータに基づく、見やすいグラフを多数収録となっています。

自分たちが住んでいる地域、親戚が住んでいるあの街の地理は気候は
実際どんな特徴があるのか、調べてみるのもいいかもしれませんね。

タイムスリップ(営業推進部S) 投稿日:2020/07/16

 緊急事態宣言が解除され、「新しい生活様式」を心がけての日常生活は皆さんいかかでしょうか??
我が家の近くのイオンシネマでは、映画上映が再開され、パンフレットを手にした方々を目にするの日も多くなりました。しかし、解除されたあとの日々連日のニュースを見ると、まだまだ映画館に行くのはちょっと気が引けるという人も少なくないと思います。それに、外出控えて家時間が長くなり自宅等で動画を観る機会が増えたし、映画館上映される映画はもういいや、という人も多いと思います。なにを隠そう私もそのひとりなんですが。

 今年末で活動を休止するあの人気アイドルグループのリーダーが、
「家にいる時間が長くなったので昔の映画の『キョンシー』を観直したらすごくおもしろかった」とテレビでコメントしていました。

『キョンシー!!』

キョンシー、知っていますか?80年代後半に大ブームとなった「キョンシー」。中国古来の伝承に登場する妖怪「キョンシー」(ゾンビ)を物語のメインに、特殊効果を織り交ぜて台湾の子役がカンフーとワイヤーアクションで奮闘するコメディホラーストーリー。当時の日本の子どもたちの間で大ヒットして映画&ドラマなんです。私も子どもの頃キョンシーのマネをして「鬼ごっこ」ならぬ「キョンシーごっこ」をして遊びました。懐かしいっ!白い顔で、腕を前に突き出し、ぴょんぴょん跳ねて移動、そしてお札・・・当時のことを思い出し過ぎて、思い出散歩から戻ってこれなくなっちゃいそうです。

 あぁぁ、昔の古い映画ってどんなのがあったかしら。。ということで、小社からも映画関連の資料本、戦前から戦後、当時の情報収集元であった映画雑誌の復刻本、古い資料たくさんありました!(残念ながらキョンシーがでてくる『幽幻道士』が収録されている書物はありませんでした)。読んで見るとなかなかに興味深い。
 そういえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、最近テレビで再放送してましたね。大人になってから観ても、昔と同じように何度も何度もワクワクしてしまいました。小社の資料本を手に取って、実際には戻れないあの頃の自分に、いや、それよりももっと昔に、映画の世界を通じてタイムスリップしてみませんか?

 通常の生活まではもう少しかかるかもしれません。
キョンシーを封印するお札のように、コロナの特効薬が早くできることを祈りつつ。
皆様どうぞ、ご自愛くださいませ。。

ある原稿(出版部 K) 投稿日:2020/06/09

私は、読み終えた20枚ほどのA4用紙の束を閉じ、手の内に丸めて、ふうと息を吐いた。「緊急事態宣言」がとけて、また混み始めた夜の電車の中で、幸い坐ることができた夜のことである。
 『コレクション・台湾のモダニズム』第1巻のエッセイの原稿である。中央研究院の呉叡人先生が、1931年に出版された『台灣統治問題』と、1936年に出版された『臺灣發達史』の内容と、それぞれの著者、陳崑樹と林進發の思想を論じている文章で、題して「地を這うものの思想」とある。
 もう少し手を入れられるとのことで、とりあえずの下読みをさせてもらったのだが、無駄のない締まった日本語の文章であった。そして歴史上、決して主役ではない二人の人物の思想を丁寧に分析し、1930年代の台湾政治、政治思想の問題点を、知識のない私のような素人にもわかるように書かれた論考である。
 「台湾総督府の植民地統治」という課題に対し、1930年代の二人の台湾人の現実的な思想を分析することで答えた文章に、実は意表を突かれたと思いつつ、また、納得もした。
 今まで、植民地台湾に関する史料や論考を本にするお手伝いをしてきたが、そこに台湾の人々が見えないと言われたことがあった。そして、なるほどそうだと思った。正義漢になろうとは思わないが、突然よその国の軍隊がやってきて、その国の支配を受け、政治、経済、教育、文化を押さえられたという経験はやはりうれしいことではないだろう。そして自国がよその国の歴史に組み込まれているのも不本意であろうと想像はつく。
今回の原稿はそういうモヤモヤが払拭される文章であった。台湾人が主役である。それが、読後のため息となった。

 6月7日の読売新聞には高雄市長解職のニュースとともに、台北支局長杉山祐之氏の「コロナ抑制 台湾の誇り」という記事が掲載されていた。5月の世論調査で「自分は台湾人だ。中国人ではない。それに誇りを持っている」という声に77.7%の台湾の人々が賛同しているという。これから、台湾はどう進んでゆくのだろうか。そして香港のことも気にかかる。

『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』(出版部 T) 投稿日:2020/05/15

昨今、テレワークの日々です。今更ですが、「テレ」は「tele」で、「遠い」を意味する接頭辞で、たとえば「telegram」は「遠い+文字(gram)」で「電報」、「telephone」は「遠い+音(phone)」で「電話」です。これはSFですけど、超能力で「テレパシー」、「テレキネシス」もそうですね。

さて「テレビ」も、「遠い+映像(vision)」です。非常に不味い枕で恐縮ですが……、小社では先日『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』を、刊行いたしました。
詩人・谷川俊太郎氏は、1960年代前後に、黎明期であったテレビドラマの現場で、多くの脚本を執筆し制作に携わっていました。本書は、編者の瀬崎圭二先生の丹念な追跡により、谷川氏が執筆したテレビドラマの脚本、テレビにまつわるエッセイや詩を網羅し収録しています。巻頭には当時を振り返った、新たなインタビュー「テレビドラマをつくっていた頃」も併せて収録しました。谷川氏の仕事としては、これまで埋もれてしまっていた貴重なものと言えるでしょう。

テレビ放送の草創期における、新たな表現を模索した12編が収録されています。どの作品も根底にあるのは、人間が持つ「感覚」、現実を生きる人間の「感覚」を何よりも大切に考える、詩人・谷川俊太郎のまなざしです。あまり上手に語る自信がありませんので、収録した「遠さ」という詩を引用します。


「遠さ」

遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと見知らぬ国との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと野放図な夢との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらを不可視なものから距(へだ)てていた遠さは

ジェット機が遠さを殺す
テレビジョンが遠さを殺す
ぼくら自身の性急さが遠さを殺す
キロメートルでマイルで光年でパーセクで
ぼくらは遠さを計りつづけやがて忘れる
自分をとりかこむ計れない遠さを
目的地のない生きることの道のりを


文明の便利さが、人間の「感覚」を奪ってしまうことへの危惧を語っているこの詩が、世界の現状によく響くように思えます。

戦後博覧会 断絶と連続(出版部 M) 投稿日:2020/04/10

弊社ではこの度、『戦後博覧会資料集成』と題して、昭和20~30年代にかけて開催された、博覧会に関する資料を刊行する。
 日本における博覧会の歴史といえば、明治、昭和の万国博覧会を思い出される方も多いだろう。だが、戦前・戦中・戦後を通じて、日本各地で数多くの博覧会が開催されていたことは、今や忘れられている感が強い。
 本シリーズ所収の資料で言えば、大阪における復興大博覧会(昭和23年)、旭川における北海道開発大博覧会(昭和25)年など、地方における都市の再建、経済の復興を展示するものが多かった。また、珍しいところでは、奄美大島の復興博覧会(昭和22年)、石垣島の八重山復興博覧会(昭和25年)という、米軍政下の離島における博覧会もあった。娯楽の乏しかった時代、演奏会やスポーツ大会もあり、島民にとっては一大イベントであったことは想像に難くない。
 戦後の博覧会を見る際に、注目すべきは戦前との連続性である。例えば、昭和25年に西宮市でアメリカ博覧会が開催された。その内容はアメリカの歴史、民主主義や経済的な豊かさを宣伝し日本人のアメリカ観を象徴するものであった。しかし、全く同じ場所で、支那事変聖戦博覧会(昭和13年)、大東亜建設博覧会(昭和14年)という、日中戦争を宣伝する博覧会が開催されたという事実は、忘れてはならない。
 また、昭和23年には、伊勢市で平和博覧会が開催されたが、同地では昭和5年に神都博覧会が開催され、国史・国体をテーマとした展示も行われた。
 戦前の国粋的、軍国的なテーマから戦後の平和主義、アメリカ賛美への変わり身の早さから、「プリンシプルのない日本」と批判することは容易い。
 だが、博覧会の計画・運営に携わった人物に注目してみれば、違った面も見えてくる。西宮市では鍛冶藤信という装飾業者が、戦前には日中戦争の戦場再現に、戦後にはホワイトハウスの大型模型の作製に心血を注ぎ、大きな呼び物となった。また、伊勢市において戦前・戦後の博覧会を主催したのは北岡善之助という人物であった。北岡は生涯を通じて、博覧会による伊勢の振興という目標を追い続け、合計4回の博覧会を主催したことから「伊勢の博覧会男」という異名を取った。こうして見ると、博覧会には時代毎に異なった方向性があるとはいえ、これを実現せんとする者の強烈な意志なくしては、存在しないイベントであると言えよう。
 戦後史における博覧会を如何に評価するか。この問題には多くの議論が尽くされるべきであるが、まずは本書を繙き、当時の人々と共に非日常の空間を楽しもうではないか。

スーパー司書との出会い(第三営業部 T) 投稿日:2020/03/13

新型コロナウイルスの影響で、世の中が混沌としている。
私自身も2月からもう一ヶ月以上、休みの日は一歩も外出していない。
街中がどのような状況なのか詳しくは分からないが、
各種イベントや集まりなどの中止や延期が広がっている中、
明らかに人々の出歩く数は減っていることは想像ができる。

全国の公立の小中学校や高校が一斉に臨時休校になっている今、
こんな時期だからこそ、読書をする絶好の機会だとも思えるが、
公共図書館も自治体によっては臨時休館のところもあるので、
本を読みたくても読めない地域もあるようだ。

先日、テレビを見ていたら番組で、図書館に行くことによって
本からコロナに感染する危険性はないのか?という質問が寄せられていた。
医師などの専門家による回答はこうだった。
図書館の本は、不特定多数の人が触れている可能性はあるが、
膨大な量なので確率は低いだろうとの答えだった。

確かに図書館には膨大な量の本が存在はするが、
雑誌、新聞、流行りの本など人々の手に触れる可能性の高い本と、
学術書、専門書などのあまり手に触れられない本の二種類があると思う。
ゆまに書房の本は、どちらかというと後者だが、
図書館には、それらの本もちゃんと備えられているものだ。

私は、たくさんの本を車に積んで、それらを公共の図書館に持参し、
スタッフの方々に見てもらい選書をしていただくという仕事をしている。
毎回、1000冊前後の本を持参し、それらはどれも事前にその図書館の
蔵書構成を調べた上で、蔵書のないものを持参している。

図書館のスタッフからは、自分の図書館にない本を持ってきてくれるので、
そういった機会を大変喜んでもらえる。
その時、いつも感動させられることがあるので記しておきたい。

ゆまに書房の専門書は、10人のスタッフがいたら8人はスルーしてしまう。
もちろん、スタッフの方に勧めてみるのだが、選んではもらえない。
ところが、残りの一人か二人ぐらいは必ず目を止めてくれ、
図書館として、こういう本を置いておかないといけないと言ってくれる。
一年に一人、手に取るか取らないかという本でも、所蔵することに
図書館としての意義があると言ってくれる。大変ありがたい話である。

不思議なことに、どの図書館を訪問しても上記のような目で選書を
してくれる司書が必ず一人はいてくれるのである。
ここでは、勝手にスーパー司書と呼ばせてもらうが、
訪問の度に、スーパー司書との出会いが楽しいし、勉強にもなる。

幸い、今のご時世、ネットで図書館の本の予約もできる時代だ。
不特定多数の人が触れている可能性の低い専門書にも目を向けて、
この機会に触れてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
そこには、我々出版社の熱意と、スーパー司書の方たちの専門職としての
使命感の結晶が間違いなくあるのだから。