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ゆまにだより

参考文献をたどって(出版部 M) 投稿日:2019/07/08 NEW!

 この度、弊社では『戦後千島関係資料』と題して、敗戦直後より、昭和30年代にかけての千島諸島(北方領土)に関する、北海道の自治体が作成した文書を資料集として刊行する。
 戦後70年以上にわたり、北方領土問題は日本外交の懸案の一つであったが、現在に至るまで領土は寸分も日本に引き渡されていない。この問題に対する政治的な見解は種々存在するが、これを客観的に分析しようとする研究者の側からしても、北方領土問題は全体像の摑みにくい対象である。その理由の一つは、日露(ソ)両国間における敏感な問題であるがゆえに、情報公開が著しく遅れているという事実にある。
 本企画を思い立ったのは、2年ほど前、北方領土に関する資料を調べていた際、ある書籍の参考文献として「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」という一行を見つけた時である。「綴」とついているのであれば、当時の状況に関する行政文書に違いないと思い、所在を確認してみたところ、北海道立文書館に所蔵されていることが判明した。その他にも、戦後の千島をめぐる行政文書が存在するようなので、真冬の折ではあるが、札幌へ向かうことにした。
 赤レンガで知られる旧北海道庁舎にある文書館で請求してみると、この「綴」はいとも容易く閲覧することができた。経年のために劣化した根室支庁の用箋には、ソ連軍の上陸を伝える各役場からの緊迫した電報や、命からがら根室に到着した引揚者からの生々しい報告が数多く記録され、敗戦直後の混乱した様子がありありと伝わってくるようであった。
 とはいえ、この「綴」は占領者の暴虐振りを示すだけではない。昭和20年10月6日付の文書には、同年9月下旬に色丹島で16歳以上の男女を有権者とする選挙が行われたという記述がある。もし、これが事実であるとすれば、日本国憲法の施行よりも早い段階で、社会主義国の指導により男女同権の選挙があったということになり、日本の選挙史における新たな一面が浮かび上がる。
 その他、「千島に関する資料」、「領土復帰関係書類」等の行政文書を閲覧し、連合国による占領期から日ソ共同宣言の時期における、生活の場を奪われた元島民達による返還を求める根強い運動が展開されていたことを知った。2日にわたって史料を調査し、改めて問題の複雑さ、根深さと史料が残ってきたことの幸運を感じずにはいられなかった。
 最近、ビザなし交流で国後島を訪問したある代議士が「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」という発言をし、顰蹙を買うという事件があった。彼は領土を単に武力の問題としてのみ理解していたからこそ、このような発言をしたのであろう。
 戦争の結果、千島で何が起こったのか、そして、島々を取り戻すためにどれほどの努力がなされてきたか等々、現代史に課せられた課題は多い。本書がその端緒を摑むきっかけになれば幸いである。

「ビジュアル日本の歴史シリーズ」第5弾スタート!(出版部 K・Y) 投稿日:2019/06/17

ようやく校了・印刷入稿を終えて「いざメルマガ」、さて何を書こうか。
編集作業に没頭して両の目玉が校正紙の上をゴロゴロ走り回っているあいだは、すべてが頭に入っているような気になるのですが、あれは大いなる錯覚だったと気がついて、しばらくぶりにカラッポの我に返ったところです。

さて今回は、2015年からスタートした「ビジュアル日本の歴史」シリーズ第5弾、『ビジュアル日本の住まいの歴史』のお話です。まず、タイトルにある「住まい」という言葉からイメージされるのは、家、住宅、どちらかといえばプライベートな居住空間だろうと思います。そのような「場」で、今も昔も生身の人間が日常・非日常を営んでいる、その日々が膨大な時間をかけて積み重なってできた歴史があります。この人びとの営みの歴史を、建築の空間をフレームにして切り取ってみると面白いのでは。そんな漠然とした感覚と同時に、監修を小泉和子先生にお願いしたいとの思いはハッキリとしていました。

第1回配本で扱う「中世」という時代は、古代の貴族に代わって武士が政治権力を握り、古代以来の寺院を拠点とする仏教勢力・僧侶が各地で力を持ち、また、生産者である農民に加えて生産・流通を担う商工業者が力を蓄えるなど、社会そのものが非常に流動的でした。あらゆる事柄が移行期のまっただ中にあったのです。複雑で難しい時代ですが、それが中世の魅力でもあると思います。本巻では、武士、僧侶、庶民の三つの身分それぞれの住まいと住み方(=住文化)と、そこでの具体的な暮らしぶり(食事、台所、風呂、便所。生活道具の描きおろしイラストも満載です)を、絵巻物を読み解きながら、復元イラストで歴史的想像力を刺激されながら辿ります。

私自身も編集作業中は、建物や部屋に注目して絵巻物を観ることがとても新鮮で、まぁよくここまで描き込んだものよと感心しきり。着の身着のままで眠る従者や下女の姿や(コラム「寝場所」)、貴族の屋敷の塀にいつのまにか建て掛けたり、築地塀を取り壊して勝手に自分たちの家をつくってしまう様子にニンマリ。そこに生きる人びとの逞しさまでも垣間見える本に仕上がったと思います。

たくさんの“学校では習わないものの歴史”で、自分も世の中も出来ている。そのような学びの場のひとつとして、「ビジュアル日本の歴史シリーズ」のページを開いていただければ幸いです。

鎌倉橋を渡って(出版部 某) 投稿日:2019/04/10

 約30年、毎日行き帰りに渡る鎌倉橋は、日本橋川にかかっていて、大手町と神田をつなぐ橋です。日本橋川の上は高速道路が通り、そばに大手町フィナンシャルタワーが聳えています。その高層ビルの足下の川べりは、ゆったり歩けるスペースとなっていて、いかにも都会の風景を作っています。なお、鎌倉橋の名前は、江戸築城時に相州鎌倉から船で運んだ石材や木材を陸揚げした河岸、すなわち鎌倉河岸からついたと言われています。
 その鎌倉橋の神田側のたもとに全国チェーンのホテルが開業したのは昨年6月でした。道から見えるパンを売り物にしたガラス張りのカフェでは、欧米からの熟年夫婦、アジアからの若いカップル、そしてもちろん日本人の家族連れなどいろいろな人々が朝食を楽しんでいます。
 内神田には、ほかにも最近小ぶりなホテルがいくつか出来ています。路上を歩いている外国人も普通にいて、東南アジアや南アジアからと思われる観光客ともすれ違うようになりました。ヒジャブを着けている女性はインドネシアかマレーシアからの観光客ですね。
 今、インドネシアの経済成長率は5%前後となっています。人口は2.55憶(2015年、日本外務省H.P.)ですから、35万人の来日者数(2017年)は、まだまだこれから増えるのではないかと思われます。
 そのインドネシアに関する史料として、『スマトラ新聞』(監修・解題/江澤誠)を2017年に刊行しました。軍政下のスマトラで発行された日本語紙です。1943年10月から翌年1月までの分でしたが幻の新聞と言われていたもので、話題となりました。
 そして今春刊行の『復刻 共栄報 1942~1945』(監修・解題/津田浩司)に関わりました。1942年にジャワへ侵攻した日本軍はインドネシアに軍政を敷きました。そのとき、華僑向けの新聞社を押さえ、軍政の意を受けた日刊紙「共栄報」を出させました。新聞の日付は「皇紀」が使われています。中国語版とインドネシア語版の両方を復刻しました。戦時期のインドネシアについて、華僑について、そして日本軍の軍政について、多様な情報が掲載されており、様々な研究の手がかりとなるでしょう。
 戦時期のインドネシア統治などは日本帝国主義そのものです。共栄報の「共栄」は「大東亜共栄圏」に由来するようです。歴史の上で77年前にそういった関わりがあったことは、記憶しておいてもよいでしょう。
 話は飛んで台湾について…。『我的日本―台湾作家が旅した日本-』(編訳/呉佩珍・白水紀子・山口守、2019年1月、白水社)という本を読みました。18人の台湾の作家による「日本紀行」ですが、さすがに気鋭の作家たちによるもので、文章のスタイルも問題意識もさまざまで大変面白く、一気に読みました。当たり前かもしれませんが、私の知らない日本がたくさん出てきます。例えば京都のお寺の山門巡りの楽しさ、3.11直後のお台場の無人の光景、台湾の主婦(作家ですが)が家族から解放されて過ごす北陸の宿のさりげない心遣いなど…。そして、日本映画やテレビドラマを引き合いするものもあり、「日本語は冷え性」と感ずる日本語論など、いろいろ気づかされます。
 鎌倉橋ですれ違う外国人の中に、この本の執筆者のような人たちもいるのかと思いました。鋭い眼で日本と日本人を観察して、自国と比較し、また、異国に歩く自分とは何かを問うている男たち、女たちが想像されます。
 2019年の春の宵、これから私は鎌倉橋を渡って家に帰ります。大手町フィナンシャルタワーは7年前の2012年に竣工しましたが、そこにつながる鎌倉橋は関東大震災の復興事業の一環として90年前の1929年に完成しました。東京の歴史をふと考えます。そしてこのコンクリートの橋の欄干には、1944年11月の米軍機の機銃痕が残っています。焼け野原の東京の映像を思いました。

「歴史」に出会った日(出版部 M) 投稿日:2019/03/12

「歴史」に出会った日(出版部 M)

昨年12月、弊社では『愛知大学国際問題研究所所蔵 LT・MT貿易関係資料』という資料集を刊行した。「LT・MT貿易」とは、日本と中国が国交を確立する以前の1960~70年代に、半官半民の形で行われたバーター貿易のことを指す。この貿易形式は、経済だけでなく政治分野の交渉をも行うチャンネルとして機能し、後の国交正常化につながったとして、現在ではその歴史的意義は高く評価されている。
 「LT・MT貿易」に関する資料は、日中経済協会が保存していたが、後に愛知大学国際問題研究所に寄贈された。昨年、同研究所が設立70周年を迎えるにあたり、記念事業として弊社が公刊をお手伝いさせていただいたという次第である。
 12月20日には、愛知大学の関係者、研究者、一般の来聴者を招いての盛大な出版記念シンポジウムが開催された。私も担当の編集者として末席に加えていただいたが、何よりも貴重な経験であったのは、資料中、電報や報告書でよくお名前を見かけていた、当時の関係者二名の謦咳に接したことであった。むしろ、お二人の思い出話を傍で聞かせていただいたというほうが正確であろう。お二人とも八十から九十代というご高齢であったが、矍鑠としておられ、出版されたばかりの資料集をご覧になりながら、「この時は、事務所はここにありましたね」「そうそう」等、当時を懐かしんでおられた。
 一般的に歴史というと遠い過去の話であり、現在の者とは関係がないと思われることが多い。しかし、私がシンポジウムで接したのは資料を書いた方であり、文字にも残っていない現実をよくご存知の方なのである。資料集を読んでいると、中国側との厳しい交渉や日中関係に対する日本側からの批判も受けていたことが書いてある。何より当時の中国は、食料や生活必需品の入手にも苦労していた時代である。そのような状況で、想像を絶するような苦労もされていたのであろう。
  「LT・MT貿易」はすでにその開始から半世紀以上が経過し、「歴史」となりつつある。ご自身が書かれた報告書を「史料」として読む気持ちは如何ばかりであっただろうか。現在の中国について是非を述べるよりも、周囲の人とにこやかに意見を交換されるお二人の姿に、日中関係に賭けた熱意の残照を感じた。

新年のご挨拶 投稿日:2019/01/18

 旧年中は格別のご支援を賜り厚く御礼申し上げます。
  
 昨年は、御陰様にて教育図書では、『ビジュアル日本の服装の歴史』(増田美子監修 全3巻)、『ワクワク‼ローカル鉄道路線』(梅原淳著 全6巻)、『こんなに恐ろしい核兵器』(鈴木達治郎・光岡華子著 全2巻)、『世界の歴史を変えたスゴイ物理学 50』、『ワクワク探検シリーズ①・②』)等を好評裡に刊行することが出来ました。
 また、学術・研究書の分野では、『日本戦前映画論集』(アーロン・ジェロ―他監修)、『童話療法の展開』(蘭香代子・大須賀隆子編)等の研究書や『百貨店宣伝資料』、『「満州国」地方誌集成』、『LT・MT貿易関係資料』、『昭和天皇戦後巡幸資料集成』等のシリーズが新たにスタートするなど、計163点を刊行することが出来ました。
  
 これも偏に皆様のご支援、御指導の賜物と御礼申し上げます。  
 本年も教育図書並びに学術研究書、学術史料集、電子書籍等々二百余点の出版を予定しておりますので、倍旧の御支援、御指導を賜りますようお願い申し上げます。

     2019年1月
                          株式会社ゆまに書房
                            代表取締役社長 荒井秀夫

ゆまにだより(出版部 T) 投稿日:2018/12/12

ビジュアルで構成されている「こんなに恐ろしい核兵器」を編集しています。
1巻は主に、核分裂の発見~核兵器の開発、実戦での使用~冷戦で拡大していく核軍備~冷戦の終了、まで。
編集中の2巻は、冷戦終了以降も続く核開発、核軍縮の取り組み、近年の北朝鮮の問題など、これからの問題が多く取り上げられています。

この企画のきっかけは今年頭に放送された、核兵器についてのテレビ特番でした。
昨年(2017)の北朝鮮の核実験を受けて制作されたものですが、核実験の映像などは、昔よく視たものが使われており、奇妙な懐かしさを覚えな
がら番組を視聴していました(80年代中頃は冷戦のまっただ中だったので、核戦争を題材にした、ドラマや映画などは多くあったのです)。
ゲストの反応を司会者が尋ねた時でしょうか、平成生まれのタレントさんの反応を見ると、こういったことを「よく知らない」ことが伝わってきました。
それは当たり前かも知れません、その世代は「ソ連」を知らないのですから。

笑われるかもしれませんが、当時ニュースで報道されるソ連というのは、とても不気味な国に映りました。
生徒会では偉くない役割の書記長が一番偉い、という時点でかなり不思議です。
そんな国が、人類を破滅させることのできる大量の兵器を持っている…。
また、アメリカも大量の兵器が持っていることが不思議に思えました。
当時はMTVなどが全盛で、アメリカは本当に華やかに映ったのです。

ソ連はブラインドの向こうにミサイルがある、アメリカはどこかに隠し持っている…、両国は非常に仲が悪く、どちらかがボタンを押したら終わり…。これはとてもとてもリアリティがあった
のです。
「冷たい戦争」とよく言ったものです。つねに背筋に悪寒を感じるような、そんな80年代だったのです。

ところが、ソ連はあっけなく崩壊し、無事に21世紀になりました。
その後、世界情勢が安定したわけではなく、中東で戦争があったり、大きなテロがあったり様々な緊張がありました。
軍縮が進んだとは言え、核兵器はなくなった訳ではなく、相変わらずその存在が問題となっていました。
そのことを理解していても、冷戦のころの「奇妙な寒気」は忘れていたのです。
見ないようにしていた、というのが正しいのかもしれません。

ですが、先の特番でゲストの「知らないことによる驚き」を見たときに、あの頃の感覚と現在が繋がった感じがしたのです。
考えてみると、当時はあまり情報がなかったのです。どちらかと言えばいたずらに恐怖を煽るものばかりだった記憶があります。
怖いからといって、無関心を装うのはあまり健全ではありません。
そうならないためにも、改めて核兵器の歴史と恐ろしさを理解する本が必要ではないかと感じました。

幸運にも、長崎大学核廃絶研究センターの鈴木達治郎先生に、お会いすることができ、企画を相談すると、こころよく執筆を引き受けてくださいました。
ビジュアルで構成された本を造るという点で、強く賛同していただき、素晴らしい原稿をいただく事ができました。
長崎は最後の被爆地です。センターは、核廃絶の訴えを国際的な規模で発信し続けています。
また学生が中心となって、次の世代へ伝えていく運動を多く行っています。

編集作業をしながら、過去の感覚を噛みしめ咀嚼をしているような気分を味わっています。
鈴木先生の、巻頭のことばを引用して終わりたいと思います。
「未来に核兵器のない世界を創るために、私たちは今何をしなければならないのでしょうか?
 この本を手に取ったあなたが、少しでもこの課題を身近に感じ、考えてくれることを願っています。」

ゆまにだより(出版部 K・Y) 投稿日:2018/10/05

どれほど夏の暑さが厳しかろうと、四季は巡ります。時折、衣替えを躊躇するような陽射しが戻りますが、日によっては通勤時だけでもコートを羽織るなどして、街中には金木犀の香が満ちる季節となりました。

『ビジュアル日本の服装の歴史』担当のYです。本シリーズの前に児童向けの企画を担当したのが、ちょうど東日本大震災の時(校了に向けてラストスパートのタイミングでした)でしたので、一人でも多くの子どもたちに、若い読者の方に届くようにと、いろいろと思うこともありながら編集作業にあたっています。

さて、本シリーズ第1回配本(7月既刊)の第3巻では、明治時代から現代までを扱いました。平易な文章ながらぐいぐいと導かれて、大人でも十分に読み応えのある一冊に仕上がっていると思います。そこから一気に時間をさかのぼり、今回はそもそも「なぜ人は服を着るのか」という文化人類学的な問いから始まります。衣服に寄生するコロモシラミの化石が7万2000年前の遺跡から発見されているそうで(よく見つかりましたね)、それ以来、人は服を着続けているのです。人間の文化的な営みとしては、かなりの歴史をもっていると言えるでしょう。

第1巻は、60ページ足らずの一冊に原始時代から平安時代までをぎゅっと詰め込んでいるわけですが、まず感じるのは、着るものがここまで変化した国というのも珍しいのではないかということです。また、土偶や埴輪が饒舌にファッションを語るのには新鮮な驚きを感じますし、飛鳥・白鳳時代になって中国からもたらされた服装にまつわる諸制度は、纏う服と色彩がその人の社会的ポジションをあからさまなまでに誇示して、現在の私たちが持つような、限られたシーンでのドレス・コードの知識の範疇など遙かに超えるものでした。

服を着ること、装うことは日々の営みのひとつであり、非日常のためのものでもあり、センスや感性だけでも語れないものです。この本を通して、「服」というモノの歴史の豊かさにふれていただければ幸いです。

ゆまにだより(関西オフィス K) 投稿日:2018/09/12

 過日、高校同期全体が集まる同窓会に参加した。席に着いたが、見知った顔が近くにいない。どうしようかと思っていたら、たまたま遅れて私の隣の席に座った人物が、大学時代に北海道を旅行した際、彼の下宿先である札幌のアパートにも泊めてもらうなど、お世話になった友人だった。この日は結局彼と3次会まで付き合うことになった。
 その友人はこの同窓会にあわせて夏季休暇を取り、インドから帰国した某大手ゼネコンに勤める建築士で、日本の大手メーカーの現地工場を建設中だという。彼が現場トップ、部下はすべてインド人で指示は英語で通用するらしい。インド人は日本人に通じない国民性を持ち合わせているとのことで、意思疎通が難しいとは言っていたが、インドの元気さを大いにアピールしていた。
 数年前の推計データではあるが、面白い数字がある。国の平均年齢なのだが、インド国民の平均年齢は27歳なのだそうである。ちなみに中国36.7歳、日本46.1歳となっている。数年前のデータなので、現在ではさらに年齢差が開いていることだろう。「世界の工場」が日本から中国に移って久しいが、友人が今インドで大掛かりな工場を建設していることからもインドやその周辺の新興国にその地位が移っていくことが伺える。
 インドと日本を対比して話していると、自ずと東京オリンピック後の日本の予想になり、今後日本に起こるだろう不安を共有することになった。
 例えば、彼の愛息は現在大学生で、その愛息が受験時の進路相談で彼と話し合った際、尊敬する父親の背中を見て、建築学科を目指したいと言ったらしい。それに彼は強く反対し、結局IT関係の職業につながる学部に進学したという。
 今後、特に東京五輪後の日本国内では建築の需要が大きく後退することになるという見立てのようである。

 日本は行け行けどんどんの時代はとっくに終わっており、普段の生活に寄り添った、人に優しい施策が重要になっているのだが、現状はまだまだ大型プロジェクトの推進に力点を置いた政策が幅を利かせている。
 速やかな発想の転換を望むものである。

 高齢者が多く住む地域に住み、大阪北部地震で若干の被害を受けた私は、約10秒の大きな揺れがその後徐々に引き起こす様々な変化を目の当たりにしている最中ということもあり、何かと考えさせられる夏になった。

今こそ、世界に発信を!(第三営業部 T) 投稿日:2018/08/13

 8月の原稿の依頼を受けた・・・。
 何について書こうか迷ったが、8月といえば、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎原爆の日、そして8月15日の終戦記念日のある月である。
 たまたま先日、秋頃に刊行を予定している『ビジュアル こんなに恐ろしい核兵器(全2巻)』(仮)を、書店へ説明する機会があったので、そこことについて書いてみようと思う。

 まず、なぜ今、「核兵器廃絶」なのでしょうか?
 
 あの忌まわしい原爆投下から73年の月日がたち、被爆者の平均年齢は80歳を超え「ヒバクシャのいない時代」が近づいているといわれています。
 実際に被爆者・戦争体験者の声を聞く機会が少なくなる中、子どもたちにとって核兵器や戦争は遠い過去の物語となってしまっています。

 しかし、ご存知のように地球上には、いまだに1万発以上の核兵器があると言われています。現在の水爆と呼ばれる核兵器は、あのヒロシマ・ナガサキの原爆の100倍~1000倍以上の威力があるといわれています。
 一瞬にして人々の生活を奪い、無差別に命を奪う、非人道的な核兵器を未来の子どもたちに残さないことが私たち大人の責任ではないかと思っています。

 さて、この一年、緊張する国際情勢の中で、平和に希望を与える出来事が相次いで起こりました。
 一つは昨年7月7日、国連で核兵器禁止条約が採択されたことです。この条約採択は、長年、核兵器廃絶を願ってきた人、とりわけ被爆者の方にとっては歴史的な日となりました。
 しかしながら、日本政府はこの条約に参加しないと明言し、条約決議に反対をしました。このことは被爆者をはじめ多くの国民を失望させる結果となりました。
 核兵器禁止条約に日本が反対をしたことについては賛否両論ありますが、日本がアメリカの核の傘に守られ、これを強化しようとしていると思われても仕方のない選択でした。
 唯一の被爆国である日本こそが説得力を持ち、核兵器廃絶のイニシアチブを発揮できるはずなんです。そのような側面からも、この本が世界の核兵器廃絶への流れを推し進める一助になれれば幸いです。

 そして、もう一つの大きな出来事とは、まだ記憶にも新しい6月12日に行われた米朝首脳会談と共同声明の発表です。この声明により、核をめぐる朝鮮半島の緊張状態を終わらせ、北東アジアが平和への大きな一歩を踏み出しました。
 しかし、あの会談で何か変わったでしょうか?また何がこれから変わるのでしょうか?甚だ疑問に感じるところが大きいです。
 
 また、日本が核兵器のリスクと共に忘れてはならない問題がもう一つあります。それは原発の問題です。核兵器と原発は似て非なるものですが密接に繋がっています。
 日本の原子力政策は、先の東日本大震災での福島事故の教訓を忘れてしまい、矛盾に満ちたまま前に進もうとしています。
 それゆえ、日本が声を上げて取り組まなくてはならない核兵器廃絶という課題への大きな障害にもなってしまっています。

 確かに、世界の核兵器の数は、6万~7万発の核兵器があったと言われている冷戦時に比べたら減少してきています。
 しかしながら、現在、世界にある核物質(軍事用と非軍事用がありますが)を核兵器に使用すると、なんと10万発以上の核兵器が作れるという事実もあるんです。
 さらに、この数は年々増加しているというから驚きです。

 約束することは簡単にできます。しかし、それを実行にうつすことこそが大事だと改めて思います。

 私たちは、世界情勢が大きく「核廃絶」へと舵を切る転換期に、この本を通して、今、私たちに何ができるか、そして何をすべきなのかを考える必要があります。
 大人と子どもが頭を突き合わせこの本を読み、核兵器というものを一緒に考えるキッカケになってくれたらと願わずにはいられません。

〈秋頃刊行開始予定〉
☆ビジュアル こんなに恐ろしい核兵器 全2巻(仮) 揃本体4,600円 B5判/上製/オールカラー

僕らは幸せだった(出版部 K) 投稿日:2018/07/04

 大学時代のゼミの同窓会が毎年あり、今年も出かけた。中心に座るべき先生は亡くなられて久しいが、毎回五、六十人ぐらい集まる。今年同期は五人が出席した。けっこう騒がしい会場の片隅で、その同期の一人と読書について話していたのだが、彼が言った言葉にはっとさせられた。「紙の匂い、インクの匂いを感じながら本を開く喜びを知っている僕らは幸せだった」という一言だった。
 彼は製鉄会社に就職し、会社の大きな合併や分社などを経験している。電算化、IT化、ロボット化など、製造現場の自動化や経営管理の情報化などの改革を推し進めてきたであろう。現在もエンジニアリング会社の幹部の一人として、次から次に現れてくるハード、ソフトにわたる新しい技術に対応しているはずである。そういった職場にあったからこそ、彼はきっと、一冊の本を開く時間を大切にしてきたのだと思う。
 この一言から強く感じたのは、柔軟な彼の姿勢である。デジタル技術が我々の社会や生活に入りこんでくるのは自然の流れであると彼は考えているのだろう。こういった技術革新の流れに抗していたら、世界規模の企業間競争の中で生き残ることはできない。それはそれと認めた上で、紙の本の楽しみを自らの人生の中に置いている。そして、「紙の匂い、インクの匂い」への思いを語る。それは、最近、身の回りに腹の立つことが多くなったと感じていた私、固陋な老人になりつつある私には、反省を促す、やわらかな言葉であった。


 書誌書目シリーズ112『古典籍索引叢書―宮内庁書陵部蔵『類標』―』は、第三回(全八巻)が7月に刊行されるが、この壮大な索引群を眺めていると、江戸後期の人々の情熱を素晴らしいと思う。いろいろな切り口で索引を作っている。事象をばらし、ばらしたものを比較検討する情報工学的な試みである。本文を確定させ、大量に出版するという研究と出版の社会的条件がそろったのが、この時代であった。江戸時代はやはり「近代」かもしれないと改めて思わせる。
 この試みを、同時代の文学者や国学者はどう見ていたのであろうか。うるわしき古典文学の作品を切り刻む作業に冷淡だった人も少なからずいたであろう。もし、私が当時の人間だったら、冷淡な方に加わっただろう。

 
 今ある馴染んだものや、古い懐かしいものを大切に思いつつ、新しいものを拒まないやわらかな心を持ちたいと思う。…と書くと当たり前のことのようだが、我が身を振り返って、これは大変難しいことだと思う。