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ゆまにだより

『ツーリスト』と『旅』、2つの旅行雑誌 (出版部T) 投稿日:2020/10/12 NEW!

今回は、昭和戦前期のふたつの旅行雑誌についてお話ししたいと思います。
小社では、ジャパン・ツーリスト・ビューローの機関雑誌『ツーリスト』(大正2年創刊)の
復刻に続いて、大正13(1924)年に創刊され、戦前期においては
昭和18(1943)年8月まで、およそ19年間にわたって月刊雑誌として
発行された『旅』の刊行を開始いたします。
『ツーリスト』は、ジャパン・ツーリスト・ビューローの機関誌で、
外客誘致の目的もあり、和文と英文で構成され、海外にも広く頒布されました。
対して、『旅』は旅行団体の同人誌を母体とし、戦前期においては旅行の
クラブ組織から発行され続けた旅行雑誌で、国内の観光誘致のための充実した
記事が組まれています。『ツーリスト』と『旅』は、戦前期を代表する2大旅行雑誌なのです。
執筆陣も豊富で、創刊号には田山花袋が巻頭にあたる原稿を書いています。

ざっと執筆陣をながめても、井伏鱒二、村松梢風、馬場弧蝶、木村荘八、丹羽文雄、
岡本綺堂、高浜虚子、武者小路実篤、三田村鳶魚……
そうそうたる文化人が「旅」についての文章をよせています。

さて昨今では、コロナ禍のなか、Go toキャンペーンはあるものの、なかなか以
前のように軽い足取りで旅行には出かけにくいのはないでしょうか。
ちょっとした決心が必要なのではないかと思います。決心を後押しするための
キャンペーンということなのでしょう。

英語では、「旅」は「travel」ですが(他にもtrip,tour,jorneyとかありますが)、
語幹を見てみると「tra」は「tri」に通じていて、つまり「3(trio)」を意味します。
ズバリ、「travel」の語源は、なんと「Tripalium」という3本(tri)の棒(palium)で
造られる拷問器具(!)なのだそうです。中世英語では「travail」、
苦労や困難を意味するとのこと(フランス語では「トラヴァイユ」なので「仕事」の意味で、
つまり語源から考えると「重労働」……)。
つまり「旅に苦労はつきものだ」ということになります。
近世以前は旅は気軽なものではなかったことがうかがえます。
日本語の「旅」も、「他日」「外日」「他火」などが語源として考えられるそうです。
「住んでいる土地を離れる」=「旅」で、やはり決して気軽なことではなかったのです。
現状を考えるとなかなか皮肉な感じがしますね。

さて、『旅』にあわせて、昭和期の『ツーリスト』も刊行中です。昭和に入り、
どんどんと発達していく交通網にあわせて、
旅行は一部の人が行ける高価なものではなくなり、庶民の娯楽として発展していきます。
誌面はガイドブックの役割を果たし、
読者の旅の予習や追体験として愉しまれたのです。

早く、旅が以前のように気安いものに戻ってくれることを祈ってやまぬ次第です。

『関西オフィスだより』(関西オフィスK) 投稿日:2020/09/08

この原稿を書こうとあれこれ考えていたら安倍総理辞任のニュースが舞い込んできた。
以前から体調不良が取りざたされていたので、一部では予想されていたことではあるが、
「やっと・・・」というのが私の本音である。

はからずもコロナ禍によって世界中のグローバリズムの流れは完全に機能停止しており、
その結果、新自由主義の瓦解が明白になっている。
その瓦解をごまかすために中央銀行がなりふり構わずその資産を膨張させている
という図式なのではないだろうか?

安倍政権はコロナ禍以前から中央銀行を動員して、
グローバリズム・新自由主義を肥大化させた政権であったともいえるのではないだろうか?

次期総理大臣の大本命である「令和おじさん」は
日本における新自由主義の権化である
竹中平蔵パソナ会長と大変深い関係にあるとのことなので、
次の内閣では難しいのかもしれないが、
日本においても世界の流れに沿った政治の実現を期待したいものである。

『日本列島』(営業推進部S) 投稿日:2020/08/18

日本で「1番すごしやすい」といわれる県、何県何市だと思いますか?

生まれ育った地域が一番住みやすいし過ごしやすい!というご意見もあると思いますが、
ここでは「気象的にみてどうか」というジャンルに絞ることにします。


正解は「仙台市」。


東北と言うと冬の厳しい気候を想像する人も多いでしょう。
確かに宮城県でも山沿いは雪が多く降りますが、
仙台をはじめとした太平洋側は積雪が少なく、冬でも比較的温暖です。

一方で梅雨の時期に蒸し暑くなることはほとんどなく、
仙台市の最高気温の平均は7月が25.7℃、8月は27.9℃と過ごしやすいのが特徴です。
ちなみに仙台市は47都道府県の中で、
気温30℃以上の真夏日と気温0℃未満の真冬日の合計が最も少ない県庁所在地として有名。
極端に暑くも寒くもない、気候がちょうどいい街なのです。

気候が比較的温暖で、東京を始めさまざまな所へ出かけるにもアクセスがよく、
食べ物は海・山・大地の幸すべてがおいしい。
これだけ暮らしやすい地域は、そうはないです。

とはいってもここは「あくまでも気象的観点からみて」になります。



近年の日本の気象は梅雨の時期に毎年被害が出るほどの大雨が続いたり、
異常な暑さや台風で、被害ばかり目についてしまいますが、
日本列島は四季折々地域ごとに様々な顔をみせる素敵な島です。

そんな日本列島を地理と気候から深堀するのが、8月に刊行する
『ビジュアル 都道府県別 日本の地理と気候 全3巻』!!


こちらはオールカラーで、写真や図版満載のビジュアル版。
気象庁のデータに基づく、見やすいグラフを多数収録となっています。

自分たちが住んでいる地域、親戚が住んでいるあの街の地理は気候は
実際どんな特徴があるのか、調べてみるのもいいかもしれませんね。

タイムスリップ(営業推進部S) 投稿日:2020/07/16

 緊急事態宣言が解除され、「新しい生活様式」を心がけての日常生活は皆さんいかかでしょうか??
我が家の近くのイオンシネマでは、映画上映が再開され、パンフレットを手にした方々を目にするの日も多くなりました。しかし、解除されたあとの日々連日のニュースを見ると、まだまだ映画館に行くのはちょっと気が引けるという人も少なくないと思います。それに、外出控えて家時間が長くなり自宅等で動画を観る機会が増えたし、映画館上映される映画はもういいや、という人も多いと思います。なにを隠そう私もそのひとりなんですが。

 今年末で活動を休止するあの人気アイドルグループのリーダーが、
「家にいる時間が長くなったので昔の映画の『キョンシー』を観直したらすごくおもしろかった」とテレビでコメントしていました。

『キョンシー!!』

キョンシー、知っていますか?80年代後半に大ブームとなった「キョンシー」。中国古来の伝承に登場する妖怪「キョンシー」(ゾンビ)を物語のメインに、特殊効果を織り交ぜて台湾の子役がカンフーとワイヤーアクションで奮闘するコメディホラーストーリー。当時の日本の子どもたちの間で大ヒットして映画&ドラマなんです。私も子どもの頃キョンシーのマネをして「鬼ごっこ」ならぬ「キョンシーごっこ」をして遊びました。懐かしいっ!白い顔で、腕を前に突き出し、ぴょんぴょん跳ねて移動、そしてお札・・・当時のことを思い出し過ぎて、思い出散歩から戻ってこれなくなっちゃいそうです。

 あぁぁ、昔の古い映画ってどんなのがあったかしら。。ということで、小社からも映画関連の資料本、戦前から戦後、当時の情報収集元であった映画雑誌の復刻本、古い資料たくさんありました!(残念ながらキョンシーがでてくる『幽幻道士』が収録されている書物はありませんでした)。読んで見るとなかなかに興味深い。
 そういえば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、最近テレビで再放送してましたね。大人になってから観ても、昔と同じように何度も何度もワクワクしてしまいました。小社の資料本を手に取って、実際には戻れないあの頃の自分に、いや、それよりももっと昔に、映画の世界を通じてタイムスリップしてみませんか?

 通常の生活まではもう少しかかるかもしれません。
キョンシーを封印するお札のように、コロナの特効薬が早くできることを祈りつつ。
皆様どうぞ、ご自愛くださいませ。。

ある原稿(出版部 K) 投稿日:2020/06/09

私は、読み終えた20枚ほどのA4用紙の束を閉じ、手の内に丸めて、ふうと息を吐いた。「緊急事態宣言」がとけて、また混み始めた夜の電車の中で、幸い坐ることができた夜のことである。
 『コレクション・台湾のモダニズム』第1巻のエッセイの原稿である。中央研究院の呉叡人先生が、1931年に出版された『台灣統治問題』と、1936年に出版された『臺灣發達史』の内容と、それぞれの著者、陳崑樹と林進發の思想を論じている文章で、題して「地を這うものの思想」とある。
 もう少し手を入れられるとのことで、とりあえずの下読みをさせてもらったのだが、無駄のない締まった日本語の文章であった。そして歴史上、決して主役ではない二人の人物の思想を丁寧に分析し、1930年代の台湾政治、政治思想の問題点を、知識のない私のような素人にもわかるように書かれた論考である。
 「台湾総督府の植民地統治」という課題に対し、1930年代の二人の台湾人の現実的な思想を分析することで答えた文章に、実は意表を突かれたと思いつつ、また、納得もした。
 今まで、植民地台湾に関する史料や論考を本にするお手伝いをしてきたが、そこに台湾の人々が見えないと言われたことがあった。そして、なるほどそうだと思った。正義漢になろうとは思わないが、突然よその国の軍隊がやってきて、その国の支配を受け、政治、経済、教育、文化を押さえられたという経験はやはりうれしいことではないだろう。そして自国がよその国の歴史に組み込まれているのも不本意であろうと想像はつく。
今回の原稿はそういうモヤモヤが払拭される文章であった。台湾人が主役である。それが、読後のため息となった。

 6月7日の読売新聞には高雄市長解職のニュースとともに、台北支局長杉山祐之氏の「コロナ抑制 台湾の誇り」という記事が掲載されていた。5月の世論調査で「自分は台湾人だ。中国人ではない。それに誇りを持っている」という声に77.7%の台湾の人々が賛同しているという。これから、台湾はどう進んでゆくのだろうか。そして香港のことも気にかかる。

『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』(出版部 T) 投稿日:2020/05/15

昨今、テレワークの日々です。今更ですが、「テレ」は「tele」で、「遠い」を意味する接頭辞で、たとえば「telegram」は「遠い+文字(gram)」で「電報」、「telephone」は「遠い+音(phone)」で「電話」です。これはSFですけど、超能力で「テレパシー」、「テレキネシス」もそうですね。

さて「テレビ」も、「遠い+映像(vision)」です。非常に不味い枕で恐縮ですが……、小社では先日『谷川俊太郎 私のテレビドラマの世界─「あなたは誰でしょう」』を、刊行いたしました。
詩人・谷川俊太郎氏は、1960年代前後に、黎明期であったテレビドラマの現場で、多くの脚本を執筆し制作に携わっていました。本書は、編者の瀬崎圭二先生の丹念な追跡により、谷川氏が執筆したテレビドラマの脚本、テレビにまつわるエッセイや詩を網羅し収録しています。巻頭には当時を振り返った、新たなインタビュー「テレビドラマをつくっていた頃」も併せて収録しました。谷川氏の仕事としては、これまで埋もれてしまっていた貴重なものと言えるでしょう。

テレビ放送の草創期における、新たな表現を模索した12編が収録されています。どの作品も根底にあるのは、人間が持つ「感覚」、現実を生きる人間の「感覚」を何よりも大切に考える、詩人・谷川俊太郎のまなざしです。あまり上手に語る自信がありませんので、収録した「遠さ」という詩を引用します。


「遠さ」

遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと見知らぬ国との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらと野放図な夢との間の遠さは
遠さはどこへいってしまったのか
ぼくらを不可視なものから距(へだ)てていた遠さは

ジェット機が遠さを殺す
テレビジョンが遠さを殺す
ぼくら自身の性急さが遠さを殺す
キロメートルでマイルで光年でパーセクで
ぼくらは遠さを計りつづけやがて忘れる
自分をとりかこむ計れない遠さを
目的地のない生きることの道のりを


文明の便利さが、人間の「感覚」を奪ってしまうことへの危惧を語っているこの詩が、世界の現状によく響くように思えます。

戦後博覧会 断絶と連続(出版部 M) 投稿日:2020/04/10

弊社ではこの度、『戦後博覧会資料集成』と題して、昭和20~30年代にかけて開催された、博覧会に関する資料を刊行する。
 日本における博覧会の歴史といえば、明治、昭和の万国博覧会を思い出される方も多いだろう。だが、戦前・戦中・戦後を通じて、日本各地で数多くの博覧会が開催されていたことは、今や忘れられている感が強い。
 本シリーズ所収の資料で言えば、大阪における復興大博覧会(昭和23年)、旭川における北海道開発大博覧会(昭和25)年など、地方における都市の再建、経済の復興を展示するものが多かった。また、珍しいところでは、奄美大島の復興博覧会(昭和22年)、石垣島の八重山復興博覧会(昭和25年)という、米軍政下の離島における博覧会もあった。娯楽の乏しかった時代、演奏会やスポーツ大会もあり、島民にとっては一大イベントであったことは想像に難くない。
 戦後の博覧会を見る際に、注目すべきは戦前との連続性である。例えば、昭和25年に西宮市でアメリカ博覧会が開催された。その内容はアメリカの歴史、民主主義や経済的な豊かさを宣伝し日本人のアメリカ観を象徴するものであった。しかし、全く同じ場所で、支那事変聖戦博覧会(昭和13年)、大東亜建設博覧会(昭和14年)という、日中戦争を宣伝する博覧会が開催されたという事実は、忘れてはならない。
 また、昭和23年には、伊勢市で平和博覧会が開催されたが、同地では昭和5年に神都博覧会が開催され、国史・国体をテーマとした展示も行われた。
 戦前の国粋的、軍国的なテーマから戦後の平和主義、アメリカ賛美への変わり身の早さから、「プリンシプルのない日本」と批判することは容易い。
 だが、博覧会の計画・運営に携わった人物に注目してみれば、違った面も見えてくる。西宮市では鍛冶藤信という装飾業者が、戦前には日中戦争の戦場再現に、戦後にはホワイトハウスの大型模型の作製に心血を注ぎ、大きな呼び物となった。また、伊勢市において戦前・戦後の博覧会を主催したのは北岡善之助という人物であった。北岡は生涯を通じて、博覧会による伊勢の振興という目標を追い続け、合計4回の博覧会を主催したことから「伊勢の博覧会男」という異名を取った。こうして見ると、博覧会には時代毎に異なった方向性があるとはいえ、これを実現せんとする者の強烈な意志なくしては、存在しないイベントであると言えよう。
 戦後史における博覧会を如何に評価するか。この問題には多くの議論が尽くされるべきであるが、まずは本書を繙き、当時の人々と共に非日常の空間を楽しもうではないか。

スーパー司書との出会い(第三営業部 T) 投稿日:2020/03/13

新型コロナウイルスの影響で、世の中が混沌としている。
私自身も2月からもう一ヶ月以上、休みの日は一歩も外出していない。
街中がどのような状況なのか詳しくは分からないが、
各種イベントや集まりなどの中止や延期が広がっている中、
明らかに人々の出歩く数は減っていることは想像ができる。

全国の公立の小中学校や高校が一斉に臨時休校になっている今、
こんな時期だからこそ、読書をする絶好の機会だとも思えるが、
公共図書館も自治体によっては臨時休館のところもあるので、
本を読みたくても読めない地域もあるようだ。

先日、テレビを見ていたら番組で、図書館に行くことによって
本からコロナに感染する危険性はないのか?という質問が寄せられていた。
医師などの専門家による回答はこうだった。
図書館の本は、不特定多数の人が触れている可能性はあるが、
膨大な量なので確率は低いだろうとの答えだった。

確かに図書館には膨大な量の本が存在はするが、
雑誌、新聞、流行りの本など人々の手に触れる可能性の高い本と、
学術書、専門書などのあまり手に触れられない本の二種類があると思う。
ゆまに書房の本は、どちらかというと後者だが、
図書館には、それらの本もちゃんと備えられているものだ。

私は、たくさんの本を車に積んで、それらを公共の図書館に持参し、
スタッフの方々に見てもらい選書をしていただくという仕事をしている。
毎回、1000冊前後の本を持参し、それらはどれも事前にその図書館の
蔵書構成を調べた上で、蔵書のないものを持参している。

図書館のスタッフからは、自分の図書館にない本を持ってきてくれるので、
そういった機会を大変喜んでもらえる。
その時、いつも感動させられることがあるので記しておきたい。

ゆまに書房の専門書は、10人のスタッフがいたら8人はスルーしてしまう。
もちろん、スタッフの方に勧めてみるのだが、選んではもらえない。
ところが、残りの一人か二人ぐらいは必ず目を止めてくれ、
図書館として、こういう本を置いておかないといけないと言ってくれる。
一年に一人、手に取るか取らないかという本でも、所蔵することに
図書館としての意義があると言ってくれる。大変ありがたい話である。

不思議なことに、どの図書館を訪問しても上記のような目で選書を
してくれる司書が必ず一人はいてくれるのである。
ここでは、勝手にスーパー司書と呼ばせてもらうが、
訪問の度に、スーパー司書との出会いが楽しいし、勉強にもなる。

幸い、今のご時世、ネットで図書館の本の予約もできる時代だ。
不特定多数の人が触れている可能性の低い専門書にも目を向けて、
この機会に触れてもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
そこには、我々出版社の熱意と、スーパー司書の方たちの専門職としての
使命感の結晶が間違いなくあるのだから。

我的台湾(出版部 K) 投稿日:2019/12/12

義母が一時期入っていた老健施設が埼玉県三芳町の林の中にあり、折々車で通った。その辺りは林や畑が多いが、道路沿いには企業の物流倉庫や中小の工場がポツポツと並んでいる。その道路沿いにちょっと立派な造りの台湾料理店があった。夜は赤い灯が印象的で、その灯にひかれ一度夕食に入ってみたが、やはり美味しかった。家族経営のようで、注文を取ったり、料理を運んでくるのは台湾人の若い女性である。事情はわからないが、埼玉県の林と畑の中で料理店を営んでいる台湾人の一家にちょっと親しみを感じた。かつて、高田馬場にある小さな中華料理店で、台湾から最近嫁いできたという若奥さんを紹介されたことを思い出した。台湾の人は、海外へ出てそこで人生を切り開いてゆく人が多い感じがする。そして、日本は行きやすい国なのだろうと想像する。
 以前にも本欄で触れたが、『我的日本―台湾作家の旅した日本』(白水社)に収録されたエッセイは、それぞれ複雑な思いがあり個性的なのだが、著者の台湾の作家の方々には日本への親しみがベースにあると感じられた。普通の台湾の人々も同様ではないだろうか。
 多くの台湾の人達は日本に親しみを持ち、日本人も台湾に親しみを持っている。

 しかし、両者の間にはいろいろな時代や事件があった。半世紀にわたる日本の植民地支配があり、また、1972年には日中国交正常化に伴う日台断交があった。東西冷戦の時期、台湾は長く戒厳令下にあったことも、台湾を理解する上で忘れてはならないことだろう。

 日本の総督府が台北にあった時代に何があったかを考える一つの試みが小社の『コレクション・台湾のモダニズム』第1期全20巻である。「日本が台湾の近代化を促した」といった言葉より、「日本のモダニズムが台湾にも流入した」という方が面白そうである。鉄道、電気、都市景観、公衆衛生、登山、南洋航路、映画、新聞など、多くのものが日本によって持ち込まれた。当初は、移住した日本人を対象とするものもあったかもしれないが、台湾の人々の間にひろがっていくものもあり、現代の台湾につながるものも多いだろう。ちょっと楽しいテーマである。ただし、本シリーズには植民地統治の本質を語る巻、霧社事件を取り上げる巻もある。日本は親切で台湾を統治した訳ではなく、やはり資源と市場を求め、さらに台湾を中国南部や東南アジアへ進出する足がかりとしたかったことは、忘れてはならないだろう。
 
 ところで、今、もう一つ、準備を進めている本がある。『記号化される日本-哈日現象の系譜と現在』(張瑋容著)である。日本のアニメやアイドルに魅かれ、「日本オタク」になった、いわゆる「哈日族」の若者にインタビューを重ねるなどの手法を取りつつ、哈日現象の系譜と台湾社会を社会学の目で追う論考である。ここに、台湾と日本の関係の現代と未来が見えてくるのではないかと期待している。なお、台湾出身で日本の大学で博士号を取った著者も、日本への入り口はアニメだったという。

 私の台湾渡航は数回にすぎない。まだ、憧れの九份に行ったこともない。また、東海岸方面に足を踏み入れたこともない。ぜひ、行ってみて私の「我的台湾」を探してみたいと思っている。

『海は地球のたからもの 第1巻 海は病気にかかっている』を編集して(出版部 E・Y) 投稿日:2019/11/14

 漁獲量の減少が話題になっていますが、魚だけではありません。ある環境保護団体の調査では、海ではこの40年間に、哺乳類・鳥類・爬虫類・魚類の生息数が半減したと言われます。原因は地球温暖化による海水温の上昇と海水の酸性化、そしてプラスチックによる汚染です。
 人間が快適さを求め続けたその先の恐ろしい現実には、戦慄が走ります。
 『海は地球のたからもの』全3巻は、直面するこうした問題の現状を認識し、あらためて海の果たす役割を再確認し、解決を探ろうとする企画です。
 海を知ることはそんなに簡単ではありません。
 海は地球の表面の約7割を占めます。しかし、その平均の深さは約3,700メートル。富士山の高さとほとんど同じです。海の面積の半分は水深4,000メートルより深いのです。 そのため、海を考えるために必要な科学的データが得られるようになったのは、そんなに昔ではありません。精度の高い水温測定が行われるようになったのは、ノルウェーのナンセンによるフラム号の北極海漂流航海(1893-1896年)からといわれますが、その後も長く、海水温は、船の上からバケツで汲み上げて計測されていました。水深数百メートルの海洋の世界平均水温の包括的な測定が行われるようになったのは、1971年からです。1980年代の人工衛星による測定の開始からは、画期的な飛躍を遂げましたが、海はこのように、今でも未知の領域なのです。
 海は、40億年前に生まれました。今から46億年前にマグマの塊のような地球が誕生し、ドロドロにとけたマグマが冷えていくときに、大気中の水蒸気が雨となり、その後数千年にわたり降り続いた雨によって、豊かな海を持つ星、地球になったのです。その後、地球の気候は幾度かの氷河期を繰り返し常に変化し続けています。だがしかし、そんな気が遠くなるような年月のなかで、一つだけ明らかなことがあります。産業革命以降今日までの150年間が、地球にとっては例外的、且つ急激な気候変動の中にあるということです。現在、地球に、海に、起こっている変化は、自然なものではない、つまり100%人間に由来しているというこのことを、私たちはどう考えたらよいでしょう。 
 水深700メートルをこえる深海の水温が測定できるようになって、恐ろしい事実も報告されています。水は温まりにくく冷めにくい性質を持っていますが、2000年以降、深海の温度が上昇し続けているのです。深海を暖めたこの熱がいずれ大気に放出され、地球温暖化が加速すればどうなるか……。
 時、あたかもこれを書いた13日、「人類は地球温暖化による『気候の緊急事態』に直面している」と警告する論文に、世界中の1万1千人の科学者が賛同して生態学の専門誌に発表したというニュースがありました。

 「私たちは未来に関心を持たなくてはならない。残りの人生はそこで過ごさなくてはならないのだから。」(チャールズ・F・ケタリング)の言葉を噛みしめます。