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ゆまにだより

「便り」と書誌書目シリーズ (編集部E.Y) 投稿日:2010/02/10

 「便」という字から何を連想しますか。
 『ロハス・メディカル』という病院に置かれている雑誌を見たとき、はっと思いました。そこには、「排泄物に対して、なぜ「便り」という文字が使われているのか考えてみると、興味深いものがあります」とありました。
 そうだったのですね。「便」は、見えない体調を知らせてくれる、重要な身体の「たより」だったのです。
 この記事を読んだとき、思い当たることがありました。
 私は、『書誌書目シリーズ』を担当することがありますが、このシリーズの意味についてときどき、史料の所蔵者や書店の営業の方に聞かれます。
 その都度、これは日本の出版文化史の足跡を集めていくものです、史料の少ない出版文化史を、遺された書物の書目や書誌から再構築していくものです、などと申し上げるのですが、なかなか分かっていただけないのではと思っていました。
 が、この「便り」という字で気がつきました。
 無味乾燥に見える蔵書目録は、出版文化史の「便り」だったのではないか。

 2009年刊行の『米沢藩興譲館書目集成』(編集 岩本篤志、解説 岩本篤志・青木昭博)は、昨年ブームとなった直江兼続の蒐書にはじまる米沢藩の蔵書目録を集めたものと言えば、少しは親しみもわくかと思いますが、古書マニアの方々には「米澤藏書」印や「米沢善本」の名が広く知られています。
 解説では、11点の蔵書目録の書写年代や各目録中の同一書物の変遷を手がかりに、米沢藩の蔵書がどのように形成されていったのかが明らかにされています。書物が納められていた場所ごとに蔵書群の変遷の道筋が示されます。「藩邸系」(江戸藩邸麻布中屋敷にあった書物)、「支侯系」(支藩の米沢新田藩にあった書物、但し空間的には麻布藩邸内)、「学館系」(藩校興譲館とその前身の学問所にあった書物)、「官庫系」(国元の藩のくらにあった書物)の4群です。
 宋元伝来の貴重な古本がどんな道筋を辿り、現在も市立米沢図書館にあるのかを知るのは、ちょっと胸躍るタイムトリップではないでしょうか。

 これからも、様々な、書物の歴史からの「便り」が楽しみです。

はたして匂いはついたか・・・ 投稿日:2010/01/08

 今は昔、とても匂いに敏感な友人がいた。いつも通る高速道路のある地点に来ると必ず車窓を閉める。いつもその行動を怪訝に思っていた。その友人は街の臭いを敏感に感じていたのである。食事も匂いに敏感であった。この場合、香りといった方が正確かもしれない。食材がもつ香りをとても楽しんでいた。青菜の香りやパクチのもつ独特な香りが大好きであった。アロマセラピーやお香は勿論である。庭には季節の香りを伝える花々が植えられていた。これらの微妙な香りを充分日常に取り入れていた。かつて、その友人に言われたことが懐かしく思い出させられる。「出版社をやるなら匂いのある出版社になりなさい」。

 最近アメリカの知人から、アメリカの某有名大学のライブラリアンが書いた「今、アメリカの大学でライブラリアンと呼ばれる職業が絶滅しつつある」と題する、大変興味ある一文のコピーを頂いた。
その一部を紹介したい。
「・・・・(中略)・・・1980年代の中ごろから10年間位の間、図書館でもっとも活気のあったのはレファレンス・サービス部である。私も多忙な業務に携わった。私が働いていたアメリカの大学は州立大学であったから、一般市民にも開放されている。約5万冊のレファレンス図書が用意されているその大きな部屋の一端に設けられたカウンターには前後5人のレファレンス・ライブラリアンが待機して顧客の質問に対応した。学期末ともなるとカウンターの前には長蛇の列が出来、学内の利用者を優先し、学外者には別に並んでもらうようにとの決まりも作られた。それほどレファレンスは図書館の花形の場、でもあった。それが現在ではレファレンスに来る人はもうほとんどいなくなってしまった。・・・・            
・・(中略)・・・その理由は他でもない、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリー化しつつあるからだ。100種以上のデータベースが年間購入契約されている。ビジネス・ライブラリアンの仕事のほとんどはデータベースの選択、契約、打ち切り、更新、それに伴う業者との交渉に費やされている。100種となれば平均3日に1度、契約更新の作業を行うこととなる。」
 それに伴いライブラリアンの人員は減少し、スタンフォード大学では、29人いた職員のうち7名が昨年中すでに解雇され、そして今後さらに多くの人員が削減されるであろうと予期している。

 このような現象は新聞界にも顕著に現れている。広告が減り、部数も減って、記者も減った。新聞界にも秋風が吹きまくっている。新聞界斜陽の原因は何なのか。草創期のヤフーやグーグルに米国の新聞社が記事を無料で与えたのが、経営的に致命的な失敗であった。当時は、ネット広告が順調に伸びさえすれば新聞広告の減少分を補えると予測していた。やってみると、広告の単価は安く、広告の出稿量も絶望的な少なさでとまってしまった。現在、日本の新聞社数が98社で、総発行部数が5,149万部であるのに対し、アメリカの日刊紙の数が1,408社で、総発行部数がわずか4,859万部まで減少してしまった。まさに瀬戸際のアメリカ新聞界である。日本でも、全国紙をかかげてきた毎日新聞が地方紙系の共同通信の加盟社に復帰するなど、その傾向の兆しが見えつつある。

 また、国立国会図書館が所蔵する蔵書を電子化してインターネットで配信するという計画が進行している。国立国会図書館は、「これまでは書籍を読みたい人は図書館に来てもらわなければならず、遠くの方々にはハンディキャップになっていた。国会図書館の持っている膨大な資料や情報、出版活動の成果を日本中の方々にくまなく享受していただけるシステムに向けて、協議会が出来たことは大変嬉しい。書籍をデジタル化して配信すれば、本を探す時間も短縮でき、原本である書籍を傷めることもない。」と手放しで喜んでいる。

 はたしてそうであろうか。前述したように、これらの計画が実現した場合、図書館からライブラリアンはいなくなり、データベースに関する業務だけが残ることは、目に見えて明らかである。図書館人は自ら己の首を絞め、自分たちの存在意義を排除しようとしている。また、このデータベースの基となる書籍や情報はいったい誰が提供するのか。

 さらに、グーグルは世界の書籍を電子化してインターネットで配信し、世界のどこからでも閲覧できる計画を進めていた。が、米国をはじめ世界の出版社や著者の猛然な反対闘争の末、和解案を提出し法廷闘争に持ち込まれた。先般これらの計画を断念して、比較的影響が少ない英語圏であるアメリカ、カナダ、オーストラリアの3カ国のみに限定することを発表した。国会図書館は、グーグルが断念したようにこれらの計画を見直すか、もしくは現在本計画推進のための127億円もの予算を「仕分け」にかけ「廃止」にすべきである。「科学はなぜ一番を目差すのか」。この愚問に対し、私たちは怒るべきである。科学に限らず、学問は一番を目差してこそ発展があるのである。スタートから2番や3番を目差していたのでは、決して進歩は無く、模倣に終わるであろう。このまま図書館自らが蔵書のデジタル化によるインターネット至上主義を進めれば、図書館が倉庫に変わる日がそう遠くない日にやってきそうである。

 今年は創業35周年である。出版不況が語られて久しい。昨年、21年ぶりに出版界の売上が2兆円を割った。しかし、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリーになろうとも、たとえグーグルやヤフーがこの世から新聞を消滅させようとも、国会図書館が総デジタル化の事業を推進し巨大な倉庫に変わろうとも、『源氏物語』が千年読み継がれてきたように、活字は、否、出版文化は不滅であると信じつつ、36年目に乗り出したい。
 はたして、この35年間の出版活動でゆまに書房に匂いはついただろうか・・・。
 今、友人は何と言うだろうか・・・・・。            平成22年正月 株式会社ゆまに書房

「車中読書」 (編集部K) 投稿日:2009/12/10

 夕方、何かちょっとおなかに入れようと会社を出てみたら、神田界隈はぐっと冷え込んできていました。ようやく12月らしくなったようです。東京は12月に入っても冬という感じがしなかったのですが、ようやくクリスマスのイルミネーションがそれらしい輝きを放ちはじめるでしょう。
 ただ、喜んでばかりいるわけにはいきません。寒くなって、新型インフルエンザの動向は今後どうなるのでしょうか。日本の新型インフルエンザの死者が100名を超えたという怖いニュースが伝えられました。新聞に「怖がらず、油断せず」といった記事がありましたが、かからない対策とかかったときの対処法を自分なりに考えておくべきでしょう。

 それはともかく、「事業仕分け」の次は「沖縄基地問題」「首相の資金問題」とつづく政治問題、デフレ不況、また凄惨な殺人事件そのほか、日々新聞やテレビ、ラジオは伝えています。私たちは一応、それはどんなことで、自分はどう判断すべきか、考えてはみます。また、友人との話題にします。しかし、結局、報道の言葉や「識者のコメント」の一端を借りてきて、考えたり話したりしていることにふと気がつきます。

 そんなとき、ある種の逃避ですが、何かまとまった本を読みたくなります。
 最近、友人が勧めてくれた『日米同盟の正体―迷走する安全保障―』(孫崎享著)を何日もかけて電車の行きかえりで読みました。私はこういう問題について基本知識がなく、どこまで内容を理解できたかは怪しいのですが、多くの書物、論文、演説などを丁寧に読み解き、論を積み重ねてゆくところはたいへん面白く読みました。そして、今の沖縄の基地問題の答えが書いてあるわけではありませんが、その背景が見えてきたのは望外の収穫でした。「経済と日本ブランドを武器に、またヨーロッパとの結びつきを強めて日本の安全保障を進める」という結論に異論を持つ人も多いかもしれません。私も即座に賛成とは言えません。しかし、ジャーナリズムの大雑把な議論とは違う手ごたえを感じました。

 ちょっと硬いものを読んだ反動か、つぎは『東海道中膝栗毛』を読みはじめています。近世文学は、別の作品を大昔少し読んで、意外に近代的な感情が描かれているのにびっくりしたことがあるのですが、読解力不足で挫折していました。勉強の一端と考えたのが間違いだったようです。今回はただ楽しみのためにと思い、書店の棚(コンピュータで買い物をするのはなんだか落ち着きません)を眺めていて、この『東海道中膝栗毛』に目が行きました。実は、『膝栗毛』に関する出版企画のお話があり、気になってはいたのです。今度は仕事の一端になってしまいそうです。いずれこの場で企画を紹介できればと思います。
 まだ、読み始めたばかりですが、奇想天外な展開、赤裸々な人物描写に、電車を降りるのを忘れそうになったりしています。楽しみ八分で読んでいる次第です。その世界に浸っていると、影響されやすい私は、次から次と繰り出される強烈な江戸言葉に染まってしまうかもしれません。それがちょっと怖いのですが…。
 それでは「わつちらアもふおひらきにいたしやせう」。

「幸福、口福。」 (編集部Y)  投稿日:2009/11/09

 仕事をきっかけとして新しいものに関心の眼が向くというのはよくあることと思います。私のばあい、今年の7月に『銅像写真集 偉人の俤』と並行して担当した『吉祥図案解題』がそれでした。この『吉祥図案解題』は戦前の天津で貿易商として活躍した野崎誠近氏が、親交のあった日中両国の研究者の協力を得ながら、現地の人々の暮らしに息づく装飾や図案185種類を「吉祥図案」と名づけて纏め上げた、とても丁寧な仕事です。詳細は復刻版「解説」に譲るとして、さて、私が気になるようになったのは何かというと、神田西口商店街とその界隈に乱立する中華料理店です。ちょうど今回のメルマガ担当ということもあり、お昼休みにさっそく顔馴染みの店へ出かけました。

 中国語が飛び交う店内で料理が運ばれてくるまでの間、しばしあたりを観察……壁には天地逆さまの「福」の文字の貼紙、器の回紋はおなじみですが、じっくり見てゆくと色々なものが眼に飛び込んできます。椅子の背もたれの透かし文様(龍らしき生き物)、天井には赤い殻付きの落花生が糸に繋がれ、縦横に張り巡らされていました。天井一面に赤い落花生がぶらぶらと垂れ下がっていて、藤棚ならぬピーナッツ棚です。しかしなぜ落花生が…? 忙しい店員さんをつかまえるのも憚られ、机に戻ってから『吉祥図案解題』をぱらぱらめくって調べてみました。すると、ありました、「長生不老 落花生の図」。説明によると「落花生は俗に長生果と称す。其根を牽けば鈴生りに累々として絶えず、且何時迄も生々として腐らぬ若さあり、又美味滋養に富みて長命不老と賞味さる。」なんとも素晴らしいお豆です。
 
 ためしに秋の味覚のひとつ、柿を調べてみると、「事々如意 柿二個と如意の図」「百時如意」「新韻如意」「百事大吉」の4つが取り上げられています。「柿は事と同音同声(Shih)にして、二個にて柿々即ち事々を寓意」し、「事」と同音異声に「獅」(Shih)があるので、「柿」の代わりに「唐獅子」を描くこともあります。さらに、柿は七つの徳を備えた果物だとか。「唐の段成式の酉陽雑爼に〈一には木の寿命長し、二には樹蔭多し、三には鳥が巣を作らず、四には蟲が付かず、五には紅葉賞翫すべし、六には立派なる果実が生り、七には其の落葉が殊の外大きい。〉」。柿の蔕だって捨てたものではありません。「柿蔕紋」は建築に多く用いられるそうで、「所以は、爾雅翼に〈木の根の中にても柿が最も固ければ、俗に之を柿盤と云ふ。〉とあり、地盤の堅固、丈夫を寓すべければなり」云々。幸せを願う人間のエネルギーたるや、心打たれます。さいごのおまけ、モンブラン・ケーキや栗しぼりで楽しむ「栗」も、「栗子」「立子」(LiTzu)と同音同声で「戦慄自正を意味す」るそうです。

 天高く馬肥ゆる秋。幸せでお腹も心もいっぱいにして、残り少ない2009年を乗り切りましょう。

「クラゲの美しさ、恐ろしさ」 (編集部S) 投稿日:2009/10/08

 いまさらイルカショーを期待したわけでもなく、近くを寄ったついでに、といった感じで新江ノ島水族館に入りました。ちょっとした時間つぶしのつもりだったのですが、ここのクラゲ展示にはすっかり魅せられてしまいました。
「クラゲファンタジーホール」と名付けられたその一角は、大小9つの水槽からなっており、世界一大きなクラゲの一つとされるシーネットルをはじめ、常時15種類ほどのクラゲが公開されています。照明の落とされたホールでぼんやりと発光するクラゲは、何とも美しく、時間つぶしどころか、閉館時間がうらめしく思えるほどでした。

 『最強動物をさがせ(全4巻)』〔(1)恐竜(2)太古の猛獣(3)小さな生きもの(4)ハンター〕が9月から刊行されています。本書は、大昔から現在までの動物たちを5つの項目をもとに点数化し、最強動物トップ10を紹介するものです。
 私がとりこになったクラゲも「(3)小さな生きもの」(11月刊行予定)で取りあげられています。もっともここに登場するのは、「オーストラリアウンバチクラゲ」というもので、名前からもわかるように、日本の海にはいません。しかし、その毒はすさまじいもので、刺されてわずか数分で人が亡くなってしまったケースもあるといいます。
 クラゲは水槽の外側からのんびりと眺めるのが一番よいのかも知れません……。
 
 順番が前後しましたが、今月末は「(2)太古の猛獣」が刊行されます。この巻に登場する猛獣は、恐竜絶滅後に繁栄したもので、現代人の私たちには、幸か不幸かお目にかかりたくても、ぜったいに出会えないものばかりです。ただ、忠実に再現された豊富なイラストの数々は、子どものみならず、大人にとっても、ビジュアル的にひじょうに楽しめる仕上がりになっています。是非店頭でご覧頂きたいと思います。

「『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成」刊行に寄せて 投稿日:2009/09/09

選挙で某党が快勝しても〆切はやって来る。
明けない夜はないが、迫って来ない〆切もない。もうちょっと草食男子的に穏便(無気力?)になっていただきたいのだが。

ということで、近々刊行の『現代日本小説大系』(河出書房版)解説集成、に添付する索引の最終作業を行っている。これは戦後、昭和24年から27年まで河出書房が、刊行した全65冊という、大部な文学全集の解説部分を網羅するという企画なのであるが、この全集の特徴は、戦後初の「大系」的な文学全集ということであり、つまり戦後になって新たな視点で編纂された文学史に基づいた全集、ということになる。例を挙げると大正期の白樺派をはじめとする文学は「新理想主義」や「新現実主義」、モダニズム、プロレタリア文学以降の昭和10年代の混沌とした文学状況は、そのまま「昭和十年代」という思い切りの良さだ。「昭和十年代」の括りは全部で15冊あり、「大系」のなかでも最長である。その最終巻60巻の内容は「幸田露伴、永井荷風、正宗白鳥、徳田秋声」であり、それぞれ「連環記」「☆ボク東綺譚」(☆=さんずいに墨)「根無し草」「縮図」というように大家の戦前戦中の大作が収録されている、というようになかなかソツのない編集になっている。
…と偉そうに言ってしまうのは失礼な話だ。何と言ってもこの大系の編集委員は「青野季吉、片岡良一、川端康成、中野重治、中島健蔵、伊藤整、中村光夫、荒正人」なのだから!(ちなみに監修、は永井荷風、正宗白鳥、志賀直哉、谷崎潤一郎!)

この編集委員が代わる代わる解説を執筆しているのである。索引を作るためには当然すべて通読するのだが、それぞれのスタンスの違いが実に読んでいて面白い。また、時代を感じさせる解説があったので少し引用する。第59巻「昭和十年代14」で、いわゆる戦時中の「戦争もの」を集めた巻だ。収録作家は「丹羽文雄、石川達三、火野葦平、上田広、日比野士朗」で、解説は中野重治である。「読者のためにはじめに断っておきたいことが一つある。断っておくというよりも説明しておくという方が一そう適当でもあろうが。それは、この大系が目論まれ、その編集内容が大体の方針として考えられた最初のときには、いわゆる「戦争もの」はこの大系の中には入れないという方針がある程度考えられたということである。これは、戦後まもないころの一般の空気が予算に入れられたからでもあったが、それよりも、当時アメリカ占領軍によって検閲制度がしかれ、「戦争もの」の出版は、直接禁止されぬまでも甚だ好ましくないものという取扱いを受けていたからであった。すなわち、われわれ編集委員たちは、これらの「戦争もの」を文学作品としてそれ相応に評価し、あの戦争期をぬきにしては考えられぬ今日へ続く日本近代小説史の重要な時期をつくるものとして、学問的にもこれを大系から脱いてはならぬと考えたけれども、今いったような事情から「遠慮する」という空気が強かったのであった。」
ところが、検閲制度の廃止(プレスコード撤廃は昭和24年)を受けて、収録を再検討し、この巻の刊行は成った。発行日は1952年(昭和27年)4月15日、で奇しくもこの直後4月28日後に、サンフランシスコ講和条約の調印を受けてGHQは活動を停止するのである。

余談としては、さらにひと月後誕生する片山哲内閣は社会民衆党・民主党(もちろん別物)・国民協同党の連立内閣である。閣内の意見がまとまらず、親任式までに閣僚が決まらなかったらしい。おおらかと言えば聞こえはいいけどね。

『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録―』刊行に寄せて (編集部K)  投稿日:2009/08/11

 ある国文学者の講演に、つぎのようなお話がありました。
   平家物語や太平記は、半世紀から一世紀を経て成立している。大きな戦争で
   亡くなった多くの人々を鎮魂する文学作品が出来上がるには、それだけの
   時間を必要なのであろう。そして私たちはあの戦争で亡くなった人々の魂を
   鎮める文学作品を持っているだろうか。
 1945年8月15日から64年、さまざまな小説、記録文学、詩歌や戯曲、映像作品が作られて来ました。体験者による回想記も多く書かれ出版されています。ひとつひとつは大切な作品であることは間違いありません。ただ、この国文学者のお話は、国民の経験の全体を代表し、記憶させ続けるような作品がまだ出てきていないということだと思います。
 それとともに、まだ、掘り起こされていないこと、忘れられかけていること、あるいは整理されていないこと、歴史の中で正当な位置付けがなされていないことが、たくさん あることも考えねばなりません。

 このたび小社で刊行した『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録―』は、ニューギニア戦の全容を語り、また、その太平洋戦史の中に正当に位置づけたいという著者の意志により成ったものです。
 本書は、そうした大きな構想を掲げ、ニューギニア戦を中心とする南方での戦いを俯瞰しているわけですが、個々の戦闘のありさまや、何度も行われた山越え、川越えを含む行軍の様子などに、戦争の悲惨さをあらためて感じさせる記述も処々にあります。
 読んでいただく方々には、著者と意見を異にする方も多くいらっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、ニューギニアの地で昭和17年から20年の敗戦に至るまで、長く苦しく、そして、約18万人の犠牲を出した戦いがあったことを再認識していただけると思います。 もちろん、オーストラリア軍に約8千人、アメリカ軍に約4千人の犠牲者があり、また、現地人犠牲者が4万人から5万人と推定される犠牲者があったことも忘れてはいけない でしょう。現地の人々にとっては、農地を荒らされたり、備蓄の食糧を奪われたり、どちらかの軍に利用されたりしたわけで、その影響は戦後にも及んでいたと考えられます。さらには、フィンシュハーヘンやホーランディアという地名からわかるように、ドイツ人やオランダ人の入植地があった地ですから、入植者にも犠牲者があったのではないかと想像されます。 なお、日本軍の犠牲者18万人の中には台湾、朝鮮、インド、ネパールなどの兵も含まれていると言われています。さらに、漁船とともに徴用されて来た日本の漁民も含まれていたことには、驚ろかされました。

 敗戦後、現地の戦犯裁判で終身刑となり、1947年に部下の釈放を確認した後、自決した安達二十三第十八軍司令官の最期に思いなしとは言いません。しかし、山越えの途中に絶壁から転落死した兵、泥濘で足をとられそのまま絶命した兵、飢餓や病気、負傷で行軍について行けず手榴弾を渡された兵、悪臭に満ちた洞窟で死を迎えた兵、そのひとりひとりの人生について、思いみることの方に心がゆきます。70年足らず前の事実です。私が生れる10年あまり前のことです。そして、なぜこんな戦争を始めてしまったのかという疑問があらためて浮かんできました。「戦争で逝った人たちのお蔭で今の繁栄がある」というのも、「1945年8月までの日本は間違っていた」というのも、何か単純すぎる片付け方のような気がします。
 言い古されていることですが、何があったのか事実を掘り起こし、考え、そしてそれを忘れないということが大事ではないでしょうか。戦争のことばかりではなく、東アジア地域で日本が行ったことについても同様に考えます。
 以上、「戦後ヒトケタ」生まれの感傷から出たとりとめのない感想になってしまいました。本書が、歴史を忘れない契機となり、現在の日本を考える資となることを願って、また、ニューギニアはじめ南方の地に短い人生を終えた人々を偲びつつ筆を置きます。

ミステリーと原作 (編集部 T.T.) 投稿日:2009/07/10

 小社から復刻版が刊行開始された『ぷろふいる』は、戦前の探偵小説雑誌として『新青年』と比肩される存在であるが、後年まで「探偵小説史上の汚点」とあげつらわれる翻訳作品を連載したことでも知られる。エラリー・クイーン「飾窓の秘密」(「フランス白粉の謎」)の犯人が、原作とちがうのである。訳者はこのことを気に病んで、ついには自殺してしまったそうである。文学は命をかけるほど安っぽいものではないと、石川淳先生も言っているのに、きのどくである。『ぷろふいる』には、「いよいよ次号で完結!」という段で、続きの原本が手に入らないやら訳者の都合やらで休載し、けっきょくそのまま結末が載ることなく終わった翻訳連載が二篇あり、それに比べれば、なぜ犯人がちがってしまったのか原因はよくわからないにせよ、結末をつけた分だけ「飾窓の秘密」のほうが当時の読者に対してはよほど親切だったのではないかと思う。

 まあ翻訳と称する以上、原作と大幅にかけ離れるのはたしかに問題があるわけなのだが、映像化作品の場合はそう珍しいことではない。かつて「土曜ワイド劇場」の名物企画だった天知茂主演の名探偵明智小五郎シリーズ(波越警部が荒井注!)「黒水仙の美女」は、原作の『暗黒星』とは犯人を変えている。すでに放送されていた『吸血鬼』とプロットが似ているための改変といわれているが、犯人役の俳優(名前を出せないのが残念)の、その正体を暴かれてから華麗かつ壮絶な最期を迎えるまでの鬼気迫る名演により、シリーズ中屈指の作とされている。

 また、ミス・マープルシリーズの最初の映像化であるマーガレット・ラザフォード主演のMGM映画版(シリーズ全四作)は、原作のミス・マープルが老齢のため捜査を他人に任せる安楽椅子探偵的存在であるのに対し、こちらは自ら潜入捜査に乗り出す元気ハツラツなおばあちゃんで、加えてゴルフ・乗馬・射撃とスポーツ万能、犯人とフェンシングで対決したりもするのだ。論理的な謎解き的要素はあまりないものの、コミカルな人物たちが織り成すとぼけた味わいのある映画である。あまりの改変ぶりにアガサ・クリスティがついに激怒して、MGMとの契約を解消し、評判であったにもかかわらず打ち切りとなった。

 原作者が激怒したといえば(これはミステリではないが)ムーミンの著者トーべ・ヤンソンも、日本版のアニメーション(ムーミンの声が岸田今日子のやつ)に対して、 「これは私のムーミンじゃない」とクレームをつけている(おかげで絵柄が原作の挿絵に近いものに変わってしまい、無表情になったムーミンたちを見て子ども心に悲しくなった記憶がある)。しかし、ある一定以上の世代にはアニメ版ムーミンの、気障で嫌味だけれどもどこか憎めないといった、原作にはない性格設定がなされたスノークが、広川太一郎の独特の口調とともに印象に残っているだろう。必ずしも原作どおりがいいわけではないのだ。これはこれ、それはそれとして楽しめるものなのである。

『大正歌壇史私稿』日本歌人クラブ評論賞受賞に寄せて (編集部 K) 投稿日:2009/06/05

 来嶋靖生先生が、小社刊行の『大正歌壇史私稿』で日本歌人クラブ評論賞(第7回)を受賞されました。来嶋先生は歌人としての活動のほか、『森のふくろう-柳田国男と短歌』など斬新な視点と着実な実証による評論・研究にも力を注がれています。小社では、広汎な視野と知識をお持ちの来嶋先生に、『編年体大正文学全集』で短歌の収録作品の選定をお願いいたしました。『大正歌壇史私稿』の特長につきましては、近代文学とくに会津八一など詩歌の分野の研究者である中西亮太氏の書評がありますので引用させていただきます。

 短歌史の本は、一度通読した後も、折にふれて頁を繰るものである。ここにまたそのような本の一冊増えたことが嬉しい。大正短歌史としての本書の特徴は、どの辺りにみとめられるだろうか。私の気付いたところを言えば、第一は雑誌、歌誌の重視である。…例えば、「アララギ」大正十四年六月号掲載の宿泊歌話会の案内記事の紹介などは、歌誌の隅々まで目を通す著者ならではのものである。…このような歌誌重視の一つの成果は、従来の短歌史には言及の少ない、歌人に再評価の光を当てた事だろう。

 特徴の第二は、批評用語への注目である。…本書は、例えば、長塚節の『赤光』書入れの中に出てくる〈聞えたり〉という言葉に触れている。…明治以前に和歌の批評用語であったものが、明治に入っても用いられ、節にまで受け継がれたということである。…
 ほかに、この〈聞えたり〉の問題にも関連するが、伝統和歌への目配りが感じられるところも、本書の特徴としてあげられる。…  (『笛』88号、2008.11)

 中西氏の文章の、ほんのアウトラインのみを引きましたが、本書の魅力の一端がお伝えできればと思います。なお、「宿泊歌話会の案内記事」には〈夜九時就寝〉〈酒類禁断〉とあるとのこと。大正末のアララギの雰囲気、歌人たちの意気込みが感じられます。また『赤光』は大正二年に出た斎藤茂吉の第一歌集です。

『明治中期分県地図』について  ― 明治の新聞付録とは? 投稿日:2009/05/08

読売新聞、毎日新聞、地図中心と続けて記事に取り上げていただいた『明治中期分県地図』について、編集部に話を聞きました。

 『明治中期分県地図』は、そもそも、新聞『日本』の「付録」だったとは?  

営業部(以下営)
 「現代の新聞の付録といえば、洗剤や映画の券が定番ですよね。明治期の新聞付録って、どんなものがあったんですか?」
編集部(以下編)
 「例えば、明治20年には大阪朝日新聞が大阪事件の裁判記事の詳細記事を付録にしました。また、明治21年には、東京朝日新聞が磐梯山噴火を画家に描かせて『磐梯山噴火真図』を付録にしたそうです。これはけっこうな評判をとったようですよ」
営「なるほど。大事件が起こると、各紙が競ってその図版を新聞付録にしたんですね」
編「そうです。大日本帝国憲法発布や、濃尾地震などの際にも、各紙で付録が発行されたようですね」
営「図版付録が特に活発に利用されたのは、やはり・・・」
編「戦争報道ですね。日清戦争では、各紙とも従軍させた画家達に戦場を描かせ、図版付録にしたわけです」
営「それで、日清戦争後に、新聞各社の付録による販売拡張が激化したんですね。その頃資金力不足で経営難だった新聞『日本』も、付録に地図をつけたのは、販売拡張のためだったんですか?」
編「そうです。とはいえ、単に新聞を売るためだけなら、色刷り美人画でもつけた方が効果がありますよね。他紙ではよくやってましたし。そこをあえて、四十八府県の管内地図を付録に選んだのは、江戸時代以来の藩の意識から抜けきれない人々に府県制を浸透させたい意図もあったんでしょうね」
営「たしかにこの地図は、県の人口、産業などの統計データを載せたりして、啓蒙的要素が強いですものね。 『日本』はやはり、硬骨な新聞だったんですね」

※『明治中期分県地図』内の有山輝雄先生の文章を参考にさせていただきました。