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ゆまにだより

【ヒーロー】“アラーの使者”世代 著 投稿日:2014/07/08

 高校時代の日本史の先生が、「江戸時代後期、文化・文政のころの江戸に暮らした町人は世界史上でもまれにみる幸せな人たちだったのではないだろうか」という趣旨の話をしてくれた。
 豊かな食生活や衣生活、そして精神生活はなんとなく文学などから窺える。また、文化や学問教養についても、意欲とお金があれば相当なところまで行けたのではないかと思う。
 『膝栗毛文芸集成』に収録された作品には高尚な人物はあまり出てこないが、古典文学のパロディが出てきたり、各地の名物をはじめ豊かな食べ物が出てきて、時代を様子を垣間見せてくれる。とにかく庶民が旅を楽しむことができる時代というのは、平和でいろいろな意味で豊かなのだと思う。
 だが、日本全体が豊かだったのだろうか。冒頭の歴史の先生は「江戸に暮らした町人」という限定をつけている。領主の圧政や気候変動に見舞われる地方の農民、漁民、山の民(つまり私の祖先たち)などは、やはり厳しい生活を強いられていたと思われる。

 話はとぶようだが、同じ19世紀の日本で、近代国家をめざす明治日本の周縁を歩き、決して豊かとは言えない、あえて言えば悲惨な人々の暮らしを見つめ、そこからあるべき日本を考え、行動した男がいた。笹森儀助である。
 『我、遠遊の志ありー笹森儀助 風霜録』は、儀助の地元、青森県のジャーナリストが、史料を読み込み、儀助の足跡を追って実地踏査を試み、また各地の人に会って話を聴くことで、その生涯と思想に迫った一書である。著者は儀助の気持により近づこうと、儀助にならって西表島横断まで敢行し、山中をさまよってヒルやダニの歓迎も受けている。
 著者をそれだけひきつける儀助とはどんな人物だったのか。
儀助の思想については……、河西英通、小林和幸両教授が語る第九章「対談―笹森儀助の思想」の読めばよいことになっている。
 私個人としては、笹森儀助は明治のヒーローだったと思っている。かっこいいのである。維新前後、儀助は弘前藩士として活躍もし、また、藩内闘争などもあって数年間蟄居になっている。時代小説の主役のようだ。その後、県の役人として、たとえば任地下北で斗南藩士の生活救済のために行動している。正義のために働く青年官僚といったところである。しかし、三十代の中盤には、洋式牧場の開設に奔走する。岩木山麓に農牧社を開業したのは、儀助37歳、明治15年のことであった。4年後には東京芝に出張店を開設する。洋式牧場での牛乳や牛肉の生産、そして大都市での販売展開など、現代のベンチャービジネス経営者顔負けの才気と行動力ではないか。このまま大実業家になる可能性もあったと思われるが、年表の明治23年の項には「第一回帝国議会を連日傍聴」とある。ビジネスマンにはなりきれなかった。事業はまわりの人々にまかせ、明治24年には「貧旅行」と称して関西から九州を歩き、翌25年には千島探検に出かける。この探検の期間中に農牧社の10周年記念式典があり、社長の儀助は欠席。のち辞任が認められる。この任期途中でさっさとやめるというのは、儀助の癖といったもよいだろう。若い頃の県の官職も、のちの奄美島司も、また晩年(といっても57歳)就任した青森市長の職も同様に任期途中でやめている。ヒーローは安定を好まない。
 
 明治26年2月、千島探検の経験を著した『千島探検』を自費出版する。そして4月には面談した井上馨内相から南島探検の依頼を受け、5月に出発。儀助48歳のことである。その年に探検を終え、翌年5月、名著『南島探検』を出版する。この行動力は優れた諜報員のようでもある。その後の活躍は本書に譲ろう。

蛇足ながら、はじめ、笹森儀助が井上馨、品川弥二郎といった政府高官とつながりがあったことがちょっと意外な感じがした。しかし、在野で活躍するヒーローが実は政府の上層部と何らかの意思疎通があり、それが光と陰を生むというのは、ヒーローものの常道である。儀助と井上馨がお互いに腹に何か持ちながらにこやかに会談する場面を想像するのも楽しい。
なお、口絵に入っている写真は人物写真の傑作だと思う。着物の裾を端折って草鞋を履き、団扇をぶら下げ、右手に手ぬぐい、左手は拡げた蝙蝠傘の柄を握る。その姿は、明治を代表するヒーローだ。涼やかな眼差しがよい。

編集部だより(編集部T) 投稿日:2014/06/06

 6月に、プルスアルハさんの絵本『ボクのことわすれちゃったの? ─お父さんはアルコール依存症─』が刊行になります。
 絵本+活用のための解説、というスタイルの心理教育ツールである本書も、うつ病、統合失調症(前・後編)と来て、早くも4冊目となります。既刊分は好評にて再版となりました。

 今回は、「アルコール依存症」です。みなさんは「アルコール依存」と聞いてどのような印象を持たれますか? その多くは「意志が弱い」などの感想ではないでしょうか? 私も若干そういう印象を持ちながらも、仕事が進み解説などの打ち合わせを経ていくことで、「依存症」というのが実にやっかいな「病気」であることがわかってきました。「アルコール使用障害」という名称も使われており、実は最も罹患率が高い精神疾患なのです。
 飲酒を重ねることで、そのうちに自分の意志では飲酒をコントロールできなくなり、離脱症状が現れると苦しいので飲酒を繰り返す──という実に抜け出しにくい悪循環に陥ってしまいます。アルコール依存症の疑いのある人は440万、治療の必要なアルコール依存症の患者さんは80万人いると推計される、とのことです。ところが実際はその1/20の4万人しか治療を受けていません。

 依存者自身の体験などは多く語られますが、そのような親を持つ子どもはどうすればいいのでしょう。お母さんやお父さんがアルコール依存症になったら…、この絵本が正しい状況と病気の知識を、そして何より、子どもたち自身は何も悪くないと伝えることができるよう願っています。

国立競技場スタジアムツアー(編集部S) 投稿日:2014/05/08

 長らく東京に住んでいながら、これまで国立競技場に行ったのはたったの一度きり。サッカー、ラグビー、コンサートツアー、これらに縁がない私にとっては、行く機会がほとんどなかったのは、当たり前といえば当たり前かもしれません。
 しかし、取り壊されてもう二度と見ることができなくなる……となると、何やら落ち着かなくなり……「国立競技場スタジアムツアー」に参加してきました。
コースは、「東京オリンピック優勝者銘板~91年世界陸上優勝者銘板~更衣室~VIP席~貴賓室~聖火台 」で、所要時間1時間30分、料金1000円。普段は一般客が絶対に立ち入れない場所が目玉であるわけですが、私は競技場のトラックに下りられ、そこから客席全体を見渡せたことだけでも充分満足しました。テレビ中継ではフィールドを見下ろすことしかできませんが、選手からは客席、競技場がこんな風にみえていたのか、と。しかしこの光景も、数か月後には二度と見られなくなってしまう……。

 5月下旬に『スポーツ大図鑑』が刊行されます。本書にはオリンピック競技をはじめとする、一般の人が思い浮かぶスポーツは、ほぼすべて網羅されています。巻頭にはこれまで開催された夏・冬のオリンピックが個々に紹介されています。間もなく消滅してしまう国立競技場がメインスタジアムとなった1964年東京オリンピックについては、どんな事柄がピックアップされているでしょうか? ぜひ実物を手に取って、ご確認ください。

編集部だより(編集部H) 投稿日:2014/04/16

テレビ・ドラマ『刑事コロンボ』で知られる俳優ピーター・フォークはユダヤ人である。おや、と思う方もいるかもしれない。「うちのかみさんがね」の台詞でお馴染みのコロンボ警部はイタリア系だからだ。ここには当時、アメリカのドラマにユダヤ性を出せない事情があった。このような事情を持つユダヤ人の歴史的・文化的背景とはいかなるものなのだろうか。

ユダヤ人に関する本を探すと、その切り口が様々であることに気付く。それはユダヤ人にまつわる歴史や文化、思想が複雑に絡み合っていることを示していると言えるだろう。

今月刊行の『ユダヤ人と大衆文化』はこうしたユダヤ人について、「大衆」と「非大衆」という視点から論じたものである。アメリカのあらゆる大衆文化において、多くのユダヤ人が関わっていることが分かる内容となっている。その一方で、大衆文化を否定的に捉えるユダヤ人の姿も描かれる。ユダヤ人を形成してきた歴史や思想とはどのようなものであったのか、また、ユダヤ系知識人たちのまなざしとはいかなるものだったのか、その一端を知ることができるだろう。

ユダヤ人という個人、文化、民族、国家、どれをとっても一言では説明しにくいものである。ましてや日本人にとってユダヤ人は遠く理解しにくい存在かもしれない。本書がそうしたユダヤ人の姿を少しでも理解できるようなきっかけとなることを願う。
最後にコロンボ警部の名台詞を。

「あたしはどこへ行っても秀才にばかり出会ってねぇ。ああいうのが大勢いちゃ、刑事になるのも容易じゃないと思ったもんです。だからあたし考えました。連中よりもせっせと働いて、もっと時間をかけて本を読んで、注意深くやりゃあ、ものになるんじゃないかってね。・・・なりましたよ。・・・あたしは、この仕事が心底好きなんです」
(第40話「殺しの序曲」より)

旧摂津の国より(関西オフィスH・K) 投稿日:2014/03/17

 ゆまに書房の関西オフィスは近畿・中国・四国地区の営業拠点として設置されたオフィスです。京都の地で3年半、そして去年の秋口に大阪府茨木市に引っ越し、間もなく丸4年を迎えます。
 関西で暮らしていると過去に大河ドラマの舞台となった地がそこここにあり、ドラマがより身近に感じることが出来ます。今、放映中の「軍師 黒田官兵衛」もしかり。私は今、高槻市から茨木市の事務所に通っているのですが、この時代の高槻城主といえばキリシタン大名で有名な高山右近、そして茨木は中川清秀。そしてこの2人を従えていた荒木村重。村重は1578年、秀吉の副将格の武将だったにもかかわらず、突然戦線を離脱し、有岡城(伊丹城)に帰城してしまいます。その結果、黒田官兵衛にとって人生最大の危機といわれる有岡城での幽閉に至らしめることになります。(小説・ドラマで有名なこの場面が今回の大河ドラマでどのように演じられるのか大変楽しみです)いずれにせよ、歴史を動かした戦国時代の猛者たちがまさしくこの摂津の地で勇猛割拠していました。
 閑話休題。
 時は移り、官兵衛が戦に勝つために学問した孫子の教えはビジネスマンに欠かせない経営指南書に変化しました。また、官兵衛の時代には生存のために消費した貴重なカロリーを現代人は必要以上に摂取するようになり、スポーツで消費するようになっています。今の時代に生まれて良かったとつくづく思う次第です。
 スポーツといえば、オリンピックが感動のうちに無事終了し、この便りが掲載される頃にはパラリンピックが開催されているはずですが、ゆまに書房では今年5月「スポーツ大図鑑」という1冊ものの図鑑を刊行します。ゆまに書房の刊行物というと影印・復刻資料というイメージが強いのですが、一般書もコツコツと刊行し続けており、もう1本の柱に育とうとしています。
 「スポーツ大図鑑」はその1冊の中にオリンピック全競技を含む世界中のスポーツ200以上を紹介しています。「私はスポーツをしないので・・」という方もいらっしゃるかと思いますが、200以上も紹介されているのですから、自分に合ったスポーツを見つけられるかもしれません。また、スポーツ観戦を何倍にも楽しめる情報が満載です。刊行時には書店の店頭に並ぶはずですので是非ご覧ください。書店で見つからなければ、お近くの図書館へどうぞ。もし所蔵されていなくてもすぐに取り寄せていただけると思います。

賭 け(「よじれ窓」派) 投稿日:2014/02/07

 昼休み、職場から少し遠い郵便局へ行ったついでに、その近所の中華料理店に久しぶりに入った。料理店というよりラーメン屋さんという感じの庶民的な店で、わりと高齢のおじさんとおばさん5、6人がカウンターの内外で忙しく動いている。ただ、やや広いことと、昭和後期から変わってないであろう店内の造りのゆえか、意外に落ち着くことができる。そしてここのラーメンは、濃厚な味が流行っている昨今には珍しくさっぱりした味を守っている。変わらないことはいいことだ。
 半チャンラーメン(ラーメン+半人前のチャーハン)を待っている間、店内のテレビを見上げていた。国会の予算委員会の様子が映っている。答弁を終えた蔵相―いや、今は財務相というのか―が、いかにもちょっと気取った様子で席に戻るのを見た時、ふと、思った。ここは変わらないのだなと…。何百人かの人間がそこに集まり、立ったり座ったり、話したり聞いたり、時にどなったり揉みあったりしている。国会草創期の政治家たちもこうして立ったり座ったりしていたのだろうか。
 それは見つけられなかったが、『伊藤博文文書』第55巻「国会会議規則両院通用」という史料があった。「会議ハ政府ノ休日ヲ除キ毎日午前九時ニ始リ午後四時ニ終ル…」といった具体的な規則の検討資料で、西欧諸国の事例が多く併記されている。制度取調局の罫紙に書かれていて明治の国造りの熱気が窺われるが、「演舌」のやり方について細かく書かれていて、今の姿に近いことが書かれている。とにかく、国会は明治以来、「集まる」「会う」「話す」という伝統的なコミュニケーションで成り立っている。形式化、儀礼化した側面はあるかもしれないが、一国の方針を決めるにはこれが必要なのだろう。ただ、もっとIT技術なり何なりを導入する余地はあるかもしれない。何かがかわるかもしれないと思う。21世紀に入ってからも牛歩戦術といったばかばかしいショーを国民は見せられて
きた。

 『毎日新聞外地版』の第2回第9巻の中に、「関釜間の海底電話線」という記事(昭和5年5月11日)がある。釜山と福岡の電話線がこの年度内に完成するが、それでは足りないので、下関と釜山を結ぶ線の敷設を計画しているという内容である。こうやって科学技術が社会を変えてきたのかと思った。正確に言えば、人間が科学技術を使って社会あるいは世界を変えてきたわけで、それは企てであり賭けであったと思う。技術の導入は危険が伴う場合もあり、思わぬ副作用をもたらすこともある。私達も良いものは良い、悪いものは悪いと判断し、危険な賭けに対しては声を挙げねばなるまい。

 某社の古いOSのサポート終了が迫っている。ウィルスを作ってばらまいている人間やハッカーがいなければ、こんなことにならない、と、ちょっと腹立たしくなったが、これもコンピュータという技術のコストか。
 自宅にあるパソコンはもう7年は使っていて動きが鈍くなっている。この際だからと、某社最新OS「8.1」の入った最新型コンピュータを買ってしまった。今、それで本稿を書いている。あまりにも変わってしまい、電源を切るのにも一苦労するこの最新型の購入は正解だったのだろうかと自問自答しながら…。私の賭けはやや分が悪そうである。

暮れの二十八日 投稿日:2014/01/17

 いつ頃から始めたのだろうか。毎年暮れの二十八日は餅つきをする。準備は、前日のもち米を水に浸すことから始まる。朝から始めて、第一番目の臼(電気餅つき機だが)は鏡餅にして一階のショーウィンドーに飾る。同時に松飾や門松をゆまにビルの正面入り口に飾って正月を迎える準備をする。二番臼以降は、納豆餅や餡子餅、からみ餅、磯辺餅等にして食し、皆で仕事納めの乾杯をする。酒も出る。肴はなまこ屋特製の「皿鉢料理」だ。これも欠かすことはできない。締めくくりは神田明神。夕刻、一年お預かりした「御札」を納めてお礼参りをし、来年の商売繁盛と健康を祈願して新しい「御札」をいただく。これも今では欠かすことのできないゆまに書房の恒例行事だ。

 この日はアルバイトも一緒だ。通常登録している30名弱のアルバイトがそれぞれ自分のシフトを決めて働いている。学部生もいるが大学院生が中心だ。ドクターコースへ行っている者、修士課程の者、すでに学校を卒業している者も少なくない。留学生も数人いる。所属している大学もまちまちだ。彼らは研究している専門分野に近い企画の編集部員のアシスタント的業務を行っている。索引の作成、資料の調査や原稿の裏付け調査などを行う。ときには解題も執筆する。とても頼もしい。いまでは彼らなしには編集部は成立しない。彼らは、卒業と同時に大学や研究機関に就職する者が大多数だ。現在、准教授や助教として活躍されている人数は二桁を下らない。
 2014年6月、10年の歳月を費やして刊行を続けてきた『コレクション・モダン都市文化』(全100巻)が完結する。これも偏に監修者や解説者はもちろん、読者の皆様のお陰です。厚く御礼申し上げます。

 弊社には『コレクション・モダン都市文化』のように巻数の多い企画や刊行期間の長い企画が少なくない。現在『書誌書目シリーズ』(既刊104タイトル)をはじめ、『伊藤博文文書』(既刊98巻)、『社史で見る日本経済史』(既刊68巻)、『朝日新聞外地版』(Ⅰ期・Ⅱ期計・全105巻+別巻1)、『叢書近代日本のデザイン』(既刊56巻)、等数点刊行中だ。完結しているものは『文芸時評体系』(全73巻・別巻5)、『天皇皇族実録』(全135巻)、『昭和初期世界名作翻訳全集』(全230巻)、『近代雑誌目次文庫』(全82巻)等々、数十はある。これらも彼らアルバイトの人たちの力が大いに働いているからこそ世に出た企画だ。地道にコツコツと調査して初めて成り立つ。

 終わる企画があれば2013年新しくスタートした企画もある。『毎日新聞外地版』(巻数未定)や『シリーズ明治・大正の旅行』(巻数未定)等数点ある。いずれも好評裡に第一回配本が始まった。
 そのなかから映画関係資料を2点。一つは『戦前期映画ファン雑誌集成』。第Ⅰ期は「マキノ」。マキノ映画とは、「日本映画の父」牧野省三が京都に興した独立プロダクションとその映画作品を示す。日本映画界に多くの関心的な実績を提示し、絶大な人気を博したが、残存するフィルムは全体の三%に過ぎない。「マキノ」の後は、「蒲田」や「日活」も視野に入っている。本書も極めて貴重な資料だが、完結まで息の長い仕事である。
 もう一つは『映画公社旧蔵戦時統制下映画資料集』が2014年1月からスタートする。東京国立近代美術館フィルムセンターの協力のもと数十巻になる予定である。戦時下の混乱を奇跡的に免れて保存されていた極めて貴重な映画研究資料である。

 暮れの二十八日は格別だ。決算と一年の終わりが重なるばかりではないだろう。昭和43年や平成6年の暮れの二十八日などは特に感慨が深い。ゆまに書房の歴史が鮮やかに思い出される。これらの歴史を共有した戦友も少なくなってしまった。
 2013年は曜日の関係で27日が仕事納めになった。どうも暮れの二十八日の休日は長年の習慣か落ち着かない。やはり出社してしまった。1年の反省や来年の思いに浸るには絶好の時間だ。一人で残務整理やら書き残した原稿を書いているが、2階の編集部の明かりが点いている。誰かも出社しているらしい。まさか熱心なアルバイトではないだろうが・・・。
 さあ次の暮れの二十八日は40回目の暮れの二十八日だ。

                                            株式会社ゆまに書房

うえを向いて歩こう(編集部K・Y) 投稿日:2013/12/13

「写真集成 近代日本の建築」の第2期は「伊東忠太建築資料集」と謳っているのですが、建築史の研究資料らしいものは『伊東忠太建築作品』です。この作品集には、こちらから出かけさえすれば建物の中に入ってその空間を体験出来るものや歴史のなかで失われたものに加え、さまざまな理由で実現することのなかった建築物の設計図が収められています。
そもそも手書きの設計図面を見るのが好きなこともあって、写真図版とはいえ忠太自筆の設計図は面白いなあと思いながら、ページをめくってあらためてよく見てみると…なにやらあちらこちらに、背広、燕尾服、紋付き袴など正装した男性の姿が描かれています。数えてみると30人ちかいでしょうか。なかには「尺」のスケールのそばに立つ姿もあり、これは文字通りの「ヒューマン・スケール」です。伊東忠太があくまでも人間の尺度で建築という空間づくりにこだわりを持っていた、ということでしょうか。ただし、伊東忠太の尺度というのは、身体感覚でとらえることだけではなくて、人間の想像力が及ぶ先までも含んでいるような気がするのです。『阿修羅帖』を見ればむしろ後者のほうが勝っていたのかもしれません。
そのような忠太の眼差しと感性を育てた重要な要素のひとつが旅であったようです。それは調査や視察が目的でしたが、数回にわたる世界旅行は今回復刻する旅行見聞記『余の漫画帖から』にもまとめられています。建築家伊東忠太がじっさいに目にした世界の豊かさを追体験していただければと思います。

さて、復刻版の製作作業が大詰めになると、机に向かう、パソコンに向かう、と、1日のほとんど視線を落として過ごすことになります。こんな時こそ視線を上げるよう意識するのですが、12月の東京は朝から晴れることが多く、またクリスマスイルミネーションも始まったので、しぜんと上を向いて歩くようになる季節かもしれません。
ところで最近、見上げるものがひとつ増えました。いったい何かといいますと…東京駅そばのKITTEにお目見えした雪を頂いたクリスマスツリーです。しかも「高さ約14.5mの屋内日本最大級のクリスマスツリー」でして、これを企画・デザインされたのは谷尻誠さんという建築家(1974年生まれ SUPPOSE DESIGN OFFICE)です。
本という、両の手のひらサイズの物にかかわる身としては、自身のアイデアをこのような人間の大きさをはるかに超える物へと変換してゆくプロセスは本当に不思議で、魅力的でしょうがありません。

人間の日々のいとなみと想像力が豊かな時代でありますように。
今年も一年ありがとうございました。

『シリーズ 明治・大正の旅行』刊行開始にあたって(編集部E・Y) 投稿日:2013/11/12

 今月から『明治・大正の旅行』と言うシリーズを始める。
 歴史資料としてこれまで顧みられることのなかった戦前の「旅行案内書」を丹念に収集し、今まで語られることが少なかった旅行という分野から、新しい近代史の鳥瞰図を提供しようとするものである。
ここに、戦前、鉄道省が編纂した『汽車時間表』をご紹介しよう。ジャパン・ツーリスト・ビューロー(現財団法人日本交通公社及び株式会社ジェイティービー)の発行になる、今で言ういわゆる「時刻表」である。その冒頭の鉄道路線図を見ると、現在の日本の領土のほか樺太や台湾にまで広がった路線図が掲載されている。さらにまた、当時の「旅行案内書」を見ると、パック旅行などが企画されていて、誰でも娯楽の一つとして植民地へ旅行することができたことがわかる。
 領土の拡大は軍用や商用にかぎらず、植民地を持った国の国民の、生活レベルで意識されていたことが一目瞭然である。このように旅行案内書は、実用書であるがゆえに、人々の社会意識や時代認識を如実に映し出す側面があることに着目してみたい。ついでに、前述の『汽車時間表』によれば、植民地であった朝鮮で、釜山から京城(現ソウル)・平壌(現ピョンヤン)を経て、満洲の奉天(現シェンヤン)や新京(現チョウシュン)まで運行されていた急行列車の名が、「のぞみ」であり「ひかり」であったことを付け加えておこう。「旅行案内書」が、現代につながる研究テーマ発掘の宝庫であることも理解されよう。
シリーズ 第1回配本は、明治初年の旅行案内書を集めてみた。お伊勢参りなど江戸時代から隆盛した旅行が、明治維新という近代国家の成立以降どのように変容し、次の時代にどうつながっていくのか。それを人々の旅の供となった旅行案内書がつむぎだす、興味深い世界で渉猟していただきたい。

東日本大震災と『世界の歴史を変えた日1001』(編集部S) 投稿日:2013/10/09

 10月15日に『世界の歴史を変えた日1001』が発売されます。本書は東日本大震災と因縁があります。原書の“1001 DAYS THAT SHAPED THE WORLD”を翻訳出版するかどうかで10名ほどで一室にこもり会議をしていたとき、東日本大震災が起こりました。もちろん会議どころではなくなり、そのまま中止されました。1カ月後、改めて行われた会議で刊行が決まりましたが、以後この本を目にするたびに、震災を思い起こすことになりました。
 
 当時の原書の最終項目は、2010年のハイチ大地震でしたが、翻訳作業中に英国版元より改訂版を作るとの連絡があり、十数項目が取捨選択され、東日本大震災が新たに加えられることになりました。日本のみならず、世界中を震撼させた大災害ですので、1001項目の1つに加わるのは当然といえば当然かもしれませんが、改めて震災当日の記憶がよみがえり、なにやら複雑な思
いがしました。
 
 仮に将来、本書の改訂版が出されるとしても、このような大災害はもう加わってほしくないものです。