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ゆまにだより

「田村俊子全集」について (編集部 T) 投稿日:2012/08/08

現在、夏に初回配本分が刊行となる『田村俊子全集』の編集に埋没している。初出資料を集め、それらを復刻(リプリント)の形で纏める形態の「全集」である。普通全集といえば、新たな活字で組まれているものなので、多少の違和感を覚えられるかもしれない。だがこの方式だと初出の状態をそのまま確認できることになるので、原資料にあたる、という点では最もスマートな方式といえる。苦労としては、バラバラの形態のものを一つのサイズに納まるよう纏めていくことになるので細かな調整が必要となる。

田村俊子(一八八四~一九四五)はいわずと知れた、大正期を代表する女性作家である。大正期の一流行作家という認識は今や完全に覆り、いまや近代女性作家研究のスタンダードといえる存在である。露伴に入門し作家を志しながら、女優となり、その後、華々しく流行作家となったのもつかの間、朝日新聞記者鈴木悦の後を追い、夫と別れバンクーバーへ移住、彼の地ではジャーナリストとしても活躍、悦が死去した後、帰国、作家活動に戻るも、年少の窪川鶴次郎との不倫があり(19歳下!)、上海に渡り、そこでの啓蒙活動があり、終戦を迎え、引き上げることなく客死する──た。まさに波乱万丈の生涯である。全集の作業をしていると年表を見ながら、著作を追うことになるので、この頃の作品はこういう世情であり、彼女にはこういうことがあり…、という感慨を持ちながらの作業とな
る。このところ、いやぁ俊子サン、そりゃ大変だねぇ、というのが口癖になりつつある。だが作品を読んでいると、まるで「大丈夫、大丈夫」と言っているようで、このあたり実に凛とした「ブレ」のない作家であり、時にすがすがしいほどだ。こんなところにも彼女の魅力の一端を感じてやまないのである。

作家としての全盛期である大正前期に発表したいくつかの長編をはじめ、多くの短編が刊本に未収録のままであり、加えて、露伴門下の佐藤露英時代の初期作品や、カナダ時代および帰国した後の昭和期の作品は、ごくわずかの例外を除き、いまだまとまった形で刊行されたことがなかった。3巻本のオリジン出版センターの『田村俊子作品集』や、生前に刊行された単行本を集めても、彼女が発表した作品の三割弱にしか過ぎない。全貌が現れた時、この作家が何を語りかけてくるのかが楽しみである。


車中読書 (編集部 K) 投稿日:2012/07/10

 ある日、遅い電車で帰宅するとき、ふと、すいた車内を見回してみた。少し空席があるほどなので、乗客は少しくつろいだ感じで、思い思いの坐り方ですわっている。そして、その日に限ったことなのかも知れないが、本を読んでいる人が多かった。いつもは、スマートフォンや携帯電話、そして、まだ多くはないが、タブレット端末とにらめっこをしている人が目立つのだが、その日に限っては、文庫本、新書、そして単行本など形はいろいろだが本をひろげている人が多かったのである。なぜか、雑誌を読む人はいなかったが…。ほっとして、自分も鞄の中から読みかけの一冊を取り出して開いた。
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 数十年後と言わず数年後には、タブレット端末で読書をする人数は増えているであろう。私は車中読書派であるから、そう遠くない日に、タブレット端末を手にしているのではないかと思う。ただ、形がかわっても、読書の楽しみは変らないのではないか。職場を出て、駅まで歩き、プラットホームに立つ頃には、仕事のことを忘れる。そして、電車に乗り込むや、何か読み始める。その瞬間が好きである。そういう時、特に仕事が厳しい時期は、時代小説や歴史小説がよい。本を開けば、江戸の町並みを粋な年増が下駄をならして小走りに駆けていったり、旗指物をなびかせて武者たちが馬を走らせていたりして、一気に別世界に入ってゆける。
 今度、小社で刊行される田中剛著『菊と葵―後水尾天皇と徳川三代の相克』(ULULA叢書6)(8月刊行予定)は、近世初期の天皇家と徳川将軍家の確執を描いたものだが、文献・史料に基づきながら、読みやすい文体で書かれている。剣戟の響きや痛快なヒーローが出てくるわけではないが、女帝明正(めいしょう)天皇の誕生の秘密や、徳川が京の都で繰り広げた行列のありさま、また、二代将軍秀忠の人物像など、今まであまり知られていないことが語られていて、歴史に興味のある方々には、喜んでいただけると思っている。
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 ところで、冒頭に述べたように、私は夜の電車で1冊の本をひろげたのだが、ひらいた瞬間、「しまった」と心の中でさけんだ。昨年から続いている「一部車内照明を止めております」という場所に座っていたのだ。読めないことはないが、仕事で疲れた目を休めることにした。そして、次の瞬間、電車は降りる駅にさしかかっていた。

寄り道 (編集部 K) 投稿日:2012/06/04

 何かの集まりごとからの帰る途中、乗換駅の池袋で降りて、少し街を歩き風に当たることがある。下戸の私は喫茶店で一杯の珈琲を飲むぐらいだが、西口を出て、西口公園へも行く。ビルの上に月がかかり、夜風が吹いているときなどは気持いい。
 週末はにぎやかだ。若者が大声を上げて騒いでいたり、何か楽しそうに話しながら二人連れが歩いてゆく。ひとりスマートフォンと睨めっこをしている人も多い。近くのホテルに投宿している中国人の家族連れが、何か言い合いながらそぞろ歩きしているのも、たびたび見る光景である。
 この平和で自由で、ちょっと猥雑な匂いも含む夜の都市の風景を、ある日見ていて、ふと70年前は、どんな風だったのか考えてみた。日中戦争を続けながら、太平洋戦争に乗り出してしまった日本。現在とはまったく違う街の光景であったろう。
 そんなことに思い至ったのは、今、『東京満蒙開拓団』(ULULA叢書5)という本に関わっているからだろう。(8月刊行予定)
 その企画内容を、著者の「東京の満蒙開拓団を知る会」の方々から伺うまでは、東京からの開拓団の存在は、ほとんど知らなかった。長野県の開拓団の話や、農山村から過剰人口を分村移民として送り出したといったことは、何となくどこかで読んではいたが、東京と開拓団は結びつかなかった。しかし、日本全体で、満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍とであわせて約32万人が移民として満洲へ渡ったとされており、その内の1万1千人余りが東京から行ったと言われる。決して小さい数字ではない。
 本書は、「東京の満蒙開拓団を知る会」のメンバーが、2007年から5年のあいだ調査研究を重ねた成果である。書籍、雑誌、新聞の調査、体験者や関係者へのインタビュー、そして、多くの公文書の調査により、東京から多くの人々がなぜ満蒙開拓団として大陸へ渡ったのかという謎の解明を試みている。詳細は、本書を開いていただければわかることであるが、ルンペン移民、中小商工業者移民、大陸の花嫁、疎開移民など、時代の動きや政府の施策と密接につながっていることが興味深い。
 開拓団の結末は、苦難の逃避行、残留孤児や残留婦人ということになる。日本近代史にちょっと関わっている者としては、日本の「近代」の結末が、満洲における「棄民」がであったのかと、残念に思えてくる。実は、田中宏巳著『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録』に関わった折にも、ニューギニアにおける「棄兵」について、同様の感想を持った。なお、小社では、残留婦人を取り上げた班忠義著『近くて遠い祖国』(在庫僅少)という本もある。
 1936年、広田内閣でその計画が決議され、満洲移民は国策となった。しかし1945年8月9日ソ連が参戦したとき、満洲の広野に人々は残され、それを決め、進めた人達はそこにはいなかった。そして、2011年3月に破綻した戦後の大きな国策についても、思わざるを得ない。
 池袋西口公園にさざめく人々を見ていて、ここから250キロほどのところにある壊れた原子炉のことが、気になってきた。

不思議な自然の仕組み  (営業部 N) 投稿日:2012/03/09

『最先端ビジュアル百科 不思議な自然の仕組み』全4巻を、3月30日に刊行します。
第1巻 植物 の見本が手元にあります。このシリーズは小学校高学年~高校生を対象にしているのですが、これが実に面白いのです。読んでいて(ビジュアルな本なので、見ていてという感じなのですが)ヘー!フーン!ナルホド!ソウナンダ!の連続です。例えば「根と茎」です。茎が伸びていくのは、普段見ているのでなんとなく解るのですが、根っこがどの様にして地下を伸びていくのかなど、考えたこともなかったのですが、ここでヘー!が始まります。この後もこのヘー!の連続なのですが、私が特に面白かったのは、「寄生植物」「海藻」「こけ」等です。お子さんに買ってあげたら、まず自分が読んでしまうこと間違いなしです。第2巻動物 第3巻人体 第4巻地球の見本も間もなく手元に届く予定です。読者より先に読んでしまえる出版社の社員であることを幸せに思いながら、見本の到着を心待ちにしています。

歴史を戻そう  投稿日:2012/01/14

 今年の元旦に届いた年賀状は昨年よりだいぶ少なかった。福島第一原子力発電所二十キロ圏内に住んでいた兄弟や友人、知人、親戚からの年賀状がほとんどこなかった。いまだに会津や郡山、近くはいわき市の仮設住宅や民間借上げ住宅に、さらには東京、新潟、大阪の遠方に住居を移しているらしい。住所録を失ってしまったのか、それとも年賀状を書くような心境ではないのだろう。あれ以来連絡が途絶えている友人たちのその後の近況が知りたくて、喪中でない限り私は一方的に投函した。

 福島第一原子力発電所は、狐の巣穴の前や野兎のウサギ道に仕掛けた罠も、芝居の台詞や赤尾の豆単で暗記をしようと何時間も歩き続けた田畑の畦道や、近所の子どもたちと草野球をやった八幡様の境内も、夏休みの子ども相撲大会が行われたどこまでも続いたあの白浜も、全町民で歓声を上げた小中合同運動会の学校のグランドも、かけがえのない縁側の笑い声さえも、なにもかも放射能で覆い尽くしてしまった。愚かな歴代の首長たちが、無名な土地であるが故に誘致した原子力発電所は、彼らの目的どおり世界的に有名になって住民を追い出そうとしている。「帰還困難区域」に指定されるらしい。
50年は帰ることが出来ない。そんな状況の渦中に追いやられた故郷の人たちにかける言葉が見つからない。何人から返事が来るのか。元気に暮らしていればよいのだが。

「戦争を知らない子供たち」といわれて久しい。一昨年まではこのまま大自然災害や大きな戦争を体験しないで、平和な時代を送って人生を終えるものだろうと漠然と考えでいた。脳溢血か心臓まひか、それとも癌か、いずれにしても病で死ぬのだろうと己の死因を理由もなく考えていた。ところが昨年の東日本大震災の震災当日の悲惨な様子が次々とメディアに紹介されるようになって震災の現状を詳しく知ると、そこにはあまりにもむごく、悲しく、恐ろしい地獄絵が現実にあった。平穏時での出来事ならばどれ一つとっても大ニュースである。人間の極限状態がいたるところで発生していた。なんということか。平成24年1月1日現在、亡くなられた方1万5844人、いまだに3451人の方が行方不明である。さらに、33万4786人の方が避難生活を送られているという。「戦争を知らない子供たち」のまま死ぬわけにはいかなくなってしまった。

 弊社では今年、偶然にも『人類の歴史を変えた運命の日1001』を刊行する。人類史上、多くの人が死に、数え切れない人々が傷つき、歴史が変わってしまったであろうと思われる1001件の重大事件や大規模戦争等を年代順に取り上げ、有史以来人間は愚かなことを何度繰り返してきたかを検証する。もちろん今回の東日本大震災も取り上げる。どこまで真実を伝えられるかは疑問だが、私たちは永遠にこの悲惨な大震災を、特に人災ともいえる福島第一原子力発電所の放射能汚染を忘れてはならない。そんな一念が伝えられれば幸いである。

 あれから三度目の正月を迎えた。以来、「首都高速3号線の三軒茶屋で非常階段を下りてしまった」(『1Q84』村上春樹著、新潮社)ような、どこか今までの世界と何かが違ってしまったような複雑な気持ちが続いている。今回の大震災や福島第一原子力発電所の放射能汚染も、「人類の歴史」どころか私の人生の歴史を大きく変えてしまったことは間違いない。一刻も早く首都高速3号線の三軒茶屋まで行ってあの非常階段を上らなければ。
そして、これら一連の大災害は夢であることに気づかなければならない。
歴史を元に戻すために。

同窓会、そして妄想 (編集部 M.K) 投稿日:2011/12/13

 11月のある夕方、学校時代のゼミの同窓会に出かけた。同期の連中と一年ぶりに再会…。来ていない仲間の噂、各自の健康と病気、そして最近は近づく「定年」が話題になる。そのあとは、それぞれ属している業界のことに話は移る。金融、不動産、コンピュータ各業界についての話題を興味深く聞いていると、「デジタル本はどうなの?」という質問が飛んでくる。それぞれ本の良き読者たちだが、それよりも何かそこに新しいビジネスが生れつつあるのか、という興味をベテランビジネスマンたちはもっているようだ。いろいろな動きが折々経済の話題として報道されている。
 よく言われることだが、電話、レコード、カメラ、テレビ、そして、車も技術革新により大きく変わり、それに伴い、われわれの生活もめまぐるしく変わりつつある。本がデジタル化されることは、産業界から見れば、至極当然のことに見えるようだ。
 しかし、事はそう簡単ではない。偶然眼にした「本の長い歴史のなかで「電子本元年」を考える」 (「早稲田学報」1187号)で、津野海太郎氏は、今回の「電子本元年」といわれるブームも、以前のものと同様、尻すぼみに終るのではと危惧していた。
 私がもしデジタル本を作る立場にあったら、と妄想してみる。「紙とデジタルの共存」などという考えはいったん捨てて、「紙の本を根絶する」ぐらいの意気を持たないと事は進まないと思う。相手は、千年とか五百年とかの歴史がある。写真機やレコードとは違う。コンテンツが集まらないなどとよく言われるが、その内容に踏み込み、新しい内容を創造しようとしないからだろう。
 デジタル派がそのようになったとき、戦いが始まる。紙派のわれわれも本気になって、デジタル本によって相対化され、情報ツールのひとつとなってしまった本を、どうやって生きのびさせるか、考えねばならない。本は変わらないと言っているうちに、「戦争と平和」や「論語」をiPadで読破するような新しい世代が生れるかもしれないのだ。
 戦いの結果はどうなるかわからないが、ともかく、その先に、われわれの文化は少しは前進しているかもしれない。

 そんなことを考えながら、会場を辞すと雨が降り出していた。コンビニに駆け込み、折れ傘を買う。店を出てさそうとしたが、これが難しい。しばらくいじってみて、取っ手に埋め込まれたボタンを押すと柄が伸びて傘が開く仕掛けだった。しかし、閉じ方がわからない。店に戻って、店員さんに聞いてわかった。とかく新しいものが苦手になったのは、トシのせいか、と苦笑して、雨の街を歩き出した。

立冬を過ぎて  (編集部K・Y )  投稿日:2011/11/09

11月5日。朝日新聞に「七五三 仮設でお祝い」という囲み記事がありました。そこには、紅色の晴れ着を着付けてもらっている女の子の写真が載っていましたが、すまし顔にも嬉しさがにじみ出ているその表情に、あらためて人生の節目を祝うことの大切さを思いました。翌日、ある駅の構内で、おなじく紅色で古典柄の「宝尽し」の着物に、ふっくらと髷を結った女の子を見かけ、思わず、「かわいいね、おめでとう」と声をかけていました。3.11の震災の前後、初めて手掛けた児童書「偉人たちの少年少女時代 全3巻」の編集作業が大詰めを迎え、刻々と伝えられる被災地の状況を、目に、耳にしながら、「とにかくこの本を子どもたちに届ける」という一念で毎日を送っていました。そんなことも思い出されて、今年の七五三はこれまでとは違う特別なものに感じられます。

11月7日。今年のサントリーホールのスペシャルステージに、ピアニストの内田光子さんが登場。個人的に、いつかは聴きに行きたい!と思い続けていた音楽家のお一人です。内田さんはロンドンを活動拠点にされ、年間の演奏会を50回程度に抑えていると聞いていたので、思い立ったが吉日、つい3日前に最終日のピアノ・リサイタルのチケットを運よくおさえることが出来ました。この日はシューベルト・プログラムで、お好きな方のために曲目を書きますと、ピアノ・ソナタ ハ短調D958、 イ長調D959、変ロ長調D960の全3曲。自らの終焉(死)を自覚してこれほどまでに完成度の高い仕事をやり遂げ残したシューベルト(1828年11月19日没、享年31歳)と、内田光子という表現者。ふたりを目の当たりにして、休憩の20分間と演奏後しばらくは席を立つことが出来ませんでした。ちなみにこの日の出演料(調律師からも、スタンウェイ・ハンブルクを通じて)は、東日本大震災で被災した、おもに子どもたちへ寄附されます。

11月8日は立冬。仕事を終えてから、支援物資を送る活動を続けている知人に冬物の衣料などを届けるため銀座へ出ました。暦どおり、夜の空気には冬のにおいがしました。今年も残すところ2か月ばかりとなりました。クリスマス色に染まりはじめた東京の姿も、なんだか悪くはないな、などと思う今日この頃です。

英語圏版 マンガ『坊っちゃん』刊行に寄せて (営業部H.K) 投稿日:2011/09/13

9月11日の米同時テロから10年、追悼式をTVのニュースで見ました。毎年、この日が来ると思いだすことがあります。

9年前、私はアメリカに出張中でホテルのTVで米同時テロの1年目の追悼式を見ていました。この日が帰国日のため、何か起こると飛行機が飛ばなくなるかもという不安とともに。思えばこの時が最初のアメリカ出張でした。

その後毎年定期的にアメリカを訪問させていただき、色々な方々と知り合うチャンスを得ることができました。そしてある方にアイディアを頂き、今回マンガを使った日本語教科書を発売することになりました。しかも日本の文学の名作を題材に使ったものです。
タイトルは Learning Language Through Literature1 英語圏版 マンガ『坊っちゃん』 です。

教科書のスタイルも全く初めての試み、小社で日本語教科書を出すのも初めての試みです。ようやく今月末に発売になります。非常に楽しみです。

また、この日本語教科書ではもう一つ新しい試みがあります。それはこの教科書の学習支援サイトを特別に設けることになったのです。ここからは問題集のダウンロードができたり、先生方のコラムが読めたりと多彩なコンテンツを載せる予定で着々とサイトが出来上がりつつあります。
トップページのデザインも良いものになりましたので是非ご期待ください。
URLは
http://www.yumani.co.jp/Botchan-en/
です。
まもなく開設いたします。

この教科書で日本語を学ばれた方が日本の文学や文化にも興味を持っていただき、ゆくゆくは小社で出しているような学術書を読んでもらえればという希望を持っています。

ぜひこの新しい日本語教科書を手にとってご覧ください。

本は二度読む (編集部K) 投稿日:2011/07/07

 出張で出かけた某機関での用件が予定より早く終わり、東海道新幹線の某駅で、その駅にたまにとまる「ひかり」を小一時間待つことになった。暗鬱な夕方の梅雨空の下、歩き回るのはやめ、駅前の喫茶店でひと息ついた。こういうちょっとした待ち時間に駅の近辺を歩くと意外な発見があり楽しいのだが、蒸し暑さと軽くはない荷物のため、冷房とおいしいコーヒーを取ったわけだ。終えたばかりの打ち合わせのメモを見直したのち、読みかけの文庫本を取り出した。
 その本はすでに最後の章に入っていて、残りは二十頁ほどだった。しばらくして読み終えてしまった。本を卓上に置き、しばし陶然としていた。なんとなく、それを鞄にしまいたくない感覚を覚えていた。そして、はっと気がついた。「もう一度読んでみたい」と思っていた。久し振りの感覚だった。

「本は繰り返し読むもの」という言葉がある。繰り返し読むことの効用は古来いろいろ言われている。青年期に読んだ本を中年期に読み、さらに年を重ねてから読むと、見えてくるものが変わってくると、どこかで聞いたことがある。その域には達していないが、過去、二度あるいはそれ以上読み返した本が私にも何冊かある。もう一度その世界に浸りたい小説であったり、魅力は感じたが一度だけでは全体像がつかめなかったやや固めの本であった。そういう本は、やはり記憶に強く残る。ただ、「繰り返し読む」ということを実現するには、本を置くスペースと読む時間が必要だ。読みたくなったときにすぐ手に取れるように整理し、管理しておくことも必要になってくる。
 一方、「一度読んだらどんどん捨てる」ということを信条としている人がいる。私の陋屋の一部分は、読み終えた本や買ったままの本などに占領されている状態が長く続いている。この占領状態を解消し、住宅メーカーのテレビコマーシャルに出てくるような住空間を実現すべく、「読んだら捨てる」という原則に徹したいと常々思っている。いま必要な情報や味わいたい何かを得たらもうその本は用済みとなったと考えるのだ。あとで必要になったら、また買うか図書館で借りるかすればよい。特にデジタルブックが普及しはじめている昨今、現実的な選択と言ってよいだろう。
 ただし、「捨てる」というのは思い切りが必要だ。また、本にもよるが、一度の通読でその本の内容や魅力を把握できるかという問題がある。再度の通読で見落としも減り、思わぬ発見をしたり、体系的な把握ができたりする。一読で捨ててしまえば、そのチャンスを失う。それに私たちが本に求めているものが、元は「諜報」と同義であったきな臭い「情報」などではなく、ちょっと照れ臭いが「教養」だとすれば、「読んだら捨てる」はそぐわない。最近、小社でスタートした「ULULA叢書」も、繰り返し読まれるような本にしたいと思っている。

 冷めたコーヒーをすすりながらぼんやりと考えていて、ひとつのアイデアが浮かんできた。「本は二度読む」ということだ。二度読めばおおよそ内容はつかめる。そして、二度読めば手放してもいいかどうか、判断ができる。一冊の本を二回楽しむというのは経済的効用も大きい。たとえ手放すとしても本への礼儀は尽くしたことになるだろう。これはよいアイデアだと思った。

 東京行き「ひかり」に乗り込み、弁当を食べ終えて、その文庫本をひろげたまではよかったが、一頁も読まぬうちにタイムワープ現象が起こり、「まもなく新横浜」の放送が聞こえた。一度読んだ本を再読するには、聊か意思の力も必要だと悟った次第である。

「?」をかたちにしてみる。  ―『美術批評家著作選集』配本にさいして  編集部(や) 投稿日:2011/07/07

暑い日の気付け薬がわりに、私には一日に最低でも2杯のエスプレッソが欠かせません。しかも何か文章を書けということになれば、なおさらのこと。ただいまこの原稿入稿日前夜。まとわりつく湿気に気が散りつつも、空になったエスプレッソカップ(4杯目の)、それとヴェントゥーリの名著『美術批評史〈第二版〉』をお供に……否、これは眠気に襲われた時の枕として、手元に置いているまでなのですが……書いています。

学生時代に「日本近代美術史」を美術批評家の方に就いて学んだからなのか、美術批評家とよばれる、「文章を書く」ことで美術と主体的にかかわる存在がどこか気になり、さらには、いまの編集の仕事に携わるようになってからも、この分野を研究する取っ掛かりがあってもいいのではないだろうか、との思いを持ち続けていました。今回の『美術批評家著作選集』は、そんな二重の「?(クエスチョン)」をひとまずかたちにしてみようと考えたことが始まりです。
あらためて刊行間もない本を手に取り目次をながめると、それぞれの書き手が実に多様な顔を持っていたことに、単純に驚かされます。海外新興芸術運動の紹介者であり、美術教育者であり、その一生の仕事を通して見ると分量の点でも、いわば啓蒙的な比重が高かったように感じられます。
日本の近代において、何が「批評」とされてきたのか、またこれから、どのように批評「史」を検証し形成してゆくことが可能でしょうか。

エスプレッソ5杯目を注文。堂々巡りの空想にふけらないよう、ピリオドを打つことにしましょう。そしてこのシリーズが「近代日本の〈美術と言葉〉」(第3巻「新聞美術記者の群像」解説より)への道標となりますよう、星に願いを。