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ゆまにだより

英語圏版 マンガ『坊っちゃん』刊行に寄せて (営業部H.K) 投稿日:2011/09/13

9月11日の米同時テロから10年、追悼式をTVのニュースで見ました。毎年、この日が来ると思いだすことがあります。

9年前、私はアメリカに出張中でホテルのTVで米同時テロの1年目の追悼式を見ていました。この日が帰国日のため、何か起こると飛行機が飛ばなくなるかもという不安とともに。思えばこの時が最初のアメリカ出張でした。

その後毎年定期的にアメリカを訪問させていただき、色々な方々と知り合うチャンスを得ることができました。そしてある方にアイディアを頂き、今回マンガを使った日本語教科書を発売することになりました。しかも日本の文学の名作を題材に使ったものです。
タイトルは Learning Language Through Literature1 英語圏版 マンガ『坊っちゃん』 です。

教科書のスタイルも全く初めての試み、小社で日本語教科書を出すのも初めての試みです。ようやく今月末に発売になります。非常に楽しみです。

また、この日本語教科書ではもう一つ新しい試みがあります。それはこの教科書の学習支援サイトを特別に設けることになったのです。ここからは問題集のダウンロードができたり、先生方のコラムが読めたりと多彩なコンテンツを載せる予定で着々とサイトが出来上がりつつあります。
トップページのデザインも良いものになりましたので是非ご期待ください。
URLは
http://www.yumani.co.jp/Botchan-en/
です。
まもなく開設いたします。

この教科書で日本語を学ばれた方が日本の文学や文化にも興味を持っていただき、ゆくゆくは小社で出しているような学術書を読んでもらえればという希望を持っています。

ぜひこの新しい日本語教科書を手にとってご覧ください。

「?」をかたちにしてみる。  ―『美術批評家著作選集』配本にさいして  編集部(や) 投稿日:2011/07/07

暑い日の気付け薬がわりに、私には一日に最低でも2杯のエスプレッソが欠かせません。しかも何か文章を書けということになれば、なおさらのこと。ただいまこの原稿入稿日前夜。まとわりつく湿気に気が散りつつも、空になったエスプレッソカップ(4杯目の)、それとヴェントゥーリの名著『美術批評史〈第二版〉』をお供に……否、これは眠気に襲われた時の枕として、手元に置いているまでなのですが……書いています。

学生時代に「日本近代美術史」を美術批評家の方に就いて学んだからなのか、美術批評家とよばれる、「文章を書く」ことで美術と主体的にかかわる存在がどこか気になり、さらには、いまの編集の仕事に携わるようになってからも、この分野を研究する取っ掛かりがあってもいいのではないだろうか、との思いを持ち続けていました。今回の『美術批評家著作選集』は、そんな二重の「?(クエスチョン)」をひとまずかたちにしてみようと考えたことが始まりです。
あらためて刊行間もない本を手に取り目次をながめると、それぞれの書き手が実に多様な顔を持っていたことに、単純に驚かされます。海外新興芸術運動の紹介者であり、美術教育者であり、その一生の仕事を通して見ると分量の点でも、いわば啓蒙的な比重が高かったように感じられます。
日本の近代において、何が「批評」とされてきたのか、またこれから、どのように批評「史」を検証し形成してゆくことが可能でしょうか。

エスプレッソ5杯目を注文。堂々巡りの空想にふけらないよう、ピリオドを打つことにしましょう。そしてこのシリーズが「近代日本の〈美術と言葉〉」(第3巻「新聞美術記者の群像」解説より)への道標となりますよう、星に願いを。

本は二度読む (編集部K) 投稿日:2011/07/07

 出張で出かけた某機関での用件が予定より早く終わり、東海道新幹線の某駅で、その駅にたまにとまる「ひかり」を小一時間待つことになった。暗鬱な夕方の梅雨空の下、歩き回るのはやめ、駅前の喫茶店でひと息ついた。こういうちょっとした待ち時間に駅の近辺を歩くと意外な発見があり楽しいのだが、蒸し暑さと軽くはない荷物のため、冷房とおいしいコーヒーを取ったわけだ。終えたばかりの打ち合わせのメモを見直したのち、読みかけの文庫本を取り出した。
 その本はすでに最後の章に入っていて、残りは二十頁ほどだった。しばらくして読み終えてしまった。本を卓上に置き、しばし陶然としていた。なんとなく、それを鞄にしまいたくない感覚を覚えていた。そして、はっと気がついた。「もう一度読んでみたい」と思っていた。久し振りの感覚だった。

「本は繰り返し読むもの」という言葉がある。繰り返し読むことの効用は古来いろいろ言われている。青年期に読んだ本を中年期に読み、さらに年を重ねてから読むと、見えてくるものが変わってくると、どこかで聞いたことがある。その域には達していないが、過去、二度あるいはそれ以上読み返した本が私にも何冊かある。もう一度その世界に浸りたい小説であったり、魅力は感じたが一度だけでは全体像がつかめなかったやや固めの本であった。そういう本は、やはり記憶に強く残る。ただ、「繰り返し読む」ということを実現するには、本を置くスペースと読む時間が必要だ。読みたくなったときにすぐ手に取れるように整理し、管理しておくことも必要になってくる。
 一方、「一度読んだらどんどん捨てる」ということを信条としている人がいる。私の陋屋の一部分は、読み終えた本や買ったままの本などに占領されている状態が長く続いている。この占領状態を解消し、住宅メーカーのテレビコマーシャルに出てくるような住空間を実現すべく、「読んだら捨てる」という原則に徹したいと常々思っている。いま必要な情報や味わいたい何かを得たらもうその本は用済みとなったと考えるのだ。あとで必要になったら、また買うか図書館で借りるかすればよい。特にデジタルブックが普及しはじめている昨今、現実的な選択と言ってよいだろう。
 ただし、「捨てる」というのは思い切りが必要だ。また、本にもよるが、一度の通読でその本の内容や魅力を把握できるかという問題がある。再度の通読で見落としも減り、思わぬ発見をしたり、体系的な把握ができたりする。一読で捨ててしまえば、そのチャンスを失う。それに私たちが本に求めているものが、元は「諜報」と同義であったきな臭い「情報」などではなく、ちょっと照れ臭いが「教養」だとすれば、「読んだら捨てる」はそぐわない。最近、小社でスタートした「ULULA叢書」も、繰り返し読まれるような本にしたいと思っている。

 冷めたコーヒーをすすりながらぼんやりと考えていて、ひとつのアイデアが浮かんできた。「本は二度読む」ということだ。二度読めばおおよそ内容はつかめる。そして、二度読めば手放してもいいかどうか、判断ができる。一冊の本を二回楽しむというのは経済的効用も大きい。たとえ手放すとしても本への礼儀は尽くしたことになるだろう。これはよいアイデアだと思った。

 東京行き「ひかり」に乗り込み、弁当を食べ終えて、その文庫本をひろげたまではよかったが、一頁も読まぬうちにタイムワープ現象が起こり、「まもなく新横浜」の放送が聞こえた。一度読んだ本を再読するには、聊か意思の力も必要だと悟った次第である。

『ゼロの焦点』 編集部K 投稿日:2011/03/08

 『ゼロの焦点』がテレビで放映されたので、つい、みてしまった。松本清張のファンではないが、『点と線』とか『砂の器』、『けものみち』などは、ドラマ化されたものや、映画などで、何度か見ていた。この『ゼロの焦点』だけは縁がなかった。今回のものは、2009年の2度目の映画化のもので、広末涼子、中谷美紀、木村多恵と、現代の代表的な女優が競演していることでも話題になった。
 映画であるから当然かもしれないが、ディテイルにこだわっていて、場面場面がなぜか懐かしく感じられた。たとえば、出張先で消息を絶った夫、鵜原憲一(西島秀俊)を思う若妻、禎子(広末)のいるアパートの一室の部屋や家具の様子、何度か出てくる北陸本線の夜行列車、海辺の寒村の家々、あるいは自動車や、その車の走る街の様子は、見覚えのある場面や風景であった。出て来る男達の多くが、どこでも煙草を吸っており、今昔の感がある。

 舞台となった時代は昭和30年頃だろうか。トヨペット・クラウンが出ているからそれ以前ではないようだ。原作は1958年1月から1960年1月に連載されている。敗戦から10年前後。本作は、戦争とそれに続く混乱期に傷ついた人々の心の苦闘がテーマであろう。戦争という不条理の中で死んでいった人々、生き残ったが辛い生活を強いられた人々が多くいたことは忘れられつつあるのではないだろうか。

 戦争の悲惨さについては、小社刊の
『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録―』(田中宏巳著)
であらためて知った。軍の中枢部の迷走によって、20万の兵のうち帰れたのはわずか2万という戦場であった。もちろん、日本軍が他国に残した爪あとも忘れてはならない。
 劇中、伝聞の形で出てくる言葉だが、成り上がりの工場主が鵜原憲一を評する「人が死ぬのを見てきた男」という言葉が一番印象に残った。憲一と同様、彼の世代は、戦争体験について寡黙であった。
 「引揚」や「復員」に関する史料の出版に関わってきたが、『ゼロの焦点』を見ながら、あらためて、戦後日本の出発点に立った人々の思いを考えていた。

「ULULA」に守られて  投稿日:2011/01/12

 約36年前の昭和50年、約一年間の準備期間を経てゆまに書房は創業した。資本金三百万円であった。お金はないので、自分たちで出来ることはなんでもした。

 当時はまだ、印刷の主流はオフセット印刷で、版下から直接製版カメラで撮影し刷版を作製して印刷機にかけた。製版カメラで撮影したネガフィルムにはどうしてもピンホールという汚れが映ってしまう。印刷所からライトテーブルを借りてきて自分たちでその汚れをオペックもした。校正も青焼であった。一頁一頁を面付け台紙に貼った青焼を折らずに印刷会社に持ってきてもらい、曲がりやノンブルや柱の抜けがないか、スケールを持って数ミリ単位でチェックした。ダイレクトメールも一時間で何枚書くことができるか昼食を賭けて時間を惜しんで自分たちで宛名書きをした。
 索引をつくるのも手作業であった。マーカーを付けた事項や人名、書名を一つ一つカードにとり、それらのカードを当時郵便局でハガキの仕分けに使っていたような箱を作り、カードを五十音に並べ原稿用紙に記入した。ある時は、活字に組む費用もなく著者との相談の上作製した索引用の原稿用紙に丁寧に手書きをし、直接製版カメラで撮影して印刷した。そうして発行した書籍が今でも数点、手元に残っている。草創期の貴重な宝物である。とにかく、経費がかからないよう、自分たちでできることはなんでもした。ゆまに書房が大好きな仲間たちの手で。皆ユマニスムを携えていた。
 コンピューターなどまだ普及していないアナログの時代である。それ故出来上がった書籍にはとても愛着があった。一冊一冊出来上がる過程に思い出やストーリーがある。著者より預かった原稿が印刷所より活字になって戻ってきたとき、たとえようのない新鮮な喜びが湧いてきたものである。

 電子書籍時代とうたわれる昨今、若い編集者たちは新刊が手元に届いた時どのような感想を持つのだろうか。最初からフロッピーやメールで原稿を受け取り、著者との校正のやりとりもメールで行う。索引もOCRで全文検索をかけて簡単に作ってしまう。そればかりか、本をバラバラにしてスキャナーで読み込み、電子書籍を自分で手作りする「自炊」と呼ばれるものまで登場しているという。大変便利な時代になったものである。
 読者も同様であろう。本を手元にとった時のインクの香いや紙の手触り、編集者が渾身を込めて産み出したタイトルの文字の大きさや形、表紙を彩る色彩を、それらあらゆる要素がトータル生み出されるものが「本」である。その中に表現されている内容だけが「本」ではない。電子で送られる本が従来の「本」となりえることは出来ない。
 かつて出版業界には欠かせなかった文選職人や写植職人がいた。彼らが今ではすっかり姿を消してしまったように、近い将来、紙の書籍がなくなって全てがデータ化された時、書物周辺に存在する書誌学や編集の世界は過去の遺物と化し、はたしてどのような「本」に係わる世界が創られているのだろうか。

 ともかく36年前こうしてスタートしたゆまに書房が、そんな電子書籍元年といわれた昨年、出版文化の流れに反するように、「ゆまに学芸選書ULULA」を創刊するまでになった。ありがたいことである。「紙の本」が無くなるのではと騒がれて喧しい中でのRE・STARTである。

・・・〝書物の森〟に迷い込んで数え切れないほどの月日が経った。〝ユマニスム〟という一寸法師の脇差にも満たないような短剣を携えてはみたものの、数多の困難と岐路に遭遇した。その間、あるときは夜行性の鋭い目で暗い森の中の足元を照らし、あるときは聖母マリアのような慈愛の目で迷いから解放し、またあるときは高い木立から小動物を射止める正確な判断力で前進する勇気を与えてくれた、守護神「ULULA」に深い敬愛の念と感謝の気持ちを込めて・・・
(“「ゆまに学芸選書ULULA」刊行に際して”より)
                        辛卯正月 ゆまに書房

リニア新幹線に乗れる日 (編集部S) 投稿日:2010/11/09

 3案でもめていたJR東海のリニア中央新幹線のルートが、直線ルートでほぼ決まりとの報道を読みました。このルートなら東京~名古屋間をわずか40分で結ぶといいますから、東海道線の東京~大船間と同じぐらいの乗車時間です。日帰り出張どころか、名古屋から東京に余裕で通勤できそうです。

 さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(第5巻)「エネルギー器機」が先月末刊行されました。この中でも「低エネルギー社会ののり物」として、リニアモーターカーが紹介されています。リニアの二酸化炭素排出量は、航空機の半分以下で、騒音、振動もほとんどなく、環境にやさしいのり物とされています。
 
 ただ、リニア新幹線の開業は2027年。まだまだ将来の話です。これまでも開業年は幾度となく先延ばしにされています。「ルート確定!」という現実的な話が出ても、「近未来の夢物語」に聞こえてしまうのは、私だけでしょうか。

ウルラ叢書刊行について (編集部 K.T) 投稿日:2010/10/08

 小社は創業より36年間、学術系を中心とした出版活動を行ってきた。少なからず学術界へ寄与したであろう自負とともに、さらなる展開と活性化を求め、このたび「ゆまに学芸選書」として、シリーズ「ULULA(ウルラ)叢書」を刊行することとなった。
「ウルラ」とはラテン語の「フクロウ」であり、ヨーロッパではしばしば学問の神、叡智の象徴とされる。活字離れなどが嘆かれる昨今ではあるが、電子書籍の台頭などに見られるように、「文字」「文章」が、最古にして最強のメディアであることに変わりはない。電子化に向けては小社もさまざまな展開を予定している。
 一見それらの動向とは、対極にあるかのごとき叢書の刊行についてであるが、媒体の多様化が進むなかで、やはり「a book」としての基本に立ち返るということは、最も重要なことではないだろうか。
 その、第一弾は『松平定信の生涯と芸術』(磯崎康彦・著)である。

松平定信といえば、大田南畝に、

  白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき

と揶揄された、今も評価の定まらぬ「寛政の改革」が有名だが、政治家としてだけではなく、江戸時代後期屈指の文化人の側面を持っている。彼のニックネーム「黄昏の少将」は定信の最も著名な、

  心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞわぶるたそがれの宿 

に依っている。「夕顔」はもちろん『源氏物語』で、定信は計7度も『源氏』を書写したという強者である。まさに「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」(藤原俊成)で、「心あてに 見し」などに見られる初句六音、句またがりなどの技法は、新古今ばりのきらびやかさで、質素・倹約を謳った改革を推し進めた人物の作だとは、すぐには結びつかない。
この「分かりにくさ」が、実は定信という人物の魅力なのである。幕府の学問として朱子学以外を禁じ、自身はその立場を貫いて失脚までしていながら(尊号事件)、外交と自身の尽きぬ興味のため、蘭学に目を配り、蘭画家たちの有力なパトロンでもあった――この定信の新たなる人物像に迫るのが、今回刊行となる『松平定信の生涯と芸術』なのだ。

 磯崎氏は福島大学名誉教授で「秋田蘭画」(江戸時代後期の、西洋画の手法を取り入れた和洋折衷絵画)の研究家である。その研究を通して、蘭画家たちのパトロンでもあった松平定信に着目し、今回の伝記を執筆されたのである。『福島民友新聞』に連載されたものに、新たな増補改訂が施された。誕生から政治においての活躍について触れられているはもちろんであるが、その好古癖や、文業、蘭書や蘭画への関わり、庭園芸術(白河藩に建設した南湖公園は、日本初の公園として著名)についてなど、その文化的側面を重点的に追った、渾身の一冊である。

愛煙家の呟き (編集部 K) 投稿日:2010/09/13

 いよいよ、10月から大幅にたばこが値上げされます。300円が400円あるいはそれ以上になるとのこと。喫煙者同士で「どーする」「やめようか」「値上げを理由にやめるというのはかっこわるいよ」といった会話が交わされています。
 国を挙げて禁煙キャンペーンを行っているマレーシアのたばこのパッケージには、未熟児で生れた嬰児の写真が印刷されていてギョッとします。写真の傍らに「たばこは早産の原因になります」と書かれていました。禁煙は世界の流れだと思い、また、ここまでしなければならないほど、なかなかたばこはやめられないのか、とも思います。

 それにしても、些か納得がいかないのは、今回の煙草の値上げは誰が決めたのかがよく見えないことです。医療費を抑えたい厚生労働省は、1,000円まで上げたかったようですが、税収を確保したい財務省がこの程度、つまり、やめるまでには踏み切れない程度の値上げに抑えたのではないかなどと報道されています。政治家でも官僚でもいいから「私が日本のためにそう決めた。理由は……」というメッセージを出して欲しいと思います。

 地上デジタル放送の開始によるアナログ放送の停止というのも、いつの間にか、誰が決めたともわからずに降って湧いたことのように感じます。調べてみれば、この改変は良い事であり、また、電波行政上必要なことらしいのですが、やはり、顔の見えない「お上」が決めたという印象を拭えません。とくに国民の財布に手を突っ込むことですから、しっかりした説明があってしかるべきでしょう。
 最近、携帯電話の会社から、請求書はネットでとか、今使っている機種は使えなくなるので新しい機種を購入せよ、などと連絡が来ています。決まったことだからと、 上からものを言う調子は、お役所と同じです。
 庶民が知らないところ、政府や自治体、大企業で、いろいろなことが決まり、庶民の暮らしに割り込んでくるといったことが、最近多いと感じます。メディアによる報道のあり方にも問題があるのかもしれません。

 こうなると、高くなるタバコをやめるように、テレビや携帯電話もやめてしまいたくなります。テレビ中毒、ケイタイ中毒から逃れることができます。静かな落ち着いた生活が、取り戻せるかもしれません。そんな生活のなかで、何がしたくなるでしょうか。心静かに本(もちろん紙の本)を読み、それに飽きたらカメラ(もちろん フィルムカメラ)をぶらさげて散歩する、……そんなときにつける一服はきっとおいしいでしょう。

「いちにちの新聞の中で」  (編集部 K) 投稿日:2010/08/09

 7月31日(土)の新聞の経済面に、「メーカー好決算 アジアの恩恵」という記事が載っていました。現在、日本の各メーカーの業績が好調で、その理由は中国をはじめアジア地域で売上が伸びていることが主な要因だとのことです。
 日本企業が、中国やアジア諸国を安い労働力の豊富な生産拠点としてばかりではなく、広大なマーケットとしてとらえ、活動しはじめたのは、ついこの間のようで、もう随分前のことです。私はWBSを覗く程度で経済やビジネスに疎いのですが、先日、学校時代のゼミの同窓会に出た折、いろいろな業種の会社にいる友人や後輩たちが、日常的に中国やアジア諸国に出かけていることを聞きました。
 実は、そうした昨今の状況を目にし、耳にして、ふっと既視感をおぼえることがありました。先月復刻刊行した東亜同文会の最初の機関誌『東亜時論』には、百年あまり前、大陸やアジアでのビジネスを夢見、また実際に活動していた日本人たちの姿がありました。

 誌面には、もちろん政治、外交、軍事の記事・論説、欧米列国の動向などもありますが、中国、朝鮮やアジアの諸地域の様々な情報が掲載されています。各地の経済情勢や産業、鉄道、鉱山、水運などの記事が多く掲載されています。
 今回、「解題」として掲載を御許可頂いた加藤祐三先生(都留文科大学学長、横浜市立大学元学長)の論文「東亜時論」(1978年)には、わずか13ヵ月26号で終わった『東亜時論』はその短い期間にも主張の変化があったとしています。「政治重視から経済(貿易・商業)重視への転換」であるとのことです。さまざまな要素をはらんで出発した東亜同文会の中の主役の交替を示唆するものですが、その後、経済活動のための調査活動と人材育成は、東亜同文会の柱となってゆきます。
 大陸やアジアに商機と大きな可能性を求め、言葉や商慣習を必死に学び、日本を飛び出していった明治人たち。そして、グローバル化の中で企業の存亡をかけて、アジアに出て行く現代の日本企業。状況は大きく違います。例えば、西欧列強の圧力のもとにあった清朝末期の中国と、世界経済の主役の一人となった現在の中国。こわもての議論が交わされ銃剣がちらつく日清戦争後の日本と、長い平和のもと経済に専心してきけれど失速が危惧される現代日本。歴史は決して繰り返すものではないのですが、日本人や日本企業の動きに、何か、同じようなベクトルを感じました。
 「坂の上の雲」を目指した日本は1945年に挫折するわけですが、現在の動きはどうなるでしょうか。たとえば中国やアジアの経済が転び、その影響でともに転んでしまうのでしょうか。あるいは東アジア共同体のようなものが現出するのでしょうか。
                   *
 同じ日の新聞の埼玉版に「来日直後に「生活保護」すぐ入院 中国人 医療扶助目当てか」という記事がありました。県内に住む中国残留孤児の親族として来日した中国人家族が、来日直後に生活保護を申請し、自己負担のいらない「医療扶助」を利用しているという記事です。その理非はともかく、人は生きるため、より良い生活のために、他国といえども移動するものだというのが第一の感想です。
 かつて我々日本人も、よりよい生活をもとめて、移民や留学という形で、言語や文化の違う欧米やアジアの国々へ飛び込んでいきました。今、若者の中で海外への関心が薄れていると言われますが、それでも、さまざまな理由で、海外に出て行く人は身近にあります。
 今年度出版を予定している『多文化理解と多文化交流(仮題)』(御手洗昭治編)は、言語・文化を異にする人間間のコミュニケーションは、どうあるべきか、どうしたらより円滑に行えるかなど、いろいろな示唆を私たちに教えてくれる本になるはずです。
 もう一つの感想は、「中国残留孤児の親族として来日」というところに、まだまだ戦後は終わっていないと感じたことです。野中広務氏が、日本軍が中国に残してきた化学兵器のことを例に挙げて、戦後処理は終わっていないと語っているのを、ある本で読みました。敗戦は、はるかに遠い昔とも感じますが、ついこの間のこととも言えるでしょう。  (65年目の長崎原爆の日に K)

初めての宇宙食 (編集部S) 投稿日:2010/06/15

 中国で初めての有人宇宙飛行に挑んだ宇宙飛行士が、その自叙伝のなかで「宇宙食メニューに犬肉が含まれていた」と暴露した、とのニュースを読みました。
 何もわざわざ宇宙で犬を食べてなくても、豚肉や牛肉ではダメなのかとも思いましたが、犬肉を食すと身体から熱が出て、保温効果に優れるからだとのことで、栄養士も推奨していたといいます。
 
 さかのぼること1961年、宇宙空間で人類として初めて食べ物を口にしたソ連のゲルマン・チトフ宇宙飛行士は、宇宙酔いのため、食べたものをもどしてしまったといいます。現在のように立派なものではなく、歯磨き粉のようなチューブに入った離乳食風のものだったとのことで、犬肉の味にも遠くおよばなかったのかも知れません。

 私も最近、市販されている宇宙食のアイスクリームを食べる機会がありました。パッケージには、「NASAの宇宙飛行士が宇宙で食べた食事と同じ製法・材料で製造された公式宇宙食です。」と書かれ、バニラ、ストロベリー、ココアと3つの味が入っています。
 最初に口に入れた食感は「らくがん」そのもので、アイスクリームもどきを食べさせられたかと思いました。が、すぐに口のなかで溶け始め、溶けきると味はまさしく本物のアイスクリームです。ただ、あたり前の話ですが、まったく冷たくないので、ここが評価の分かれ目になりそうです。
 アイスクリーム好きの飛行士にとっては、「冷たくはないが、宇宙でもアイスクリームが食べられる!」と喜ぶか、「こんな冷たくないものはアイスクリームとは呼べない、食べたくもない!」と、意見が分かれそうです。

 さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(全6巻)の第1巻「宇宙探査機・ロケット」が5月末に刊行されました。ソ連のチトフ飛行士が乗っていたボストーク2号のひとつ前、ボストーク1号(ガガーリンが乗っていたもの)も、本書の1項目として、見開き断面イラストとともに紹介されています。
 今月末には(2)自動車・バイク、以後、(3)デジタル機器(4)船・潜水艦(5)エネルギー機器(6)航空機と、毎月1巻ずつの刊行予定です。