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ゆまにだより

ヨーロッパの学会に参加してきました(第一営業部 K) 投稿日:2017/10/04 NEW!

ヨーロッパの学会に参加してきました(第一営業部 K)

8/30から9/2までポルトガルのリスボンで開催されたEAJS 2017 に参加して来ました。

ヨーロッパ、北米、日本などの幅広い地域から日本語教育、日本研究の研究者の方、図書館の方が参加され、会場は多数の人で賑わっておりました。
ゆまに書房はこの学会は初めての参加です。
今回は紀伊國屋書店ロンドン事務所の方にいろいろお世話になり、カタログや本のサンプルを展示させていただきました。

会期中は多数の研究者の方が小社ブースに訪れていただき、ご挨拶することが出来ました。
お話しさせていただくとご勤務なさっている国も様々でしたし、ご研究なさっている内容も様々でしたが、一番みなさんが御興味を持って頂いたのは新刊の「ツーリスト」でした。
観光について研究されている方も沢山いらっしゃいましたし、中にはパンフレットに載っている表紙のサンプルを見て「タイトルの字が横組みなのに縦書きの伸ばす字を使っているのが面白い」という反応もあって研究者の方って色々な観点に興味をお持ちになるんだなあと感心しました。
確かにこのデザインがいつぐらいまでに使われているか調べて見たくなりますね。(右上画像)

また学会の前後ではヨーロッパの図書館や大学を何カ所か訪問させていただきました。
訪問した各機関でも沢山の本を紹介させていただきましたが、やはり電子書籍に対する御興味が高かったように感じました。
ゆまに書房の電子書籍と言えば「Web版 風俗画報」ですが、評判はとても良かったと思います。
そんな「Web版 風俗画報」はカラー画像を現在掲載している物からより高精度の物に差し替えるべく、作業を進めております。
かなり鮮明になる予定ですのでご期待ください。


今回訪問させていただいたある大学ではとてもお世話になっている研究者の方とばったり会ったりして、お互いにびっくりしました。
日本研究のネットワークは世界中に広がっていることを改めて実感しました。
ゆまに書房の名前も世界中にもっともっと広げていきたいですね。

ゆまにだより(関西オフィス K) 投稿日:2017/09/06

 ゆまに書房は社員が交代で夏休みを取ります。
 大阪に拠点を置く私は、雨ばかりの東京の様子を写し出すニュース映像を尻目に、例年以上に暑いお盆を過ごしました。
 旅行の予定もなく、元々「涼しい室内でゆっくり読書でも」と思って臨んだ夏休みですが、あれこれ普段できていない家の雑務(草引き等々)をして大汗を流すと、そのあとは決まってうとうと寝てしまう、そんなゆったりした何の変化もない夏休みとなりました。

 浅田次郎先生の作品はほとんど読んでいる(文庫版に限る)と思っていたのですが、2013年に刊行済みの文庫版「マンチュリアン・リポート」は読み損ねており、やっと読む機会に恵まれたのがこの夏休みでした。
 読み出すや、さすが浅田先生!その文章力と流れの小気味よさに引き込まれ、あっという間に読了となってしまいました。
 この「マンチュリアン・リポート」は、「治安維持法」に反対したため禁固の身になってしまった陸軍中尉が、昭和天皇の密命により張作霖爆殺事件(奉天事件)の真相を調べ、その報告をするために大陸に赴くことになるのですが、そのリポート第1信の冒頭に『昭和四年に大型客船に乗り「北京駅」に降り立つとその足で「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」の窓口を訪ねる』という文章が出てきます。当時の旅行に「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」(JTB)はなくてはならない存在でした。
 「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」は1912年3月(明治45年)、時の鉄道院官僚木下淑夫の「外客誘致論」に木下の直属上司である鉄道院副総裁平井晴二郎が共鳴、鉄道院の協力で創設されました。創設当初は日本を旅行する外国人の斡旋を主な業務としましたが、日本人旅行者への斡旋も時代を経て行われるようになります。
 創設の翌年、1913年(大正2年)には旅行雑誌「ツーリスト」が創刊されます。
 この「ツーリスト」を見渡せば、当時の日本各地・外地・植民地の様子を感じられるだけでなく、当時の旅行の状況、政策にも触れることができます。
 ゆまに書房では、この「ツーリスト」を公益財団法人日本交通公社「旅の図書館」が所有するデジタルデータの提供を受け、この秋から刊行を開始します。
 大学・研究機関・公共図書館には是非揃えていただきたい当社一押しの企画です。

20世紀の検索エンジン(出版部 M) 投稿日:2017/08/08

 インターネットは今や、私たちの生活に欠かせないものになっている。特に、グーグルのような検索エンジンは、多くの人が日常的に利用するツールではないだろうか。例えば、何かの用事で、1990年の東京都の人口を調べなければならない、ということがあったとしよう。その時、検索窓に「1990年 東京都 人口」と入力し、「検索」をクリックすれば、瞬時に情報が提供される。しかし、これはつい最近の話で、長い間、信頼できる情報がどこに存在するかという情報が重要であった。つまり、情報についての情報を確保しておくことは切実な問題だったのだ。
 今日、図書館の蔵書もOPACと呼ばれるインターネット上の書誌目録で検索することが一般的となった。私が大学に入学した21世紀初年には、レファレンスの棚には製本された蔵書目録が、なお鎮座していた(もっとも、私も利用したことはなかったが)。当時は、紙による目録からネット上の目録への過渡期であった。
 図書館は、十進分類法に沿って図書を分類する。国立国会図書館は約4,188万点(2015年度調査)の資料を所蔵しているが、各資料はいずれかの項目に分類されている。例えば、プラトンの著作集であれば100番代に、解析概論であれば400番代に、夏目漱石の小説であれば900の項目に入っているという具合である。このように夥しい数の書籍が一つの秩序に従って図書館という小さな世界を形成する。これを書誌的宇宙と呼ぶこともある。
 かつて日本は、「満洲国」という国家を作り上げた。現在の中国東北部に位置したとはいえ、中国、ロシア、日本の要素が混在した領域で、新たに統治を担った官僚たちの苦労は並大抵ではなかったはずだ。初めてやって来た土地で、◯◯省の小麦の生産量は何トンか、◯◯年に◯◯市で何があったか等、政策策定の根拠となる情報を把握するのは至難の業であっただろう。
 昨年、弊社は『「満洲国」公的機関収蔵図書目録』と題して、「満洲国」国務院や民生部等の図書目録を復刻した。同国の院や部(日本の省庁に相当)は独自の図書室・資料室を備えており、利用者のためにそれぞれ図書目録を編纂していた。これらの目録には、各省・市の人口、経済の統計情報や商業習慣についての報告書、現地の歴史に関する漢籍等のタイトルがぎっしりと詰まっており、執務の情報源として重視されていたことがうかがえる。
 さらに今年、弊社は満鉄等の国策企業の目録を集めた『「満洲国」政府系企業による蔵書目録』を復刻する。満鉄調査部は戦前期最大のシンクタンクであり、日中戦争に関する多数の報告書を作成したが、同部もまた1500頁以上にも及ぶ『資料分類目録』を編纂している。この目録は、マルクス主義の理論書から中国の一農村の統計に至るまでの書誌情報を集めた、近代アジア・中国に関する最大級の目録である。
 インターネットのなかった時代、こうした目録こそ現代の検索エンジンに相当するものであり、国家・企業の情報活動を支えていた。文献を探すためではなく、当時の情報の精度を測る面から、これらの目録を読んでみるのも面白いだろう。

変わるもの、変わらないもの。(出版部 K.Y) 投稿日:2017/07/05

風景が変わる、ということに、これほど違和感を覚えるとは。
2020年の東京オリンピック向けて、「変わらなければならない」という強迫観念に囚われすぎているのじゃないかと思う。
神田もここ1、2年で急激に変わった。アーチを描く赤煉瓦の高架下も、道のかたちも。綺麗に舗装された歩道と、植えられたばかりのまだ細くてたよりない街路樹。そこにのっぺりと並び立つビジネスホテル。新しいホテルは神田に在っても「〇〇ホテル 大手町」という。ただ、変わらないものも、確かに、ある。古くからそう呼ばれている通りの名前、商店街のお稲荷様、神輿を担ぐ威勢のいい掛け声。昔ながらの間口の狭い個人商店も神田の風景のひとつ。酒屋、八百屋、豆腐屋、文房具店。そこで毎朝交わされる「おはようございます」の声も。

考え続けなければならないことも多くあるというのに。
なにかを考え続けたり、深く掘り下げたりすることすら困難だ。
平日。選挙が近づけば、家のポストには毎日、選挙チラシが無造作に突っ込まれる。仕事から帰って、まずは候補者の顔のシワのばし。
週末。小学生になった姪から「おばちゃん、なんで? なんで?」攻撃を受ける。
そこでおばちゃんはその場しのぎの答えを必死にこしらえる。軽い罪悪感に襲われつつ、素直に疑問をぶつけるまだまだ弱くて小さな存在に豊かな未来を見る。

8月が近づくと、戦争や沖縄、戦後についてなんとなく考えているつもりになる。この歴史への想像力の欠落と貧困に向かう頭をどうにかしなければと思い、通勤の行き帰りだけでも時事につながる本を読む。新聞やインターネットニュースに目を通すのは簡単だが、一体どれだけ読めているのか。甚だ心もとない。まずは初心者向けの本をと地元の書店に向かい、樋口陽一『「日本国憲法」まっとうに議論するために』など手に取る。

このメルマガを書く前に、あらためて渡辺憲司先生の『江戸遊里の記憶 苦界残影考』を読む。『江戸遊女紀聞 売女(ばいた)とは呼ばせない』に続く著作。遊廓という世界で人生を送った女たちの現実を前に、研究者である著者自身のためらいや迷う姿が織りまれるノスタルジックではない歴史紀行。チラシと本の挿絵に使った絵葉書は、新吉原大文字楼の遊女柏木の花魁道中を写したもの。セピア色の人の群れのなかで、彼女はひとり、前を見据えて歩む。編集作業で帰りが遅くなった夜など、神田駅に向かう道すがら商店街で客引きに立つ若い女性たちの姿に、単なる過去として片付けられる事など何もないと、いきどおった気持ちを思い出す。これも神田の変わらない風景、である。

「梅雨入り」(出版部 K) 投稿日:2017/06/09

昨日の昼、親類が急に入院したという連絡が入り、仕事を終えたのち病院に向かった。宵の東京近郊の私鉄の駅からタクシーに乗ったが、パラパラとフロントガラスをたたく雨に「ああ梅雨のようだ」と感じた。そのことを言うと、運転手さんが「四国から関東まで梅雨に入ったようですよ」と教えてくれた。
また、ちょっと憂鬱な季節がはじまった。
       *
今日の朝も梅雨っぽかったが、夕方、所用で街にでてみると強い夕日が差していた。どこか南の島の日差しのようだった。
この夏、奄美大島に行く方で、ちょっと歴史にも関心がある方がいらしたら、お勧めの場所がある。龍郷町に建立された「笹森儀助島司顕彰の碑」である。この6月4日に除幕式が行われた。近代の著名な探検家であり『千島探検』『南島探検』の著者、笹森儀助の奄美での業績を顕彰する石碑である。なお、「島司」とは、明治、大正期の当初地区に置かれた行政官で、県知事の下の位である。
 ※詳しく知りたい方は『近代日本の地方統治と「島嶼」』(高江洲昌哉)を御覧下さい。
除幕式には、碑文を起草された松田修一先生(東奥日報社特別編集委員)も列席されたが、松田先生は小社刊『我、遠遊の志あり―笹森儀助 風霜録』の著者である。笹森の足跡を追って各地に赴き、西表島の横断を試みるなど、取材を積み重ねて書かれた同書は興味が尽きない。
 龍郷町には西郷南洲謫居跡がある。そこには笹森が呼びかけて立てた石碑があり、碑文は勝海舟が書いている。来年の大河ドラマ『西郷どん』(せごどん)で奄美大島はちょっともりあがりそうだ。この夏、先取りで出かけるのもよいだろう。
           *
夏の旅には、足を伸ばして東南アジアもよい。ただ、東南アジアに出かけるときにちょっと気にかけておきたいのは太平洋戦争のことである。マレーシアのマラッカの街外れを歩いていたら大きな碑があった。漢字で「抗日烈士」の言葉があってびっくりした。華僑の人々が日本軍に抵抗したらしい。シンガポールの博物館では戦時期の町の一画のパノラマがあり、現地の人々に銃剣を向ける日本軍の人形があった。
こういった地域では、日本軍は軍政を敷き、新聞発行なども行っていた。小社刊行の『スマトラ新聞』は、インドネシア国立図書館に残っていた約100号分を復刻したものである。軍が地元の人々を味方にしようとした施策など興味深い。
          *
東南アジアのスコールの降る密林の中で、日本と米英豪の青年たちが、地元の人々を巻き込みながら殺し合った歴史は忘れてはいけないだろうと梅雨の日本であらためて思った。
※ 『マッカーサーと戦った日本軍―ニューギニア戦の記録―』を読んで欲しい。
                             2017/06/08  K

江戸城のお庭から、全国2万8,000kmへ!(第二営業部 T) 投稿日:2017/04/10

先日、たまたまテレビのチャンネルを回していたら、「今、再び注目される路面電車!」というニュースをやっていた。
具体的には、東京の葛飾区において、区内の南北を結ぶ交通網の整備のために、既存の貨物線の線路を利用して路面電車を導入出来ないか検討しているという話題だった。
さらには、こういった路面電車の導入の動きが、横浜市や宇都宮市、さらには東京の豊島区でもあるという。
もちろん、導入には多くの課題もあって決して簡単ではないのだが、超高齢化社会の中で自動車に頼った交通のあり方を見直さなくてはいけない時代にもなりつつあるのだと、昭和7年をピークに衰退していった路面電車が再び注目を集めているというニュースに大変興味深く感じた。

さて、この4月1日に、旧国鉄が民営化されて、30年目の節目の年を迎えた。
つまりは、JR7社が発足して丸30年だ。
国鉄時代と比べて、民営化はサービスの向上や利便性の高まりを生み出してきたが、一方では年に平均一路線は廃線になっている現状もある。
豪華列車の投入や、リニア中央新幹線の建設という明るい話題も多いのだが、反対にJR北海道やJR四国などの在来線の危機がそれだ。

この節目のタイミングで、ゆまに書房から『ビジュアル日本の鉄道の歴史(全3巻)』の刊行を開始する。

日本の鉄道の歴史というと、明治5年に新橋-横浜間で日本初の鉄道が開通したところから始まるのが一般的だが、その原点はというと、もう少し遡って、幕末に浦賀に来航したペリーが、江戸城のお庭にレール幅55㎝もあるミニSLのような模型の蒸気機関車を走らせたところから始まる。
このわずか一年後に、佐賀藩の佐野常民は、自分自身でも鉄道模型を製作してしまい、それを走行させた光景の絵図にはビックリだ!
 
以来、現在までのおよそ160年、敷設総距離約2万8,000㎞、1日の乗客約6,500万人、1日あたりの運搬貨物約12万トン、最高時速320㎞を誇るまでに成長した、日本の鉄道の歩みを、様々な写真や図版でビジュアルに紹介するシリーズとなっている。
もちろん、路面電車も、JRの誕生も、日本の鉄道の歴史には欠かせない出来事だ。
日本の鉄道も160年もの間、紆余曲折を繰り返して現在に至っており、現在、それを牽引するJR各社も30年経って、改めての課題や海外への展開など新たなるスタートを切ることになるだろう。


ゆまに書房は、この「ビジュアル日本の鉄道の歴史(全3巻)」を皮切りに、学術書と一般書の両面で良書を刊行していきますので、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

近刊のご紹介―『近世日朝交流史料① 通訳酬酢(仮題)』 5月刊行予定 (出版部 E・Y) 投稿日:2017/03/14

 国際交流とか文化交流とかいう言葉は、近年、大学の学部の名称にも使われるほど流行りですが、本書は約300年前の実際の国際文化交流の史料です。
 江戸幕府の外交といえば、朝鮮通信使が思い出されます。弊社でも『対馬宗家文書 朝鮮通信使記録』(田代和生・李薫監修)を刊行しています。では、近世の朝鮮との外交を現場で担当していたのは、どんな人たちだったのでしょうか。当然、江戸幕府の役職には朝鮮外交部門はなく、対馬藩がその任を請け負ったのですが、対馬藩でも実際に交渉役を担ったのは、「六十人」と呼ばれた古くからの特権商人たちでした。厳しい訓練をへて、彼らのうちから「朝鮮語通詞」が選ばれます。
 今回は、その名門商人「六十人」の一人で大通詞にまでなった小田幾五郎が、後輩通詞のために晩年まとめた書「通訳酬酢(「酢」は本当は酉へんに「作)」(つうやくしゅうさく)を紹介いたします。
 本書は、朝鮮外交を担った朝鮮側の訳官と対馬の通詞の問答集です。内容は、政治、制度、外国のことから、女性、音楽、日常生活の礼儀作法までさまざま。中には、通詞が釜山にあった和館の訳官に対して、訳官の随行員たちの非礼をあげつらっているところもあります。口に触れる喫煙器具を下人たちが足で蹴ったり、人前での放屁を憚らなかったり、客殿へ尿瓶を持ち込んだりするなど、真剣に訳官に諭しています。また、朝鮮王朝の支配階級、両班(ヤンパン)の尊大な態度を双方で嘆く、興味深い場面もあります。科挙試験に合格し日本文化にも精通する教養人の訳官ですが、身分的には両班と常民(平民)の中間階層です。彼らの側でも、両班の立ち居振る舞いに苦慮している姿が、問答の中に描かれています。
 また、当時、対馬藩は、朝鮮通信使を江戸でなく対馬で応対できるよう、朝鮮と交渉するように幕府から命じられます(「易地聘礼」)。通信使には膨大な出費がかさむからでしたが、このミッションは、対馬藩内の政争にも波及し、交渉の難航とともに、偽造された公文書まで登場し、小田幾五郎は任地の和館にて禁足となります。その時、和館の蟄居部屋に訪れた訳官催昔(チェソク)の幾五郎への申し出は、常識では考えられないことでした。催昔は、ほかの訳官たちと協議して、幾五郎を逃がそうと衣服と路銀を持ちこみ、さらに幾五郎が、都の漢城で一生豊かに暮らせることを確約すると申し出ます。
 如何でしょう。小説より奇なるこの史実。この史料は、田代和生校注『通訳酬酢』として5月に刊行予定です。原文編のほかに解読編という読み下し文と詳細な注がついていますので、誰でも気軽に読むことができます。
 歴史(日本史、朝鮮史、東アジア史)研究の分野のみならず、文学、民俗学、地理学、船舶学(貴重な歴史的船の記述があります)、社会学等、多くの分野で有用な史料として利用頂けるよう願っております。

*校注者の田代和生氏にならい、「倭館」は小田幾五郎の時代の表記「和館」としました。

ふたりの研究ノート(編集室 H) 投稿日:2017/02/10

先日、しばらくぶりに百科事典をひらいた。年末に実家の本棚の整理をしていて、ふと目についたからだ。引越しか何かで処分したものだとてっきり思っていたら、どうやらずっとそこにあったらしい。本棚に備え付けられた調度品のようにきれいに収まっているからなのか、長いあいだ気づくことも読むこともなかった。少しばかり申し訳ない気持ちになりつつ、むかし読んだ項目のことを思い出しながらページをめくることにした。暇な時や眠れない時ばかりによく読んでいたので覚えていないものもあったが、分からないことがある時に調べたり、きちんと読んだりした項目については、だいたい覚えていた。
 
今では分からないことがあると、すぐにインターネットを使って検索する。ちょっと思い出せない些細なことでも、思い出そうとするよりも先に単語を入力する。何も調べなかった日なんてあまりないくらい、当たり前のようにインターネットを使う日々を送っている。時間も場所も文脈も何も関係のないところで、分からないことがすぐに分かるのは便利であることに違いはないのだけれど、知識や情報が定着しないようにも思う。ひどいときには調べたことすら忘れていて何度も同じことを調べてしまう(単にわたしが使いこなせていないだけなのだけれども)。
 
ひさしぶりに読んだ百科事典は、読み物としても、とてもおもしろかった。たしかにインターネットのような即時性はないかもしれないが、体系的な知識や情報のゆたかさがそこにはあるように思う。

昨年6月に小社より刊行した『日本映画研究へのガイドブック』は、ガイドブックというタイトルではあるけれども、日本映画研究のための、ポケット百科事典のようなものだ。

マーク・ノーネス氏(ミシガン大学教授)、アーロン・ジェロー氏(イェール大学教授)によって書かれた本書は、2009年にミシガン大学日本研究センターより出版された ”Research Guide to Japanese Film Studies” の日本語版だ。しかも、最新の情報が加えられたアップデート版である。日本国内や海外のフィルムアーカイブ、日本映画に関する基本参考文献、映画関連書籍を扱う古書店、ウェブサイトなど、研究に欠かすことのできない資料源を網羅的に紹介している。
それだけではない。本書では著者たちが日本映画の研究に長年向き合うなかで経験した困難や苦労したエピソードも披瀝される。実際にアーカイブや図書館、古書店へ訪れる際には、これらのエピソードが参考になるだろう。ほかにも、充実した書誌・文献解説、日本映画の調査研究に関するよくある質問など、おしげもなく日本映画研究に関する体系的な知識・情報が提供されている。

本書は日本映画研究の百科事典でもあり、優れたレファレンスブックでもあり、そして、ふたりの研究ノートでもある。

ふたりの著者は、読者との協働作業によって、さらなるアップデート版を出したいと考えているそうだ。詳細については本書を読んでほしい。映画研究者の方、これから日本映画研究をはじめる方、日本映画研究に少し興味のある方、なんとなくおもしろそうだなと思っている方などなど、多くの方に手に取ってもらえれば幸いである。

新春のごあいさつ 投稿日:2017/01/17

  新春のご挨拶を申し上げます。
  旧年中は格別のご支援を賜り厚く御礼申し上げます。

  昨年は、御陰様にて教育図書では、
『15歳の短歌・俳句・川柳』(全3巻)、『脳と目の科学』(全2巻)、『アリスのワンダーランド』(全1巻)、『世界の難民の子どもたち』(全5巻)等を好評裡に刊行することが出来ました。
  
  また、学術・研究書の分野では、
『西崖 中国旅行日記』(吉田千鶴子編修)、『日本映画研究へのガイドブック』(阿部・M・ノーネス、アーロン・ジェロー著)、『血の報復』(岡田英樹訳編)等の研究書をはじめとして、『大正天皇実録 補訂版』(全6巻・別巻1)、『近代中国指導者評論集成』(全10巻)、『會舘藝術 Ⅰ・戦前篇』(全11巻)、『コレクション・戦後詩誌 Ⅰ』(全20巻)、『四親王家実録 Ⅱ・桂宮実録』(全7巻)、『近代中国都市案内集成 大連編』(全18巻)等の全集が新たにスタートいたしました。
  
  特に、『大正天皇実録 補訂版』(宮内省図書寮編修、岩壁義光補訂)は、神武天皇以来昭和天皇まで全124代天皇の内、唯一「実録」(明治天皇のみ『明治天皇紀』)が未刊であった極めて貴重な史料と言えましょう。
  本書の底本は1936年(昭和11年)に完成されていましたが、その後長く非公開とされていました。しかし、時代の変遷とともに公開要望の声が高まり、2002年から2003年及び2008年に黒塗り部分を施して公開されました。皮肉にも「大正天皇実録」の名が広く世間に知られたのはこの墨塗りの話題からでした。
  
  今回弊社で史上初めて公刊した『大正天皇実録 補訂版』は、墨塗りで公開されたため底本の文章として不備であった墨塗り箇所を文章上矛盾のないように調整して、その調整の理由を「註」で記しております。
  また併せて可能な範囲で墨塗り部分に関する他情報等の資料も加えております。「電光感冒」のような意味が分かりにくい用語も「註」で「インフルエンザ」と用語解説され、読者がより利用しやすくなっております。
  
  本書は昨年12月23日、今上天皇の誕生日に【第一】(御幼少・皇太子時代)を刊行いたしました。ぜひ、ご書架に加えて頂きますようお願い申し上げます。

  本年も『ビジュアル日本の鉄道の歴史』(梅原淳著・全3巻、4月から毎月一冊刊行予定)、『近世日朝交流史料』(田代和生監修・翻刻)等々数多くの新刊を予定いたしております。
  
  本年も倍旧の御指導、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。
     
      2017年 正月

                           株式会社ゆまに書房
                             代表取締役社長 荒井秀夫

西大井にて(出版部 K) 投稿日:2016/11/11

 数日来、雨が多かったせいか足もとの黒土は湿っていました。見上げるとそびえたつ樹々が囲む空が青く目に沁みました。
 大井駅から5分ほど歩き、小さな踏切を渡って、伊藤博文とその奥さん梅子の墓所に到着しました。上を東海道新幹線が通り、横須賀線や湘南新宿ラインの電車がとまる西大井駅やその周辺の街の様子は、特別変わりなく、秋らしい爽やかな空気に包まれていました。
 毎年10月26日の行われる墓前祭に折々参列させていただいております。今日は、早く着いたのでまだ閑散としている墓所の敷地の中を歩きながら、ぼんやりと伊藤博文について考えました。
 最近の「御退位」をめぐる問題で、伊藤博文の意向が現代にまで及んでいることが言われています。現在の問題にどんな判断を下すかは現代の英智を結集して考えるべきことですが、ここに伊藤が登場することに、あらためて感心しました。やはり、近代日本をデザインした男という印象があります。『伊藤博文文書』と銘打って「秘書類纂 全127巻」、「伊藤公雑纂 全14巻」を復刻出版しましたが、それが今後の研究に役立てばと願っています。
 実は、伊藤博文については、別の仕事で少し関わった、正確に言えばその顔をよく見た時期がありました。『宮武外骨此中にあり』(全26巻)に収録されている「滑稽新聞(完全版)」には、揶揄される人物として繰り返し登場します。パラパラと開くとあちこちに伊藤の似顔絵があります。外骨のしつこさもすごいですが、それをゆるしている伊藤もなかなかの人物と感じていました。
 今、小社では『大正天皇実録―補訂版―』(全6巻・別巻1)にとりかかっております。原稿を見ていると、まだ幼い明宮(はるのみや、のちの大正天皇)に若き伊藤博文が拝謁に来る場面がありました。儀礼的なものとはいえ、それぞれの立場で近代を生きてゆく二人の出会いにちょっと感動しました。
                * * *
 ふと気づくと、多くの人々が墓所に集まっていて、11時からの墓前祭がはじまるのを待っていました。そして、笛の音が響き、厳かに墓前祭がはじまりました。高いところを新幹線が通るのが木の間に見え、それなりの轟音が聞こえてくるのですが、何度か参列して、慣れてしまいました。高速鉄道が縦横に走る日本列島は、伊藤博文のデザインの中にあったのかもしれません。墓所の近くを新幹線が走るのを伊藤は満足して見ているのではないかと思いました。
 なお、伊藤博文公墓所は普段は入れません。ただし、脇の公園からその様子を窺うことはできます。その公園も含めたこんもりした森になっています。機会がありましたら、どうぞ。