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四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 全7巻

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 全7巻

[監修] 吉岡眞之 [監修] 藤井讓治 [監修] 岩壁義光

揃定価189,000円(揃本体175,000円) 
ISBN 978-4-8433-5102-4 C3321
B5判/上製/函入
刊行年月 2016年10月

関連情報

本書の内容

『天皇皇族実録』の真の意味での完成を期し、『四親王家実録』をはじめて公刊。

☆「四親王家」各実録をはじめて公刊。『天皇皇族実録』に記述のない部分を埋める唯一の資料。

本書の内容と特徴

●『四親王家実録』とは
伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮の四宮家は、それぞれ血統を天皇に承け、代々親王宣下を受けて宮家を世襲してきた。歴史的には、宮家より皇統を継いだ場合や逆に皇子にして宮家を継いだ場合もあり、四親王家と天皇家の関係はきわめて密接であった。しかしながら、『天皇皇族実録』に各宮家に属する皇族の事蹟を併載することは、困難かつ相応しくないと言うことで『天皇皇族実録』編修の際に別に『四親王家実録』の編修が予定され、四親王家に属する皇族の実録は省かれた。

●『四親王家実録』の成立
『天皇皇族実録』の印刷が完了した一ヶ月後の昭和一九年八月から『四親王家実録』の編修が開始されたのは、当初の意図から当然の成り行きであった。しかし、まもなく敗戦を迎え事業は中止となった。戦後『貞明皇后実録』、『昭憲皇太后実録』の編修完了を経て昭和四〇年四月に事業が再開されたが、『明治天皇紀』公刊事業によりまたもや編修が遅れ、ようやく昭和五九年三月編修事業が終了した。幕末維新の際に伏見宮家から独立した宮家の皇族については、『明治以後皇族実録』として後に編修された。

●『天皇皇族実録』を補完
『天皇皇族実録』で省かれていた、各宮家に属する皇族の事蹟である『四親王家実録』の公刊により、真の意味での『天皇皇族実録』の完成となる。

●近世公家社会研究に有益
近世に書かれた未公刊の日記を大量に含んでおり、近世公家社会研究にも大変有意義である。

●解説
『四親王家実録 第Ⅰ期 伏見宮実録』の最終巻に解説を収録。

●特におすすめしたい方● 日本中世史・近世史・近代史、日本文化史・政治史などの研究者、大学図書館、公共図書館、関係研究機関など。

【桂宮】
桂宮は、後陽成天皇の実弟・智仁親王を祖とする宮家。初代・智仁親王は、幼時に豊臣秀吉の猶子となるが、天正一七(一五八九)年、山城国に三千石余を下賜され八条宮を創設した。なお、第六代・作宮(霊元天皇皇子)は新たに「常磐井宮」の宮号を賜ったが、宮号は、第七代・文仁親王(作宮異母兄)の相続時に「京極宮」、第一〇代・盛仁親王(光格天皇皇子)の継承に際し「桂宮」と改称された。歴代当主は、第二代・智忠親王以降、早世が続き、天皇の皇子を五代にわたり継嗣に迎えている。しかし、第九代・公仁親王が薨去した後は、文久二(一八六二)年に淑子内親王(仁孝天皇皇女)が第一二代当主を継ぐまでの間、実質的に空主となった。淑子内親王は、明治一四(一八八一)年に薨去。継嗣子は無く、皇族の養子縁組を禁じた旧皇室典範の規定により、桂宮は内親王をもって断絶した。同宮家の石高は、四親王家中最大であり、家領が当主の血統によらず相伝された点が「世襲」親王家として特徴的である。

既刊・続刊
◆第Ⅰ期◆伏見宮実録 全19巻 既刊●揃定価:本体475,000円+税 ISBN978-4-8433-4791-1 C3321
◆第Ⅲ期◆有栖川宮実録 全4回配本予定………………………2017年10月〜2019年2月刊行予定
◆第Ⅳ期◆閑院宮実録  全2回配本予定………………………2019年10月〜2020年2月刊行予定 

刊行のことば      吉岡眞之/藤井讓治/岩壁義光

 さきに刊行された『天皇皇族実録』に引き続いて、その続編ともいうべき『四親王家実録』が復刻刊行されることとなった。
 四親王家とは、中世後期に創設された伏見宮家を始め、近世初〜中期にかけて設立された八条宮(後に常磐井宮、京極宮、桂宮と改称)、高松宮(後に有栖川宮と改称)、閑院宮を総称する名称である。四親王家は、当初必ずしも皇統維持の観点で設立されていたわけではないが、遅くとも近世中期ころから、皇位継承の危機に備えるためとする認識が次第に広まっていった。各宮家の代々当主は天皇の猶子あるいは養子となって親王宣下を受けて親王となり、皇位継承に備えつつ近世末期に及んだ。
 四親王家と天皇家の関係はこのように密接であり、『四親王家実録』もまた『天皇皇族実録』の一環として編修されるべき性質のものであった。しかし四親王家代々の親王およびその妃・王子女等の事績を、それぞれの祖に当たる天皇の実録に組み込むことになれば、実録の様態・内容がきわめて複雑なものになることは明らかであった。このため四親王家の実録については『天皇皇族実録』とは別に『四親王家実録』として編修することとなったのである。
 『四親王家実録』の体裁は『天皇皇族実録』にならい、親王家ごとに編年綱目体で編修された。すなわち年月日ごとにまず綱文を立て、その後に綱文の根拠となる史料を配列する。引用史料は各宮家当主の日記、宮家の家職に関する日誌を始め、公家日記、関連寺社の記録類、また京都御所東山御文庫・宮内庁書陵部・国立公文書館内閣文庫・近衛家陽明文庫などに所蔵されている信頼性の高い史料を広く収集し掲載している。引用史料はこれまで知られていなかったものも多く含んでおり、『四親王家実録』がとりわけ近世を中心とする公家社会史研究に資する点は少なくない。
 『四親王家実録』は宮内省図書寮において一九四四(昭和一九)年に編修が開始されたが、一九四五年の第二次世界大戦敗戦にともない、編修事業は中断を余儀なくされた。その後、一九六五(昭和四〇)年に宮内庁書陵部編修課は『四親王家実録』の編修計画を策定し再び事業の開始を企図したところ、翌年明治百年記念準備会議が『明治天皇紀』の公刊を宮内庁に求めたことから、編修課がこれに従事することになった。このため同課では二つの大きな事業を並行して進めることとなり、当初の編修計画は大幅に遅延したが、一九八四(昭和五九)年三月にいたり『四親王家実録』は完成を見たのである。
 『四親王家実録』には四〇七名の皇族の事績が二九四冊にまとめて収載され、総目次・系図一冊が添えられた。また別に実録本編より綱文を抄出した抄出本五部(一部三三冊)が作成された。宮家ごとの内訳は以下の通りである。

 総目次・系図 一冊
 伏見宮家   二四七名 一二九冊
 桂宮家    三七名 三五冊
 有栖川宮家  七五名 九〇冊
 閑院宮家   四八名 四〇冊

 『伏見宮実録』から順次刊行し、今回は『桂宮実録』を2回に分けて刊行する。多くの方々に利用されんことを切に願っている。

四親王家と親王宣下について
 元来、親王とは、大宝元年(七〇一)制定の大宝継嗣令により定められた、天皇の兄弟・皇子を表す呼称(姉妹・皇女は内親王)である。しかし平安時代以降は皇族の臣籍降下が盛んに行われる一方、天皇の兄弟姉妹、皇子女でも親王宣下を受けなければ親王・内親王を称することができなくなり、親王宣下の対象は次第に拡大していった。かくして鎌倉時代後期には五辻宮、常盤井宮、木寺宮など、当主が親王宣下を蒙って宮家の称号を代々継承する世襲親王家が成立した。しかしこれらの宮家は室町時代中・後期には姿を消した。
 四親王家は世襲親王家の延長上に位置するものであった。室町時代にはまず崇光天皇(北朝第三代)の第一皇子栄仁親王を祖とする伏見宮家が成立し、ついで室町時代末期から江戸時代中期にかけて正親町天皇の皇孫智仁親王に始まる八条宮家(後に常磐井宮、京極宮、桂宮と改称)、後陽成天皇の皇子好仁親王を祖とする高松宮(後に有栖川宮と改称)、東山天皇の皇子直仁親王を初代とする閑院宮が成立した。これらの親王家は後に四親王家と総称された。各宮家の歴代当主はおおむね天皇・上皇の養子もしくは猶子として親王宣下を受け、それぞれの宮家を継承しつつ幕末に及んだ。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第1回配本 全3巻

刊行年月 2016年10月 揃定価81,000円 (揃本体75,000円) ISBN978-4-8433-5103-1

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第1巻 智仁親王実録

刊行年月 2016年10月 定価27,000円 (本体25,000円) ISBN978-4-8433-5105-5

● 智仁親王〔としひと・しんのう〕天正七(一五七九)年〜寛永六(一六二九)年
八条宮(桂宮)初代当主。父は誠仁親王(正親町天皇の第一皇子)、母は左大臣勧修寺晴右の娘藤原晴子。同母兄に後陽成天皇。幼称は胡佐麿。天正一四年、豊臣秀吉の猶子となるが、秀吉に実子が誕生したため、豊臣家を離れる。同一八年、秀吉より八条宮の宮号と知行地三千石(山城国石田・小栗栖・木幡)を得る。翌年一月に親王宣下、式部卿となる。秀吉の死後、後陽成天皇の継嗣に擬されたが、幕府の介入により慶長一六(一六一一)年、甥の政仁親王(後水尾天皇)が即位する。元和三(一六一七)年九月、幕府より旧領安堵を受け、領内の下桂村に別業(現在の桂離宮)を造営する。若年から細川幽斎について歌学を修め、多くの詠草を残すとともに古典籍の収集・書写に尽力。これらの資料群は同別業に納められ「桂宮本」(宮内庁書陵部蔵)として現在に伝わる。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第2巻 智忠親王実録/穏仁親王実録/長仁親王実録/尚仁親王実録/作宮

刊行年月 2016年10月 定価27,000円 (本体25,000円) ISBN978-4-8433-5106-2

● 智忠親王〔としただ・しんのう〕元和五(一六一九)年〜寛文二(一六六二)年
八条宮智仁親王の第一王子。母は丹後宮津藩主京極高知の娘常子。実弟に広幡忠幸(広幡家初代)。妃は加賀藩主前田利常の娘富子。幼称は多古麿。寛永元(一六二四)年七月、後水尾天皇の猶子となり、同三年一二月に親王宣下。同六年二月中務卿に任ぜられる。同年四月、父智仁親王の薨去により八条宮を継承する。同九年、将軍代替挨拶のため江戸に下向。同一一年、家光を二条城に迎えた際には、高松宮好仁親王(後陽成天皇皇子・有栖川宮初代)に次ぐ座順となる。正保二(一六四五)年二月より、父が造営した桂別業の増築に努め、和歌や能、幸若舞、蹴鞠の会を度々催した。男子はなく、承応三(一六五四)年、穏仁親王(後水尾天皇の第一〇皇子)を養子に迎え継嗣とした。
● 穏仁親王〔やすひと・しんのう〕寛永二〇(一六四三)年〜寛文五(一六六五)年
後水尾天皇の第一〇皇子。母は左大臣櫛笥隆致の娘藤原隆子。幼称は阿古麿。正保四(一六四七)年八月、青蓮院宮尊純法親王の附弟とされる。承応二年(一六五三)、尊純法親王が逝去したため、翌三年、継嗣のない八条宮智忠親王の養子となる。明暦元(一六五五)年一〇月に親王宣下、式部卿に任ぜられる。寛文二(一六六二)年、智忠親王の薨去により八条宮を継承。同五年三月、徳川家康の五十回忌法会(日光山)へ赴く途次、桑名で発病。帰京するが同年一〇月三日薨去。
● 長仁親王〔おさひと・しんのう〕明暦元(一六五五)年〜延宝三(一六七五)年
後西天皇の第一皇子。母は明子女王(高松宮好仁親王の王女)。異母弟に有栖川宮幸仁親王、八条宮尚仁親王。幼称は阿茶麿。寛文六(一六六六)年一二月、前年に急逝した八条宮穏仁親王の継嗣となる。同八年、幕府より旧領安堵を受け、翌九年二月に親王宣下、同年一一月中務卿に任ぜられる。延宝三年六月薨去。
● 尚仁親王〔なおひと・しんのう〕寛文一一(一六七一)年〜元禄二(一六八九)年
後西天皇の第八皇子。母は摂津国光源寺の僧智秀の娘藤原定子。幼称は員宮。延宝三(一六七五)年六月、異母兄八条宮長仁親王の遺言により、同年八月、八条宮を継承する。同年一一月、京都大火により宮邸が類焼。翌四年、幕府より宮邸の造営料として二千両が献じられる。貞享元(一六八四)年一一月に親王宣下。同三年、弾正尹に任ぜられる。元禄二年八月六日、腹痛を訴え直後に急逝。親王の侍読を務めた儒者栗山潜峰(後水戸藩士)は、その死を悼み「尚仁親王行状」を著している。
● 作宮〔さくのみや〕元禄二(一六八九)年〜元禄五(一六九二)年
霊元天皇の第一〇皇子。母は権大納言五条為庸の娘菅原経子。幼称は正宮(まさのみや)、元禄四年に作宮と改称。元禄二年七月、大覚寺宮性真法親王の附弟とされるが、同年一〇月、霊元天皇の命により八条宮尚仁親王の継嗣となる。同年一二月七日、新たに常磐井宮の宮号を賜るが、当主として宮邸に入ることなく、元禄五年四月二三日薨去。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第3巻 文仁親王実録

刊行年月 2016年10月 定価27,000円 (本体25,000円) ISBN978-4-8433-5107-9

● 文仁親王〔あやひと・しんのう〕延宝八(一六八〇)年〜宝永八(一七一一)年
霊元天皇の第八皇子。母は内大臣松木宗条の娘藤原宗子。室は高松藩家臣浅田武兵衛の娘直子。幼称は富貴宮。貞享五(一六八八)年六月、有栖川宮幸仁親王の養子となるが、幸仁親王に実子が誕生したため、元禄八(一六九五)年有栖川宮を離れる。翌九年七月、作宮の逝去により空主となった常磐井宮を継承、宮号は京極宮と改称される。同一〇年に親王宣下、兵部卿に任ぜられる。宝永八年三月薨去。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第2回配本 全4巻

刊行年月 2017年03月 揃定価108,000円 (揃本体100,000円) ISBN978-4-8433-5104-8

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第4巻・第5巻 家仁親王実録 全2巻 

刊行年月 2017年03月 揃定価54,000円 (揃本体50,000円) ※分売不可 ISBN978-4-8433-5108-6

● 家仁親王〔やかひと・しんのう〕宝永元(一七〇四)年〜明和四(一七六七)年
京極宮文仁親王の第一王子。母は高松藩家臣浅田武兵衛の娘直子。妃は関白鷹司兼熙の娘基子。王子女に京極宮公仁親王、豊子女王(久留米藩主有馬頼僮室)ほか。幼称は若宮。宝永五(一七〇八)年一二月、東山天皇の猶子となり、翌六年四月親王宣下。正徳三(一七一三)年一二月、式部卿に任ぜられる。篳篥を安倍季任に、和歌を烏丸光栄、有栖川宮職仁親王に学ぶ。明和四年一二月三日、一品に叙せられるが、同月六日薨去。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第6巻 公仁親王実録

刊行年月 2017年03月 定価27,000円 (本体25,000円) ISBN978-4-8433-5109-3

● 公仁親王〔きんひと・しんのう〕享保一八(一七三三)年〜明和七(一七七〇)年
京極宮家仁親王の第一王子。母は蔵人北小路俊在の娘大江雅子。正室は閑院宮直仁親王王女室子女王。継室は紀州藩主徳川宗直の娘載姫(寿子)。王女に在子女王(一橋治済正室)。幼称は胡佐麿。寛保二(一七四二)年、桜町天皇の猶子となり、延享二(一七四五)年二月親王宣下、上野太守となる。宣下の費用として義弟有馬頼僮より二百両の献納を受ける。宝暦四(一七五四)年、家仁親王から家督を譲られるが、同六年、室子女王と死別。同九年に載姫と再婚するが、継嗣はなく、親王は明和七年に薨去。寛政元(一七八九)年、寿子妃の逝去をもって京極宮は空主となる。

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第7巻 盛仁親王実録/節仁親王実録/淑子内親王

刊行年月 2017年03月 定価27,000円 (本体25,000円) ISBN978-4-8433-5110-9

● 盛仁親王〔たけひと・しんのう〕文化七(一八一〇)年〜文化八(一八一一)年
光格天皇の第七皇子。母は式部大輔東坊城益良の娘菅原和子。幼称は磐宮。文化七年九月、天皇の命により京極宮を継承、桂宮の宮号を賜る。同年一一月、幕府より山城国葛野郡川勝寺村、下桂村、徳大寺村、夙村、御陵村及び乙訓郡開田村三千六石六斗余の領有を認められ、同年一二月、桂宮邸に入る。翌八年五月一六日に親王宣下を受けるが、翌日二歳で薨去。
● 節仁親王〔みさひと・しんのう〕天保四(一八三三)年〜天保七(一八三六)年
仁孝天皇の第六皇子。母は左大臣正親町実光の娘雅子。幼称は幹宮。天保六年七月、天皇の命により桂宮の継嗣となる。翌七年一月に眼疾、二月に引付を発病。同年三月四日親王宣下を受けたが同日四歳で薨去した。
● 淑子内親王〔すみこ・ないしんのう〕文政一二(一八二九)年〜明治一四(一八八一)年
仁孝天皇の第三皇女。母は按察使典侍甘露寺妍子。異母弟に孝明天皇、桂宮節仁親王。異母妹に和宮親子内親王。幼称は敏宮。天保一一(一八四〇)年一月、閑院宮愛仁親王と婚約するが、同一三年九月に親王が薨去したため婚儀は行われなかった。嘉永七年、京都大火により閑院宮邸や宝鏡寺等への仮寓を続けるが、和宮の尽力により桂宮御殿に入り、文久二(一八六二)年一二月、節仁親王の継嗣として桂宮当主となる。以後、神社・仏閣の修築や病院・学校等の設立に多額の寄付を行う。慶応二(一八六六)年四月に准三宮、一品に叙され、明治一四年薨去。嗣子はなく、桂宮は淑子内親王をもって断絶した。