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美術批評家著作選集 全21巻【全21巻堂々完結!!】

美術批評家著作選集 全21巻【全21巻堂々完結!!】

[監修・解説] 五十殿利治

揃定価463,320円(揃本体429,000円) 
ISBN 978-4-8433-3431-7 C3370
A5判/上製/クロス装/函入
刊行年月 2010年06月

関連情報

本書の内容

近代日本の美術運動や美術界に多くの影響を与えた批評家やジャーナリストたち、その多彩な言説を集成。

監修のことば     筑波大学大学院教授 五十殿利治
 美術の歴史は作家と作品で成り立っているというのは半分までしか当たっていない。「歴史」となるには言説が関与するからである。ところが、近代日本美術史への関心が高まり、美術雑誌や展覧会図録が復刻されるなかで、美術ジャーナリストや美術評論家への関心はいぜんとして低調である。昭和の年号がつく時代に盛名を馳せたのに没年さえはっきりしない批評家がいる事実。それは私たちの美術史の貧弱さを物語ってはいないだろうか。
 今回の企画は美術ジャーナリズムが定着した大正期以後の主要な批評家による著作を集めたものである。文学史における批評の位置に比較してみれば、今日までこの種の選集がなかったのがいぶかしく思われるが、その事実にも史的な背景があるという点を含めて、日本の近代美術史を振り返るためのひとつの土台を提供することが、本企画の眼目といえる。

【本書の特色】
●主として大正期前後から昭和初年(1920年代~1930年代)、戦中戦後にかけて、海外の芸術思潮の影響を受けつつも、日本独自の美術運動の推進や当時の美術界に影響を与えた美術批評家や美術ジャーナリストに焦点をあてる資料集。
●単行本および美術関係雑誌掲載テキストを人物およびテーマごとに編纂。
●巻末には評伝、資料解題、主要著作目録または主要参考文献を付す。

美術批評家著作選集 第1回 全5巻

刊行年月 2010年06月 揃定価122,040円 (揃本体113,000円) ISBN978-4-8433-3425-6

美術批評家著作選集 第1巻 一氏義良(いちうじ・よしなが)

刊行年月 2010年06月 定価23,760円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-3426-3

[編・解説]五十殿利治

一氏義良(いちうじ・よしなが 1888~1952) 美術編集者の仕事と並行して、ドイツの新興芸術運動をはじめとした第一次世界大戦後のヨーロッパ美術界を視察、その成果を著作にまとめるなど批評活動を行う。「アクション」「造型」など国内の同時代美術家とも交流し理論的支柱となった。図画教育奨励会との関わりも深く、自ら創設した綜合美術研究所を拠点として美術教育分野にも功績を残した。
【収録内容】
『現代美術の見方』(泰山房 1917年)〈抄録〉/「新しき『造型』についての一考察」(アトリエ 1925年7月)/『美術の現実を語る』(綜合美術研究所 1937年)〈抄録〉

美術批評家著作選集 第2巻 佐波甫(さわ・はじめ)

刊行年月 2010年06月 定価24,840円 (本体23,000円) ISBN978-4-8433-3427-0

[編・解説]桑原規子

佐波甫(さわ・はじめ 1901~1971) 1930年代半ばから美術雑誌を舞台に活躍し、戦中期には国際文化振興会の美術部宣伝課長としてベトナムや中国に渡り日本画展覧会の企画に携わる。「池袋美術家クラブ」の結成に参加し“池袋モンパルナス”の美術批評家としても知られる。戦後は早稲田大学でフランス語と西洋美術史を講じる。
【収録内容】
「春陽会・国展批判座談会」(アトリエ 1935年6月)/「帝展改組と復古主義の前進」(アトリエ 1935年7月)/「帝展改組究明批判座談会」(美之国 1935年7月)/「現代美術を制約するもの」(アトリエ 1935年8月)/「美術批評に就て」(アトリエ 1935年10月)/「〈美術の秋〉批判座談会—二科会と青龍社」(みづゑ 1935年10月)/「NAS展—新興美術家協会展」(美術 1935年11月)/「美術は如何に発展するか」(みづゑ 1935年11月)/「二三の絵画現象に就て」(アトリエ 1936年2月)/「市民的なプライド」(美術 1936年2月)/「絵画に於ける〈明るさ〉」(みづゑ 1936年2月)/「日本画と近代精神—市民絵画の提唱」(美之国 1936年3月)/「〈日本画〉を如何に考へるか」(みづゑ 1936年3月)/「猪熊弦一郎と宮本三郎」(みづゑ 1936年4月)/「第十四回春陽会展評」(みづゑ 1936年5月)/「第十一回国展評」(みづゑ 1936年5月)/「独立展合評」(アトリエ 1936年6月)/「意識の絵画について」(みづゑ 1936年6月)/「作家点描 海老原喜之助、三岸節子、岡田謙三」(みづゑ 1936年8月)/『第一回池袋美術家クラブ展覧会目録』1936年9月/「名井万亀氏の作品」(アトリエ 1936年9月)/「二科の新人たち」(現代美術 1936年9月)/「若き作家諸君に与ふ」(美之国 1936年9月)/「絵画とモラル」(雑記帳 1936年10月)/「二科評」(みづゑ 1936年10月)/「フォルム九月展」(雑記帳 1936年11月)/「芸術精神の没落」(みづゑ 1936年11月)/「新制作派第一回展」(みづゑ 1936年12月)/「日本洋画壇の現勢」(現代美術 1937年1月)/「ヒユウマニズムについて」(美之国 1937年1月)/「安井曽太郎氏の今日的位置」(みづゑ 1937年1月)/「街頭展のノート」(みづゑ 1937年1月)/「今日の諸問題」(アトリエ 1937年3月)/「福沢一郎氏とヒューマニズム」(みづゑ 1937年3月)/「女流画家の性格」(雑記帳 1937年4月)/「日本前衛派作家論」(アトリエ 1937年6月)/「現代画壇に於けるヒューマニズムに就いて」(雑記帳 1937年6月)/「日本古典への関心」(美術 1937年6月)/「明治大正昭和名作展」(美術 1937年6月)/「展覧会月評」(みづゑ1937年7月)/「自由美術第一回展、一水会展、小磯良平個展、立陣小品展」(みづゑ 1937年8月)/「新人作品論5 山口薫」(アトリエ 1937年9月)/「小磯良平を語る」(みづゑ 1937年9月)/「猪熊弦一郎を語る」(美術眼 1937年10月)/「院展と青龍社」(みづゑ 1937年10月)/「文展第二部評」(みづゑ 1937年11月)/「北川民次君の印象」(みづゑ 1937年11月)/「事変下の美術界」(雑記帳1937年12月)/「本年の回顧と展望」(みづゑ 1937年12月)/「年頭の感想」(美術 1938年1月)/「統制と自由」(アトリエ 1938年2月)/「わが国芸術の調和的性格に就て」(みづゑ 1938年2月)/「梅原龍三郎氏と事変下の美術を語る」(みづゑ 1938年3月)/「寺田政明君へ期待」『寺田政明渡欧画会』パンフレット(1938年4月)/「早稲田美術学会の歴史を語る座談会」(季刊 早稲田大学美術史研究室 第一号 1938年5月)/「絶対象派協会第一回展覧会」目録(1938年5月)/「絵画精神の再建」(みづゑ 1938年6月)/「作家と精神力」(アトリエ 1938年9月)/「二科展評」(アトリエ 1938年9月)/「座談会 時局下の美術を語る」(季刊 早稲田大学美術史研究室 第二号 1938年10月)/「季節がはり」(季刊 早稲田大学美術史研究室 第三号 1939年2月)/「季節を迎へて」(みづゑ 1939年2月)/「独立展評」(アトリエ 1939年4月)/「近代絵画の特質—十年間を回顧して」(美之国 1939年4月)/「デッサン覚書」(みづゑ 1939年7月)/「歴史性へのめざめ」(美術 1939年8月)/「常識化した近代粧と心を忘れた芸術—文展日本画の感想」(美之国 1939年11月)/「昭和十四年度の美術界回顧座談会」(みづゑ 1940年1月)/「美術新体制への関心」(美之国 1940年9月)/「新しき批評精神」(アトリエ 1940年10月)/「青龍社と院展」(アトリエ 1940年11月)/「国展と春陽会」(アトリエ 1941年6月)/「安南風物の語るもの—仏印巡回展第一信」(国画 1941年12月)/「仏印より還りて—巡回日本画展開催報告」(国画 1942年2月)/「仏印の文化事情」(国際文化 1942年2月)/「仏印の印象—図画教育その他」(造形教育 1942年2月)/「大東亜共栄圏と日本画」(国画 1942年3月)/「二、三の提案」(新美術 1942年5月)/「大東亜戦争と芸術—大東亜戦争美術展所感」(国画 1943年1月)/「勤王志士と絵画」(国画 1943年3月)/「神社画と敬神思想」(国画 1943年4月)/「山口蓬春論」(画論 1943年6月)/「仏印の絵画」(新美術 1943年6月)/「中国画壇だより」(国画 1943年9月)/「新生支那と現代日本画展」(国画 1943年10月)/「わが前衛美術について」(アトリエ 1948年10月)/「松本竣介」(みづゑ 1949年2月)/「井上長三郎」(美術手帖 1949年4月)/「靉光の芸術—戦争犠牲芸術家の一人として」(アトリエ 1949年4月)/「松本竣介の芸術」『松本竣介画集』(松本竣介遺作刊行会 1949年5月)/「鶴岡政男論」(みづゑ 1949年7月)

美術批評家著作選集 第3巻 新聞美術記者の群像

刊行年月 2010年06月 定価24,840円 (本体23,000円) ISBN978-4-8433-3428-7

[編・解説]河田明久

近代日本の“美術と言葉”を考察するうえで不可欠な、分量的にも圧倒的多数である新聞の美術記事。本巻では大正から昭和戦前期にかけて、それらが記された環境と、どのような人々によって書き継がれ受け容れられていったのかを知るための、手がかりとなるテキストを収録する。
【収録内容】
田沢田軒「新聞美術記者今昔噺」〈全30回連載〉(塔影 1937年1月~1940年6月)/竹田道太郎『美術記者30年』(朝日新聞社 1962年)/〈美術記者としての苦楽〉加藤謙「非美術記者の愚談痴話」/金井紫雲「靴の思ひ出—美術記者の初陣ごろ」/外狩顕章「苦楽とりどり」/田沢良夫「AとBの話」/時岡弁三郎「黄昏」/(中央美術 1924年11月)/〈美術批評家月旦 坂崎坦論〉田中倉琅子「彼の人格・気稟・批評」/朝倉文夫「坂崎坦君のこと」/仲田勝之助「正鵠なる識見」/土田麦僊「友人としての坂崎君」/和田三造「批評家としての坂崎君」/南薫造「坂崎氏の印象」(美之国 1927年1月)/〈故近藤宅治氏を憶ふ〉外狩素心庵「近藤君の「死」の迎へ方」/金井紫雲「その日の思ひ出—近藤宅治君を偲ぶ」/田沢良夫「東陵会展覧会を中心にして親友近藤君を想ふ」/木村荘八「弔東陵」/土田麦僊「近藤氏を悼む」/牧野虎雄「近藤氏のこと」(美之国 1928年3月)/金井紫雲「美術記者二十七年」(美之国 1936年1月)/松原寛「美術記者の頃」(塔影 1936年9月)/〈関如来追悼特集〉塩田力蔵「関如来君の思出」/添田達嶺「関如来氏を偲ぶ」/神崎憲一「関さんが到頭……」(塔影 1938年3月)/坂崎坦・田中倉琅子・脇本楽之軒〈座談会〉「昭和美術界の過去と将来を語る」(美之国 1939年6月)

美術批評家著作選集 第4巻 森口多里(もりぐち・たり)

刊行年月 2010年06月 定価24,840円 (本体23,000円) ISBN978-4-8433-3429-4

[編・解説]大谷省吾

森口多里(もりぐち・たり 1892~1984) 『早稲田文学』を中心に美術評論活動を始める。早稲田大学留学生として渡仏、帰国後は同時代のシュルレアリスム美術などヨーロッパ美術の紹介に務める。母校の教壇に立つ傍ら、美術分野の編集執筆活動、新聞雑誌での展覧会評など幅広く手掛ける。戦後は郷里の岩手を拠点とし民間伝承の研究をはじめ郷土文化の調査研究に尽力、多くの功績を残した。
【収録内容】
『明治大正の洋画』(東京堂 1941年)/「『早稲田文学』と美術評論界」(早稲田文学 1918年5月)/「現在洋画界の諸流派」(早稲田文学 1919年9月)

美術批評家著作選集 第5巻 柳亮(やなぎ・りょう)

刊行年月 2010年06月 定価23,760円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-3430-0

[編・解説]江川佳秀

柳亮(やなぎ・りょう 1903~1978) 1925年に渡仏しパリ大学とエコール・デュ・ルーヴルに学ぶかたわら、巴里芸術通信社を開設し日本語雑誌『巴里芸術通信』を創刊、在留日本人作家たちの展覧会などを手掛ける。帰国後本格的に美術批評家として活動を始め、1936年に美術批評家協会を結成する。大学の教壇に立ち直接作家の育成にもあたり、戦前戦後を通じて美術界に大きな足跡を残す。
【収録内容】
◆巴里事情
「エミイル・ボアイエ」(アトリエ 1928年4月)/「藤田氏の為に弁ず」(アトリエ 1929年12月)/「サロン過多症—近時仏蘭西美術界雑記」(美之国 1931年3月)/「巴里日本美術協会紛争の責任当事者として 大森啓助君への公開状」(美術 1933年11月)/「エコール・ネオ・ヂヤポネーズの註訳 上 アンドレ・サルモンに」(アトリエ 1933年12月)/「ロンドンで餓死した頓野」(アトリエ 1934年3月)/「クウポールの酒場—ある時代のパリのメモアール」(セルパン 1934年7月)/「酒場で仕事するマンレイ達」(セルパン 1934年8月)/「パスキンの饗宴—ある時代のパリのメモアール」(セルパン 1934年9月)/「巴里女物語1 美爪術師の話」(セルパン 1934年11月)/「巴里女物語2 巴里の人形師」(セルパン 1934年12月)
◆美術批評
「ブラボー・クニヨシ 国吉康雄君に贈る書簡」(アトリエ1931年12月)/「ラプラードの死を悼む」(アトリエ 1932年4月)/「ヒューザン会の思ひ出とその他 最近に開かれた二三の個展について」(アトリエ 1934年8月)/「藤田嗣治の芸術」(画論 1941年9月)/「独立美術協会展 所感と其他」(アトリエ 1931年2月)/「春陽会と国画会の所感と其他」(大衆芸術 1931年6月)/「解説独立美術展記 附・入選作品概評」(アトリエ 1932年4月)/「〈独立〉の日本主義とエスプリ・モデルン」(アトリエ 1935年4月)/「モチーフとテーマの問題 院展、二科、三部会彫刻評」(アトリエ 1936年10月)/「有閑日本工芸よ迷路を出よ 巴里万国博の出品作を観る」(アトリエ 1937年3月)/「焦燥する日本画壇—国画院・日本画会評」(アトリエ 1937年5月)/「時局精神と文展 洋画評」(みづゑ 1937年11月)/「精神と方法の問題—新制作派第四回展評」(造形芸術 1940年1月)/「第十二回独立展のメモ」(新美術 1942年4月)/「戦争美術の浪漫性と写実性 大東亜戦争美術展評」(新美術 1943年2月)/「決戦美術展」(画論 1943年10月)/「大いなる野心をもて 陸軍美術展評」(美術 1944年5月)/「帝展有罪か 帝国美術院は須く仏国翰林院に擬へ」(アトリエ 1935年2月)/「国宝の文化的意義」(美之国 1937年2月)/「文展機構改革に関する諸問題」(美之国 1939年1月)/「生活と美術—効用論者への反省として」(アトリエ 1941年7月)/「最近のフランス美術界に就いて見た批評・批評家・批評業」(アトリエ 1931年5月)/「美術批評家協会の結成と抱負について」(美之国 1936年11月)/「美術批評の貧困」(美之国 1937年6月)/「私の批評精神」(アトリエ 1940年10月)
◆西欧作家研究
「近代巨匠の古典研究1 ドガ篇」(みづゑ 1940年3月)/「近代巨匠の古典研究2 ルノアール篇」(みづゑ 1940年4月)/「近代巨匠の古典研究3 セザンヌ篇」(みづゑ 1940年5月)/「近代巨匠の古典研究4 ゴーギャン篇」(みづゑ 1940年7月)
◆美術理論
「ヒューマニズムとレアリズム」(みづゑ 1938年3月)/「〈何を描く可きか〉の問題」(みづゑ 1938年7月)/「絵画的モチーフとしての戦争画について」(みづゑ 1938年9月)/「芸術に於けるモニュマンタリテの意義及びその日本的表現の特質」(みづゑ 1939年10月)/「主題画と構図問題」(新美術 1941年12月)/「浮世絵と印象派 ピトリスクとレアリズムの問題」(画論 1942年2月)/「レアリズムの限界(上)モチーフの部」(新美術 1942年10月)/「レアリズムの限界(下)様式の部」(新美術 1942年11月)/「海洋美術論—海に因む名作」(新美術 1943年9月)/「ロマンチズムの測定『現実・浪漫・古典』の第二部」(新美術 1943年5月)/「ロマンチズムの測定(下)『現実・浪漫・古典』の第二部」(新美術 1943年7月)/「群像構図論」(美術 1944年1月)/「モンヂアリズム 日本美術史考1 説序」(アトリエ 1938年2月)/「モンヂアリズム 日本美術史考2 歴史性に於ける二つの性格」(アトリエ 1938年4月)/「モンヂアリズム 日本美術史考3 伝統の律動」(アトリエ 1938年5月)/「モンヂアリズム 日本美術史考4 伝統の時間的生成と空間的生成」(アトリエ 1938年6月)/「モンヂアリズム 日本美術史考5 現象形態の二元性に於ける日本的性格」(アトリエ 1938年8月)/「モンヂアリズム 日本美術史考6 芸術と生活の日本的統合」(アトリエ 1938年9月)

美術批評家著作選集 第2回 全6巻

刊行年月 2011年01月 揃定価118,800円 (揃本体110,000円) ISBN978-4-8433-3527-7

【巻構成】 
●第6巻● 川路柳虹(かわじ・りゅうこう)
定価23,100円(本体22,000円)
ISBN978-4-8433-3528-4 C3370
●第7巻● 外山卯三郎(とやま・うさぶろう)
定価21,000円(本体20,000円)
ISBN978-4-8433-3529-1 C3370
●第8巻● 松尾邦之助(まつお・くにのすけ)  
定価21,000円(本体20,000円)
ISBN978-4-8433-3530-7 C3370
●第9巻● 税所篤二(さいしょ・とくじ)  
定価15,750円(本体15,000円)
ISBN978-4-8433-3531-4 C3370
●第10巻● 横川毅一郎(よこかわ・きいちろう) 
定価14,700円(本体14,000円)
ISBN978-4-8433-3532-1 C3370
●第11巻● 帝展改組/新体制と美術 
定価19,950円(本体19,000円)
ISBN978-4-8433-3533-8 C3370

【収録内容 (予定)】 
●第6巻●
 川路柳虹
川路 柳虹(かわじ・りゅうこう 1888~1959)詩人。明治40年発表の「塵溜」が口語自由詩の先駆として反響をよぶ。大正7年曙光詩社を創立。昭和33年「波」などで芸術院賞授賞。美術評論においても活躍し、主に国内の日本画の展覧会評を手がけた。

『現代日本美術界』(中央美術社 1925年)/「日本画の写実主義と装飾主義」(中央美術1919年8月)/「日本画はいづこを歩むや」(美之国1933年6月)/「現代日本画の写実に就て」(塔影1934年3月)/「日本画の洋画化について」塔影1934年11月)/「日本画の特質とその発展の方向」(芸苑1938年3月)/「現代日本画の病弊」(美之国1939年10月)/「日本画と現代知覚」(塔影1940年3月)/「理想画家 横山大観」(日本美術1943年7月)/「西洋画と日本画の限界」(日本美術1943年10月)/「現代日本画に於ける明暗諧調」(国画1943年11月)/「洋画界に対して」(中央美術1921年1月)/「原始復帰と郷土復帰」(アトリエ1924年4月)/「表現芸術より生活芸術へ—三科会所観」(アトリエ1925年7月)/「伝習はいかにして破壊さるべきや」(アトリエ1932年4月)/「洋画界転換期の当来」(アトリエ1936年12月)/「南画の構成(一)~(五)」(南画鑑賞1934年3月~12月)

●第7巻●
 外山卯三郎
外山卯三郎(とやま・うさぶろう 1903~1980)美術評論家、詩人。昭和4年芸術研究会を組織し『芸術学研究』を創刊。里見勝蔵、前田寛治、小島善太郎らによって結成された美術団体「一九三○年協会」に参加。21年に造形美術協会理事長となり、女子美大講師、武蔵野音大教授を務めた。
『日本洋画の新世紀』(金星堂1931年)/「純粋絵画論」(美術新論1929年8月)/「二十世紀の絵画大観」(美之国1929年8月)/「現代絵画の傾向論」(美之国1929年9月)/「日本洋画史に現れたシュールレアリスムの運動」(洋画研究1935年6月)

●第8巻●
 松尾邦之助
松尾邦之助(まつお・くにのすけ 1899~1975)新聞記者、評論家、翻訳家。昭和7年読売新聞社入社、パリ支局長などを務める。戦後帰国して論説委員となり、のちにパリ日本館顧問、大東文化大教授などを歴任。日仏文化交流に尽力し、33年にレジオン・ドヌール勲章、39年フランス政府から芸術文化勲章を授与された。
「レアリスムの侵入に悩むフランス」(読売新聞(朝刊)1929年8月25日)/「フランス批評家の持った大きな迷蒙」(美術新論1929年10月)/「ブールデルの死」(美術新論1929年12月)/「新しいものへの進出」(美術新論1930年1月)/「サロンドートンヌを観て」(美術新論1930年2月)/「巴里だより」(美術新論1930年5月)/「巴里通信」(美術新論1930年6月)/「巴里美術通信」(美術新論1930年7月)/「巴里だより」(美術新論1930年8月)/「巴里通信」(美術新論1930年10月)/「雑報」(美術新論1930年10月)/「ふらんす人の言葉」(美術新論1930年12月)/「巴里美術便り」(美術新論1930年12月)/「廃頽期にある現代フランス美術(上・下)」(読売新聞(朝刊)1930年12月12日~13日)/「巴里だより」(美術新論1931年1月)/「巴里だより」(美術新論1931年2月)/「パリで日本人が書いている我が国に関する著作」(読売新聞(朝刊)1931年2月26日)/「巴里だより「巴里派」の出現から今日まで」(美術新論1931年3月)/「巴里通信」(美術新論1931年4月)/「レアリスムを蹴飛ばして新しい心理へのジャン・コクトオと語る」(読売新聞(朝刊)1931年4月26日)/「サロン美術の没落時代」(美術新論1931年5月)/「巴里便り」(美術新論1931年6月)/「9月来朝するフランス美術批評家エリ・フオール氏」(読売新聞(朝刊)1931年6月6日)/「巨匠マイヨールを訪う(上・下)」(読売新聞(朝刊)1931年6月13日・16日)/エリ・フオール著・松尾邦之助訳「日本人の芸術魂」(美術新論1931年7月~9月)/「巴里通信」(美術新論1931年7月)/「巴里だより」(美術新論1931年10月)/「当面の問題を語る(3)・(6)」(読売新聞(朝刊)1931年10月27日・11月1日)/「巴里通信」(美術新論1931年11月)/「巴里雑報」(美術新論1931年11月)「贋物師大恐慌」(読売新聞(朝刊)1931年11月13日)/「巴里通信」(美術新論1931年12月)/「巴里通信」(美術新論1932年1月)/「名画の鑑定にX線写真」(読売新聞(朝刊)1932年1月20日)/「パリと共に働く日本人(1)~(3)」(読売新聞(朝刊)1932年2月15日~17日)/「巴里通信」(美術新論1932年4月)/「巴里通信」(美術新論1932年5月)/「シュールレアリスムは何処へ行く(1)~(4)」(読売新聞(朝刊)1932年5月22日~26日)/「巴里だより」(美術新論1932年7月)/アンドレ・サルモン著・松尾邦之助訳「新興芸術のため日本の同志へ呼びかく(1)~(4)」(読売新聞(朝刊)1932年7月23日~27日)/「巴里便り」(美術新論1932年8月)/「フランス新興美術の鳥瞰(上・中・下)」(読売新聞(朝刊)1932年8月18日~20日)/「喝 福島繁太郎氏に指摘したいこと」(美術新論1932年9月)/「批評されたピカソ」(美術新論1932年9月)/ほか

●第9巻●
 税所篤二
税所篤二(さいしょ・とくじ 1898~1981)美術評論家、美術ジャーナリスト。アメリカ現代美術の批評家として、またセザンヌやブラマンクなどの近代フランス美術家に関する著述の翻訳者として活躍。日仏会館開館にも関わり日仏美術交流に尽力。
「私の見たボリス・アニスフィルドの絵」(みづゑ1919年12月)/「ジョオジ・シグナア・サアジャントの水彩」(みづゑ1920年8月)/「米国美術学校の追想」(みづゑ1920年9月)/「三宅克己氏滞欧水彩展覧会を見て」(みづゑ1921年12月)/「ロバアト・ヘンライの画」(みづゑ1922年1月)/「ブランギンの画」(みづゑ1922年2月)/「院展二科のぞ記」(みづゑ1922年10月)/「工房によめる」(中央美術1923年1月)/「仏蘭西現代展を見る」(みづゑ1923年5月)/「春陽会瞥見」(みづゑ1923年6月)「露台にて(1)~(4)(みづゑ1923年7月~10月)/「卓上雑考」〈全52回連載〉(みづゑ1923年12月~1928年12月)/「南洋写生画展の感想」(みづゑ1924年8月)/「サール氏の日本美術見学」(中央美術1925年5月)/「海外美術だより」〈全3回連載〉(アトリエ1925年6月~8月)/「海外美術思潮」〈全44回連載〉(アトリエ1926年1月~1929年11月)/「ヴィルドラック氏との散歩」(中央美術1926年7月)/「パリ絵画展を開き且つ見る」(アトリエ1926年7月)/「大原氏コレクションを見る」(みづゑ1928年4月)/「机辺妄語」(アルト1928年11月)/「松方家コレクションを見る」(日仏芸術1928年4月)/「岩村透氏と著作」(アトリエ1929年10月)/「春陽会開く」(みづゑ1931年5月)/「ジャン・デュナンと角田耕氏」(アトリエ1931年8月)/「美術評論家エリイ・フォオル氏の来朝」(みづゑ1932年10月)/「エリイ・フォールの旅」(アトリエ1933年4月)/「現代日本版画展覧会」(アトリエ1933年10月)/「第一回新造型美術展」(アトリエ1935年2月)/「旅の彫刻家アラン・クラーク」(アトリエ1937年5月)

●第10巻●
 横川毅一郎
横川毅一郎(よこかわ・きいちろう 1895~1973)美術評論家。『やまと新聞』『国民新聞』記者を経て大正14年雑誌『中央美術』の編集長となる。東洋・日本美術について評論活動に従事し、新京芸術学院の教授なども務めた。
『現代美術を清算する』(アトリエ社1930年)

●第11巻●
 帝展改組/新体制と美術
帝展改組
瀧精一「帝展と帝国美術院(上・中・下)」(東京朝日新聞1934年11月15日~17日)/瀧精一「多大の疑義」(読売新聞1935年5月30日)/児島喜久雄「帝展改組後評(一)~(五)」(東京朝日新聞1935年8月31日~9月4日)/森口多里「綜合か・混合」(東京朝日新聞1936年6月30日)/田邊至「改組案に対する批判」(中央公論1935年7月)/児島喜久雄「反帝院盲動」(中央公論1935年7月)/森口多里「帝国美術院改組をめぐる美術界の動静」(経済往来1935年7月)/蓮實重康「帝展は果たして改革されたか」(行動1935年7月)/杉山司七「帝国美術院の改組」(美育1935年7月)/諸家「帝展改組に対する諸家の批判」(美之国1935年7月)/荒城季夫「帝展改組問題批判」(みづゑ1935年7月)/矢部友衛「帝院の改組は何を意味してゐるか」(みづゑ1935年7月)/山本鼎「帝展廻り舞台」(アトリエ1935年7月)/外狩素心庵「帝展改組八つ当り」(アトリエ1935年7月)/横川毅一郎「帝展改組をめぐる諸現象の文化的研究」(アトリエ1935年7月)/森口多里「帝国美術院改組に関連して」(アトリエ1935年7月)/佐波甫「帝院改組と復古主義の前進」(アトリエ1935年7月)/岡田三郎助、他「会員の立場から」(アトリエ1935年7月)/黒田重太郎「新『帝院』か『帝展』か」(アトリエ1935年7月)/鈴木千久馬「帝展改組問題に際して」(アトリエ1935年7月)/伊原宇三郎「大事な事一つ」(アトリエ1935年7月)/高村眞夫「帝展改組の考察」(アトリエ1935年7月)/内田巌「現実性なき帝展改組」(アトリエ1935年7月)/向井潤吉「改組か壊組か」(アトリエ1935年7月)/林武「帝展改組私見」(アトリエ1935年7月)/佐藤敬「帝展改組問題に就いて」(アトリエ1935年7月)/「帝院改組是非」(アトリエ1935年7月)/長谷川如是閑ほか「帝院改組問題批判座談会」(アトリエ1935年7月)/新居格「芸術の統制計画」(新潮1935年8月)/佐波甫「美術は如何に発展するか」(みづゑ1935年9月)/アンケート「美術界に国家的指導機関は必要か、新帝院を再改組するとすれば如何なる機構と方法によるべきか」(アトリエ1936年3月)/斎藤与里「帝国美術院再改組と帝展存廃の是非」(美術1936年4月)/森口多里「帝国美術院の改組と再改組」(東陽1936年4月)/花岡乾太郎「帝展改組と現代美術の標高」(東陽1936年4月)/仁木烈「作家と生活の問題」(東陽1936年6月)/大口喜六「所謂帝展の改組に就て」(文藝春秋1936年7月)/正宗得三郎「在野団から観たる帝展改組問題」(中央公論1936年8月)/和田英作「平生文相に与う」(改造1936年8月)/森田亀之助「美術の社会性」(アトリエ1936年8月)/津田青楓「美術統制の教訓」(セルパン1936年9月)/青野季吉、荒城季夫、森田亀之助、森口多里、岩佐新「美術界安定方策座談会」(美術1936年11月)/佐波甫「芸術精神の没落」(みづゑ1936年11月)/ほか

新体制と美術
難波田龍起「新体制下の美術を考へる」(美之国1940年9月)/今井繁三郎「美術時評」(美之国1940年9月)/廣瀬熹六「日本民族の芸術感覚」(美之国1940年9月)/高村光太郎「美の健康性」(婦人公論1940年9月)/清水幾太郎「新体制と美術」(アトリエ1940年10月)/小池新二「全体主義国家の芸術政策」(アトリエ1940年10月)/内田巌「新体制と様式の問題」(アトリエ1940年10月)/徳永郁介「新体制と美術のありかた」(アトリエ1940年10月)/藤森成吉ほか「新体制下の美術批評について」(アトリエ1940年10月)/猪熊弦一郎ほか「新しい美術体制を語る(座談会)」(アトリエ1940年10月)/長谷川七郎ほか「美術文化の新体制を検討する」(アトリエ1940年10月)/菅原克己ほか「美術家の部屋」(アトリエ1940年10月)/荒城季夫「美術の新体制」(みづゑ1940年10月)/荒木十畝「新体制下の美術及び美術機構に就て」(美之国1940年10月)/勝田寛一「新体制と画家」(美之国1940年10月)/福沢一郎「集団と個人の位置について」(アトリエ1940年11月)/広幡憲「新しき創作方法への展望」(アトリエ1940年11月)/信田洋「実践への検考」(アトリエ1940年11月)/須山計一「幼き世代のために」(アトリエ1940年11月)/宮田重雄「新しき座標軸」(アトリエ1940年11月)/荒木剛「『真なるもの』と『美なるもの』」(アトリエ1940年11月)/藤尾龍四郎「新しき芸術的創造の課題に就いて」(アトリエ1940年11月)/藤井甕夫「現代の混迷」(アトリエ1940年11月)/長谷川春子ほか「美術家の部屋」(アトリエ1940年11月)/田沢田軒「新体制と美術家の心構へ」(美之国1940年11月)/金井紫雲「私はかう思ふ」(美之国1940年11月)/諸家「美術界新体制に就て設問に答ふ」(美之国1940年11月)/須田國太郎「簡素美」(みづゑ1940年12月)/山内一彦「新体制に於ける美術(美之国1940年12月)/林寿郎「新文化形態に就て」(みづゑ1941年1月)/大蔵雄夫「世は新体制となりて」(美之国1941年1月)/横山大観「日本美術新体制の提案」(塔影1941年1月)/長谷川如是閑「美術家の芸術的態度とその新体制」(アトリエ1941年2月)/尾川多計「梅原龍三郎氏に団体連盟不参加の弁を訊く」(みづゑ1941年2月)/喜多壮一郎・荒城季夫「生活と美術(対談)(みづゑ1941年2月)/横山大観「日本美術新体制の提案」(美之国1941年2月9/今井繁三郎「青年彫塑家連盟の結成を祝ふ」(美之国1941年2月)/加藤顕清「美術新体制への希求」(美之国1941年2月)/川路柳虹「新体制下の画人に望む」(美之国1941年2月)/黒田重太郎「再考を要す」(美之国1941年2月)/ほか

美術批評家著作選集 第3回 全3巻

刊行年月 2012年01月 揃定価61,560円 (揃本体57,000円) ISBN978-4-8433-3836-0 C3370

美術批評家著作選集 第12巻 板垣鷹穂(いたがき・たかお)

刊行年月 2012年01月 定価20,520円 (本体19,000円) ISBN978-4-8433-3837-7 C3370

[編・解説]白政晶子

板垣鷹穂(いたがき・たかお 1894〜1966)美術史家、美術評論家。1929年の「機械美論」以降、「現代芸術考察者」として同時代の視覚的諸現象についての考察を深め、建築、デザイン、映画も視野に収めた執筆・制作活動を展開した。雑誌『新興芸術』『新興芸術研究』の編集も手掛けた。本書では板垣の先駆的かつ多彩な言説を、美術評論だけでなく、写真評論、映画論・映画評論、随筆など多面的に編纂。

「絵画史上のクラシックに就いて」(美術新論1929年1月)/「機械文明と現代美術」(思想1929年4月)/「機械と芸術との交流」(思想1929年9月)/「機械のリアリズムへの道」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1929年9月10日〜12日)/「絵画の貧困」(中央公論1930年3月)/「美術の歴史的理解に就いて」(美学研究1930年4月)/「現代芸術考察者の手記」(新興芸術研究1931年2月)/「商業芸術の諸相」(中央公論1931年8月)/「美術に於ける過去と現在」(美術新論1932年1月)/「絵画は何うなるか? 質問者:中川紀元」(美術新論1933年5月)/「ヨーヨーと芸術論」(若草1933年6月)/「図画教育に就いて」(教育研究1935年12月)/「美術博物館の新築」(『造形文化と現代』1942年)/「戦争と美学」(新文化1941年12月)/「戦争画の現代的使命」(『芸術観想』1943年)/「芸術政策と新日本工芸」(美術及工芸1946年8月)/「広告写真の新傾向に就いて」(『国際広告写真展選集』1930年)/「都会の性格描写とカメラ」(新潮1931年10月)/「グラフの社会性」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1931年12月14日〜16日)/「視覚的叙述に就いての小感」(思想1932年2月)/「新興写真の現在と将来」(アサヒカメラ1933年1月)/「写真芸術の将来に就いて」(光画1933年6月)/「現代写真三題」(フォトタイムス1934年6月)/「肖像写真考」(フォトタイムス1934年12月)/「一九三五年の写真界に」(フォトタイムス1935年1月)/「アマチュアへ捧げる写真の座談会」(アサヒカメラ1935年12月)「四大写壇の局外観」(アサヒカメラ1936年7月)/「報道写真の過去現在未来」(アサヒカメラ1938年10月)/「壁面写真の発達と米国万博」(国際建築1939年5月)/「事変と写真」(アサヒカメラ臨時増刊1940年2月)/「技術国策と宣伝技術」〈全4回連載〉(技術評論1940年3月〜7月)/「写真芸術に於ける日本的性格」(『造形文化と現代』1942年)/「国民芸術と写真」(『芸術観想』1943年)/「日本の写真と海外の写真」(アサヒカメラ臨時増刊1951年4月)/「現代写真展について」(カメラ1953年11月)/「興行映画を如何に扱ふか」〈全3回連載〉(東京朝日新聞1931年8月16日〜18日)/「建築祭の記念映画—官庁製作の映画其四」(フォトタイムス1935年8月)/「建築の東京撮影記録」(フォトタイムス1935年8月)/「日本映画の主要問題」(日本映画1936年4月)/「小型映画界の動向」(『芸術観想』1943年)/「映画の綜合芸術的性格」(映画評論1941年12月)/「映画法実施当時に於ける映画推薦の機構と目的」(『芸術観想』1943年)/「アメリカ映画の特性」(映画芸術1947年3月)/「建築の様式的構成」(新潮1931年6月)/「本年の建築界」(国際建築1935年12月)/「建築雑記1936年」(国際建築1936年12月)/「最近の手記から」(国際建築1937年3月)/「建築雑記」(国際建築1938年3月)/「八郎潟の水田化」(『造形文化と現代』1942年)/「建築・彫刻の歴史上に於ける特殊性」(日伊文化研究1942年9月)/「大東亜共栄圏に於ける建築様式(座談会)」(建築雑誌1942年9月)/「古い手紙—小林多喜二氏のこと」(新潮1933年4月)/「硝子」(思想1941年9月)/「レオナルドに因む追憶」(『レオナルド・ダ・ヴィンチ』1943年)

美術批評家著作選集 第13巻 近代日本彫刻と批評

刊行年月 2012年01月 定価21,600円 (本体20,000円) ISBN978-4-8433-3838-4 C3370

[編・解説]齊藤祐子

明治期の洋風彫刻の移入、文展の開設から、大正期に入ってからの官展の定着と在野の台頭、彫刻と社会、昭和戦前・戦中期にみられる彫刻表現の広がり、戦時下に彫刻が置かれた状況など、日本近代彫刻の流れを俯瞰するうえで必読の文献集。彫刻の評論を手がけた田辺孝次や大蔵雄夫のほか、中村鎭や蔵田周忠ら建築界からのテキストも収録。
彫刻の黎明期 大村西崖「美術トハ何ゾヤ」(京都美術協会雑誌1894年9月)/大村西崖「彫塑論」(京都美術協会雑誌1894年10月)/吉岡芳陵「我に於ける洋風彫刻」(太陽1896年9月)/大村西崖「展覧会評判」〈全7回連載〉(東京日日新聞1900年5月19日、20日、21日〜26日)/吉岡芳陵「噴水と美術的製作(太陽1901年3月)/坂井犀水「米原雲海氏と新木彫」(美術新報1910年10月)/坂井犀水「明治時代」(『日本木彫史』1929年)

銅像批評 高山樗牛「西郷南洲の銅像を評す」(太陽1899年1月)/遠藤於菟「銅像建設と建築家」(建築工芸叢誌1916年8月)/黒田鵬心「東京市の紀念像に就いて」(美術新報1916年12月)/濱岡周忠「都市と銅像」〈全2回連載〉(サンデー毎日1923年5月13日、20日)/中山啓「東京の銅像の批評」〈全4回連載〉(アトリエ1925年9月〜12月)

官展の開設と彫刻界 「公設美術展覧会評—小山正太郎君談」(太陽1907年12月)/有島生馬「文展の洋画と彫刻」(美術新報1916年11月)/「彫刻の批評—批評の批評その3」(美術旬報1917年11月19日)/春山武松「帝展の彫刻(上・下)」(東京朝日新聞1924年10月25日、28日)/落合忠直「帝展の彫刻部の暗闘に同情す」(アトリエ1925年12月)/田邊孝次「明治大正の彫刻」(太陽1927年6月)/田邊孝次「明治大正彫刻雑話」(美之国1927年8月)/森口多里「ロダンと明治大正時代」〈全3回連載〉(知性1941年6月〜8月)

彫刻と社会 権田保之助「置物彫刻の将来」(建築工芸叢誌1916年6月)/有島生馬「彫刻を見て」(中央美術1922年6月)/川路柳虹「彫刻を観る人へ」(『現代美術の鑑賞』1925年)/濱田増治「彫刻家の人々に与へる第一の注文」(彫塑1926年1月)/大泉博一郎「日本の工芸と工芸彫刻家の使命について」(彫塑1926年1月)/遠藤廣「会場研究—主として個展会場に就いて」(彫塑1926年3月)/大蔵雄夫「我が彫塑受難史」(美術新論1928年12月)

昭和初期彫刻の展開 中島謙吉「今秋の院展彫刻」(アトリエ1928年10月)/田澤良夫「朝倉塾不出品是々非々漫語」(アトリエ1928年11月)/蔵田周忠「構造社所感」(アトリエ1929年10月)/田邊孝次「昭和の彫刻」(『世界美術全集第35巻』1930年)/蔵田周忠「帝展の彫刻・工芸」〈全2回連載〉(東京朝日新聞1931年10月25日、26日)/森口多里「帝展の彫刻(上・下)」(東京朝日新聞1933年10月24日、25日)

帝展改組前後 大蔵雄夫「上野の彫刻を観て」(美之国1935年10月)/大蔵雄夫「昭和十年の彫刻界を顧る」(美之国1935年12月)/田邊孝次「帝展の彫刻—三部の現状とゆく可き道」(美之国1936年4月)/柳亮「帝展彫刻評」(アトリエ1936年4月)/森口多里「文展の彫刻」(復興中央美術1936年12月)/大蔵雄夫「美術大震この方—過去五ケ年の彫刻界動勢〈乾・坤〉」(美之国1939年4月、6月)

戦時体制と彫刻 森口多里「佳作は小品に—二科、院展、第三部会彫刻評」(東京朝日新聞1937年9月10日)/田邊孝次「事変下の彫刻と工芸」(美之国1938年11月)/大蔵雄夫「彫刻界の上半期」(美之国1938年7月)/大蔵雄夫「彫刻界の下半期」(美之国1938年12月)/柳亮「国展彫刻部評—意志的芸術への途」(アトリエ1939年5月)/今泉篤男「新制作派展評」(読売新聞1939年12月2日)/森口多里「彫刻界」(『美術総覧昭和15年版』1940年)/市島春城「セメント芸術」(『春城談叢』1942年)/森口多里「目的芸術と幽玄美への意欲」(読売新聞1942年10月23日)/薬師寺厚「新制作派協会の記念碑模型について」(建築雑誌1942年11月)/大蔵雄夫「昭和十七年度彫塑界の諸問題」(日本美術1942年12月)/大蔵雄夫「大東亜戦争美術展の彫塑」(日本美術1943年1月)/大蔵雄夫「日彫・直土・能美・九元展の彫塑」(日本美術1943年8月)/大蔵雄夫「二科・院展・決戦美術の彫刻」(日本美術1943年10月)

座談会—機関誌『九元』より 「第一回研究部座談会(講師:川路柳虹)」(1939年12月)/「第二回研究部座談会(講師:高村光太郎)」(1940年3月)/「第四回研究座談会(講師:蔵田周忠)」(1941年1月)/「緑地と造型」(1941年10月)/「モニエメントに就いて(講師:荒城季夫)」(1943年10月)

作家論—雑誌『サウンド』より
「彫刻人層を行く(北村西望、吉田久継、三木宗策、安藤照、齋藤素巌、石井鶴三、小室達、清水三重三)」〈全8回連載〉(1932年9月〜1933年9月)

美術批評家著作選集 第14巻 プロレタリア美術運動

刊行年月 2012年01月 定価19,440円 (本体18,000円) ISBN978-4-8433-3839-1 C3370

[編・解説]喜夛孝臣

当時多くの青年画家たちを惹きつけたプロレタリア美術運動。その理論と課題、海外動向の紹介、プロレタリア美術展評、版画・漫画・児童画、技法、プロレタリア美術運動の周辺など、多様な切り口でプロレタリア美術運動にまつわる言説と通史を再検証する試み。

橋浦泰雄「美術家も此の鉄鎖を断て!」(プロレタリア芸術1927年8月)/中野重治「絵画に関する緊急の一問題」(プロレタリア芸術1928年2月)/大月源二「プロレタリア美術の開花へ」(プロレタリア芸術1928年3月)/岡本唐貴「ネオ・リアリズムの絵画芸術に関する一論」(造型美術1928年4月)/永田一脩「プロレタリア美術展移動展覧会並に造型の・チプブル性を排撃す」(戦旗1928年7月)/永田一脩「プロレタリア美術運動に於ける二つの傾向に就いて」(戦旗1928年11月)/村山知義「プロレタリア・テーマ美術について」(戦旗1928年11月)/木部正行、大月源二共編「プロレタリア・ポスターの作り方」(戦旗1928年12月)/蔵原惟人「現代日本のプロレタリア美術」(国際文化1929年1月)/村山知義「最近の芸術に於ける機械美」(アトリエ1929年5月)/岡本唐貴「工場から出発しよう」(プロ美術1929年11月)/矢部友衛「日本プロレタリア美術運動史」(『プロレタリア芸術教程第2輯』1929年)/柳瀬正夢「無産階級の画家—ゲオルゲ・グロッス」(『ゲオルゲ・グロッス』1929年)/神原泰「世界の美術の動き」(世界の動き1930年2月)/橋浦泰雄「検閲制度とプロ美術」(プロ美術1930年1月)/「一労働者の見たる第二回プロレタリア美術大展覧会」(プロ美術1930年1月)/矢部友衛「アンデパンダンの出現と一九三〇年協会の没落」(プロ美術1930年1月)/岡本唐貴「山本鼎等はプロレタリア美術を如何に攻撃し歪曲したか」(プロ美術1930年2月)/岩松淳「日本漫画の展望」(プロ美術1930年2月)/早川久夫「印刷美術講座(一)」(プロ美術1930年4月)/橋浦泰雄「日本プロレタリア美術運動史」(『プロレタリア芸術教程第3輯』1930年)/矢部友衛「プロレタリア美術のモティーフに就いて」(アトリエ1930年4月)/須山計一「漫画とプロレタリアート」(『プロレタリア芸術教程第3輯』1930年)/福田新生「槐樹社美術展のプロレタリヤ作家」(文芸戦線1930年4月)/村山知義「緊急な問題」(『プロレタリア美術のために』1930年)/「カツトの写し方と描き方について」(『闘争ニュース用カット漫画集』1930年)/鈴木賢二「プロレタリア美術概論」(アトリエ1930年9月)/岡本唐貴「プロレタリア・リアリズムの問題」(アトリエ1930年9月)/大月源二「プロレタリア美術の××・宣伝的役割に就いて」(アトリエ1930年9月)/近峰須多二「マルクス主義と美術批評」(アトリエ1930年9月)/大林長男「世界プロレタリア美術の発生とその発展」(アトリエ1930年9月)/大平章「現世界画壇に於けるソヴエト画壇の地位」(アトリエ1930年9月)/須山計一「世界プロレタリア美術の現状」(アトリエ1930年9月)/津田青楓「プロレタリア美術運動の是非と芸術の超歴史的普遍性」(アトリエ1930年9月)/石井柏亭「プロレタリア美術は大衆の美術ではない」(アトリエ1930年9月)/中川紀元「プロレタリア美術は方法を誤つてゐる」(アトリエ1930年9月)/近峰須多二「版画の問題を中心に」(ナップ1930年9月)/岡本唐貴「機械と絵画との関係に対する展望」(『プロレタリア美術とは何か』1930年)/津田青楓「芸術の大衆普遍化」(青年美術1930年10月)/松山文雄「移動展の新らしい任務と形態」(ナップ1930年10月)/岡本唐貴、大月源二、岩松淳「第3回プロ美術大展覧会作品評」(ナップ1931年1月)/福田新生「プロレタリア美術の諸問題」(文戦1931年2月)/「既成美術は何故時代を指導して行く力を失つたか」(新興美術批判1931年7月)/新井光子「児童絵画論」(『綜合プロレタリア芸術講座第3巻』1931年)/新興美術批評家協会「美術季節のプロローグ—秋の画壇に対する観測的批判」(アトリエ1931年9月)/「座談会筆記」(美術新論1931年9月)/岡本唐貴「反帝国主義芸術論」(中央公論1931年10月)/吉原義彦「プロレタリア油絵の描き方」(『綜合プロレタリア芸術講座第5巻』1931年)/大平章、矢部友衛、加賀山敬三「現在の日本ブルジヨア美術批判」(プロレタリア美術1931年12月)/尾川多計「第四回プロ展を見る」(みづゑ1932年1月)/「工場農村から」(プロレタリア美術1932年2月)/矢部友衛「嵐を衝いて—第五回プロ美術展評」(帝国大学新聞1932年11月28日)/大平章「第五回プロ展評」(アトリエ1933年1月)/福田新生「津田青楓氏の転向」(レフト1933年9月)/津田青楓「芸術家の転向」(中央公論1933年11月)/岡本唐貴「美術運動の建て直しのために」(美術運動1933年12月)

美術批評家著作選集 第4回 全3巻

刊行年月 2013年09月 揃定価61,560円 (揃本体57,000円) ISBN978-4-8433-4361-6

美術批評家著作選集 第15巻 今泉篤男 植村鷹千代

刊行年月 2013年09月 定価23,760円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-4362-3

[編・解説]谷口英理

今泉篤男(いまいずみ・あつお 1902〜1984)1932年に渡欧しパリ大学とベルリン大学に学ぶ。帰国した1934年から美術批評家として活動を始める。1937年に「自由美術家協会」を結成し顧問として活躍。戦後は『美術批評』誌上で日本人作家の作品への鋭い批判を行い、いわゆる「今泉旋風」といわれる論議を呼んだ。国立近代美術館(東京・京都)の設立・運営にも携わり、美術館人の草分け的存在でもある。
植村鷹千代(うえむら・たかちよ 1911〜1998)1936年より美術批評家としての活動を始める。1940年代初頭から南洋経済研究所に勤務し、美術批評のかたわら南洋文化に関する論考も多く発表。1947年「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」に代表員として参加、「リアリズム論争」の際には前衛美術擁護の論陣を張った。武蔵野美術学校、日本大学芸術学部の教員や、日本デザイン専門学校の校長も務めた。

今泉篤男  「古代の微笑」(ドルメン1932年6月)/「新時代洋画展感想」(アトリエ1934年7月)/「帝展洋画の感想」(アトリエ1934年11月)/「独立展の感想」(アトリエ1935年4月)/「近代建築と絵画」(現代美術1935年5月)/「春陽会展の感想」(アトリエ1935年6月)/「美術批評に就ての疑問」(アトリエ1935年11月)/「絵そらごと—文展新人の洋画」(帝国大学新聞1936年10月26日)/「ヘレニスティックなもの—矢橋六郎君の作品」(アトリエ1937年3月)/「ピトレスクに逆くもの—森芳雄君の作品」(アトリエ1937年5月)/「二科展—余りにも受動的 新目標の樹立を要望す」(帝国大学新聞1937年9月6日)/「現代日本画に於ける二つの病弊—構図と骨法の問題其他に関連して」(南画鑑賞1937年2月)/「新制作派展を観る」(アトリエ1938年1月)/「梅原龍三郎と安井曾太郎—その芸術様式に就て」(アトリエ1938年6月)/「梅原龍三郎と安井曾太郎(承前)—その様式の現代に於ける位置に就て」(アトリエ1938年8月)/「新制作派展感想」(みづゑ1939年1月)/「自由美術展を観る」(読売新聞1939年5月31日)/「市内電車」(アトリエ1939年5月)/「日本に於ける抽象芸術の性格—自由美術第三回展感想」(アトリエ1939年7月)/「素描に就て」(みづゑ1939年9月)/「現代絵画の肉体性」(アトリエ1939年9月)/青山民吉・富永惣一・硲伊之助・坂倉準三〈座談会〉「コルビュジエと新建築座談会」(丹青1939年9月)/「文展洋画評」(造形芸術1939年11月)/「新人」(美之国1939年12月)/「安井曾太郎氏の肖像画に就いて」(造形芸術1940年5月)/「世代と様式」(アトリエ1940年6月)/「写実主義の変貌」(アトリエ1940年1月)/高田力蔵・岡鹿之助・富永惣一・宮本三郎・菊地一雄〈座談会〉「西欧美術の近況」(アトリエ1940年3月)/「戦時下の美術—迎合・省察・自覚」(帝国大学新聞1940年7月8日/「前衛派の問題—絵画に於ける頽廃」(都新聞1940年10月12日)/「熊谷守一の作品」(みづゑ1940年12月)/「日本美術の性格」(新美術1941年9月)/長谷川三郎〈対談〉「美術の構造を語る」(アトリエ1941年1月)/西川友武・本郷新・谷口吉郎・福田豊四郎・海老原喜之助・藤本韶三・辻修〈座談会〉「新らしい造形」文化(造形芸術1941年2月)/「荻須高徳の作品」(造形芸術1941年3月)/「技術より思想へ—古典的形態としての自覚」(帝国大学新聞1941年7月3日)/「造形教育の倫理」(造形教育1941年7月)/「近代美術館の問題」(都新聞1941年11月16日)/「春陽会展評」(新美術1942年6月)/「官展の目標」(新美術1942年7月)/「大東亜戦争美術展評(上・下)」(東京新聞1942年12月14日・17日)/「院展と青龍展の傾向について」(国画1942年10月)/「藤田嗣治の芸術」(新美術1943年3月)/「春陽会と国展のことなど」(新美術1943年7月)/「陸軍作戦記録画優秀作品評 藤田嗣治筆『神兵の救出到る』」(美術1944年5月)/「上半期の美術界」(大学新聞1944年7月21日)/「題目と制作の距離—『戦時特別美展』評」(大学新聞1944年12月11日)

植村鷹千代 「孺子の腸」(コギト1934年8月)/「行動と熱情の文学」(行動1935年1月)/「現代文学と自我意識—岡邦雄氏の批判に答ふ」(行動1935年4月)/「映画と国際問題」(国際評論1936年4月)/「意識の絵画の発足—瑛九のレエゾン・デエトル」(みづゑ1936年5月)/「二科展を観る」(社会及国家1936年9月)/「思想としての絵画」(みづゑ1936年11月)/「アブストラクト・アート」(アトリエ1937年6月)/瑛九・北尾淳一郎合同展(みづゑ1937年6月)/「新らしさの自覚に就て—第十五回黒色洋画展」(アトリエ1937年7月)/「自由美術家協会とは何か—その第一回展を機会に」(アトリエ1937年8月)/「絵画と科学」(アトリエ1937年9月)/「レアリズムとアブストラクト・アート」(アトリエ1938年2月)/「随想—絵画の問題について」(美術時代1938年3月)/「教養と美術—日本的民族能力の特質について」(アトリエ1938年5月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年1月)/「『女流作家』と云ふ言葉に就て—女艸会展を機会に」(アトリエ1939年2月)/洋画展月評(アトリエ1939年2月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年3月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年5月)/「ピカソと現代絵画の諸問題」(アトリエ1939年5月)/「批評の有意味・無意味について」(アトリエ1939年5月)/「現代絵画と知性」(自由美術1939年10月)/「日本美術史—その精神的特質と創造能力」(綜合二千六百年史1940年)/「抽象絵画への再考察」(アトリエ1940年1月)/「若さについて」(みづゑ1940年1月)/「一水会評に寄せて—進歩主義的風潮を駁す」(造形芸術1940年1月)/「物の欠如について」(みづゑ1940年2月)/「絵画の秘密について」(知性1940年2月)/「前衛運動への疑念」(みづゑ1940年3月)/「独立展美術評」(アトリエ1940年4月)/「歴史美術論の要望」(みづゑ1940年4月)/「郷土について」(みづゑ1940年5月)/「日本画雑感」(南画鑑賞1940年6月)/「日本人の場合」)(みづゑ1940年7月/「芸術に於ける怪奇の地位」(アトリエ1940年8月)/「二科と新制作派」(アトリエ1940年11月)/「仏蘭西の南洋研究—列国の南洋調査機関(三)」(新亜細亜1941年1月)  /「独立展美術評」(アトリエ1941年4月)/「仏印の美術」(アトリエ1941年5月)/「様式美術論」(画論1941年9月)/「フォームの発見」(生活美術1941年9月)/「二科的アカデミズム—二科展美術評」(新美術1941年10月20日)/「時局と美術—才能の幅について」(旬刊美術新報1941年10月20日)/「アンコール・ワット論—クメール芸術の相貌」(新亜細亜1941年11月)/「眼の教養といふこと」(旬刊美術新報1942年3月20日)/「写実する心」(生活美術1942年5月)/「絵画における普遍と歴史の再考—ルネッサンスを中心に」(画論1942年5月)/「独立展を見て」(日本美術1942年5月)/「絵画史発展の条件」(画論1942年7月)/「二科展評 浪曼主義と技術主義の分離」(日本美術1942年10月)/「大東亜戦争と日本美術」(新美術1942年12月)/「形の流行と言葉の流行—洋画壇の諸問題」(日本美術1942年12月)/「文展の印象」(生活美術1942年12月)/「現代美の構想」(生活美術1943年2月)/「バリ島の生活と芸術」(南洋経済研究1943年2月)/「作家と環境」(生活美術1943年6月)/「『美は世界を救ふ』の意気と決意を望む」(画論1943年7月)/「生活芸術としての日本画と洋画」(日本美術1943年10月)/「難波田龍起第二回個展をみて」(日本美術1943年11月)/「記録画と芸術性」(美術1944年5月)/「作戦記録画優秀作品評 小磯良平筆『ビルマ独立式典図』『日緬条約調印図』」(美術1944年5月)/「海と空の課題—第八回海洋美術展評」(美術1944年7月)/「軍事援護美術展覧会評」(美術1945年1月)

美術批評家著作選集 第16巻 村山知義 美術批評と反動(上)

刊行年月 2013年09月 定価21,600円 (本体20,000円) ISBN978-4-8433-4363-0

[編]滝沢恭司

村山知義(むらやま・ともよし 1901〜1977)美術家、美術批評家、劇作家など多方面において活躍。1922年のベルリン留学の際に現代美術に触れ、一年後に前衛芸術家として帰国。独自の造形思想である「意識的構成主義」を標榜し1923年7月「マヴォ」を結成。その後も前衛芸術家およびプロレタリア運動家として旺盛な活動を展開。戦後は「東京芸術座」結成、『村山知義戯曲集』『演劇的自叙伝』刊行など多面的な活動を行った。

「万国美術展覧会の新運動」(解放1922年11月)/「ダンスの本質に就て」(中央美術1923年7月)/浅枝次朗「マヴォ展覧会を評す」(読売新聞1923年8月2日)/「マヴォ展覧会に際して—浅枝君に与へる」(東京朝日新聞1923年8月5日)/岡田龍夫「意識的構成主義への抗議—村山知義氏へ(上・下)」(東京朝日新聞1923年8月18日・19日)/「フェルナン・レジェー」(美術月報1923年11月)/「木村荘八氏にちょっと」(みづゑ1924年1月)/「アクションの諸君に苦言を呈する」(みづゑ1924年6月)/オットー・パンコック〈訳〉「パウル・クレーとダダ」(マヴォ1924年7月)/「芸術の究局としての建築」(国民美術1924年7月)/『現在の芸術と未来の芸術』(長隆舎書店1924年)/横井弘三「日本無選展覧会の時期来る」(みづゑ1924年11月)/「展覧会組織の理想」(みづゑ1924年12月)/小山内薫「日本最初の構成派舞台装置」(読売新聞1924年12月9日)/「一つの舞台装置」(中央美術1925年2月)/「春陽会を見る」(アトリエ1925年4月)/「荻島安二君の彫塑小展を観る」(アトリエ1925年6月)/「被虐者の芸術」(マヴォ1925年7月)/「構成派に関する一考察—形成芸術の範囲に於ける」(アトリエ1925年8月)/「恐ろしき芸術」(マロニエ1925年9月)/「三科展の弁」(中央美術1925年10月)/本荘可宗「芸術に於ける二様の良心—構成主義に関する一考察」(新潮1925年12月)/「『造型』出生並に宣言」(読売新聞1925年12月1日)/神原泰「芸術から造型へ」(東京朝日新聞1925年12月6日)/「反動・ここにも反動」(読売新聞1925年12月13日)/岡本唐貴「造型への反動者—村山知義君に答ふ(上〜下の二)」(読売新聞1925年12月23日〜26日)/「ゲオルゲ・グロッス」(アトリエ1926年1月)/神原泰「造型の報告」(アトリエ1926年2月)/「シャガル雑感」(アトリエ1926年2月)

美術批評家著作選集 第17巻 村山知義 美術批評と反動(下)

刊行年月 2013年09月 定価16,200円 (本体15,000円) ISBN978-4-8433-4364-7

[編・解説]滝沢恭司

『構成派研究』(中央美術社1926年)/「写真の新しい機能」(アサヒカメラ1926年5月)/「太子展の工芸部」(アトリエ1926年6月)/「一つの美術展覧会—造型展批評」(中央美術1926年10月)/「商工省の工芸展を見る」(工芸時代1926年12月)/「ブルギエールの芸術写真」(アサヒカメラ1926年12月)/「リシッキーの新奇な芸術写真」(アサヒカメラ1927年4月)/「芸術写真の方向転換」(PHOTO REVIEW 1927年6月)/「アーキペンコの巡回展」(中央美術1927年10月)/「最近独逸美術」(アトリエ1928年9月)/「オットオ・デイックス」(アルト1929年1月)

美術批評家著作選集 第5回 全2巻

刊行年月 2016年06月 揃定価54,000円 (揃本体50,000円) ISBN978-4-8433-5027-0

美術批評家著作選集 第18巻 仲田定之助

刊行年月 2016年06月 定価29,160円 (本体27,000円) ISBN978-4-8433-5028-7

[編・解説]五十殿利治 [編・解説]梅宮弘光 [日記翻刻]寺門臨太郎 [日記翻刻]山本佐恵 [日記翻刻]江口みなみ

仲田定之助(なかだ・さだのすけ 1888〜1970)は、一般には『明治商売往来』(1969年、第18回日本エッセイスト・クラブ賞)の著者として知られるが、戦前は単位三科結成など作家活動のほか、美術評論家としても活躍し優れたテキストを残している。本巻では日本国内外の同時代美術や写真、バウハウスへの関心とそれらを紹介・批評した多様なテキストを編纂。ベルリン滞在時の様子を記す貴重な日記を翻刻抄録。

Ⅰ 新興美術・同時代美術の批評と紹介
「アーキペンコを訪ふ」(週刊朝日1923年1月28日)/「北欧展を報ず 上・下」(報知新聞1924年12月5〜6日)/「ユゲクンスト及其作家」「出品目録」(『北欧新興美術展覧会図録』1924年12月)/「綜合雑誌の使命」(マヴォ1925年6月)/「眼鏡を捨てる—三科会員作品展覧会評」(中央美術1925年7月)/「ロシア社会主義聯邦ソーヴイエツト共和国の建築」(マヴォ1925年8月)/「ゲオルゲ・グロツスの作品とその踏んだ道」「グロツスの著書、版画、その他」(AS1925年11月)/「帝展の洋画」(アトリエ1925年11月)/「シャガールの横断面」「シヤガール・ワルデン・カンデンスキー」(アトリエ1926年2月)/「新実在の芸術—独逸に於ける最近の芸術傾向」(中央美術1926年6〜7月)/「独逸現代美術展覧会を見る」(アトリエ1926年12月)/「ウェリスト、ゲオルゲ・グロッス」(美術新論1927年3月)/「オツトー・デイツクスの作品」(美術新論1927年4月)/「フアリフオトン舞台形象 上・下」(東京朝日新聞1927年5月30〜31日)/「アリフオトン舞台形象試演に就いて」(美術新論1927年7月)/「三科進出」(アトリエ1927年8月)/「独逸の美術雑誌 上・下」(アトリエ1928年4〜5月)/「青の部屋」(美術新論1929年4月)/「第一美術協会の独逸作品」(アトリエ1929年7月)/「今日の建築」(『趣味の近代層』1930年)/「現代欧州彫塑展望」(『世界美術全集』34巻1930年)/「伯林の画商」(『世界美術月報』35号1930年)/「二科の超現実主義的作品」(美術新論1930年10月)/「ホツファー、ゼーワルド、バツベルガア其他—独逸画壇に動く人々」(アトリエ1931年1月)/「モダーニズムの部屋」(美術新論1931年10月)/「二科を透して見た一九三一年の横顔」(紀伊國屋月報1931年10月)/「帝展を通して見た時代の横顔」(美術新論1931年11月)/「団体論」(美術新論1932年3月)/「長谷川三郎氏の滞欧作品個展」(アトリエ1933年5月)/「第二十回二科会展所感」(アトリエ1933年10月)/「二科会と構造社の彫刻」(アトリエ1935年10月)/「オリンピツク美術競技へ参加を勧むる書」(アトリエ1936年3月)/「リーバアマン抹殺その他」(アトリエ1938年6月)
Ⅱ バウハウスとデザインの批評と紹介
「『近代建築思潮』正誤に就て—濱岡周忠兄に」(建築新潮1925年6月)/「国立バウハウス 一・二」(みづゑ1925年6〜7月)/「バウハウス後記」(みづゑ1925年10月)/「ワルター・グロピウス推讃」(建築新潮1925年10月)/「分離派建築会展所感」(アトリエ1926年3月)/「商業美術の水平運動—商業美術家協会第一回作品展覧会」(工芸時代1926年12月)/「バウハウスを語る」(工芸時代1927年1月)/「作品(三科展出品)」(建築画報1927年9月)/「一九二七年無選共同建築展覧会を見る」(アトリエ1928年1月)/「土地会社のポスター」(『現代商業美術全集』2巻1928年)/「商業美術雑考」(『商業美術月報』1号1928年6月)/「クラデラダツチの漫画ポスター」(『現代商業美術全集』14巻1928年)/「バウハウス」(アトリエ1928年9月)/「構成主義のポスター—カザツクの構成主義的広告観」(『商業美術月報』8号1929年3月)/「新形態美説」(アトリエ1929年5月)/「新建築形態と商店建築」(『現代商業美術全集』9巻1929年)/「濱田増治君素描」(アトリエ1929年9月)/「絵になつた自動車」(美術新論1929年9月)/「独墺に於ける装幀新傾向の展望」(『現代商業美術全集』21巻1929年)/「アドルフべーネの建築観」(国際建築1929年11月)/「新形態美論」(『最近美術の動き』1930年)/「独逸バウハウス」(『工芸美術を語る』1930年)/アドルフ・ベーネ「現代の目的建築 №1〜№3」(建築新潮1930年2〜4月)/「バウハウスに於ける文字単化の試み」(『現代商業美術全集』15巻1930年)/「創宇社建築展所感」(アトリエ1930年11月)/「ブルノ・タウトの半面」(アトリエ1934年1月)/「全日本商業美術展」(アトリエ1937年4月)/「濱ちゃん」(『八房の梅』濱田絹子編1941年4月)
Ⅲ 写真の批評と紹介
「写真芸術の新方向—モホリー・ナギーの近著から」(アサヒカメラ1926年10月)/「マン・レイの抽象写真」(アサヒカメラ1926年11月)/「写真の新傾向とその応用広告」(『現代商業美術全集』14巻1928年)/「カメラの感覚」(アサヒカメラ1933年7〜12月)/「新写真芸術の確立」(アサヒカメラ1933年9月)/「レンズの触手」(アサヒカメラ1934年1月)/「カメラの触手—正面をきつた肖像」(アサヒカメラ1934年3月)/「カメラの触手—女の脚を主題とした作品」(アサヒカメラ1934年4月)/「漫画写真—ニツクス・フアイニンゲルの作品」(アサヒカメラ1934年8月)/「海外写真雑誌展望」(アサヒカメラ1935年9〜12月)/「どんなスポーツ写真がいいか」(アサヒカメラ1937年4月)/「日本を知らせる写真展」(美術時代1938年1月)/「写真のオリンピック参加運動」(美術時代1938年3月)/「国展の写真」(みづゑ1939年5月)
Ⅳ その他
「戦争を主題とした絵画」(みづゑ1932年3月)/『ピカソ』(西洋美術文庫18巻1938年)/「人の和」(CAMEL1960年WINTER)/「マレーヴィッチの悲劇」(みづゑ1967年12月)/「回想の三科」(みづゑ1969年2月)
付・「仲田定之助日記(1922年〜1923年)抄」(翻刻)

美術批評家著作選集 第19巻 批評と批評家

刊行年月 2016年06月 定価24,840円 (本体23,000円) ISBN978-4-8433-5029-4

[編・解説]五十殿利治 [編・解説]大谷省吾

主要な美術関係雑誌・新聞より、明治末から大正期、昭和期は1940年代前半までのメタ批評の視点に立つテキストを柱に編纂。『アトリエ』誌連載特集〈美術批評に対する検討、全8回〉〈美術批評の研究、全3回〉など基礎文献のほか、評論家や方法論にかんするテキスト、日本美術批評家協会・新興美術批評家協会の機関紙『美術批判』『新興美術批判』(一号分欠、東京文化財研究所蔵)を収録。

石井柏亭「評論の評論」(方寸1907年12月)/矢代幸雄「美術批評家に与ふる書」(帝国文学1912年12月)/「週報言」(美術週報1913年11月30日)/「如是確聞 美術記者団の活動」(美術週報1913年11月30日)/山宮允「美術批評に就て」(みづゑ1913年12月)/深田康算「美術批評の意義」(新人1915年1月)/中村不折「学者と芸術家」(美術正論1915年1月)/鵬心生「青山より」(美術週報1915年5月30日)/黒田鵬心「青山より」(みづゑ1915年7月)/斉藤与里「評論に就て」(みづゑ1915年11月)/為藤五郎「現今の美術批評家 上・中・下」(中央美術1916年12月〜1917年2月)/横川毅一郎「芸術的良心と批評的道徳 一・二」(みづゑ1918年8〜9月)/深田康算「芸術批評」(制作1919年2月)/森田亀之助「最近美術批評に対する考察」1919年12月)/批評家に答へて(中央美術1921年2月)平福百穂「日本古来の特質」、中村不折「批評家に苦言」、有島生馬「海楼の寝室から」/高村真夫「作家批評の特長と其欠点」(中央美術1921年6月)/石井柏亭「評論の評論(洋画)」(美術月報1921年12月)/小林宗吉「芸術家と批評家—ジヨージ・ナタンの言葉」(中央美術1923年8月)/「美術時評の不振」(中央美術1925年7月)/豊田豊「各雑誌への美術的批判」(美之國1926年7月)/豊田豊「西部画壇随誌—洋画家と美術批評家のことども」(みづゑ1926年7月)/稲場勝邦「工芸批評家の態度を難ず」(アトリエ1926年8月)/小美野求「美術批評界鳥瞰」(中央美術1926年12月)/渡辺素舟「工芸批評の態度論に就て」(中央美術1927年2月)/田辺至「批評」(美術新論1928年2月)/矢部友衛「批評の基準と芸術問題—永瀬義郎氏に答ふ」(アトリエ1928年2月)/渡辺素舟「批評といふことについて」(アルト1928年6月)/清水三重三「批評漫談」(中央美術1928年7月)/柳川槐人「批評の批評—実用的劇映画に就ての簡単な序文」(美之國1928年9月)/渡辺素舟「再び批評について」(アトリエ1929年1月)/斎藤佳三「美術批評の厳正を促す」(アトリエ1929年1月)/斎藤与里「評論家論」(美術新論1929年11月)/美術思潮同人:荒城季夫・江川和彦・薄金謙次郎・青柳正広・三輪鄰「現代美術座談会 美術と批評」(アトリエ1930年3月)/宮坂勝「批評の批評を必要とする」(美之國1930年4月)/横川三果「展覧会制の現実機構に対する社会的考察」(アトリエ1930年9月)/「美術評論家協会」(美術新論1930年12月)/上野山清貢「批評家は見世物小屋の木戸番たれ」(美術新論1930年12月)/美術批評に対する検討1(アトリエ1931年2月)川端龍子「会場芸術の弁」、坂井犀水「批評に就ての偶語」、横川三果「美術に於ける批評的ヘゲモニーの所在—美術批評の社会的任務について(1)」/美術批評に対する検討2(アトリエ1931年3月)石井柏亭「批評家の批評と作家の評其他」、古川修「批評に就いて」、横川毅一郎「社会学的等価の発見と美術的価値の評価—美術批評の社会的任務について(2)」/日本美術批評家協会:石田幸太郎・遠地輝武・大島隆一・大平章・横川毅一郎・真渓蒼空朗・三輪鄰・楢原豊一「日本美術批評家協会の成立」、真渓蒼空朗「日本美術批評家協会の設立に就いて」(アトリエ1931年3月)/美術批評に対する検討3 木村荘八「専門でなければ—」(アトリエ1931年4月)/美術批評に対する検討4 横川毅一郎「実践的方法としての一定の規準—美術批評の社会的任務について(3)」(アトリエ1931年5月)/美術批評に対する検討5 里見勝蔵「批評説」(アトリエ1931年6月)/福島繁太郎「批評の批評—中川紀元氏に与ふ」(美術新論1931年6月)/外狩素心庵「美術批評の問題」(美之國1931年6月)/有島生馬「批評的精神の欠乏時代」(アトリエ1931年7月)/美術批評に対する検討6 荒城季夫「古い批評と新しい批評—美術批評の覚え書として」(アトリエ1931年7月)/美術批評の検討7(アトリエ1931年8月)鍋井克之「作家としての批評其他」、田沢良夫「指導的厳正批評出でよ」、楢原豊一「二つの提案—制作態度と美術団体を批判せよ」/三木貞男「現代美術雑誌批判」(美術新論1931年8月)/伊藤廉「展覧会制度と批評とについて」(美之國1931年9月)/美術批評の検討8 大平章「美術批評の基準に就いて」(アトリエ1931年9月)/外山卯三郎「展覧会と批評の問題」(美之國1931年10月)/税所篤二「美術評論家エリイ・フオオル氏の来朝」(みづゑ1931年10月)/児島喜久雄「美術家の批評と批評家の批評 1〜4」(東京朝日新聞1931年11月19〜22日)/大堂清治「現役批評家非議」(美術新論1932年9月)/批評の批評(美術新論1932年12月)内藤伸「批評の絶対性」、中村研一「仲間ほめの評を排す」、伊原宇三郎「正しい批評」、松尾邦之助「頭脳的に幼稚な日本の批評界」/杉田秀夫「美術のない美術批評—美術批評への感想」(美術新論1933年6月)/荒城季夫「断想—正しき批評」(美術新論1933年8月)/外狩素心庵「美術批評の不勉強」(アトリエ1931年9月)/棟方寅雄「批評に就て」(美術新論1933年10月)/伊藤廉「作家より批評家へ与へる文」(復興中央美術1934年1月)/牧野虎雄「尺度の大きさ」(復興中央美術1934年1月)/「美術批判の夕」(アトリエ1934年11月)/美術批評の研究1(アトリエ1935年9月)川路柳虹「美術批評なるもの」、森口多里「一美術批評家の告白」、富永惣一「美術批評の問題」、藤田嗣治・伊原宇三郎・東郷青児・小島善三郎・黒田重太郎・中川紀元・田中忠雄・佐分真・内田巌・太田三郎・宮本三郎・猪熊弦一郎・向井潤吉「美術批評に対する不満と希望」/造形文化協会:荒城季夫・大島隆一・尾川多計・佐波甫・横川毅一郎「〈美術の秋〉批判座談会—二科会と青龍社」(みづゑ1935年10月)/美術批評の研究2(アトリエ1935年10月)谷川徹三「沢山の問題の中のただ一つを」、山際靖「敬遠された美術批評—作家と新聞雑誌と批評家」、佐波甫「美術批評に就て」、鏑木清方「批評家の立場、作家の立場」、高村真夫「批評考察」、山下新太郎・池辺釣・松本弘二・石井柏亭・雨田光平・中川一政・広島晃甫・曽宮一念・牧野虎雄・木下義謙・柏木俊一・中西利雄・里見勝蔵・渡辺知義・鳥海青児・長谷川三郎・山崎省三・林重義・小磯良平・高村豊周・阿以田治修・岩佐新「美術批評に対する不満と希望」、常松菅晴「批評家の持たねばならぬもの」、須田剋太「生命と全部とで惚れこむ様な美術批評家の出現をのぞむ」、三浦明鋹「美術批評家に対する熱望」、三島篁一郎「美術批評の考へ方」、島征三「美術批評のために」、黒城首理「美術の大衆化の為めに」/美術批評の研究3(アトリエ1935年11月)今泉篤男「美術批評に就ての疑問」、木村荘八「批評の問題」、川路柳虹「批評の立場について」、徳永郁介「批評の批評の問題」、富士静児「忘れてならないもの」、日里舒「現在の美術批評に寄せる」、太田義治「現在の美術批評に対する一野人の言葉」/荒城季夫「美術批評の弁」(アトリエ1935年12月)/常松菅晴「より広き批評」(アトリエ1935年12月)/村田耕「大衆は美術を所有し得るや」(アトリエ1935年12月)/青野季吉「美術批評と〈専門化〉」(アトリエ1936年1月)/蓮実重康「現代画壇の行詰りと美術批評の自律性に就て」(復興中央美術1936年3月)/少壮学者連を中心に美術批評家協会結成(日刊美術通信1936年10月11日1面)/柳亮「美術批評家協会の結成と抱負について」(美之國1936年11月)/長谷川如是閑「ナチスの芸術批評統制」(東京朝日新聞1936年12月5〜7日)/横川毅一郎「新形式としての芸術社会学的究明批判」(アトリエ1937年1月)/落合朗風「批評の批評」(美之國1937年2月)/伊藤正治「批評家の任務」(アトリエ1937年5月)/今井繁三郎「批評家への認識」(美之國1937年11月)/小笠原秀実「批評の標準」(美之國1937年12月)/中野桂樹「批評に対する心構」(美之國1937年12月)/荒城季夫・土方定一・今泉篤男・瀧口修造・上村鷹千代・横川毅一郎・柳亮「美術批評の諸問題を語る座談会」(アトリエ1938年5月)/大伴三沙「批評家に与ふ」(美之國1938年10月)/今井繁三郎「批評家とジャーナリズムと作家と」(美之國1938年11月)/「批評といふもの」(美之國1939年9月)/荒城季夫「〈批評の批評〉について」(みづゑ1939年11月)/北脇昇「美術批評論」、森口多里「講評」、荒城季夫「選後に」(みづゑ1939年12月)/土方定一「美術批評の基準」(造形芸術1940年4月)/新体制下の美術批評(アトリエ1940年10月)藤森成吉「〈批評精神について〉断想」、佐波甫「新しき批評精神」、植村鷹千代「批評精神について」、尾川多計「新体制と批評の一元化」、柳亮「私の批評精神」、江川和彦「基本は確立されている」/江川和彦「芸術文化の建設と美術批評の問題」(アトリエ1941年6月)/石川宰三郎「批評の種々相と言責徹底に就て」(美之國1941年7月)/大口理夫「批評所感」(生活美術1943年1月)/藤本韶三「外狩素心庵氏を憶ふ」(美術1944年6月)/『美術批判』1号(日本美術批評家協会1931年5月)/『新興美術批判』1号(新興美術批評家協会1931年7月)/『新興美術批判』2号(新興美術批評家協会1931年8月)/『新興美術批判』4号(新興美術批評家協会1931年12月)/『新興美術批判』5号(新興美術批評家協会1932年1月)/『新興美術批判』6号(新興美術批評家協会1932年4月)/『新興美術批判』7号(新興美術批評家協会1932年10月)

美術批評家著作選集 第6回 全2巻

刊行年月 2017年03月 揃定価45,360円 (揃本体42,000円) ISBN978-4-8433-5124-6

日中戦争から太平洋戦争の敗戦に至るまでの「戦争美術」「戦争画」と呼ばれる制作活動および作品の成立を、批評家、美術家、雑誌新聞等ジャーナリズム、官僚・軍関係者等、戦時下の美術界に生きた同時代人の証言でたどる。

美術批評家著作選集 第20巻 戦争美術の証言(上)

刊行年月 2017年03月 定価19,440円 (本体18,000円) ISBN978-4-8433-5125-3

[編・解説]河田明久

摩寿意善郎「絵画に於ける時代性と社会性」(美之国1937年9月)/松岡映丘「日本画に於ける戦争画」(塔影1937年11月)/廣瀬喜六「戦争と絵画」(塔影1937年11月)/内ケ崎作三郎「事変と美術雑感」(塔影1937年12月)/等々力巳吉「戦線を行く」(アトリエ1938年1月)/小早川篤四郎「軍事絵画への犠牲―岩倉具方君を悼む」(美術1938年1月)/小早川秋聲「北支戦線より」(塔影1938年1月)/林達郎「時局と美術」(美之国1938年2月)/小早川篤四郎「戦争時代と画家」(アトリエ1938年4月)/「従軍画家座談会」(美術1938年4月)/川島理一郎「北支行の言葉」(塔影1938年5月)/藤島武二「中支戦線雑感」(塔影1938年7月)/「座談会 近代戦争と絵画―従軍画家を迎へて」(東京朝日新聞1938年7月29~31日)/中村研一「上海の宿」(美術1938年8月)/向井潤吉「従軍画家私義」(美術1938年8月)/栗原信「徐州→帰徳→蘭埠→開封→」(美術1938年8月)/鈴木栄二郎「八ケ月の従軍」(美術1938年8月)/小磯良平「屋根裏のアトリエ」(文芸春秋・現地報告 臨時増刊24 1939年9月)/三輪鄰「従軍画への考察―陸軍従軍画展を観て」(美之国1938年8月)/「座談会 非常時と美術家の行く道」(読売新聞1938年8月6日、10~13日、18~20日)/柴野中佐「戦争画に対する質疑に答ふ」(読売新聞1938年8月12日)/柴野中佐「軍事絵画の展覧会出品に就て」(アトリエ1938年9月)/三輪鄰「戦争画への期待」(美之国1938年9月)/柳亮「絵画的モチーフとしての戦争画について」(みづゑ1938年9月)/木村荘八「事変は美術へ何う響いたか」(週刊朝日1938年9月18日)/麻生豊「伝単を描きつつ」(文芸春秋・現地報告 臨時増刊13(1938年10月)/中川紀元「美術と戦争」(塔影1938年10月)/伊原宇三郎「北支従軍画行日記抄」(文芸春秋1938年12月)/藤田嗣治「聖戦従軍三十三日」(文芸春秋・現地報告 臨時増刊15 1938年12月)/「二科展飾つた戦争画 海外頒布を禁止 〝聖戦の認識〟を誤る」(東京朝日新聞1939年2月15日)/「従軍報告座談会 観て来た支那と支那人」(塔影1939年3月)/田中佐一郎「湖南岳州―中支従軍記ノ内」(美之国1939年4月)/三輪鄰「〈従軍画家展〉その他」(美之国1939年4月)/荒城季夫「戦争画の問題(1~3)」(東京朝日新聞1939年4月20~22日)/石井柏亭「健康なる文化の創造へ」(塔影1939年5月)/荒城季夫「美術と政治―戦時下美術人の知性と情熱」(アトリエ1939年7月)/児島喜久雄「聖戦美術展(1~3)洋画評・総評」(東京朝日新聞1939年7月11~13日)/伊原宇三郎「戦争美術と身辺雑記」(みづゑ1939年8月)/柳亮「芸術に於けるモニュマンタリテの意義及びその日本的表現の特質」(みづゑ1939年10月)/宮田重雄「帰還報告」(アトリエ1939年11月)/小磯良平「戦争画の問題」(週刊朝日1940年2月4日)/保田与重郎「将来の課題―永徳をめぐつて」(アトリエ1940年3月)/向山峡路「戦争美術」(美之国1940年7月)/「仏蘭西芸術は何処へ行く―今次の世界戦と今後の芸術の方向を語る座談会」(みづゑ1940年8月)/難波田龍起「新体制下の美術を考へる」(美之国1940年9月)/向井潤吉「聖戦展満洲行報告」(美之国1940年9月)/「帰還兵士の美術観」(アトリエ1940年10月)/「座談会 新しい美術体制を語る」(アトリエ1940年10月)/馬淵逸雄「戦争と画家」(改造1940年11月)/神田正道「革新と前進」(アトリエ1940年12月)/田近憲三「文芸復興期の技術伝統(1・2)」(アトリエ1941年1・2月)/瀧口修造「主題と画因」(造形芸術1941年2月)/瀧口修造「課題の意味」(造形芸術1941年4月)/「座談会 国防国家と美術」(みづゑ1941年1月)/「対談 生活と美術」(みづゑ1941年2月)/「座談会 画家の立場」(みづゑ1941年3月)/松本俊介「生きてゐる画家」(みづゑ1941年4月)/「座談会 国家と美術を語る」(美之国1941年3月)/長谷川如是閑「造形美の日本的性格―審美性と倫理性との合致」(造形芸術1941年3月)/黒田千吉郎「時局と美術人の覚悟」(みづゑ1941年6月)/柳亮「生活と美術―効用論者への反省として」(アトリエ1941年7月)/富澤有為男「聖戦展に於ける考察と感動」(アトリエ1941年8月)/鈴木庫三中佐「国防国家と文化」(美術文化新聞1941年8月17・24・31日)/「座談会 新発足の心構へ―美術文化諸問題検討」(美術文化新聞1941年8月24日)/植村鷹千代「様式美術論」(画論1号1941年9月)/「座談会 美術家の隣組常会」(国民美術1941年10月)/植村鷹千代「時局と美術―才能の幅について」(旬刊美術新報1941年10月20日)/田近憲三「戦争絵画偶感」(旬刊美術新報1941年10月20日)/「海軍魂の権化に彩管揮ふ」(美術文化新聞1941年11月16日)/柳亮「主題画と構図問題」(新美術1941年12月)/「座談会 絵画の技法を語る」(新美術1941年12月)/「座談会 大東亜戦争と美術を語る」(旬刊美術新報1942年1月1日)/難波架空像「臨戦美術としての街頭壁画」(画論1942年1月)/大阪新美術家同盟「街頭壁画第二作の報告」(画論1942年7月)/三輪鄰「生活美術―市民美術館・美術勤労・大東亜生活圏と美術・美術家錬成道場」(新美術1942年1~3月、8月)

美術批評家著作選集 第21巻 戦争美術の証言(下)

刊行年月 2017年03月 定価25,920円 (本体24,000円) ISBN978-4-8433-5126-0

[編・解説]河田明久

「座談会 大東亜文化の建設的課題」(美術文化新聞1942年1月11・18・25日)/高村光太郎・川路柳虹「対談 東亜新文化と美術の問題(1・2)」(旬刊美術新報1942年1月20日、2月1日)/浅利篤「工場と美術家」(旬刊美術新報1942年2月1日)/三雲祥之助「大東亜戦争と美術に及ぼす影響」(生活美術1942年2月)/植村鷹千代「戦争画に就いて」(生活美術1942年2月)/「決戦下の美術を聴く」(生活美術1942年2月)/伊原宇三郎「大東亜戦争と美術家」(新美術1942年2月)/石井柏亭「国民の誓ひ」(美術文化新聞1942年3月1日)/佐波甫「大東亜美術の根本理念」(美術文化新聞1942年3月8日)/桐原葆見「新しき美の創造」(新美術1942年4月)/桑原少佐「文化戦と美術家の役割」(美術文化新聞1942年4月5日)/「座談会 大東亜文化圏の構想(1・2)」(美術文化新聞1942年4月26日、5月3日)/佐波甫「二、三の提案」(新美術1942年5月)/「座談会 大東亜戦争と美術」(季刊美術1942年5月)/「座談会 大東亜戦争と海洋思想(1~4)」(美術文化新聞1942年6月7、14、21、28日)/横川毅一郎「現代日本画論―主として〈技術以前〉に属する諸問題の批判」(画論1942年6月)/今泉篤男「官展の目標」(新美術1942年7月)/福沢一郎「戦争画の矛盾」(新美術1942年7月)/植村鷹千代「絵画史発展の条件」(画論1942年7月)/「モニュマンタル芸術運動―造営彫塑人会生る」高村光太郎「われ等芸術家は再び祖先の芸術精神に生きん」井上司郎「芸術家の魂により時代を導け」柳亮「勝利者の芸術を作れ」(美術文化新聞1942年7月19日)/高木紀重「実践目標は明確」(美術文化新聞1942年7月26日)/本郷新「記念碑の造型」(新美術1942年8月)/森口多里「目的芸術としての絵画」(国画1942年8月)/大山廣光「日本画の戦争表現に就ての考察」(国画1942年8月)/植村鷹千代「美術における美と術」(美術文化新聞1942年9月6日)/池上恒「陸軍美術教育と芸術家の覚醒」(旬刊美術新報1942年9月1日)/戸川行男「生産美術協会の設立に就て」(新美術1942年9月)/「生産美術協会生る」高村光太郎「工場の美化運動」(美術文化新聞1942年11月15日)/「目で見た実戦・彩管部隊座談会」(朝日新聞1942年5月14日)/『大東亜戦争 南方画信』(陸軍美術協会1942年9月15日)「陸軍派遣画家 南方戦線座談会」黒田千吉郎「戦争画について」/三輪晁勢「南方戦跡巡りて」(美術文化新聞1942年11月29日、1943年1月24日)/「一年の収穫 陸海報道班員派遣員座談会」平櫛孝「〈一年の収穫〉座談会に寄せて 南方文化工作私見」(改造1942年12月)/藤田嗣治「戦争と絵画(上・下)」(東京日日新聞1942年12月1・2日)/植村鷹千代「大東亜戦争と日本美術」(新美術1942年12月)/荒城季夫「大東亜戦争美術展(上・下)」(朝日新聞1942年12月11・12日)/『大東亜戦争 南方画信 第二輯』(陸軍美術協会1942年12月20日)より平櫛孝「戦時下美術家への要望」藤田嗣治「兵隊さんの手紙と今後の作画」山口蓬春「香港浅水湾」中村研一「鉄条網を切る」吉岡堅二「南へ南へ」中山巍「パレンバンの記」宮本三郎「会見図に就いて」猪熊弦一郎「マニラの街にて」田村孝之介「或る日の記―ビルマにて」栗原信「飛行機」鶴田吾郎「南空を制く」荻須高徳「仏印の印象」田中佐一郎「従軍手帖より」向井潤吉「出発・上陸よりマニラまで」清水登之「ニッパとダイヤ」伊原宇三郎「ビルマ行」小磯良平「バリ島日記抄」/「戦争画制作の苦心を語る(1~4)」(美術文化新聞1942年12月20日、1943年1月3日、10日、17日)/四宮潤一「大東亜戦争美術展を観て」(美術文化新聞1942年12月27日)/「戦果に輝く彩管 大東亜戦争画座談会」(週刊朝日1942年12月27日)/尾川多計「写実への志向―現代洋画壇の帰趨」(季刊美術1942年12月25日)/「軍事美術第一回研究会」(美術文化新聞1943年1月3日)/藤田嗣治「戦争画への精進(上・下)」(朝日新聞1943年1月7・8日)/木村重夫「思想戦線における絵画―大東亜戦争美術展を観て」(国画1943年1月)/藤田嗣治「欧州画壇への袂別」(改造1943年2月)/藤田嗣治「戦争画に就いて」(新美術1943年2月)/柳亮「戦争美術の浪漫性と写実性―大東亜戦争美術展評」(新美術1943年2月)/本荘可宗「国画の現代的課題」(国画1943年3月)/楢原祐「陸軍美術を観て」(美術文化新聞1943年4月4日)/栗原信「昨日の画家 今日の画家」(画論1943年4月)/遠藤元男「歴史画の現代的意義」(国画1943年4月)/高沢圭一「伝単線」(紙弾1943年6月)/向井潤吉「比島派遣軍報道班員として」(生活美術1943年7月)/栗原信「マライ宣伝班の仕事」(生活美術1943年7月)/三浦和美「戦闘と造形技術」(生活美術1943年7月)/大智浩「宣伝資料の製作」(生活美術1943年7月)/「座談会 戦争と美術」(画論1943年7月)/鶴田吾郎「生産美術の態勢」(画論1943年8月)/田近憲三「美術の建設とルネッサンス時代(1・2)」(旬刊美術新報1943年8月10・20日)/「座談会 新美術建設の理念と技術」(画論1943年9月)/田村孝之介「戦争画のこと」(生活美術1943年10月)/楢原祐「決戦美術を観て」(美術文化新聞1943年10月3日)/「構想絵画の問題」(旬刊美術新報1943年10月)/猪熊弦一郎・向井潤吉「雨のビルマ戦線」(朝日新聞1943年10月11日)/植村鷹千代「決戦下における生産美術の使命について―レアリズムへの努力を求む」(画論1943年11月)/荒城季夫「大東亜戦争展を観る(1~3)」(朝日新聞1943年12月10~12日)/柳亮「大東亜戦争美術展評」(美術1944年2月)/遠山孝「決戦と美術家の覚悟」(美術1944年1月)/「座談会 美術家と戦闘配置」(美術1944年2月)/井上司朗「皇国美術確立の道」(美術1944年4月)/石井柏亭「日本の美術は斯くある可し」(美術1944年4月)/秋山邦雄「本年度記録画に就て」山内一郎「作戦記録画の在り方」柳亮「大いなる野心をもて―陸軍美術展評」植村鷹千代「記録画と芸術性」藤田嗣治「戦争画制作の要点」(美術1944年5月)/柳亮「陸軍美術展評」(朝日新聞1944年3月10日)/親泊朝省中佐「ガ島を偲ぶ―陸軍美術展を観て」(週刊朝日1944年4月2日)/向井潤吉「緬印国境にて」(美術1944年6月)/中村直人「軍需生産美術挺身隊の発足」(美術1944年6月)/鶴田吾郎「軍需生産美術推進隊の初期行動」(美術1944年8月)/山内一郎「戦力と美術(二)」(美術1944年8月)/岡本一平「大陸に戦う忰へ」(文芸春秋1944年9月)/「座談会 戦争画と芸術性」(美術1944年9月)/鈴木治「絵画におけるロマネスク」(美術1944年12月)/柳宗悦「時局と美の原理」(文芸春秋1945年1月)/藤田嗣治「空中戦を描くまで」(週刊朝日1944年12月31日、1945年1月7日)/野間清六「文展観覧雑感」(美術1945年2月)/北川桃雄「竹の台初冬―戦時文展所見」(美術1945年2月)/伊原宇三郎「闘魂死生を超越する」(週刊朝日1945年2月17日)/「時評」(美術1945年3月)/吉原義彦「決戦軍需生産美術展覧会」(美術1945年3月)/田村孝之介「火焔を潜つて」(週刊朝日1945年3月25日)/伊原宇三郎「実力を発揮させよ」(朝日新聞1945年7月7日)/「美術界動静」(週刊朝日1945年7月15・22日)/宮田重雄「美術家の節操」(朝日新聞1945年10月14日)/鶴田吾郎「画家の立場」(朝日新聞1945年10月25日)/藤田嗣治「画家の良心」(朝日新聞1945年10月25日)/尾川多計「厳粛な自己批判―戦後の美術界」(美術1945年11月)/伊原宇三郎「戦争美術など」(美術1945年11月)/宮田重雄「〈美術家〉の節操について」(美術1945年12月)/「連合国軍の肝煎りで米国へ渡る戦争画」(朝日新聞1945年12月6日)/鈴木治「戦争美術の功罪―美術に於ける公的性格と私的性格」(美術1946年1月)/木村荘八「戦争記録画」(太陽1946年2月)/遠山孝「美術の生活化―私のささやかな構想」(美術及工芸1946年8月)/「米人の眼に映つた戦争画」(朝日新聞1946年9月16日)