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美術批評家著作選集 第5回 全2巻

美術批評家著作選集 第5回 全2巻

揃定価54,000円(揃本体50,000円) 
ISBN 978-4-8433-5027-0
刊行年月 2016年06月

本書の内容

美術批評家著作選集 第18巻 仲田定之助

刊行年月 2016年06月 定価29,160円 (本体27,000円) IISBN978-4-8433-5028-7

[編・解説]五十殿利治 [編・解説]梅宮弘光 [日記翻刻]寺門臨太郎 [日記翻刻]山本佐恵 [日記翻刻]江口みなみ

仲田定之助(なかだ・さだのすけ 1888〜1970)は、一般には『明治商売往来』(1969年、第18回日本エッセイスト・クラブ賞)の著者として知られるが、戦前は単位三科結成など作家活動のほか、美術評論家としても活躍し優れたテキストを残している。本巻では日本国内外の同時代美術や写真、バウハウスへの関心とそれらを紹介・批評した多様なテキストを編纂。ベルリン滞在時の様子を記す貴重な日記を翻刻抄録。

Ⅰ 新興美術・同時代美術の批評と紹介
「アーキペンコを訪ふ」(週刊朝日1923年1月28日)/「北欧展を報ず 上・下」(報知新聞1924年12月5〜6日)/「ユゲクンスト及其作家」「出品目録」(『北欧新興美術展覧会図録』1924年12月)/「綜合雑誌の使命」(マヴォ1925年6月)/「眼鏡を捨てる—三科会員作品展覧会評」(中央美術1925年7月)/「ロシア社会主義聯邦ソーヴイエツト共和国の建築」(マヴォ1925年8月)/「ゲオルゲ・グロツスの作品とその踏んだ道」「グロツスの著書、版画、その他」(AS1925年11月)/「帝展の洋画」(アトリエ1925年11月)/「シャガールの横断面」「シヤガール・ワルデン・カンデンスキー」(アトリエ1926年2月)/「新実在の芸術—独逸に於ける最近の芸術傾向」(中央美術1926年6〜7月)/「独逸現代美術展覧会を見る」(アトリエ1926年12月)/「ウェリスト、ゲオルゲ・グロッス」(美術新論1927年3月)/「オツトー・デイツクスの作品」(美術新論1927年4月)/「フアリフオトン舞台形象 上・下」(東京朝日新聞1927年5月30〜31日)/「アリフオトン舞台形象試演に就いて」(美術新論1927年7月)/「三科進出」(アトリエ1927年8月)/「独逸の美術雑誌 上・下」(アトリエ1928年4〜5月)/「青の部屋」(美術新論1929年4月)/「第一美術協会の独逸作品」(アトリエ1929年7月)/「今日の建築」(『趣味の近代層』1930年)/「現代欧州彫塑展望」(『世界美術全集』34巻1930年)/「伯林の画商」(『世界美術月報』35号1930年)/「二科の超現実主義的作品」(美術新論1930年10月)/「ホツファー、ゼーワルド、バツベルガア其他—独逸画壇に動く人々」(アトリエ1931年1月)/「モダーニズムの部屋」(美術新論1931年10月)/「二科を透して見た一九三一年の横顔」(紀伊國屋月報1931年10月)/「帝展を通して見た時代の横顔」(美術新論1931年11月)/「団体論」(美術新論1932年3月)/「長谷川三郎氏の滞欧作品個展」(アトリエ1933年5月)/「第二十回二科会展所感」(アトリエ1933年10月)/「二科会と構造社の彫刻」(アトリエ1935年10月)/「オリンピツク美術競技へ参加を勧むる書」(アトリエ1936年3月)/「リーバアマン抹殺その他」(アトリエ1938年6月)
Ⅱ バウハウスとデザインの批評と紹介
「『近代建築思潮』正誤に就て—濱岡周忠兄に」(建築新潮1925年6月)/「国立バウハウス 一・二」(みづゑ1925年6〜7月)/「バウハウス後記」(みづゑ1925年10月)/「ワルター・グロピウス推讃」(建築新潮1925年10月)/「分離派建築会展所感」(アトリエ1926年3月)/「商業美術の水平運動—商業美術家協会第一回作品展覧会」(工芸時代1926年12月)/「バウハウスを語る」(工芸時代1927年1月)/「作品(三科展出品)」(建築画報1927年9月)/「一九二七年無選共同建築展覧会を見る」(アトリエ1928年1月)/「土地会社のポスター」(『現代商業美術全集』2巻1928年)/「商業美術雑考」(『商業美術月報』1号1928年6月)/「クラデラダツチの漫画ポスター」(『現代商業美術全集』14巻1928年)/「バウハウス」(アトリエ1928年9月)/「構成主義のポスター—カザツクの構成主義的広告観」(『商業美術月報』8号1929年3月)/「新形態美説」(アトリエ1929年5月)/「新建築形態と商店建築」(『現代商業美術全集』9巻1929年)/「濱田増治君素描」(アトリエ1929年9月)/「絵になつた自動車」(美術新論1929年9月)/「独墺に於ける装幀新傾向の展望」(『現代商業美術全集』21巻1929年)/「アドルフべーネの建築観」(国際建築1929年11月)/「新形態美論」(『最近美術の動き』1930年)/「独逸バウハウス」(『工芸美術を語る』1930年)/アドルフ・ベーネ「現代の目的建築 №1〜№3」(建築新潮1930年2〜4月)/「バウハウスに於ける文字単化の試み」(『現代商業美術全集』15巻1930年)/「創宇社建築展所感」(アトリエ1930年11月)/「ブルノ・タウトの半面」(アトリエ1934年1月)/「全日本商業美術展」(アトリエ1937年4月)/「濱ちゃん」(『八房の梅』濱田絹子編1941年4月)
Ⅲ 写真の批評と紹介
「写真芸術の新方向—モホリー・ナギーの近著から」(アサヒカメラ1926年10月)/「マン・レイの抽象写真」(アサヒカメラ1926年11月)/「写真の新傾向とその応用広告」(『現代商業美術全集』14巻1928年)/「カメラの感覚」(アサヒカメラ1933年7〜12月)/「新写真芸術の確立」(アサヒカメラ1933年9月)/「レンズの触手」(アサヒカメラ1934年1月)/「カメラの触手—正面をきつた肖像」(アサヒカメラ1934年3月)/「カメラの触手—女の脚を主題とした作品」(アサヒカメラ1934年4月)/「漫画写真—ニツクス・フアイニンゲルの作品」(アサヒカメラ1934年8月)/「海外写真雑誌展望」(アサヒカメラ1935年9〜12月)/「どんなスポーツ写真がいいか」(アサヒカメラ1937年4月)/「日本を知らせる写真展」(美術時代1938年1月)/「写真のオリンピック参加運動」(美術時代1938年3月)/「国展の写真」(みづゑ1939年5月)
Ⅳ その他
「戦争を主題とした絵画」(みづゑ1932年3月)/『ピカソ』(西洋美術文庫18巻1938年)/「人の和」(CAMEL1960年WINTER)/「マレーヴィッチの悲劇」(みづゑ1967年12月)/「回想の三科」(みづゑ1969年2月)
付・「仲田定之助日記(1922年〜1923年)抄」(翻刻)

美術批評家著作選集 第19巻 批評と批評家

刊行年月 2016年06月 定価24,840円 (本体23,000円) IISBN978-4-8433-5029-4

[編・解説]五十殿利治 [編・解説]大谷省吾

主要な美術関係雑誌・新聞より、明治末から大正期、昭和期は1940年代前半までのメタ批評の視点に立つテキストを柱に編纂。『アトリエ』誌連載特集〈美術批評に対する検討、全8回〉〈美術批評の研究、全3回〉など基礎文献のほか、評論家や方法論にかんするテキスト、日本美術批評家協会・新興美術批評家協会の機関紙『美術批判』『新興美術批判』(一号分欠、東京文化財研究所蔵)を収録。

石井柏亭「評論の評論」(方寸1907年12月)/矢代幸雄「美術批評家に与ふる書」(帝国文学1912年12月)/「週報言」(美術週報1913年11月30日)/「如是確聞 美術記者団の活動」(美術週報1913年11月30日)/山宮允「美術批評に就て」(みづゑ1913年12月)/深田康算「美術批評の意義」(新人1915年1月)/中村不折「学者と芸術家」(美術正論1915年1月)/鵬心生「青山より」(美術週報1915年5月30日)/黒田鵬心「青山より」(みづゑ1915年7月)/斉藤与里「評論に就て」(みづゑ1915年11月)/為藤五郎「現今の美術批評家 上・中・下」(中央美術1916年12月〜1917年2月)/横川毅一郎「芸術的良心と批評的道徳 一・二」(みづゑ1918年8〜9月)/深田康算「芸術批評」(制作1919年2月)/森田亀之助「最近美術批評に対する考察」1919年12月)/批評家に答へて(中央美術1921年2月)平福百穂「日本古来の特質」、中村不折「批評家に苦言」、有島生馬「海楼の寝室から」/高村真夫「作家批評の特長と其欠点」(中央美術1921年6月)/石井柏亭「評論の評論(洋画)」(美術月報1921年12月)/小林宗吉「芸術家と批評家—ジヨージ・ナタンの言葉」(中央美術1923年8月)/「美術時評の不振」(中央美術1925年7月)/豊田豊「各雑誌への美術的批判」(美之國1926年7月)/豊田豊「西部画壇随誌—洋画家と美術批評家のことども」(みづゑ1926年7月)/稲場勝邦「工芸批評家の態度を難ず」(アトリエ1926年8月)/小美野求「美術批評界鳥瞰」(中央美術1926年12月)/渡辺素舟「工芸批評の態度論に就て」(中央美術1927年2月)/田辺至「批評」(美術新論1928年2月)/矢部友衛「批評の基準と芸術問題—永瀬義郎氏に答ふ」(アトリエ1928年2月)/渡辺素舟「批評といふことについて」(アルト1928年6月)/清水三重三「批評漫談」(中央美術1928年7月)/柳川槐人「批評の批評—実用的劇映画に就ての簡単な序文」(美之國1928年9月)/渡辺素舟「再び批評について」(アトリエ1929年1月)/斎藤佳三「美術批評の厳正を促す」(アトリエ1929年1月)/斎藤与里「評論家論」(美術新論1929年11月)/美術思潮同人:荒城季夫・江川和彦・薄金謙次郎・青柳正広・三輪鄰「現代美術座談会 美術と批評」(アトリエ1930年3月)/宮坂勝「批評の批評を必要とする」(美之國1930年4月)/横川三果「展覧会制の現実機構に対する社会的考察」(アトリエ1930年9月)/「美術評論家協会」(美術新論1930年12月)/上野山清貢「批評家は見世物小屋の木戸番たれ」(美術新論1930年12月)/美術批評に対する検討1(アトリエ1931年2月)川端龍子「会場芸術の弁」、坂井犀水「批評に就ての偶語」、横川三果「美術に於ける批評的ヘゲモニーの所在—美術批評の社会的任務について(1)」/美術批評に対する検討2(アトリエ1931年3月)石井柏亭「批評家の批評と作家の評其他」、古川修「批評に就いて」、横川毅一郎「社会学的等価の発見と美術的価値の評価—美術批評の社会的任務について(2)」/日本美術批評家協会:石田幸太郎・遠地輝武・大島隆一・大平章・横川毅一郎・真渓蒼空朗・三輪鄰・楢原豊一「日本美術批評家協会の成立」、真渓蒼空朗「日本美術批評家協会の設立に就いて」(アトリエ1931年3月)/美術批評に対する検討3 木村荘八「専門でなければ—」(アトリエ1931年4月)/美術批評に対する検討4 横川毅一郎「実践的方法としての一定の規準—美術批評の社会的任務について(3)」(アトリエ1931年5月)/美術批評に対する検討5 里見勝蔵「批評説」(アトリエ1931年6月)/福島繁太郎「批評の批評—中川紀元氏に与ふ」(美術新論1931年6月)/外狩素心庵「美術批評の問題」(美之國1931年6月)/有島生馬「批評的精神の欠乏時代」(アトリエ1931年7月)/美術批評に対する検討6 荒城季夫「古い批評と新しい批評—美術批評の覚え書として」(アトリエ1931年7月)/美術批評の検討7(アトリエ1931年8月)鍋井克之「作家としての批評其他」、田沢良夫「指導的厳正批評出でよ」、楢原豊一「二つの提案—制作態度と美術団体を批判せよ」/三木貞男「現代美術雑誌批判」(美術新論1931年8月)/伊藤廉「展覧会制度と批評とについて」(美之國1931年9月)/美術批評の検討8 大平章「美術批評の基準に就いて」(アトリエ1931年9月)/外山卯三郎「展覧会と批評の問題」(美之國1931年10月)/税所篤二「美術評論家エリイ・フオオル氏の来朝」(みづゑ1931年10月)/児島喜久雄「美術家の批評と批評家の批評 1〜4」(東京朝日新聞1931年11月19〜22日)/大堂清治「現役批評家非議」(美術新論1932年9月)/批評の批評(美術新論1932年12月)内藤伸「批評の絶対性」、中村研一「仲間ほめの評を排す」、伊原宇三郎「正しい批評」、松尾邦之助「頭脳的に幼稚な日本の批評界」/杉田秀夫「美術のない美術批評—美術批評への感想」(美術新論1933年6月)/荒城季夫「断想—正しき批評」(美術新論1933年8月)/外狩素心庵「美術批評の不勉強」(アトリエ1931年9月)/棟方寅雄「批評に就て」(美術新論1933年10月)/伊藤廉「作家より批評家へ与へる文」(復興中央美術1934年1月)/牧野虎雄「尺度の大きさ」(復興中央美術1934年1月)/「美術批判の夕」(アトリエ1934年11月)/美術批評の研究1(アトリエ1935年9月)川路柳虹「美術批評なるもの」、森口多里「一美術批評家の告白」、富永惣一「美術批評の問題」、藤田嗣治・伊原宇三郎・東郷青児・小島善三郎・黒田重太郎・中川紀元・田中忠雄・佐分真・内田巌・太田三郎・宮本三郎・猪熊弦一郎・向井潤吉「美術批評に対する不満と希望」/造形文化協会:荒城季夫・大島隆一・尾川多計・佐波甫・横川毅一郎「〈美術の秋〉批判座談会—二科会と青龍社」(みづゑ1935年10月)/美術批評の研究2(アトリエ1935年10月)谷川徹三「沢山の問題の中のただ一つを」、山際靖「敬遠された美術批評—作家と新聞雑誌と批評家」、佐波甫「美術批評に就て」、鏑木清方「批評家の立場、作家の立場」、高村真夫「批評考察」、山下新太郎・池辺釣・松本弘二・石井柏亭・雨田光平・中川一政・広島晃甫・曽宮一念・牧野虎雄・木下義謙・柏木俊一・中西利雄・里見勝蔵・渡辺知義・鳥海青児・長谷川三郎・山崎省三・林重義・小磯良平・高村豊周・阿以田治修・岩佐新「美術批評に対する不満と希望」、常松菅晴「批評家の持たねばならぬもの」、須田剋太「生命と全部とで惚れこむ様な美術批評家の出現をのぞむ」、三浦明鋹「美術批評家に対する熱望」、三島篁一郎「美術批評の考へ方」、島征三「美術批評のために」、黒城首理「美術の大衆化の為めに」/美術批評の研究3(アトリエ1935年11月)今泉篤男「美術批評に就ての疑問」、木村荘八「批評の問題」、川路柳虹「批評の立場について」、徳永郁介「批評の批評の問題」、富士静児「忘れてならないもの」、日里舒「現在の美術批評に寄せる」、太田義治「現在の美術批評に対する一野人の言葉」/荒城季夫「美術批評の弁」(アトリエ1935年12月)/常松菅晴「より広き批評」(アトリエ1935年12月)/村田耕「大衆は美術を所有し得るや」(アトリエ1935年12月)/青野季吉「美術批評と〈専門化〉」(アトリエ1936年1月)/蓮実重康「現代画壇の行詰りと美術批評の自律性に就て」(復興中央美術1936年3月)/少壮学者連を中心に美術批評家協会結成(日刊美術通信1936年10月11日1面)/柳亮「美術批評家協会の結成と抱負について」(美之國1936年11月)/長谷川如是閑「ナチスの芸術批評統制」(東京朝日新聞1936年12月5〜7日)/横川毅一郎「新形式としての芸術社会学的究明批判」(アトリエ1937年1月)/落合朗風「批評の批評」(美之國1937年2月)/伊藤正治「批評家の任務」(アトリエ1937年5月)/今井繁三郎「批評家への認識」(美之國1937年11月)/小笠原秀実「批評の標準」(美之國1937年12月)/中野桂樹「批評に対する心構」(美之國1937年12月)/荒城季夫・土方定一・今泉篤男・瀧口修造・上村鷹千代・横川毅一郎・柳亮「美術批評の諸問題を語る座談会」(アトリエ1938年5月)/大伴三沙「批評家に与ふ」(美之國1938年10月)/今井繁三郎「批評家とジャーナリズムと作家と」(美之國1938年11月)/「批評といふもの」(美之國1939年9月)/荒城季夫「〈批評の批評〉について」(みづゑ1939年11月)/北脇昇「美術批評論」、森口多里「講評」、荒城季夫「選後に」(みづゑ1939年12月)/土方定一「美術批評の基準」(造形芸術1940年4月)/新体制下の美術批評(アトリエ1940年10月)藤森成吉「〈批評精神について〉断想」、佐波甫「新しき批評精神」、植村鷹千代「批評精神について」、尾川多計「新体制と批評の一元化」、柳亮「私の批評精神」、江川和彦「基本は確立されている」/江川和彦「芸術文化の建設と美術批評の問題」(アトリエ1941年6月)/石川宰三郎「批評の種々相と言責徹底に就て」(美之國1941年7月)/大口理夫「批評所感」(生活美術1943年1月)/藤本韶三「外狩素心庵氏を憶ふ」(美術1944年6月)/『美術批判』1号(日本美術批評家協会1931年5月)/『新興美術批判』1号(新興美術批評家協会1931年7月)/『新興美術批判』2号(新興美術批評家協会1931年8月)/『新興美術批判』4号(新興美術批評家協会1931年12月)/『新興美術批判』5号(新興美術批評家協会1932年1月)/『新興美術批判』6号(新興美術批評家協会1932年4月)/『新興美術批判』7号(新興美術批評家協会1932年10月)