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美術批評家著作選集 第2回 全6巻

美術批評家著作選集 第2回 全6巻

揃定価118,800円(揃本体110,000円) 
ISBN 978-4-8433-3527-7
刊行年月 2011年01月

本書の内容

【巻構成】 
●第6巻● 川路柳虹(かわじ・りゅうこう)
定価23,100円(本体22,000円)
ISBN978-4-8433-3528-4 C3370
●第7巻● 外山卯三郎(とやま・うさぶろう)
定価21,000円(本体20,000円)
ISBN978-4-8433-3529-1 C3370
●第8巻● 松尾邦之助(まつお・くにのすけ)  
定価21,000円(本体20,000円)
ISBN978-4-8433-3530-7 C3370
●第9巻● 税所篤二(さいしょ・とくじ)  
定価15,750円(本体15,000円)
ISBN978-4-8433-3531-4 C3370
●第10巻● 横川毅一郎(よこかわ・きいちろう) 
定価14,700円(本体14,000円)
ISBN978-4-8433-3532-1 C3370
●第11巻● 帝展改組/新体制と美術 
定価19,950円(本体19,000円)
ISBN978-4-8433-3533-8 C3370

【収録内容 (予定)】 
●第6巻●
 川路柳虹
川路 柳虹(かわじ・りゅうこう 1888~1959)詩人。明治40年発表の「塵溜」が口語自由詩の先駆として反響をよぶ。大正7年曙光詩社を創立。昭和33年「波」などで芸術院賞授賞。美術評論においても活躍し、主に国内の日本画の展覧会評を手がけた。

『現代日本美術界』(中央美術社 1925年)/「日本画の写実主義と装飾主義」(中央美術1919年8月)/「日本画はいづこを歩むや」(美之国1933年6月)/「現代日本画の写実に就て」(塔影1934年3月)/「日本画の洋画化について」塔影1934年11月)/「日本画の特質とその発展の方向」(芸苑1938年3月)/「現代日本画の病弊」(美之国1939年10月)/「日本画と現代知覚」(塔影1940年3月)/「理想画家 横山大観」(日本美術1943年7月)/「西洋画と日本画の限界」(日本美術1943年10月)/「現代日本画に於ける明暗諧調」(国画1943年11月)/「洋画界に対して」(中央美術1921年1月)/「原始復帰と郷土復帰」(アトリエ1924年4月)/「表現芸術より生活芸術へ—三科会所観」(アトリエ1925年7月)/「伝習はいかにして破壊さるべきや」(アトリエ1932年4月)/「洋画界転換期の当来」(アトリエ1936年12月)/「南画の構成(一)~(五)」(南画鑑賞1934年3月~12月)

●第7巻●
 外山卯三郎
外山卯三郎(とやま・うさぶろう 1903~1980)美術評論家、詩人。昭和4年芸術研究会を組織し『芸術学研究』を創刊。里見勝蔵、前田寛治、小島善太郎らによって結成された美術団体「一九三○年協会」に参加。21年に造形美術協会理事長となり、女子美大講師、武蔵野音大教授を務めた。
『日本洋画の新世紀』(金星堂1931年)/「純粋絵画論」(美術新論1929年8月)/「二十世紀の絵画大観」(美之国1929年8月)/「現代絵画の傾向論」(美之国1929年9月)/「日本洋画史に現れたシュールレアリスムの運動」(洋画研究1935年6月)

●第8巻●
 松尾邦之助
松尾邦之助(まつお・くにのすけ 1899~1975)新聞記者、評論家、翻訳家。昭和7年読売新聞社入社、パリ支局長などを務める。戦後帰国して論説委員となり、のちにパリ日本館顧問、大東文化大教授などを歴任。日仏文化交流に尽力し、33年にレジオン・ドヌール勲章、39年フランス政府から芸術文化勲章を授与された。
「レアリスムの侵入に悩むフランス」(読売新聞(朝刊)1929年8月25日)/「フランス批評家の持った大きな迷蒙」(美術新論1929年10月)/「ブールデルの死」(美術新論1929年12月)/「新しいものへの進出」(美術新論1930年1月)/「サロンドートンヌを観て」(美術新論1930年2月)/「巴里だより」(美術新論1930年5月)/「巴里通信」(美術新論1930年6月)/「巴里美術通信」(美術新論1930年7月)/「巴里だより」(美術新論1930年8月)/「巴里通信」(美術新論1930年10月)/「雑報」(美術新論1930年10月)/「ふらんす人の言葉」(美術新論1930年12月)/「巴里美術便り」(美術新論1930年12月)/「廃頽期にある現代フランス美術(上・下)」(読売新聞(朝刊)1930年12月12日~13日)/「巴里だより」(美術新論1931年1月)/「巴里だより」(美術新論1931年2月)/「パリで日本人が書いている我が国に関する著作」(読売新聞(朝刊)1931年2月26日)/「巴里だより「巴里派」の出現から今日まで」(美術新論1931年3月)/「巴里通信」(美術新論1931年4月)/「レアリスムを蹴飛ばして新しい心理へのジャン・コクトオと語る」(読売新聞(朝刊)1931年4月26日)/「サロン美術の没落時代」(美術新論1931年5月)/「巴里便り」(美術新論1931年6月)/「9月来朝するフランス美術批評家エリ・フオール氏」(読売新聞(朝刊)1931年6月6日)/「巨匠マイヨールを訪う(上・下)」(読売新聞(朝刊)1931年6月13日・16日)/エリ・フオール著・松尾邦之助訳「日本人の芸術魂」(美術新論1931年7月~9月)/「巴里通信」(美術新論1931年7月)/「巴里だより」(美術新論1931年10月)/「当面の問題を語る(3)・(6)」(読売新聞(朝刊)1931年10月27日・11月1日)/「巴里通信」(美術新論1931年11月)/「巴里雑報」(美術新論1931年11月)「贋物師大恐慌」(読売新聞(朝刊)1931年11月13日)/「巴里通信」(美術新論1931年12月)/「巴里通信」(美術新論1932年1月)/「名画の鑑定にX線写真」(読売新聞(朝刊)1932年1月20日)/「パリと共に働く日本人(1)~(3)」(読売新聞(朝刊)1932年2月15日~17日)/「巴里通信」(美術新論1932年4月)/「巴里通信」(美術新論1932年5月)/「シュールレアリスムは何処へ行く(1)~(4)」(読売新聞(朝刊)1932年5月22日~26日)/「巴里だより」(美術新論1932年7月)/アンドレ・サルモン著・松尾邦之助訳「新興芸術のため日本の同志へ呼びかく(1)~(4)」(読売新聞(朝刊)1932年7月23日~27日)/「巴里便り」(美術新論1932年8月)/「フランス新興美術の鳥瞰(上・中・下)」(読売新聞(朝刊)1932年8月18日~20日)/「喝 福島繁太郎氏に指摘したいこと」(美術新論1932年9月)/「批評されたピカソ」(美術新論1932年9月)/ほか

●第9巻●
 税所篤二
税所篤二(さいしょ・とくじ 1898~1981)美術評論家、美術ジャーナリスト。アメリカ現代美術の批評家として、またセザンヌやブラマンクなどの近代フランス美術家に関する著述の翻訳者として活躍。日仏会館開館にも関わり日仏美術交流に尽力。
「私の見たボリス・アニスフィルドの絵」(みづゑ1919年12月)/「ジョオジ・シグナア・サアジャントの水彩」(みづゑ1920年8月)/「米国美術学校の追想」(みづゑ1920年9月)/「三宅克己氏滞欧水彩展覧会を見て」(みづゑ1921年12月)/「ロバアト・ヘンライの画」(みづゑ1922年1月)/「ブランギンの画」(みづゑ1922年2月)/「院展二科のぞ記」(みづゑ1922年10月)/「工房によめる」(中央美術1923年1月)/「仏蘭西現代展を見る」(みづゑ1923年5月)/「春陽会瞥見」(みづゑ1923年6月)「露台にて(1)~(4)(みづゑ1923年7月~10月)/「卓上雑考」〈全52回連載〉(みづゑ1923年12月~1928年12月)/「南洋写生画展の感想」(みづゑ1924年8月)/「サール氏の日本美術見学」(中央美術1925年5月)/「海外美術だより」〈全3回連載〉(アトリエ1925年6月~8月)/「海外美術思潮」〈全44回連載〉(アトリエ1926年1月~1929年11月)/「ヴィルドラック氏との散歩」(中央美術1926年7月)/「パリ絵画展を開き且つ見る」(アトリエ1926年7月)/「大原氏コレクションを見る」(みづゑ1928年4月)/「机辺妄語」(アルト1928年11月)/「松方家コレクションを見る」(日仏芸術1928年4月)/「岩村透氏と著作」(アトリエ1929年10月)/「春陽会開く」(みづゑ1931年5月)/「ジャン・デュナンと角田耕氏」(アトリエ1931年8月)/「美術評論家エリイ・フォオル氏の来朝」(みづゑ1932年10月)/「エリイ・フォールの旅」(アトリエ1933年4月)/「現代日本版画展覧会」(アトリエ1933年10月)/「第一回新造型美術展」(アトリエ1935年2月)/「旅の彫刻家アラン・クラーク」(アトリエ1937年5月)

●第10巻●
 横川毅一郎
横川毅一郎(よこかわ・きいちろう 1895~1973)美術評論家。『やまと新聞』『国民新聞』記者を経て大正14年雑誌『中央美術』の編集長となる。東洋・日本美術について評論活動に従事し、新京芸術学院の教授なども務めた。
『現代美術を清算する』(アトリエ社1930年)

●第11巻●
 帝展改組/新体制と美術
帝展改組
瀧精一「帝展と帝国美術院(上・中・下)」(東京朝日新聞1934年11月15日~17日)/瀧精一「多大の疑義」(読売新聞1935年5月30日)/児島喜久雄「帝展改組後評(一)~(五)」(東京朝日新聞1935年8月31日~9月4日)/森口多里「綜合か・混合」(東京朝日新聞1936年6月30日)/田邊至「改組案に対する批判」(中央公論1935年7月)/児島喜久雄「反帝院盲動」(中央公論1935年7月)/森口多里「帝国美術院改組をめぐる美術界の動静」(経済往来1935年7月)/蓮實重康「帝展は果たして改革されたか」(行動1935年7月)/杉山司七「帝国美術院の改組」(美育1935年7月)/諸家「帝展改組に対する諸家の批判」(美之国1935年7月)/荒城季夫「帝展改組問題批判」(みづゑ1935年7月)/矢部友衛「帝院の改組は何を意味してゐるか」(みづゑ1935年7月)/山本鼎「帝展廻り舞台」(アトリエ1935年7月)/外狩素心庵「帝展改組八つ当り」(アトリエ1935年7月)/横川毅一郎「帝展改組をめぐる諸現象の文化的研究」(アトリエ1935年7月)/森口多里「帝国美術院改組に関連して」(アトリエ1935年7月)/佐波甫「帝院改組と復古主義の前進」(アトリエ1935年7月)/岡田三郎助、他「会員の立場から」(アトリエ1935年7月)/黒田重太郎「新『帝院』か『帝展』か」(アトリエ1935年7月)/鈴木千久馬「帝展改組問題に際して」(アトリエ1935年7月)/伊原宇三郎「大事な事一つ」(アトリエ1935年7月)/高村眞夫「帝展改組の考察」(アトリエ1935年7月)/内田巌「現実性なき帝展改組」(アトリエ1935年7月)/向井潤吉「改組か壊組か」(アトリエ1935年7月)/林武「帝展改組私見」(アトリエ1935年7月)/佐藤敬「帝展改組問題に就いて」(アトリエ1935年7月)/「帝院改組是非」(アトリエ1935年7月)/長谷川如是閑ほか「帝院改組問題批判座談会」(アトリエ1935年7月)/新居格「芸術の統制計画」(新潮1935年8月)/佐波甫「美術は如何に発展するか」(みづゑ1935年9月)/アンケート「美術界に国家的指導機関は必要か、新帝院を再改組するとすれば如何なる機構と方法によるべきか」(アトリエ1936年3月)/斎藤与里「帝国美術院再改組と帝展存廃の是非」(美術1936年4月)/森口多里「帝国美術院の改組と再改組」(東陽1936年4月)/花岡乾太郎「帝展改組と現代美術の標高」(東陽1936年4月)/仁木烈「作家と生活の問題」(東陽1936年6月)/大口喜六「所謂帝展の改組に就て」(文藝春秋1936年7月)/正宗得三郎「在野団から観たる帝展改組問題」(中央公論1936年8月)/和田英作「平生文相に与う」(改造1936年8月)/森田亀之助「美術の社会性」(アトリエ1936年8月)/津田青楓「美術統制の教訓」(セルパン1936年9月)/青野季吉、荒城季夫、森田亀之助、森口多里、岩佐新「美術界安定方策座談会」(美術1936年11月)/佐波甫「芸術精神の没落」(みづゑ1936年11月)/ほか

新体制と美術
難波田龍起「新体制下の美術を考へる」(美之国1940年9月)/今井繁三郎「美術時評」(美之国1940年9月)/廣瀬熹六「日本民族の芸術感覚」(美之国1940年9月)/高村光太郎「美の健康性」(婦人公論1940年9月)/清水幾太郎「新体制と美術」(アトリエ1940年10月)/小池新二「全体主義国家の芸術政策」(アトリエ1940年10月)/内田巌「新体制と様式の問題」(アトリエ1940年10月)/徳永郁介「新体制と美術のありかた」(アトリエ1940年10月)/藤森成吉ほか「新体制下の美術批評について」(アトリエ1940年10月)/猪熊弦一郎ほか「新しい美術体制を語る(座談会)」(アトリエ1940年10月)/長谷川七郎ほか「美術文化の新体制を検討する」(アトリエ1940年10月)/菅原克己ほか「美術家の部屋」(アトリエ1940年10月)/荒城季夫「美術の新体制」(みづゑ1940年10月)/荒木十畝「新体制下の美術及び美術機構に就て」(美之国1940年10月)/勝田寛一「新体制と画家」(美之国1940年10月)/福沢一郎「集団と個人の位置について」(アトリエ1940年11月)/広幡憲「新しき創作方法への展望」(アトリエ1940年11月)/信田洋「実践への検考」(アトリエ1940年11月)/須山計一「幼き世代のために」(アトリエ1940年11月)/宮田重雄「新しき座標軸」(アトリエ1940年11月)/荒木剛「『真なるもの』と『美なるもの』」(アトリエ1940年11月)/藤尾龍四郎「新しき芸術的創造の課題に就いて」(アトリエ1940年11月)/藤井甕夫「現代の混迷」(アトリエ1940年11月)/長谷川春子ほか「美術家の部屋」(アトリエ1940年11月)/田沢田軒「新体制と美術家の心構へ」(美之国1940年11月)/金井紫雲「私はかう思ふ」(美之国1940年11月)/諸家「美術界新体制に就て設問に答ふ」(美之国1940年11月)/須田國太郎「簡素美」(みづゑ1940年12月)/山内一彦「新体制に於ける美術(美之国1940年12月)/林寿郎「新文化形態に就て」(みづゑ1941年1月)/大蔵雄夫「世は新体制となりて」(美之国1941年1月)/横山大観「日本美術新体制の提案」(塔影1941年1月)/長谷川如是閑「美術家の芸術的態度とその新体制」(アトリエ1941年2月)/尾川多計「梅原龍三郎氏に団体連盟不参加の弁を訊く」(みづゑ1941年2月)/喜多壮一郎・荒城季夫「生活と美術(対談)(みづゑ1941年2月)/横山大観「日本美術新体制の提案」(美之国1941年2月9/今井繁三郎「青年彫塑家連盟の結成を祝ふ」(美之国1941年2月)/加藤顕清「美術新体制への希求」(美之国1941年2月)/川路柳虹「新体制下の画人に望む」(美之国1941年2月)/黒田重太郎「再考を要す」(美之国1941年2月)/ほか