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美術批評家著作選集 第15巻 今泉篤男 植村鷹千代

美術批評家著作選集 第15巻 今泉篤男 植村鷹千代

[編・解説] 谷口英理

定価23,760円(本体22,000円) 
ISBN 978-4-8433-4362-3
刊行年月 2013年09月

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本書の内容

今泉篤男(いまいずみ・あつお 1902〜1984)1932年に渡欧しパリ大学とベルリン大学に学ぶ。帰国した1934年から美術批評家として活動を始める。1937年に「自由美術家協会」を結成し顧問として活躍。戦後は『美術批評』誌上で日本人作家の作品への鋭い批判を行い、いわゆる「今泉旋風」といわれる論議を呼んだ。国立近代美術館(東京・京都)の設立・運営にも携わり、美術館人の草分け的存在でもある。
植村鷹千代(うえむら・たかちよ 1911〜1998)1936年より美術批評家としての活動を始める。1940年代初頭から南洋経済研究所に勤務し、美術批評のかたわら南洋文化に関する論考も多く発表。1947年「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」に代表員として参加、「リアリズム論争」の際には前衛美術擁護の論陣を張った。武蔵野美術学校、日本大学芸術学部の教員や、日本デザイン専門学校の校長も務めた。

今泉篤男  「古代の微笑」(ドルメン1932年6月)/「新時代洋画展感想」(アトリエ1934年7月)/「帝展洋画の感想」(アトリエ1934年11月)/「独立展の感想」(アトリエ1935年4月)/「近代建築と絵画」(現代美術1935年5月)/「春陽会展の感想」(アトリエ1935年6月)/「美術批評に就ての疑問」(アトリエ1935年11月)/「絵そらごと—文展新人の洋画」(帝国大学新聞1936年10月26日)/「ヘレニスティックなもの—矢橋六郎君の作品」(アトリエ1937年3月)/「ピトレスクに逆くもの—森芳雄君の作品」(アトリエ1937年5月)/「二科展—余りにも受動的 新目標の樹立を要望す」(帝国大学新聞1937年9月6日)/「現代日本画に於ける二つの病弊—構図と骨法の問題其他に関連して」(南画鑑賞1937年2月)/「新制作派展を観る」(アトリエ1938年1月)/「梅原龍三郎と安井曾太郎—その芸術様式に就て」(アトリエ1938年6月)/「梅原龍三郎と安井曾太郎(承前)—その様式の現代に於ける位置に就て」(アトリエ1938年8月)/「新制作派展感想」(みづゑ1939年1月)/「自由美術展を観る」(読売新聞1939年5月31日)/「市内電車」(アトリエ1939年5月)/「日本に於ける抽象芸術の性格—自由美術第三回展感想」(アトリエ1939年7月)/「素描に就て」(みづゑ1939年9月)/「現代絵画の肉体性」(アトリエ1939年9月)/青山民吉・富永惣一・硲伊之助・坂倉準三〈座談会〉「コルビュジエと新建築座談会」(丹青1939年9月)/「文展洋画評」(造形芸術1939年11月)/「新人」(美之国1939年12月)/「安井曾太郎氏の肖像画に就いて」(造形芸術1940年5月)/「世代と様式」(アトリエ1940年6月)/「写実主義の変貌」(アトリエ1940年1月)/高田力蔵・岡鹿之助・富永惣一・宮本三郎・菊地一雄〈座談会〉「西欧美術の近況」(アトリエ1940年3月)/「戦時下の美術—迎合・省察・自覚」(帝国大学新聞1940年7月8日/「前衛派の問題—絵画に於ける頽廃」(都新聞1940年10月12日)/「熊谷守一の作品」(みづゑ1940年12月)/「日本美術の性格」(新美術1941年9月)/長谷川三郎〈対談〉「美術の構造を語る」(アトリエ1941年1月)/西川友武・本郷新・谷口吉郎・福田豊四郎・海老原喜之助・藤本韶三・辻修〈座談会〉「新らしい造形」文化(造形芸術1941年2月)/「荻須高徳の作品」(造形芸術1941年3月)/「技術より思想へ—古典的形態としての自覚」(帝国大学新聞1941年7月3日)/「造形教育の倫理」(造形教育1941年7月)/「近代美術館の問題」(都新聞1941年11月16日)/「春陽会展評」(新美術1942年6月)/「官展の目標」(新美術1942年7月)/「大東亜戦争美術展評(上・下)」(東京新聞1942年12月14日・17日)/「院展と青龍展の傾向について」(国画1942年10月)/「藤田嗣治の芸術」(新美術1943年3月)/「春陽会と国展のことなど」(新美術1943年7月)/「陸軍作戦記録画優秀作品評 藤田嗣治筆『神兵の救出到る』」(美術1944年5月)/「上半期の美術界」(大学新聞1944年7月21日)/「題目と制作の距離—『戦時特別美展』評」(大学新聞1944年12月11日)

植村鷹千代 「孺子の腸」(コギト1934年8月)/「行動と熱情の文学」(行動1935年1月)/「現代文学と自我意識—岡邦雄氏の批判に答ふ」(行動1935年4月)/「映画と国際問題」(国際評論1936年4月)/「意識の絵画の発足—瑛九のレエゾン・デエトル」(みづゑ1936年5月)/「二科展を観る」(社会及国家1936年9月)/「思想としての絵画」(みづゑ1936年11月)/「アブストラクト・アート」(アトリエ1937年6月)/瑛九・北尾淳一郎合同展(みづゑ1937年6月)/「新らしさの自覚に就て—第十五回黒色洋画展」(アトリエ1937年7月)/「自由美術家協会とは何か—その第一回展を機会に」(アトリエ1937年8月)/「絵画と科学」(アトリエ1937年9月)/「レアリズムとアブストラクト・アート」(アトリエ1938年2月)/「随想—絵画の問題について」(美術時代1938年3月)/「教養と美術—日本的民族能力の特質について」(アトリエ1938年5月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年1月)/「『女流作家』と云ふ言葉に就て—女艸会展を機会に」(アトリエ1939年2月)/洋画展月評(アトリエ1939年2月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年3月)/「洋画展月評」(アトリエ1939年5月)/「ピカソと現代絵画の諸問題」(アトリエ1939年5月)/「批評の有意味・無意味について」(アトリエ1939年5月)/「現代絵画と知性」(自由美術1939年10月)/「日本美術史—その精神的特質と創造能力」(綜合二千六百年史1940年)/「抽象絵画への再考察」(アトリエ1940年1月)/「若さについて」(みづゑ1940年1月)/「一水会評に寄せて—進歩主義的風潮を駁す」(造形芸術1940年1月)/「物の欠如について」(みづゑ1940年2月)/「絵画の秘密について」(知性1940年2月)/「前衛運動への疑念」(みづゑ1940年3月)/「独立展美術評」(アトリエ1940年4月)/「歴史美術論の要望」(みづゑ1940年4月)/「郷土について」(みづゑ1940年5月)/「日本画雑感」(南画鑑賞1940年6月)/「日本人の場合」)(みづゑ1940年7月/「芸術に於ける怪奇の地位」(アトリエ1940年8月)/「二科と新制作派」(アトリエ1940年11月)/「仏蘭西の南洋研究—列国の南洋調査機関(三)」(新亜細亜1941年1月)  /「独立展美術評」(アトリエ1941年4月)/「仏印の美術」(アトリエ1941年5月)/「様式美術論」(画論1941年9月)/「フォームの発見」(生活美術1941年9月)/「二科的アカデミズム—二科展美術評」(新美術1941年10月20日)/「時局と美術—才能の幅について」(旬刊美術新報1941年10月20日)/「アンコール・ワット論—クメール芸術の相貌」(新亜細亜1941年11月)/「眼の教養といふこと」(旬刊美術新報1942年3月20日)/「写実する心」(生活美術1942年5月)/「絵画における普遍と歴史の再考—ルネッサンスを中心に」(画論1942年5月)/「独立展を見て」(日本美術1942年5月)/「絵画史発展の条件」(画論1942年7月)/「二科展評 浪曼主義と技術主義の分離」(日本美術1942年10月)/「大東亜戦争と日本美術」(新美術1942年12月)/「形の流行と言葉の流行—洋画壇の諸問題」(日本美術1942年12月)/「文展の印象」(生活美術1942年12月)/「現代美の構想」(生活美術1943年2月)/「バリ島の生活と芸術」(南洋経済研究1943年2月)/「作家と環境」(生活美術1943年6月)/「『美は世界を救ふ』の意気と決意を望む」(画論1943年7月)/「生活芸術としての日本画と洋画」(日本美術1943年10月)/「難波田龍起第二回個展をみて」(日本美術1943年11月)/「記録画と芸術性」(美術1944年5月)/「作戦記録画優秀作品評 小磯良平筆『ビルマ独立式典図』『日緬条約調印図』」(美術1944年5月)/「海と空の課題—第八回海洋美術展評」(美術1944年7月)/「軍事援護美術展覧会評」(美術1945年1月)