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美術批評家著作選集 第21巻 戦争美術の証言(下)

美術批評家著作選集 第21巻 戦争美術の証言(下)

[編・解説] 河田明久

定価25,920円(本体24,000円) 
ISBN 978-4-8433-5126-0
刊行年月 2017年03月

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本書の内容

「座談会 大東亜文化の建設的課題」(美術文化新聞1942年1月11・18・25日)/高村光太郎・川路柳虹「対談 東亜新文化と美術の問題(1・2)」(旬刊美術新報1942年1月20日、2月1日)/浅利篤「工場と美術家」(旬刊美術新報1942年2月1日)/三雲祥之助「大東亜戦争と美術に及ぼす影響」(生活美術1942年2月)/植村鷹千代「戦争画に就いて」(生活美術1942年2月)/「決戦下の美術を聴く」(生活美術1942年2月)/伊原宇三郎「大東亜戦争と美術家」(新美術1942年2月)/石井柏亭「国民の誓ひ」(美術文化新聞1942年3月1日)/佐波甫「大東亜美術の根本理念」(美術文化新聞1942年3月8日)/桐原葆見「新しき美の創造」(新美術1942年4月)/桑原少佐「文化戦と美術家の役割」(美術文化新聞1942年4月5日)/「座談会 大東亜文化圏の構想(1・2)」(美術文化新聞1942年4月26日、5月3日)/佐波甫「二、三の提案」(新美術1942年5月)/「座談会 大東亜戦争と美術」(季刊美術1942年5月)/「座談会 大東亜戦争と海洋思想(1~4)」(美術文化新聞1942年6月7、14、21、28日)/横川毅一郎「現代日本画論―主として〈技術以前〉に属する諸問題の批判」(画論1942年6月)/今泉篤男「官展の目標」(新美術1942年7月)/福沢一郎「戦争画の矛盾」(新美術1942年7月)/植村鷹千代「絵画史発展の条件」(画論1942年7月)/「モニュマンタル芸術運動―造営彫塑人会生る」高村光太郎「われ等芸術家は再び祖先の芸術精神に生きん」井上司郎「芸術家の魂により時代を導け」柳亮「勝利者の芸術を作れ」(美術文化新聞1942年7月19日)/高木紀重「実践目標は明確」(美術文化新聞1942年7月26日)/本郷新「記念碑の造型」(新美術1942年8月)/森口多里「目的芸術としての絵画」(国画1942年8月)/大山廣光「日本画の戦争表現に就ての考察」(国画1942年8月)/植村鷹千代「美術における美と術」(美術文化新聞1942年9月6日)/池上恒「陸軍美術教育と芸術家の覚醒」(旬刊美術新報1942年9月1日)/戸川行男「生産美術協会の設立に就て」(新美術1942年9月)/「生産美術協会生る」高村光太郎「工場の美化運動」(美術文化新聞1942年11月15日)/「目で見た実戦・彩管部隊座談会」(朝日新聞1942年5月14日)/『大東亜戦争 南方画信』(陸軍美術協会1942年9月15日)「陸軍派遣画家 南方戦線座談会」黒田千吉郎「戦争画について」/三輪晁勢「南方戦跡巡りて」(美術文化新聞1942年11月29日、1943年1月24日)/「一年の収穫 陸海報道班員派遣員座談会」平櫛孝「〈一年の収穫〉座談会に寄せて 南方文化工作私見」(改造1942年12月)/藤田嗣治「戦争と絵画(上・下)」(東京日日新聞1942年12月1・2日)/植村鷹千代「大東亜戦争と日本美術」(新美術1942年12月)/荒城季夫「大東亜戦争美術展(上・下)」(朝日新聞1942年12月11・12日)/『大東亜戦争 南方画信 第二輯』(陸軍美術協会1942年12月20日)より平櫛孝「戦時下美術家への要望」藤田嗣治「兵隊さんの手紙と今後の作画」山口蓬春「香港浅水湾」中村研一「鉄条網を切る」吉岡堅二「南へ南へ」中山巍「パレンバンの記」宮本三郎「会見図に就いて」猪熊弦一郎「マニラの街にて」田村孝之介「或る日の記―ビルマにて」栗原信「飛行機」鶴田吾郎「南空を制く」荻須高徳「仏印の印象」田中佐一郎「従軍手帖より」向井潤吉「出発・上陸よりマニラまで」清水登之「ニッパとダイヤ」伊原宇三郎「ビルマ行」小磯良平「バリ島日記抄」/「戦争画制作の苦心を語る(1~4)」(美術文化新聞1942年12月20日、1943年1月3日、10日、17日)/四宮潤一「大東亜戦争美術展を観て」(美術文化新聞1942年12月27日)/「戦果に輝く彩管 大東亜戦争画座談会」(週刊朝日1942年12月27日)/尾川多計「写実への志向―現代洋画壇の帰趨」(季刊美術1942年12月25日)/「軍事美術第一回研究会」(美術文化新聞1943年1月3日)/藤田嗣治「戦争画への精進(上・下)」(朝日新聞1943年1月7・8日)/木村重夫「思想戦線における絵画―大東亜戦争美術展を観て」(国画1943年1月)/藤田嗣治「欧州画壇への袂別」(改造1943年2月)/藤田嗣治「戦争画に就いて」(新美術1943年2月)/柳亮「戦争美術の浪漫性と写実性―大東亜戦争美術展評」(新美術1943年2月)/本荘可宗「国画の現代的課題」(国画1943年3月)/楢原祐「陸軍美術を観て」(美術文化新聞1943年4月4日)/栗原信「昨日の画家 今日の画家」(画論1943年4月)/遠藤元男「歴史画の現代的意義」(国画1943年4月)/高沢圭一「伝単線」(紙弾1943年6月)/向井潤吉「比島派遣軍報道班員として」(生活美術1943年7月)/栗原信「マライ宣伝班の仕事」(生活美術1943年7月)/三浦和美「戦闘と造形技術」(生活美術1943年7月)/大智浩「宣伝資料の製作」(生活美術1943年7月)/「座談会 戦争と美術」(画論1943年7月)/鶴田吾郎「生産美術の態勢」(画論1943年8月)/田近憲三「美術の建設とルネッサンス時代(1・2)」(旬刊美術新報1943年8月10・20日)/「座談会 新美術建設の理念と技術」(画論1943年9月)/田村孝之介「戦争画のこと」(生活美術1943年10月)/楢原祐「決戦美術を観て」(美術文化新聞1943年10月3日)/「構想絵画の問題」(旬刊美術新報1943年10月)/猪熊弦一郎・向井潤吉「雨のビルマ戦線」(朝日新聞1943年10月11日)/植村鷹千代「決戦下における生産美術の使命について―レアリズムへの努力を求む」(画論1943年11月)/荒城季夫「大東亜戦争展を観る(1~3)」(朝日新聞1943年12月10~12日)/柳亮「大東亜戦争美術展評」(美術1944年2月)/遠山孝「決戦と美術家の覚悟」(美術1944年1月)/「座談会 美術家と戦闘配置」(美術1944年2月)/井上司朗「皇国美術確立の道」(美術1944年4月)/石井柏亭「日本の美術は斯くある可し」(美術1944年4月)/秋山邦雄「本年度記録画に就て」山内一郎「作戦記録画の在り方」柳亮「大いなる野心をもて―陸軍美術展評」植村鷹千代「記録画と芸術性」藤田嗣治「戦争画制作の要点」(美術1944年5月)/柳亮「陸軍美術展評」(朝日新聞1944年3月10日)/親泊朝省中佐「ガ島を偲ぶ―陸軍美術展を観て」(週刊朝日1944年4月2日)/向井潤吉「緬印国境にて」(美術1944年6月)/中村直人「軍需生産美術挺身隊の発足」(美術1944年6月)/鶴田吾郎「軍需生産美術推進隊の初期行動」(美術1944年8月)/山内一郎「戦力と美術(二)」(美術1944年8月)/岡本一平「大陸に戦う忰へ」(文芸春秋1944年9月)/「座談会 戦争画と芸術性」(美術1944年9月)/鈴木治「絵画におけるロマネスク」(美術1944年12月)/柳宗悦「時局と美の原理」(文芸春秋1945年1月)/藤田嗣治「空中戦を描くまで」(週刊朝日1944年12月31日、1945年1月7日)/野間清六「文展観覧雑感」(美術1945年2月)/北川桃雄「竹の台初冬―戦時文展所見」(美術1945年2月)/伊原宇三郎「闘魂死生を超越する」(週刊朝日1945年2月17日)/「時評」(美術1945年3月)/吉原義彦「決戦軍需生産美術展覧会」(美術1945年3月)/田村孝之介「火焔を潜つて」(週刊朝日1945年3月25日)/伊原宇三郎「実力を発揮させよ」(朝日新聞1945年7月7日)/「美術界動静」(週刊朝日1945年7月15・22日)/宮田重雄「美術家の節操」(朝日新聞1945年10月14日)/鶴田吾郎「画家の立場」(朝日新聞1945年10月25日)/藤田嗣治「画家の良心」(朝日新聞1945年10月25日)/尾川多計「厳粛な自己批判―戦後の美術界」(美術1945年11月)/伊原宇三郎「戦争美術など」(美術1945年11月)/宮田重雄「〈美術家〉の節操について」(美術1945年12月)/「連合国軍の肝煎りで米国へ渡る戦争画」(朝日新聞1945年12月6日)/鈴木治「戦争美術の功罪―美術に於ける公的性格と私的性格」(美術1946年1月)/木村荘八「戦争記録画」(太陽1946年2月)/遠山孝「美術の生活化―私のささやかな構想」(美術及工芸1946年8月)/「米人の眼に映つた戦争画」(朝日新聞1946年9月16日)