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ゆまにだより

近世の索引(書誌書目シリーズ115 編・解題 U) 投稿日:2019/08/09

やけずとも一切経に用はなし昔者訓読今は積而置

 村田了阿の『一枝余芳』にこんな歌があります。歌意としては「燃えてなくなったわけじゃないけど、もう一切経に用はない、昔は訓読して読んだものだけど、今じゃあすっかり積ん読だ」といった具合になるでしょうか。
「積ん読」の初例に近い用例として、ネット上でもしばしば話題になる歌です。でも実はこれ、自らもう用済みになったぐらい一切経を読み込んでしまったという自慢の歌なのではないかと思われます。和歌の注釈に見える仏書の多さが気になりすぎて、自ら法師になってしまったと言われるぐらい学問にのめり込んだ村田了阿が、一切経を何度も読んで覚えてしまったので、今は置いておくだけで用済みだと嘯いているわけです。ですが、実際に一切経が用済みになってしまったわけではなさそうでした。
小社から刊行されている『日本古典籍索引叢書――宮内庁書陵部蔵『類標』』の第五回配本には、了阿の制作にかかる索引『藝林枝葉』が収められています。和書・漢籍・仏典における多種の書籍を対象とした故事成語の総索引で、了阿自作の草稿も国立国会図書館にありますが、『類標』所収本には、当時の学者たちが増補加筆したものを入手したと奥書にあります。東京大学総合図書館、駒場図書館、他静嘉堂文庫などにも伝本が残されています。了阿はもし記憶の引き出しに見つからぬ事柄があれば、この索引を引いて典拠を見つけ出そうと構えていたのでしょう。
 ところが、この『藝林枝葉』をしのぐ巨大な総索引がありました。それがこのたび刊行される『和漢仏書総合索引『文峰四臨』―小山田与清『群書捜索目録』Ⅱ』です。2回に分けて刊行します。
 冒頭にある目録を調べると250種の和漢仏の書物が掲げられており、イロハ順の末尾には地名部まで付されています。制作者は小山田与清。近世屈指の蔵書家と知られる大富豪の和学者で、その学識から後に彰考館にも出仕しました。
 与清が「索引」の制作に取り組みはじめた経緯は、岡村敬二『江戸の蔵書家たち』(吉川弘文館、2017)に詳しいのですが、あまりにも膨大で読み切れないほどの蔵書をなんとか利用できるようにしたかったのでしょう。『群書捜索目録』と名付けられた与清の索引類の大半は関東大震災と第二次世界大戦で燃えてしまいましたが、現存する副本の中に『八十八段類語』『二編歌集類語』『文峰四臨』などの巨大なコンコーダンスが残されています。
 特に『文峰四臨』は、近世の考証随筆・仏書解説を多数取り込んでいる点が特徴です。こうした近世の考証随筆の索引としては、太田為三郎編『日本随筆索引』正続(岩波書店、1926~32)があります。そちらは各項目や話題を拾い集めた近代的な総索引ですが、近世の索引類は網羅性や検索性からはみ出してしまうような事柄も採録されており、興味が引かれるままに語句を拾い集めた宝箱のような魅力が有ります。
近世期の索引類は、たしかに網羅性や資料の選択といった点で現代の索引やデータベースに負けるところもあるでしょう。しかし、一行一行斜め読みをしながら索引を眺めていると、思いもかけぬ表現や興味引かれる話題が陸続と現れてきます。書名の付け方、弓の引き方、可愛い女性、歴史的な事件のゴシップ、思わぬ雑学。ちょっと調べてみようかな、という気持ちになるようなトピックがてんこ盛りです。
崩し字も平易で漢字も楷書で読みやすいものが大半ですので、図書館の中で煮詰まった時にめくってみると、楽しい発見があることでしょう。

第21回学校図書館出版賞受賞『ビジュアル 日本の服装の歴史』               身近なものの歴史を知る楽しみを(出版部 K・Y) 投稿日:2019/08/05 NEW!

●無いならつくろう
弊社では2015年よりシリーズ「ビジュアル日本の歴史」を刊行している。本書『ビジュアル日本の服装の歴史』は、第1弾『ビジュアル日本のお金の歴史』(全3巻、井上正夫、岩橋勝、草野正裕著)をスタートに、『ビジュアル日本の鉄道の歴史』(全3巻、梅原淳著)、『日本人と動物の歴史』(全3巻、小宮輝之著)に続いて、第4弾として刊行したものである。比較的ベーシックな、子どもが好きなものや、大人が子どもに教えたい、知っておいてほしいと思うことをテーマとしてきた。
 そのなかでも「服装」は衣食住のひとつ、生活の基本のきである。そうなると類書も多いように思われたが、意外なことに、着物の着方を教えるか、年中行事と着物を組み合わせた内容のものか、おおよそこのどちらかに分かれている。では学校ではどの学年でどのように学ぶのかと思い、国立国会図書館国際子ども図書館児童書研究資料室にこもってみたところ、日本史と家庭科の教科書で断片的にふれてあるのと、高校レベルの専門的教科書のみ。手がかりがあるのか無いのか、読者層が見えないなぁ……と不安も湧いたが、そうか、無いからつくるのかとシンプルに考えることにした。ただ、個人的には漠然とした思いがあった。先に生活の基本と書いたが、東日本大震災を経験した私たちが「生活」に向けるまなざしは、それ以前のものからは明らかに変わった。過去の出来事や歴史に対しても同じだ。

●練らない企画案
「服装」か「服飾」か。この点も社内で検討を重ねた。後者はあらゆる種類の小物まで含む広い概念なので、子どもが理解しやすい本にするために「服装」でいこうとなった。タイトルは『ビジュアル日本の服装の歴史』で全3巻構成、ファション史ではなく、衣生活を切り口に日本の歴史を学べる内容としたい。今から思えば、企画の相談というにはかなり大雑把であったが、初めて監修の増田美子先生とお会いした際、ここに書いた以上のことはお伝えしなかったと思う。幸いにも増田先生はこちらの意図をすぐに汲んでくださって、大久保尚子先生(第2巻)、難波知子先生(第3巻)への執筆依頼、目次案の作成とほぼ同時に原稿執筆が始まった。

●ビジュアルの選び方
最初に原稿が完成したのは第3巻、明治時代から現代までである。ビジュアルの点で一番難しかったのはこの巻であった。なぜかといえば、すでに当時(明治以降)さまざまなレベルのメディアが氾濫していたので、掲載候補が多すぎるのだ。錦絵、雑誌、最新メディアの写真――想像で描かれたり演出過剰であったりと、観る分には十分楽しい。しかし学術的裏付けの無いものを採用するわけにはいかない。本書の図版は、現物資料も含めて著者が研究資料として収集したものを柱としているが、それ以外については、まず候補となりそうなビジュアルを集めて、それを著者が1点ずつ検討し、ふさわしいかどうかを決めていった。肖像権をクリアすることも難しかった。たとえば戦後(1945年~)などは、当時のファッション雑誌に掲載されている街頭スナップは、一般女性の間での流行や装いの工夫をリアルに伝える良いビジュアルなのだが、残念ながら掲載を見送った。
 文章にふさわしいビジュアルが見つかり、それをデザイナーの高嶋良枝さんにお任せする。レイアウトがピタリと決まり、文章とビジュアルが引き立てあう。このささやかな爽快感が積み重なったある瞬間、「あ、いい本になるな」と手応えを感じた。

●「難しい」の伝え方
難しいことを、どう伝えるか。そもそも服装にまつわる言葉は、時代をさかのぼると漢字の難しさも加わり高度に専門化する。私にとっては読めない・書けないのオン・パレード。しかし、はたと気付いた。モノが失われると、それにまつわる言葉も失われるのだ。専門的な用語をあえてそのまま使ったり、子どもに分かるように表現をやわらかくしたり言葉をほぐしたり。著者は、難しいことや専門的なこともきちんと伝えたいという思いとの間で、試行錯誤の連続であったことと思う。
 内容に関しては、もう一切を先生方にお任せして(するしかなくて)、デザイナーの高嶋さんと私は、ページをめくるわくわく感をどうキープするかに神経を注いだ。例えば第1巻の「冠位十二階から養老衣服令までの変遷」の一覧表では、高嶋さんのアイデアで冠位に対応する冠色の変遷が一目で分かるように色付けしてある。色見本から、当時の色の名称が表わすのに近い色を著者に選んでもらい、一色一色のせていった。また、全3巻を通して国宝や重要文化財も豊富に掲載した。ただ、なかには経年劣化で見づらいものもあり、それらは模本や復元品を採用して見た目の美しさも重視した。戦国武将が身に着けていた鎧兜や肖像画などを服装に注目して観るのは、われわれ大人にとっても新鮮で、歴史的想像力が駆り立てられるだろう。

●これからの「ビジュアル日本の歴史」
『ビジュアル日本の服装の歴史』が第21回学校図書館出版賞受賞との連絡を受けたのは、令和が明けて、シリーズ第5弾となる『ビジュアル日本の住まいの歴史』(全4巻、小泉和子監修、家具道具室内史学会著、2019年7月第1回配本)の編集にとりかかり始めた頃であった。その時、本は必ず誰かの手に届くものだという、とても当たり前のことにあらためて思い至った。
 普段は大学の教壇に立たれている著者の先生方にとっても、執筆を通して、子どもに向けてご自身の専門的学問の成果を伝える経験は初めてと伺った。弊社は学術出版を事業の柱としているので、これまでの蓄積と大学研究者の方々とのご縁を、子どもたちの学びの場づくりにつなげるような企画を、これからも継続してゆきたい。

参考文献をたどって(出版部 M) 投稿日:2019/07/08

 この度、弊社では『戦後千島関係資料』と題して、敗戦直後より、昭和30年代にかけての千島諸島(北方領土)に関する、北海道の自治体が作成した文書を資料集として刊行する。
 戦後70年以上にわたり、北方領土問題は日本外交の懸案の一つであったが、現在に至るまで領土は寸分も日本に引き渡されていない。この問題に対する政治的な見解は種々存在するが、これを客観的に分析しようとする研究者の側からしても、北方領土問題は全体像の摑みにくい対象である。その理由の一つは、日露(ソ)両国間における敏感な問題であるがゆえに、情報公開が著しく遅れているという事実にある。
 本企画を思い立ったのは、2年ほど前、北方領土に関する資料を調べていた際、ある書籍の参考文献として「千島及離島ソ連軍進駐状況綴」という一行を見つけた時である。「綴」とついているのであれば、当時の状況に関する行政文書に違いないと思い、所在を確認してみたところ、北海道立文書館に所蔵されていることが判明した。その他にも、戦後の千島をめぐる行政文書が存在するようなので、真冬の折ではあるが、札幌へ向かうことにした。
 赤レンガで知られる旧北海道庁舎にある文書館で請求してみると、この「綴」はいとも容易く閲覧することができた。経年のために劣化した根室支庁の用箋には、ソ連軍の上陸を伝える各役場からの緊迫した電報や、命からがら根室に到着した引揚者からの生々しい報告が数多く記録され、敗戦直後の混乱した様子がありありと伝わってくるようであった。
 とはいえ、この「綴」は占領者の暴虐振りを示すだけではない。昭和20年10月6日付の文書には、同年9月下旬に色丹島で16歳以上の男女を有権者とする選挙が行われたという記述がある。もし、これが事実であるとすれば、日本国憲法の施行よりも早い段階で、社会主義国の指導により男女同権の選挙があったということになり、日本の選挙史における新たな一面が浮かび上がる。
 その他、「千島に関する資料」、「領土復帰関係書類」等の行政文書を閲覧し、連合国による占領期から日ソ共同宣言の時期における、生活の場を奪われた元島民達による返還を求める根強い運動が展開されていたことを知った。2日にわたって史料を調査し、改めて問題の複雑さ、根深さと史料が残ってきたことの幸運を感じずにはいられなかった。
 最近、ビザなし交流で国後島を訪問したある代議士が「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」という発言をし、顰蹙を買うという事件があった。彼は領土を単に武力の問題としてのみ理解していたからこそ、このような発言をしたのであろう。
 戦争の結果、千島で何が起こったのか、そして、島々を取り戻すためにどれほどの努力がなされてきたか等々、現代史に課せられた課題は多い。本書がその端緒を摑むきっかけになれば幸いである。

「ビジュアル日本の歴史シリーズ」第5弾スタート!(出版部 K・Y) 投稿日:2019/06/17

ようやく校了・印刷入稿を終えて「いざメルマガ」、さて何を書こうか。
編集作業に没頭して両の目玉が校正紙の上をゴロゴロ走り回っているあいだは、すべてが頭に入っているような気になるのですが、あれは大いなる錯覚だったと気がついて、しばらくぶりにカラッポの我に返ったところです。

さて今回は、2015年からスタートした「ビジュアル日本の歴史」シリーズ第5弾、『ビジュアル日本の住まいの歴史』のお話です。まず、タイトルにある「住まい」という言葉からイメージされるのは、家、住宅、どちらかといえばプライベートな居住空間だろうと思います。そのような「場」で、今も昔も生身の人間が日常・非日常を営んでいる、その日々が膨大な時間をかけて積み重なってできた歴史があります。この人びとの営みの歴史を、建築の空間をフレームにして切り取ってみると面白いのでは。そんな漠然とした感覚と同時に、監修を小泉和子先生にお願いしたいとの思いはハッキリとしていました。

第1回配本で扱う「中世」という時代は、古代の貴族に代わって武士が政治権力を握り、古代以来の寺院を拠点とする仏教勢力・僧侶が各地で力を持ち、また、生産者である農民に加えて生産・流通を担う商工業者が力を蓄えるなど、社会そのものが非常に流動的でした。あらゆる事柄が移行期のまっただ中にあったのです。複雑で難しい時代ですが、それが中世の魅力でもあると思います。本巻では、武士、僧侶、庶民の三つの身分それぞれの住まいと住み方(=住文化)と、そこでの具体的な暮らしぶり(食事、台所、風呂、便所。生活道具の描きおろしイラストも満載です)を、絵巻物を読み解きながら、復元イラストで歴史的想像力を刺激されながら辿ります。

私自身も編集作業中は、建物や部屋に注目して絵巻物を観ることがとても新鮮で、まぁよくここまで描き込んだものよと感心しきり。着の身着のままで眠る従者や下女の姿や(コラム「寝場所」)、貴族の屋敷の塀にいつのまにか建て掛けたり、築地塀を取り壊して勝手に自分たちの家をつくってしまう様子にニンマリ。そこに生きる人びとの逞しさまでも垣間見える本に仕上がったと思います。

たくさんの“学校では習わないものの歴史”で、自分も世の中も出来ている。そのような学びの場のひとつとして、「ビジュアル日本の歴史シリーズ」のページを開いていただければ幸いです。

鎌倉橋を渡って(出版部 某) 投稿日:2019/04/10

 約30年、毎日行き帰りに渡る鎌倉橋は、日本橋川にかかっていて、大手町と神田をつなぐ橋です。日本橋川の上は高速道路が通り、そばに大手町フィナンシャルタワーが聳えています。その高層ビルの足下の川べりは、ゆったり歩けるスペースとなっていて、いかにも都会の風景を作っています。なお、鎌倉橋の名前は、江戸築城時に相州鎌倉から船で運んだ石材や木材を陸揚げした河岸、すなわち鎌倉河岸からついたと言われています。
 その鎌倉橋の神田側のたもとに全国チェーンのホテルが開業したのは昨年6月でした。道から見えるパンを売り物にしたガラス張りのカフェでは、欧米からの熟年夫婦、アジアからの若いカップル、そしてもちろん日本人の家族連れなどいろいろな人々が朝食を楽しんでいます。
 内神田には、ほかにも最近小ぶりなホテルがいくつか出来ています。路上を歩いている外国人も普通にいて、東南アジアや南アジアからと思われる観光客ともすれ違うようになりました。ヒジャブを着けている女性はインドネシアかマレーシアからの観光客ですね。
 今、インドネシアの経済成長率は5%前後となっています。人口は2.55憶(2015年、日本外務省H.P.)ですから、35万人の来日者数(2017年)は、まだまだこれから増えるのではないかと思われます。
 そのインドネシアに関する史料として、『スマトラ新聞』(監修・解題/江澤誠)を2017年に刊行しました。軍政下のスマトラで発行された日本語紙です。1943年10月から翌年1月までの分でしたが幻の新聞と言われていたもので、話題となりました。
 そして今春刊行の『復刻 共栄報 1942~1945』(監修・解題/津田浩司)に関わりました。1942年にジャワへ侵攻した日本軍はインドネシアに軍政を敷きました。そのとき、華僑向けの新聞社を押さえ、軍政の意を受けた日刊紙「共栄報」を出させました。新聞の日付は「皇紀」が使われています。中国語版とインドネシア語版の両方を復刻しました。戦時期のインドネシアについて、華僑について、そして日本軍の軍政について、多様な情報が掲載されており、様々な研究の手がかりとなるでしょう。
 戦時期のインドネシア統治などは日本帝国主義そのものです。共栄報の「共栄」は「大東亜共栄圏」に由来するようです。歴史の上で77年前にそういった関わりがあったことは、記憶しておいてもよいでしょう。
 話は飛んで台湾について…。『我的日本―台湾作家が旅した日本-』(編訳/呉佩珍・白水紀子・山口守、2019年1月、白水社)という本を読みました。18人の台湾の作家による「日本紀行」ですが、さすがに気鋭の作家たちによるもので、文章のスタイルも問題意識もさまざまで大変面白く、一気に読みました。当たり前かもしれませんが、私の知らない日本がたくさん出てきます。例えば京都のお寺の山門巡りの楽しさ、3.11直後のお台場の無人の光景、台湾の主婦(作家ですが)が家族から解放されて過ごす北陸の宿のさりげない心遣いなど…。そして、日本映画やテレビドラマを引き合いするものもあり、「日本語は冷え性」と感ずる日本語論など、いろいろ気づかされます。
 鎌倉橋ですれ違う外国人の中に、この本の執筆者のような人たちもいるのかと思いました。鋭い眼で日本と日本人を観察して、自国と比較し、また、異国に歩く自分とは何かを問うている男たち、女たちが想像されます。
 2019年の春の宵、これから私は鎌倉橋を渡って家に帰ります。大手町フィナンシャルタワーは7年前の2012年に竣工しましたが、そこにつながる鎌倉橋は関東大震災の復興事業の一環として90年前の1929年に完成しました。東京の歴史をふと考えます。そしてこのコンクリートの橋の欄干には、1944年11月の米軍機の機銃痕が残っています。焼け野原の東京の映像を思いました。

「歴史」に出会った日(出版部 M) 投稿日:2019/03/12

「歴史」に出会った日(出版部 M)

昨年12月、弊社では『愛知大学国際問題研究所所蔵 LT・MT貿易関係資料』という資料集を刊行した。「LT・MT貿易」とは、日本と中国が国交を確立する以前の1960~70年代に、半官半民の形で行われたバーター貿易のことを指す。この貿易形式は、経済だけでなく政治分野の交渉をも行うチャンネルとして機能し、後の国交正常化につながったとして、現在ではその歴史的意義は高く評価されている。
 「LT・MT貿易」に関する資料は、日中経済協会が保存していたが、後に愛知大学国際問題研究所に寄贈された。昨年、同研究所が設立70周年を迎えるにあたり、記念事業として弊社が公刊をお手伝いさせていただいたという次第である。
 12月20日には、愛知大学の関係者、研究者、一般の来聴者を招いての盛大な出版記念シンポジウムが開催された。私も担当の編集者として末席に加えていただいたが、何よりも貴重な経験であったのは、資料中、電報や報告書でよくお名前を見かけていた、当時の関係者二名の謦咳に接したことであった。むしろ、お二人の思い出話を傍で聞かせていただいたというほうが正確であろう。お二人とも八十から九十代というご高齢であったが、矍鑠としておられ、出版されたばかりの資料集をご覧になりながら、「この時は、事務所はここにありましたね」「そうそう」等、当時を懐かしんでおられた。
 一般的に歴史というと遠い過去の話であり、現在の者とは関係がないと思われることが多い。しかし、私がシンポジウムで接したのは資料を書いた方であり、文字にも残っていない現実をよくご存知の方なのである。資料集を読んでいると、中国側との厳しい交渉や日中関係に対する日本側からの批判も受けていたことが書いてある。何より当時の中国は、食料や生活必需品の入手にも苦労していた時代である。そのような状況で、想像を絶するような苦労もされていたのであろう。
  「LT・MT貿易」はすでにその開始から半世紀以上が経過し、「歴史」となりつつある。ご自身が書かれた報告書を「史料」として読む気持ちは如何ばかりであっただろうか。現在の中国について是非を述べるよりも、周囲の人とにこやかに意見を交換されるお二人の姿に、日中関係に賭けた熱意の残照を感じた。

新年のご挨拶 投稿日:2019/01/18

 旧年中は格別のご支援を賜り厚く御礼申し上げます。
  
 昨年は、御陰様にて教育図書では、『ビジュアル日本の服装の歴史』(増田美子監修 全3巻)、『ワクワク‼ローカル鉄道路線』(梅原淳著 全6巻)、『こんなに恐ろしい核兵器』(鈴木達治郎・光岡華子著 全2巻)、『世界の歴史を変えたスゴイ物理学 50』、『ワクワク探検シリーズ①・②』)等を好評裡に刊行することが出来ました。
 また、学術・研究書の分野では、『日本戦前映画論集』(アーロン・ジェロ―他監修)、『童話療法の展開』(蘭香代子・大須賀隆子編)等の研究書や『百貨店宣伝資料』、『「満州国」地方誌集成』、『LT・MT貿易関係資料』、『昭和天皇戦後巡幸資料集成』等のシリーズが新たにスタートするなど、計163点を刊行することが出来ました。
  
 これも偏に皆様のご支援、御指導の賜物と御礼申し上げます。  
 本年も教育図書並びに学術研究書、学術史料集、電子書籍等々二百余点の出版を予定しておりますので、倍旧の御支援、御指導を賜りますようお願い申し上げます。

     2019年1月
                          株式会社ゆまに書房
                            代表取締役社長 荒井秀夫

ゆまにだより(出版部 T) 投稿日:2018/12/12

ビジュアルで構成されている「こんなに恐ろしい核兵器」を編集しています。
1巻は主に、核分裂の発見~核兵器の開発、実戦での使用~冷戦で拡大していく核軍備~冷戦の終了、まで。
編集中の2巻は、冷戦終了以降も続く核開発、核軍縮の取り組み、近年の北朝鮮の問題など、これからの問題が多く取り上げられています。

この企画のきっかけは今年頭に放送された、核兵器についてのテレビ特番でした。
昨年(2017)の北朝鮮の核実験を受けて制作されたものですが、核実験の映像などは、昔よく視たものが使われており、奇妙な懐かしさを覚えな
がら番組を視聴していました(80年代中頃は冷戦のまっただ中だったので、核戦争を題材にした、ドラマや映画などは多くあったのです)。
ゲストの反応を司会者が尋ねた時でしょうか、平成生まれのタレントさんの反応を見ると、こういったことを「よく知らない」ことが伝わってきました。
それは当たり前かも知れません、その世代は「ソ連」を知らないのですから。

笑われるかもしれませんが、当時ニュースで報道されるソ連というのは、とても不気味な国に映りました。
生徒会では偉くない役割の書記長が一番偉い、という時点でかなり不思議です。
そんな国が、人類を破滅させることのできる大量の兵器を持っている…。
また、アメリカも大量の兵器が持っていることが不思議に思えました。
当時はMTVなどが全盛で、アメリカは本当に華やかに映ったのです。

ソ連はブラインドの向こうにミサイルがある、アメリカはどこかに隠し持っている…、両国は非常に仲が悪く、どちらかがボタンを押したら終わり…。これはとてもとてもリアリティがあった
のです。
「冷たい戦争」とよく言ったものです。つねに背筋に悪寒を感じるような、そんな80年代だったのです。

ところが、ソ連はあっけなく崩壊し、無事に21世紀になりました。
その後、世界情勢が安定したわけではなく、中東で戦争があったり、大きなテロがあったり様々な緊張がありました。
軍縮が進んだとは言え、核兵器はなくなった訳ではなく、相変わらずその存在が問題となっていました。
そのことを理解していても、冷戦のころの「奇妙な寒気」は忘れていたのです。
見ないようにしていた、というのが正しいのかもしれません。

ですが、先の特番でゲストの「知らないことによる驚き」を見たときに、あの頃の感覚と現在が繋がった感じがしたのです。
考えてみると、当時はあまり情報がなかったのです。どちらかと言えばいたずらに恐怖を煽るものばかりだった記憶があります。
怖いからといって、無関心を装うのはあまり健全ではありません。
そうならないためにも、改めて核兵器の歴史と恐ろしさを理解する本が必要ではないかと感じました。

幸運にも、長崎大学核廃絶研究センターの鈴木達治郎先生に、お会いすることができ、企画を相談すると、こころよく執筆を引き受けてくださいました。
ビジュアルで構成された本を造るという点で、強く賛同していただき、素晴らしい原稿をいただく事ができました。
長崎は最後の被爆地です。センターは、核廃絶の訴えを国際的な規模で発信し続けています。
また学生が中心となって、次の世代へ伝えていく運動を多く行っています。

編集作業をしながら、過去の感覚を噛みしめ咀嚼をしているような気分を味わっています。
鈴木先生の、巻頭のことばを引用して終わりたいと思います。
「未来に核兵器のない世界を創るために、私たちは今何をしなければならないのでしょうか?
 この本を手に取ったあなたが、少しでもこの課題を身近に感じ、考えてくれることを願っています。」

ゆまにだより(出版部 K・Y) 投稿日:2018/10/05

どれほど夏の暑さが厳しかろうと、四季は巡ります。時折、衣替えを躊躇するような陽射しが戻りますが、日によっては通勤時だけでもコートを羽織るなどして、街中には金木犀の香が満ちる季節となりました。

『ビジュアル日本の服装の歴史』担当のYです。本シリーズの前に児童向けの企画を担当したのが、ちょうど東日本大震災の時(校了に向けてラストスパートのタイミングでした)でしたので、一人でも多くの子どもたちに、若い読者の方に届くようにと、いろいろと思うこともありながら編集作業にあたっています。

さて、本シリーズ第1回配本(7月既刊)の第3巻では、明治時代から現代までを扱いました。平易な文章ながらぐいぐいと導かれて、大人でも十分に読み応えのある一冊に仕上がっていると思います。そこから一気に時間をさかのぼり、今回はそもそも「なぜ人は服を着るのか」という文化人類学的な問いから始まります。衣服に寄生するコロモシラミの化石が7万2000年前の遺跡から発見されているそうで(よく見つかりましたね)、それ以来、人は服を着続けているのです。人間の文化的な営みとしては、かなりの歴史をもっていると言えるでしょう。

第1巻は、60ページ足らずの一冊に原始時代から平安時代までをぎゅっと詰め込んでいるわけですが、まず感じるのは、着るものがここまで変化した国というのも珍しいのではないかということです。また、土偶や埴輪が饒舌にファッションを語るのには新鮮な驚きを感じますし、飛鳥・白鳳時代になって中国からもたらされた服装にまつわる諸制度は、纏う服と色彩がその人の社会的ポジションをあからさまなまでに誇示して、現在の私たちが持つような、限られたシーンでのドレス・コードの知識の範疇など遙かに超えるものでした。

服を着ること、装うことは日々の営みのひとつであり、非日常のためのものでもあり、センスや感性だけでも語れないものです。この本を通して、「服」というモノの歴史の豊かさにふれていただければ幸いです。

ゆまにだより(関西オフィス K) 投稿日:2018/09/12

 過日、高校同期全体が集まる同窓会に参加した。席に着いたが、見知った顔が近くにいない。どうしようかと思っていたら、たまたま遅れて私の隣の席に座った人物が、大学時代に北海道を旅行した際、彼の下宿先である札幌のアパートにも泊めてもらうなど、お世話になった友人だった。この日は結局彼と3次会まで付き合うことになった。
 その友人はこの同窓会にあわせて夏季休暇を取り、インドから帰国した某大手ゼネコンに勤める建築士で、日本の大手メーカーの現地工場を建設中だという。彼が現場トップ、部下はすべてインド人で指示は英語で通用するらしい。インド人は日本人に通じない国民性を持ち合わせているとのことで、意思疎通が難しいとは言っていたが、インドの元気さを大いにアピールしていた。
 数年前の推計データではあるが、面白い数字がある。国の平均年齢なのだが、インド国民の平均年齢は27歳なのだそうである。ちなみに中国36.7歳、日本46.1歳となっている。数年前のデータなので、現在ではさらに年齢差が開いていることだろう。「世界の工場」が日本から中国に移って久しいが、友人が今インドで大掛かりな工場を建設していることからもインドやその周辺の新興国にその地位が移っていくことが伺える。
 インドと日本を対比して話していると、自ずと東京オリンピック後の日本の予想になり、今後日本に起こるだろう不安を共有することになった。
 例えば、彼の愛息は現在大学生で、その愛息が受験時の進路相談で彼と話し合った際、尊敬する父親の背中を見て、建築学科を目指したいと言ったらしい。それに彼は強く反対し、結局IT関係の職業につながる学部に進学したという。
 今後、特に東京五輪後の日本国内では建築の需要が大きく後退することになるという見立てのようである。

 日本は行け行けどんどんの時代はとっくに終わっており、普段の生活に寄り添った、人に優しい施策が重要になっているのだが、現状はまだまだ大型プロジェクトの推進に力点を置いた政策が幅を利かせている。
 速やかな発想の転換を望むものである。

 高齢者が多く住む地域に住み、大阪北部地震で若干の被害を受けた私は、約10秒の大きな揺れがその後徐々に引き起こす様々な変化を目の当たりにしている最中ということもあり、何かと考えさせられる夏になった。