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皇族軍人伝記集成 第2回 全8巻

皇族軍人伝記集成 第2回 全8巻

揃定価197,640円(揃本体183,000円) 
ISBN 978-4-8433-3552-9
刊行年月 2012年02月

本書の内容

皇族軍人伝記集成 第9巻 閑院宮載仁親王・閑院宮春仁王(上) 私の自叙伝(閑院純仁著 1966年)

刊行年月 2012年02月 定価29,160円 (本体27,000円) IISBN978-4-8433-3561-1

閑院宮載仁親王〔かんいんのみや・ことひと・しんのう〕
慶応元年(一八六五)〜昭和二〇年(一九四五) 伏見宮邦家親王の第十六王子で幼名は易宮。明治五年(一八七二)に閑院宮家を再興し、仏国の士官学校、陸軍大学校に留学。日清、日露の戦役に従軍。最前線にも立ち武功を立てる。昭和六年(一九三一)、海軍の博恭王軍令部長に対抗する目的で参謀総長に置かれる。敗戦直前の五月に薨去。翌月に明治体制下、最後の国葬で送られる。最終階級は元帥、陸軍大将。

閑院宮春仁王〔かんいんのみや・はるひと・おう〕
明治三五年(一九〇二)〜昭和六三年(一九八八) 閑院宮載仁親王の第二皇子。大正十三年(一九二四)に陸軍士官学校卒業後、近衛騎兵聯隊に属し、終戦直前に少将昇進。終戦直後、南方総軍に降伏の聖旨伝達を行う。戦後の皇籍離脱後は名を「純仁」と改め、会社経営や社会活動に携わる。最終階級は陸軍少将。

■『私の自叙伝』(閑院純仁著・人物往来社・一九六六年)「ただ在りし日の陸軍の真実を明らかにし、かつ皇族の真姿を伝える意味において、多少なりとも役立つところがあれば望外の幸である。」と、「自序」で述べるとおり、皇族として生まれ、陸軍に奉職した前半生から皇族を離れ戦後社会に順応してゆくまでを述べる。閑院宮家創立に係る故事から説き起こし、父・載仁親王の事績を語り、近代日本の男子皇族の既定路線である軍人としての履歴を、自ら批評を加えながら描く。また、敗戦前後から急に訪れる数々の苦難に、著者が立ち向かう様も綴られる。


皇族軍人伝記集成 第10巻 閑院宮載仁親王・閑院宮春仁王(下) 日本史上の秘録(閑院純仁著 1967年)

刊行年月 2012年02月 定価25,920円 (本体24,000円) IISBN978-4-8433-3562-8

■『日本史上の秘録』(閑院純仁著・日本民主協会・一九六七年)『私の自叙伝』の姉妹編に当たる著作。前著では自らの体験を主としたものであるのに対し、本書は、旧皇族の体験に根ざしながら、戦前の皇室について、旧陸軍についてを回顧しつつ自らの皇室観と陸軍への考えを披瀝する。そしてこれを基にして今後の日本のあり方と皇室の将来について展望する。

皇族軍人伝記集成 第11巻 東久邇宮稔彦王 東久邇日記 日本激動期の秘録(東久邇稔彦著 1968年) やんちゃ孤独(東久邇稔彦著 1955年)

刊行年月 2012年02月 定価20,520円 (本体19,000円) IISBN978-4-8433-3563-5

東久邇宮稔彦王〔ひがしくにのみや・なるひこ・おう〕
明治二〇年(一八八七)〜平成二年(一九九〇) 久邇宮朝彦親王の第九王子。明治三九年(一九〇六)に東久邇宮家を創立。大正九年(一九二〇)にフランスに留学し、多くの著名人と交流する。大正一五年に帰国後、軍の要職を歴任し、日米開戦後は防衛総司令官を務める。終戦に臨んで皇族として、事態収拾が期待され組閣。皇籍離脱後は「ひがしくに教」を興すなど物議を醸す。百二歳の高齢で逝去。最終階級は、陸軍大将。

■『東久邇日記 日本激動期の秘録』(東久邇稔彦著・徳間書店・一九六八年)本書は、日米開戦の年の正月から敗戦の年の十月までの日記を刊行したものである。刻々と迫る対米戦争にどのように対応するか。その回避を模索する朝野の人々、開戦後の和平を模索しつつ戦局の悪化に深く憂慮する指導層の動向が浮き彫りとなる。敗戦前夜の日本の命運に心痛する姿を描き、敗戦直後の組閣の模様や占領軍との渉外などの記述も興味深く、皇族軍人資料にとどまらない、近現代史資料として定評のある日記の復刻。

■『やんちゃ孤独』(東久邇稔彦著・読売新聞社・一九五五年)洒脱な語り口でユーモアを交えて自らの半生を語る。子供時代の田舎や学習院でのやんちゃな思い出から陸軍幼年学校から始まる軍人としての窮屈な生活、七年に及ぶパリ留学でクレマンソーから聞いた「日米戦争論」など、貴重な体験が平易な口調で語られるが、その底に常にある皇族としての「孤独」の宿命が伝わる。『東久邇日記』で述べられる昭和の戦争時代のことも語られるが、明治天皇、大正天皇に関する皇族という立場からの思い出話も資料的に興味深い。

皇族軍人伝記集成 第12巻 秩父宮雍仁親王(上) 秩父宮雍仁親王(鈴木昌鑑監修、芦澤紀之編 1970年)

刊行年月 2012年02月 定価37,800円 (本体35,000円) IISBN978-4-8433-3564-2

秩父宮雍仁親王〔ちちぶのみや・やすひと・しんのう〕
明治三五年(一九〇二)〜昭和二八年(一九五三) 大正天皇の第二皇子で幼名は淳宮。昭和天皇に次ぐ皇子であり、成年式に際して秩父宮家を創立。親王妃は旧会津藩主家の松平恒雄の長女勢津子。英国オックスフォード大学に留学。二・二六事件の関係者と交流があり、その関与も取り沙汰される。昭和一五年に結核を発病。以後、療養生活に入る。戦後は積極的に自らの文章を発表し、「スポーツの宮様」としても親しまれる。最終階級は、陸軍少将。

■『秩父宮雍仁親王』(鈴木昌鑑監修・芦澤紀之編纂・秩父宮を偲ぶ会・一九七〇年)本書編纂の中心である芦澤紀之があとがきで「本書が、日本近代史研究の資料として、後世にも役立つことを願い、謹んで、秩父宮殿下の御冥福をお祈り申し上げて、擱筆する。」と述べるように、五年余りの独自調査に基づき、幼少時から薨去までを巨細に描く。特に秩父宮と二・二六事件への関わりを綿密な調査によって否定するなど、厳格な筆致を貫いている。生涯の最後を描いた後、「秩父宮御健在なりせば」の感慨を石原莞爾に託して記し、「秩父宮とスポーツ」の章も置く。実証を旨としながら秩父宮への愛惜の念も溢れる伝記。


皇族軍人伝記集成 第13巻 秩父宮雍仁親王(下) 我等の秩父宮殿下(姫野寅之助著 1928年)

刊行年月 2012年02月 定価14,040円 (本体13,000円) IISBN978-4-8433-3565-9

■『我等の秩父宮殿下』(姫野寅之助著・大日本皇道会・一九二八年)勢津子妃との婚約決定後にそれを奉祝して刊行された数種の書籍のひとつであるが、「東京大阪の諸新聞、大小の雑誌、単行本等、事苟くも殿下に関しまつるものは、悉くこれを挙げて読破し、以て本書の材料とした。」と、著者が述べ、二次的文献を総合したものであるが、皇室をめぐる当時の気運を証言する文献。その後の昭和の戦争期とは異なる皇室への国民的雰囲気を伝える。

皇族軍人伝記集成 第14巻 賀陽宮恒憲王・北白川宮永久王 賀陽宮殿下御在隊間の御盛徳(騎兵第三聯隊 1933年) 北白川宮永久王殿下(中島武編 1942年)

刊行年月 2012年02月 定価14,040円 (本体13,000円) IISBN978-4-8433-3566-6

賀陽宮恒憲王〔かやのみや・つねのり・おう〕
明治三三年(一九〇〇)〜昭和五三年(一九七八) 賀陽宮邦憲王の第一王子。大正九年(一九二〇)に陸軍士官学校卒業後、騎兵科将校として騎兵第三聯隊などに勤務する。陸軍大学校卒業後には参謀本部付、陸大教官などを経て、日米開戦後、中将に昇進し、終戦時は陸軍大学校校長。その後、御歌所所長に就く。皇籍離脱後は、民間会社の名誉職などにも就く。最終階級は、陸軍中将。

■『賀陽宮殿下御在隊間の御盛徳』(騎兵第三聯隊・一九三三年)賀陽宮恒憲王は、名古屋に本拠を置く第三騎兵聯隊に大正一五(一九二六)年七月から昭和三(一九二八)年七月まで、主に第一中隊長として勤務した。その恒憲王の在隊中の思い出を聯隊長以下が語ったもの。小冊子ながら、まだゆとりのある昭和初期の皇族軍人の地方勤務の姿を同じ部隊で接した人々の逸話から彷彿とさせる歴史資料。

北白川宮永久王〔きたしらかわのみや・ながひさ・おう〕
明治四三年(一九一〇)〜昭和一五年(一九四〇) 北白川宮成久王の第一王子。成久王が留学先のフランスで事故死したため、大正一二年(一九二三)に宮家を継ぐ。昭和六年(一九三一)に陸軍士官学校を卒業。砲兵科将校となり、昭和十五年に駐蒙軍参謀として赴任、張家口で演習中に事故死。北白川宮は三代にわたり当主が非業の死を遂げたため、「悲劇の宮家」と呼ばれる。最終階級は陸軍少佐。

■『北白川宮永久王殿下』(中島武編・清水書房・一九四二年)演習中の事故で不遇の死を遂げた北白川宮永久王の生涯を平易な読み物風にまとめる。「本書を全国民特に青少年諸君が挙つて拝読して、御高徳を追慕し奉ると共に、自己の修養錬成の鑑とせられんことを切望して止まないのであります。」と、序で文部大臣橋田邦彦が述べるとおり、戦時下を反映し、永久王の生涯とその「戦死」を国民教化の模範とし、「三代に亘り一すぢ道」の「君国」に献身した北白川宮家を代表する軍人として描く。

皇族軍人伝記集成 第15巻 伏見宮博恭王 博恭王殿下を偲び奉りて(御伝記編纂会 1948年)

刊行年月 2012年02月 定価25,920円 (本体24,000円) IISBN978-4-8433-3567-3

伏見宮博恭王〔ふしみのみや・ひろやす・おう〕
明治八年(一八七五)〜昭和二一年(一九四六) 伏見宮貞愛親王の第一王子。愛賢と命名される。当初、華頂宮家を継ぐ予定であったが、伏見宮家を継ぐ。日露戦争に従軍し負傷もする。皇族としては海上勤務も多く、軍令部長(後に総長)在任時には軍令部の権限強化に努める。海軍内で大きな影響力を持ち、総長退任後は海軍主要人事について、その諒解が慣行となったといわれる。最終階級は、元帥、海軍大将。

■『博恭王殿下を偲び奉りて』(御伝記編纂会編・刊、一九四八年)伏見宮博恭王は、日本海軍の創成期に海軍軍人としてキャリアを歩み始め、その興隆を共にしながら大正昭和に海軍の長老として要職を占めた。しかし、その薨去が昭和の敗戦直後であったため、本書はその生涯を海軍の終焉と共に回顧する皮肉な傾きをも併せ持つ伝記である。海軍にゆかりの深い「伏見、華頂両宮家」の「中心的存在であらせられた博恭王殿下」を描くことから皇族軍人と海軍の関係も明らかにする重要資料。

皇族軍人伝記集成 第16巻 高松宮宣仁親王 高松宮宣仁親王(「高松宮宣仁親王」伝記刊行委員会編 1991年)

刊行年月 2012年02月 定価30,240円 (本体28,000円) IISBN978-4-8433-3568-0

高松宮宣仁親王〔たかまつのみや・のぶひと・しんのう〕
明治三八年(一九〇五)〜昭和六二年(一九八七) 大正天皇の第三皇子で幼名は光宮。幼時には兄宮ふたり(昭和天皇と秩父宮)とともに養育される。大正二年(一九一三)に有栖川宮家の祭祀を継承するかたちで高松宮家を創設。親王妃は徳川慶久(慶喜七男で公爵)の二女・徳川喜久子。日米開戦後、早くから和平を模索し、反東條勢力とも接触する。戦後の占領期は直宮として兄の天皇を支え、後に福祉事業、文化、スポーツ振興にも尽力する。最終階級は、海軍大佐。

■『高松宮宣仁親王』(「高松宮宣仁親王」伝記刊行委員会編・朝日新聞社・一九九一年)「あとがき」に高松宮の薨去の四ヶ月後、「高松宮と深く関わりのあった方々を委員として発足」とあり、元侯爵・細川護貞や高松宮家関係者、朝日新聞皇室担当記者らがあたり、昭和天皇崩御のため、一時中断しながら、三年有余を経て、刊行する。「喜久子妃殿下のご好意により披見を許された門外不出の「お側日誌」、「武官日誌」、戦後の日々の動静を中心とした「日誌」などを基に、年譜にしたがって記述を進めた」正伝といえる伝記。特に戦時下から戦後にかけての記述は今後の近現代史研究においても大きく寄与する基本資料である。