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ゆまにだより

「ULULA」に守られて  投稿日:2011/01/12

 約36年前の昭和50年、約一年間の準備期間を経てゆまに書房は創業した。資本金三百万円であった。お金はないので、自分たちで出来ることはなんでもした。

 当時はまだ、印刷の主流はオフセット印刷で、版下から直接製版カメラで撮影し刷版を作製して印刷機にかけた。製版カメラで撮影したネガフィルムにはどうしてもピンホールという汚れが映ってしまう。印刷所からライトテーブルを借りてきて自分たちでその汚れをオペックもした。校正も青焼であった。一頁一頁を面付け台紙に貼った青焼を折らずに印刷会社に持ってきてもらい、曲がりやノンブルや柱の抜けがないか、スケールを持って数ミリ単位でチェックした。ダイレクトメールも一時間で何枚書くことができるか昼食を賭けて時間を惜しんで自分たちで宛名書きをした。
 索引をつくるのも手作業であった。マーカーを付けた事項や人名、書名を一つ一つカードにとり、それらのカードを当時郵便局でハガキの仕分けに使っていたような箱を作り、カードを五十音に並べ原稿用紙に記入した。ある時は、活字に組む費用もなく著者との相談の上作製した索引用の原稿用紙に丁寧に手書きをし、直接製版カメラで撮影して印刷した。そうして発行した書籍が今でも数点、手元に残っている。草創期の貴重な宝物である。とにかく、経費がかからないよう、自分たちでできることはなんでもした。ゆまに書房が大好きな仲間たちの手で。皆ユマニスムを携えていた。
 コンピューターなどまだ普及していないアナログの時代である。それ故出来上がった書籍にはとても愛着があった。一冊一冊出来上がる過程に思い出やストーリーがある。著者より預かった原稿が印刷所より活字になって戻ってきたとき、たとえようのない新鮮な喜びが湧いてきたものである。

 電子書籍時代とうたわれる昨今、若い編集者たちは新刊が手元に届いた時どのような感想を持つのだろうか。最初からフロッピーやメールで原稿を受け取り、著者との校正のやりとりもメールで行う。索引もOCRで全文検索をかけて簡単に作ってしまう。そればかりか、本をバラバラにしてスキャナーで読み込み、電子書籍を自分で手作りする「自炊」と呼ばれるものまで登場しているという。大変便利な時代になったものである。
 読者も同様であろう。本を手元にとった時のインクの香いや紙の手触り、編集者が渾身を込めて産み出したタイトルの文字の大きさや形、表紙を彩る色彩を、それらあらゆる要素がトータル生み出されるものが「本」である。その中に表現されている内容だけが「本」ではない。電子で送られる本が従来の「本」となりえることは出来ない。
 かつて出版業界には欠かせなかった文選職人や写植職人がいた。彼らが今ではすっかり姿を消してしまったように、近い将来、紙の書籍がなくなって全てがデータ化された時、書物周辺に存在する書誌学や編集の世界は過去の遺物と化し、はたしてどのような「本」に係わる世界が創られているのだろうか。

 ともかく36年前こうしてスタートしたゆまに書房が、そんな電子書籍元年といわれた昨年、出版文化の流れに反するように、「ゆまに学芸選書ULULA」を創刊するまでになった。ありがたいことである。「紙の本」が無くなるのではと騒がれて喧しい中でのRE・STARTである。

・・・〝書物の森〟に迷い込んで数え切れないほどの月日が経った。〝ユマニスム〟という一寸法師の脇差にも満たないような短剣を携えてはみたものの、数多の困難と岐路に遭遇した。その間、あるときは夜行性の鋭い目で暗い森の中の足元を照らし、あるときは聖母マリアのような慈愛の目で迷いから解放し、またあるときは高い木立から小動物を射止める正確な判断力で前進する勇気を与えてくれた、守護神「ULULA」に深い敬愛の念と感謝の気持ちを込めて・・・
(“「ゆまに学芸選書ULULA」刊行に際して”より)
                        辛卯正月 ゆまに書房

リニア新幹線に乗れる日 (編集部S) 投稿日:2010/11/09

 3案でもめていたJR東海のリニア中央新幹線のルートが、直線ルートでほぼ決まりとの報道を読みました。このルートなら東京~名古屋間をわずか40分で結ぶといいますから、東海道線の東京~大船間と同じぐらいの乗車時間です。日帰り出張どころか、名古屋から東京に余裕で通勤できそうです。

 さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(第5巻)「エネルギー器機」が先月末刊行されました。この中でも「低エネルギー社会ののり物」として、リニアモーターカーが紹介されています。リニアの二酸化炭素排出量は、航空機の半分以下で、騒音、振動もほとんどなく、環境にやさしいのり物とされています。
 
 ただ、リニア新幹線の開業は2027年。まだまだ将来の話です。これまでも開業年は幾度となく先延ばしにされています。「ルート確定!」という現実的な話が出ても、「近未来の夢物語」に聞こえてしまうのは、私だけでしょうか。

ウルラ叢書刊行について (編集部 K.T) 投稿日:2010/10/08

 小社は創業より36年間、学術系を中心とした出版活動を行ってきた。少なからず学術界へ寄与したであろう自負とともに、さらなる展開と活性化を求め、このたび「ゆまに学芸選書」として、シリーズ「ULULA(ウルラ)叢書」を刊行することとなった。
「ウルラ」とはラテン語の「フクロウ」であり、ヨーロッパではしばしば学問の神、叡智の象徴とされる。活字離れなどが嘆かれる昨今ではあるが、電子書籍の台頭などに見られるように、「文字」「文章」が、最古にして最強のメディアであることに変わりはない。電子化に向けては小社もさまざまな展開を予定している。
 一見それらの動向とは、対極にあるかのごとき叢書の刊行についてであるが、媒体の多様化が進むなかで、やはり「a book」としての基本に立ち返るということは、最も重要なことではないだろうか。
 その、第一弾は『松平定信の生涯と芸術』(磯崎康彦・著)である。

松平定信といえば、大田南畝に、

  白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき

と揶揄された、今も評価の定まらぬ「寛政の改革」が有名だが、政治家としてだけではなく、江戸時代後期屈指の文化人の側面を持っている。彼のニックネーム「黄昏の少将」は定信の最も著名な、

  心あてに見し夕顔の花散りて尋ねぞわぶるたそがれの宿 

に依っている。「夕顔」はもちろん『源氏物語』で、定信は計7度も『源氏』を書写したという強者である。まさに「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」(藤原俊成)で、「心あてに 見し」などに見られる初句六音、句またがりなどの技法は、新古今ばりのきらびやかさで、質素・倹約を謳った改革を推し進めた人物の作だとは、すぐには結びつかない。
この「分かりにくさ」が、実は定信という人物の魅力なのである。幕府の学問として朱子学以外を禁じ、自身はその立場を貫いて失脚までしていながら(尊号事件)、外交と自身の尽きぬ興味のため、蘭学に目を配り、蘭画家たちの有力なパトロンでもあった――この定信の新たなる人物像に迫るのが、今回刊行となる『松平定信の生涯と芸術』なのだ。

 磯崎氏は福島大学名誉教授で「秋田蘭画」(江戸時代後期の、西洋画の手法を取り入れた和洋折衷絵画)の研究家である。その研究を通して、蘭画家たちのパトロンでもあった松平定信に着目し、今回の伝記を執筆されたのである。『福島民友新聞』に連載されたものに、新たな増補改訂が施された。誕生から政治においての活躍について触れられているはもちろんであるが、その好古癖や、文業、蘭書や蘭画への関わり、庭園芸術(白河藩に建設した南湖公園は、日本初の公園として著名)についてなど、その文化的側面を重点的に追った、渾身の一冊である。

愛煙家の呟き (編集部 K) 投稿日:2010/09/13

 いよいよ、10月から大幅にたばこが値上げされます。300円が400円あるいはそれ以上になるとのこと。喫煙者同士で「どーする」「やめようか」「値上げを理由にやめるというのはかっこわるいよ」といった会話が交わされています。
 国を挙げて禁煙キャンペーンを行っているマレーシアのたばこのパッケージには、未熟児で生れた嬰児の写真が印刷されていてギョッとします。写真の傍らに「たばこは早産の原因になります」と書かれていました。禁煙は世界の流れだと思い、また、ここまでしなければならないほど、なかなかたばこはやめられないのか、とも思います。

 それにしても、些か納得がいかないのは、今回の煙草の値上げは誰が決めたのかがよく見えないことです。医療費を抑えたい厚生労働省は、1,000円まで上げたかったようですが、税収を確保したい財務省がこの程度、つまり、やめるまでには踏み切れない程度の値上げに抑えたのではないかなどと報道されています。政治家でも官僚でもいいから「私が日本のためにそう決めた。理由は……」というメッセージを出して欲しいと思います。

 地上デジタル放送の開始によるアナログ放送の停止というのも、いつの間にか、誰が決めたともわからずに降って湧いたことのように感じます。調べてみれば、この改変は良い事であり、また、電波行政上必要なことらしいのですが、やはり、顔の見えない「お上」が決めたという印象を拭えません。とくに国民の財布に手を突っ込むことですから、しっかりした説明があってしかるべきでしょう。
 最近、携帯電話の会社から、請求書はネットでとか、今使っている機種は使えなくなるので新しい機種を購入せよ、などと連絡が来ています。決まったことだからと、 上からものを言う調子は、お役所と同じです。
 庶民が知らないところ、政府や自治体、大企業で、いろいろなことが決まり、庶民の暮らしに割り込んでくるといったことが、最近多いと感じます。メディアによる報道のあり方にも問題があるのかもしれません。

 こうなると、高くなるタバコをやめるように、テレビや携帯電話もやめてしまいたくなります。テレビ中毒、ケイタイ中毒から逃れることができます。静かな落ち着いた生活が、取り戻せるかもしれません。そんな生活のなかで、何がしたくなるでしょうか。心静かに本(もちろん紙の本)を読み、それに飽きたらカメラ(もちろん フィルムカメラ)をぶらさげて散歩する、……そんなときにつける一服はきっとおいしいでしょう。

「いちにちの新聞の中で」  (編集部 K) 投稿日:2010/08/09

 7月31日(土)の新聞の経済面に、「メーカー好決算 アジアの恩恵」という記事が載っていました。現在、日本の各メーカーの業績が好調で、その理由は中国をはじめアジア地域で売上が伸びていることが主な要因だとのことです。
 日本企業が、中国やアジア諸国を安い労働力の豊富な生産拠点としてばかりではなく、広大なマーケットとしてとらえ、活動しはじめたのは、ついこの間のようで、もう随分前のことです。私はWBSを覗く程度で経済やビジネスに疎いのですが、先日、学校時代のゼミの同窓会に出た折、いろいろな業種の会社にいる友人や後輩たちが、日常的に中国やアジア諸国に出かけていることを聞きました。
 実は、そうした昨今の状況を目にし、耳にして、ふっと既視感をおぼえることがありました。先月復刻刊行した東亜同文会の最初の機関誌『東亜時論』には、百年あまり前、大陸やアジアでのビジネスを夢見、また実際に活動していた日本人たちの姿がありました。

 誌面には、もちろん政治、外交、軍事の記事・論説、欧米列国の動向などもありますが、中国、朝鮮やアジアの諸地域の様々な情報が掲載されています。各地の経済情勢や産業、鉄道、鉱山、水運などの記事が多く掲載されています。
 今回、「解題」として掲載を御許可頂いた加藤祐三先生(都留文科大学学長、横浜市立大学元学長)の論文「東亜時論」(1978年)には、わずか13ヵ月26号で終わった『東亜時論』はその短い期間にも主張の変化があったとしています。「政治重視から経済(貿易・商業)重視への転換」であるとのことです。さまざまな要素をはらんで出発した東亜同文会の中の主役の交替を示唆するものですが、その後、経済活動のための調査活動と人材育成は、東亜同文会の柱となってゆきます。
 大陸やアジアに商機と大きな可能性を求め、言葉や商慣習を必死に学び、日本を飛び出していった明治人たち。そして、グローバル化の中で企業の存亡をかけて、アジアに出て行く現代の日本企業。状況は大きく違います。例えば、西欧列強の圧力のもとにあった清朝末期の中国と、世界経済の主役の一人となった現在の中国。こわもての議論が交わされ銃剣がちらつく日清戦争後の日本と、長い平和のもと経済に専心してきけれど失速が危惧される現代日本。歴史は決して繰り返すものではないのですが、日本人や日本企業の動きに、何か、同じようなベクトルを感じました。
 「坂の上の雲」を目指した日本は1945年に挫折するわけですが、現在の動きはどうなるでしょうか。たとえば中国やアジアの経済が転び、その影響でともに転んでしまうのでしょうか。あるいは東アジア共同体のようなものが現出するのでしょうか。
                   *
 同じ日の新聞の埼玉版に「来日直後に「生活保護」すぐ入院 中国人 医療扶助目当てか」という記事がありました。県内に住む中国残留孤児の親族として来日した中国人家族が、来日直後に生活保護を申請し、自己負担のいらない「医療扶助」を利用しているという記事です。その理非はともかく、人は生きるため、より良い生活のために、他国といえども移動するものだというのが第一の感想です。
 かつて我々日本人も、よりよい生活をもとめて、移民や留学という形で、言語や文化の違う欧米やアジアの国々へ飛び込んでいきました。今、若者の中で海外への関心が薄れていると言われますが、それでも、さまざまな理由で、海外に出て行く人は身近にあります。
 今年度出版を予定している『多文化理解と多文化交流(仮題)』(御手洗昭治編)は、言語・文化を異にする人間間のコミュニケーションは、どうあるべきか、どうしたらより円滑に行えるかなど、いろいろな示唆を私たちに教えてくれる本になるはずです。
 もう一つの感想は、「中国残留孤児の親族として来日」というところに、まだまだ戦後は終わっていないと感じたことです。野中広務氏が、日本軍が中国に残してきた化学兵器のことを例に挙げて、戦後処理は終わっていないと語っているのを、ある本で読みました。敗戦は、はるかに遠い昔とも感じますが、ついこの間のこととも言えるでしょう。  (65年目の長崎原爆の日に K)

初めての宇宙食 (編集部S) 投稿日:2010/06/15

 中国で初めての有人宇宙飛行に挑んだ宇宙飛行士が、その自叙伝のなかで「宇宙食メニューに犬肉が含まれていた」と暴露した、とのニュースを読みました。
 何もわざわざ宇宙で犬を食べてなくても、豚肉や牛肉ではダメなのかとも思いましたが、犬肉を食すと身体から熱が出て、保温効果に優れるからだとのことで、栄養士も推奨していたといいます。
 
 さかのぼること1961年、宇宙空間で人類として初めて食べ物を口にしたソ連のゲルマン・チトフ宇宙飛行士は、宇宙酔いのため、食べたものをもどしてしまったといいます。現在のように立派なものではなく、歯磨き粉のようなチューブに入った離乳食風のものだったとのことで、犬肉の味にも遠くおよばなかったのかも知れません。

 私も最近、市販されている宇宙食のアイスクリームを食べる機会がありました。パッケージには、「NASAの宇宙飛行士が宇宙で食べた食事と同じ製法・材料で製造された公式宇宙食です。」と書かれ、バニラ、ストロベリー、ココアと3つの味が入っています。
 最初に口に入れた食感は「らくがん」そのもので、アイスクリームもどきを食べさせられたかと思いました。が、すぐに口のなかで溶け始め、溶けきると味はまさしく本物のアイスクリームです。ただ、あたり前の話ですが、まったく冷たくないので、ここが評価の分かれ目になりそうです。
 アイスクリーム好きの飛行士にとっては、「冷たくはないが、宇宙でもアイスクリームが食べられる!」と喜ぶか、「こんな冷たくないものはアイスクリームとは呼べない、食べたくもない!」と、意見が分かれそうです。

 さて、『「モノ」の仕組み図鑑』(全6巻)の第1巻「宇宙探査機・ロケット」が5月末に刊行されました。ソ連のチトフ飛行士が乗っていたボストーク2号のひとつ前、ボストーク1号(ガガーリンが乗っていたもの)も、本書の1項目として、見開き断面イラストとともに紹介されています。
 今月末には(2)自動車・バイク、以後、(3)デジタル機器(4)船・潜水艦(5)エネルギー機器(6)航空機と、毎月1巻ずつの刊行予定です。

「文藝時評大系の完結に寄せて」 (編集部K.T) 投稿日:2010/05/10

『文藝時評大系』が完結した。全73巻別巻5を、足かけ6年で完結に漕ぎ着けた…漕ぎ着けたというと、聞こえがいいが、自力でなしたことは幾ばくもなく、ただただ、ご協力をいただいた皆様、関係者の方々に頭を下げるばかりです。誠にありがとうございました。

さて、完結に寄せてということなのですが、いろいろありすぎて、何を書いたらいいのかに窮しています。そこで、本大系の全てに登場した唯一の作家、正宗白鳥を引用することで何かが現れるのではないかと思い立ちました。決して苦し紛れではありません。不一。

まずは明治篇、白鳥22歳
「作者の些細な主観の為に、自然が犠牲に供せられて居るのは、今の文壇の至る所の現象で、明治の文壇では大きい万能の自然が小さい仮山の様なものに盛られてまことに哀れにいぢけたものに為つて居るではないか、これではいけぬ……ぼんやりながらも自然の面影が明治文学に顕るるやうに」したいのが作者の希望であつて、我輩も至極賛成であるが、野の花がその序文にかよへるか否かは疑問である。(中略)此作もどうやら大きい万能の自然が作者の手細工で小さな仮山の様なものに盛られた一例ではあるまいか(花袋作『野の花』、明治34年7月1日「読売新聞」、明治篇第5巻所収)

次に大正篇、白鳥35歳
~田山花袋氏の「風雨の夜」(中央公論)は、この頃読んだ氏の作中での傑れ物だと思つた。(中略)花の咲く頃薄命な女が死んで赤の他人の手で埋葬されるといふ事件が絵のやうに描かれてゐて、哀愁の情が全面に漂つてゐる。ずつと以前の氏の作物を回想させるが、しかし、風雨を冒して穴を掘るあたりの冴えた描写はとても昔の氏には見ることが出来なかつた。(今月の小説、大正3年5月5~6日「読売新聞」、大正篇第2巻所収)

昭和篇1、白鳥49歳
~私も、時々、自己の興味よりも作家に対する好意から、努めて雑誌小説を読むことがあるが、滅多に批評欲が起こらない。この頃の雑誌小説よりも、円本の明治文学の方がまだしも読応へがするのである。所謂高級雑誌の衰運も自然の結果かも知れない。(二三の短評、昭和3年6月11日「読売新聞」、昭和篇1 第2巻所収)

昭和篇2、白鳥67歳
~「細雪」は二度読んだ。昨年(昭和十九年)七月、非売品として、二百部を限り印刷された細雪上巻の特種本を、著者から寄贈されたので、兎に角一読した。空襲を恐れて軽井沢に疎開したばかりの頃で、純粋の文学書なんかを落着いて読む気持にはなれず、自分で筆を執つて、閑文字を綴ることも全く断念してゐたので、最初の一部分が「中央公論」に掲げられて、問題となり、雑誌社にまで累を及ぼした「細雪」が、一冊に纏められて刊行されたのを意外に思つただけで、作品そのものに魅力を覚えることはなかつた。この小説については噂をしてくれるなと、著者は世間の思惑を憚るやうなことを、寄贈通知書に添書してゐたやうであつた。(文藝時評 細雪、昭和21年2月1日「新生」、昭和篇2 第1巻所収)

昭和篇3、白鳥82歳
私は新年号の雑誌を幾つか読んだが、それぞれにおもしろかったと、お世辞にも言ってもいいのである。しかし、明治末期のように、幾つかのおもな新年号雑誌の小説を大みそかの夜か、元旦の朝に手に入れて読んでいた時のような、のどかな正月気分は起こらない。あの時代には、私も四つ五つの短編を新年号に書いたこともあった。田山花袋は、ある年の新年号雑誌に十一編も小説を寄稿したといわれてわれわれは驚かされた。しかし、どれも短編なので、近年のように、流行作家や新進作家が、百枚二百枚ぐらいの小説を、三つも四つも新年の誌上に書き飛ばして、何食わぬ顔をしているのと大違いであった。(新年号雑誌を読んで、昭和36年1月9日「読売新聞」、昭和篇3 第3巻所収)

「便り」と書誌書目シリーズ (編集部E.Y) 投稿日:2010/02/10

 「便」という字から何を連想しますか。
 『ロハス・メディカル』という病院に置かれている雑誌を見たとき、はっと思いました。そこには、「排泄物に対して、なぜ「便り」という文字が使われているのか考えてみると、興味深いものがあります」とありました。
 そうだったのですね。「便」は、見えない体調を知らせてくれる、重要な身体の「たより」だったのです。
 この記事を読んだとき、思い当たることがありました。
 私は、『書誌書目シリーズ』を担当することがありますが、このシリーズの意味についてときどき、史料の所蔵者や書店の営業の方に聞かれます。
 その都度、これは日本の出版文化史の足跡を集めていくものです、史料の少ない出版文化史を、遺された書物の書目や書誌から再構築していくものです、などと申し上げるのですが、なかなか分かっていただけないのではと思っていました。
 が、この「便り」という字で気がつきました。
 無味乾燥に見える蔵書目録は、出版文化史の「便り」だったのではないか。

 2009年刊行の『米沢藩興譲館書目集成』(編集 岩本篤志、解説 岩本篤志・青木昭博)は、昨年ブームとなった直江兼続の蒐書にはじまる米沢藩の蔵書目録を集めたものと言えば、少しは親しみもわくかと思いますが、古書マニアの方々には「米澤藏書」印や「米沢善本」の名が広く知られています。
 解説では、11点の蔵書目録の書写年代や各目録中の同一書物の変遷を手がかりに、米沢藩の蔵書がどのように形成されていったのかが明らかにされています。書物が納められていた場所ごとに蔵書群の変遷の道筋が示されます。「藩邸系」(江戸藩邸麻布中屋敷にあった書物)、「支侯系」(支藩の米沢新田藩にあった書物、但し空間的には麻布藩邸内)、「学館系」(藩校興譲館とその前身の学問所にあった書物)、「官庫系」(国元の藩のくらにあった書物)の4群です。
 宋元伝来の貴重な古本がどんな道筋を辿り、現在も市立米沢図書館にあるのかを知るのは、ちょっと胸躍るタイムトリップではないでしょうか。

 これからも、様々な、書物の歴史からの「便り」が楽しみです。

はたして匂いはついたか・・・ 投稿日:2010/01/08

 今は昔、とても匂いに敏感な友人がいた。いつも通る高速道路のある地点に来ると必ず車窓を閉める。いつもその行動を怪訝に思っていた。その友人は街の臭いを敏感に感じていたのである。食事も匂いに敏感であった。この場合、香りといった方が正確かもしれない。食材がもつ香りをとても楽しんでいた。青菜の香りやパクチのもつ独特な香りが大好きであった。アロマセラピーやお香は勿論である。庭には季節の香りを伝える花々が植えられていた。これらの微妙な香りを充分日常に取り入れていた。かつて、その友人に言われたことが懐かしく思い出させられる。「出版社をやるなら匂いのある出版社になりなさい」。

 最近アメリカの知人から、アメリカの某有名大学のライブラリアンが書いた「今、アメリカの大学でライブラリアンと呼ばれる職業が絶滅しつつある」と題する、大変興味ある一文のコピーを頂いた。
その一部を紹介したい。
「・・・・(中略)・・・1980年代の中ごろから10年間位の間、図書館でもっとも活気のあったのはレファレンス・サービス部である。私も多忙な業務に携わった。私が働いていたアメリカの大学は州立大学であったから、一般市民にも開放されている。約5万冊のレファレンス図書が用意されているその大きな部屋の一端に設けられたカウンターには前後5人のレファレンス・ライブラリアンが待機して顧客の質問に対応した。学期末ともなるとカウンターの前には長蛇の列が出来、学内の利用者を優先し、学外者には別に並んでもらうようにとの決まりも作られた。それほどレファレンスは図書館の花形の場、でもあった。それが現在ではレファレンスに来る人はもうほとんどいなくなってしまった。・・・・            
・・(中略)・・・その理由は他でもない、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリー化しつつあるからだ。100種以上のデータベースが年間購入契約されている。ビジネス・ライブラリアンの仕事のほとんどはデータベースの選択、契約、打ち切り、更新、それに伴う業者との交渉に費やされている。100種となれば平均3日に1度、契約更新の作業を行うこととなる。」
 それに伴いライブラリアンの人員は減少し、スタンフォード大学では、29人いた職員のうち7名が昨年中すでに解雇され、そして今後さらに多くの人員が削減されるであろうと予期している。

 このような現象は新聞界にも顕著に現れている。広告が減り、部数も減って、記者も減った。新聞界にも秋風が吹きまくっている。新聞界斜陽の原因は何なのか。草創期のヤフーやグーグルに米国の新聞社が記事を無料で与えたのが、経営的に致命的な失敗であった。当時は、ネット広告が順調に伸びさえすれば新聞広告の減少分を補えると予測していた。やってみると、広告の単価は安く、広告の出稿量も絶望的な少なさでとまってしまった。現在、日本の新聞社数が98社で、総発行部数が5,149万部であるのに対し、アメリカの日刊紙の数が1,408社で、総発行部数がわずか4,859万部まで減少してしまった。まさに瀬戸際のアメリカ新聞界である。日本でも、全国紙をかかげてきた毎日新聞が地方紙系の共同通信の加盟社に復帰するなど、その傾向の兆しが見えつつある。

 また、国立国会図書館が所蔵する蔵書を電子化してインターネットで配信するという計画が進行している。国立国会図書館は、「これまでは書籍を読みたい人は図書館に来てもらわなければならず、遠くの方々にはハンディキャップになっていた。国会図書館の持っている膨大な資料や情報、出版活動の成果を日本中の方々にくまなく享受していただけるシステムに向けて、協議会が出来たことは大変嬉しい。書籍をデジタル化して配信すれば、本を探す時間も短縮でき、原本である書籍を傷めることもない。」と手放しで喜んでいる。

 はたしてそうであろうか。前述したように、これらの計画が実現した場合、図書館からライブラリアンはいなくなり、データベースに関する業務だけが残ることは、目に見えて明らかである。図書館人は自ら己の首を絞め、自分たちの存在意義を排除しようとしている。また、このデータベースの基となる書籍や情報はいったい誰が提供するのか。

 さらに、グーグルは世界の書籍を電子化してインターネットで配信し、世界のどこからでも閲覧できる計画を進めていた。が、米国をはじめ世界の出版社や著者の猛然な反対闘争の末、和解案を提出し法廷闘争に持ち込まれた。先般これらの計画を断念して、比較的影響が少ない英語圏であるアメリカ、カナダ、オーストラリアの3カ国のみに限定することを発表した。国会図書館は、グーグルが断念したようにこれらの計画を見直すか、もしくは現在本計画推進のための127億円もの予算を「仕分け」にかけ「廃止」にすべきである。「科学はなぜ一番を目差すのか」。この愚問に対し、私たちは怒るべきである。科学に限らず、学問は一番を目差してこそ発展があるのである。スタートから2番や3番を目差していたのでは、決して進歩は無く、模倣に終わるであろう。このまま図書館自らが蔵書のデジタル化によるインターネット至上主義を進めれば、図書館が倉庫に変わる日がそう遠くない日にやってきそうである。

 今年は創業35周年である。出版不況が語られて久しい。昨年、21年ぶりに出版界の売上が2兆円を割った。しかし、ビジネス・ライブラリーが急速にデジタル・ライブラリーになろうとも、たとえグーグルやヤフーがこの世から新聞を消滅させようとも、国会図書館が総デジタル化の事業を推進し巨大な倉庫に変わろうとも、『源氏物語』が千年読み継がれてきたように、活字は、否、出版文化は不滅であると信じつつ、36年目に乗り出したい。
 はたして、この35年間の出版活動でゆまに書房に匂いはついただろうか・・・。
 今、友人は何と言うだろうか・・・・・。            平成22年正月 株式会社ゆまに書房

「車中読書」 (編集部K) 投稿日:2009/12/10

 夕方、何かちょっとおなかに入れようと会社を出てみたら、神田界隈はぐっと冷え込んできていました。ようやく12月らしくなったようです。東京は12月に入っても冬という感じがしなかったのですが、ようやくクリスマスのイルミネーションがそれらしい輝きを放ちはじめるでしょう。
 ただ、喜んでばかりいるわけにはいきません。寒くなって、新型インフルエンザの動向は今後どうなるのでしょうか。日本の新型インフルエンザの死者が100名を超えたという怖いニュースが伝えられました。新聞に「怖がらず、油断せず」といった記事がありましたが、かからない対策とかかったときの対処法を自分なりに考えておくべきでしょう。

 それはともかく、「事業仕分け」の次は「沖縄基地問題」「首相の資金問題」とつづく政治問題、デフレ不況、また凄惨な殺人事件そのほか、日々新聞やテレビ、ラジオは伝えています。私たちは一応、それはどんなことで、自分はどう判断すべきか、考えてはみます。また、友人との話題にします。しかし、結局、報道の言葉や「識者のコメント」の一端を借りてきて、考えたり話したりしていることにふと気がつきます。

 そんなとき、ある種の逃避ですが、何かまとまった本を読みたくなります。
 最近、友人が勧めてくれた『日米同盟の正体―迷走する安全保障―』(孫崎享著)を何日もかけて電車の行きかえりで読みました。私はこういう問題について基本知識がなく、どこまで内容を理解できたかは怪しいのですが、多くの書物、論文、演説などを丁寧に読み解き、論を積み重ねてゆくところはたいへん面白く読みました。そして、今の沖縄の基地問題の答えが書いてあるわけではありませんが、その背景が見えてきたのは望外の収穫でした。「経済と日本ブランドを武器に、またヨーロッパとの結びつきを強めて日本の安全保障を進める」という結論に異論を持つ人も多いかもしれません。私も即座に賛成とは言えません。しかし、ジャーナリズムの大雑把な議論とは違う手ごたえを感じました。

 ちょっと硬いものを読んだ反動か、つぎは『東海道中膝栗毛』を読みはじめています。近世文学は、別の作品を大昔少し読んで、意外に近代的な感情が描かれているのにびっくりしたことがあるのですが、読解力不足で挫折していました。勉強の一端と考えたのが間違いだったようです。今回はただ楽しみのためにと思い、書店の棚(コンピュータで買い物をするのはなんだか落ち着きません)を眺めていて、この『東海道中膝栗毛』に目が行きました。実は、『膝栗毛』に関する出版企画のお話があり、気になってはいたのです。今度は仕事の一端になってしまいそうです。いずれこの場で企画を紹介できればと思います。
 まだ、読み始めたばかりですが、奇想天外な展開、赤裸々な人物描写に、電車を降りるのを忘れそうになったりしています。楽しみ八分で読んでいる次第です。その世界に浸っていると、影響されやすい私は、次から次と繰り出される強烈な江戸言葉に染まってしまうかもしれません。それがちょっと怖いのですが…。
 それでは「わつちらアもふおひらきにいたしやせう」。