HOME書籍検索植民地帝国人物叢書 満洲編 全25巻・別巻1 > 植民地帝国人物叢書 満洲編 第2回 全7巻

植民地帝国人物叢書 満洲編 第2回 全7巻

植民地帝国人物叢書 満洲編 第2回 全7巻

揃定価181,500円(揃本体165,000円) 
ISBN 978-4-8433-3654-0 C3321
刊行年月 2012年02月

本書の内容

植民地帝国人物叢書 第50巻 満洲編11 満洲草分物語(米野豊美著・満洲日日新聞社刊1937年)

刊行年月 2012年02月 定価22,000円 (本体20,000円) IISBN978-4-8433-3666-3

『満洲草分物語』
満鉄創業及び関東局施政三〇周年を機に、日露戦争前後より満洲において活動した人々の話をまとめた本。十九の地域別に様々な分野で活躍した人たちの体験談やエピソードが載せられている。

植民地帝国人物叢書 第51巻 満洲編12 八面観 大連の二十年(竹内黙庵著・木魚庵刊1924年)

刊行年月 2012年02月 定価16,500円 (本体15,000円) IISBN978-4-8433-3667-0

『八面観 大連の二十年』
一九二六年に大連市において出版されたもの。政府の施政方針や、関東軍の統治といった、「大連建設史」という内容よりも、市井の出来事や社会状態の変遷を記すことに主眼が置かれている。著者の竹内黙庵は満洲新報大連支社の記者で、一九〇六年より大連に渡っている。

植民地帝国人物叢書 第52巻 満洲編13 だいれん物語(小此木壮介著・吐風書房刊1944年)

刊行年月 2012年02月 定価14,300円 (本体13,000円) IISBN978-4-8433-3668-7

『だいれん物語』
一九四三年、作者小此木壮介(おこのぎ・そうすけ)により、満洲において発行されたもの。ロシア占領下における大連が、日露戦争を境に日本の占領下におかれるまでを記した「草創篇」、南満洲鉄道株式会社の設立など、占領下における大連の都市化を記した「建設篇」、都市化に伴い変動した経済界の状況を記した「経済篇」、日清戦争時の大連をめぐる両国の状況を記した「日清戦争に現れた大連」の四篇からなる。

植民地帝国人物叢書 第53巻 満洲編14 小沢太兵衛伝記(小沢賢吉著・小沢賢吉刊1942年)

刊行年月 2012年02月 定価17,600円 (本体16,000円) IISBN978-4-8433-3669-4

小沢太兵衛〔おざわ・たへえ〕一八八〇〜一九三九
大連の日本人実業家。東京に生まれる。十六歳の時、井戸掘り軍夫として台湾へ渡り、帰国後、空缶の仲買業を主とした「新隆洋行」を経営する。後に上海に店を構えるようになると、一九〇七年には、後に本店となる大連支店を構える。大連では、空缶売買の他、豆油容器製造、鉄工、貿易、貸家、保険代理なども手掛ける。また、営利活動のみならず、大連新聞の創刊に尽力し、大連市市会議員、商工会議所議員、区長連合会長などを歴任した。

植民地帝国人物叢書 第54巻 満洲編15 満洲と相生由太郎(篠崎嘉郎著・福昌公司互敬会刊1932年)

刊行年月 2012年02月 定価55,000円 (本体50,000円) IISBN978-4-8433-3670-0

相生由太郎〔あいおい・よしたろう〕一八六七〜一九三〇
明治〜昭和前期の実業家。福岡県に生まれる。東京高等商業学校(現一橋大)卒業。三井物産をへて、一九〇七年に満鉄嘱託となり、大連埠頭の仲仕組、運送組を満鉄直営にする。一九〇九年、大連に埠頭荷役業の福昌公司を開設。一九一六年、大連商業会議所会頭に就任。

植民地帝国人物叢書 第55巻 満洲編16 小松台文存(古庄重一編・貝瀬謹吾君還暦並在満三十五年記念出版事務所刊1938年)

刊行年月 2012年02月 定価48,400円 (本体44,000円) IISBN978-4-8433-3671-7

貝瀬謹吾〔かいせ・きんご〕一八七八〜?
東京に生まれる。一九〇一年、京都帝国大学を卒業。同年、鉄道技手を務め、一九〇四年、野戦鉄道運転班車両長を経て一九〇五年、野戦鉄道経理部勤務となる。一九〇七年に大連車両事務所長兼務を命じられ、一九一九年、大連管理局長に就任。一九二四年、大連市会副議長に当選。一九三一年、南満洲鉄道株式会社退任。

植民地帝国人物叢書 第56巻 満洲編17 赤心録(山田潤二著・民友社刊1921年)

刊行年月 2012年02月 定価7,700円 (本体7,000円) IISBN978-4-8433-3672-4

山田潤二〔やまだ・じゅんじ〕一八八五〜一九六一
新聞人。新聞経営者。一九一一年に東京帝国大学卒業後、南満洲鉄道株式会社入社。社命により二年余りのドイツ留学を経て、大連勤務となる。総務部庶務課長心得、総務部文書課長、興行部庶務課長兼総務部外務部長、興業部興業課長兼外事課長を歴任するも、炭鉱・汽船等の買収を巡り上層部と論争の後、退社。その後は大阪毎日新聞に入社し、後に同西部本社代表、プロ野球毎日球団の社長となる。また、毎日新聞経営のマニラ新聞社長も務めた。