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銅像写真集 偉人の俤 図版篇/資料篇 全2巻 (分売不可)

シリーズ・近代日本のモニュメント1
銅像写真集 偉人の俤 図版篇/資料篇 全2巻 (分売不可)

[監修・解説] 田中修二 [シリーズ総監修] 北澤憲昭

揃定価63,800円(揃本体58,000円) 
ISBN 978-4-8433-3037-1 C3571
A4横判/上製
刊行年月 2009年07月

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本書の内容

明治~昭和初年の銅像七〇〇余点の写真・銘文・略歴・建設に関する諸データを網羅

※画像解説: 佐藤志津(東京 1915年) 女子美術大学初代校長。数少ない女性の銅像である。戦中の金属供出で失われるも、戦後新しく本像に似せた胸像が建てられた。

●読売新聞で「建立史で見る近代日本」として紹介されました(2009年7月16日付 YOMIURI ONLINE)
●日本経済新聞で「偉人の功業と芸術の極致」として紹介されました(2009年9月13日)
●芸術新潮2009年9月号で「仰げば尊し偉人のおもかげ」として紹介されました
●美術手帖2009年10月号で「銅像写真集が復刻 モニュメントに見る国家とパブリックの変遷」として紹介されました。
●文藝春秋2010年2月号「秘史『銅像』に歴史あり 物言わぬ背後には幾多のドラマが隠されている」文中で紹介されました。


 『偉人の俤』(初版-昭和3年、第二版-昭和4年、二六新報社)は、おもに明治から昭和初年に建設され、当時すでに日本国内および満洲・朝鮮・台湾などに存在した記念像・記念碑700基余りを、ほぼ網羅した写真集である。像主は、神話上の人物(神武天皇、日本武尊等)、歴史的な宗教家、明治天皇、華族、明治・大正期の政治家および軍事関係者、実業家、さらには各地方で功績のあった人物までと多岐にわたる。
 しかし掲載された記念像・記念碑の多くは、アジア太平洋戦争中の金属供出や戦後改革によって撤去されているため、その意味でも、『偉人の俤』は貴重な記録資料となっている。復刻版では、初版に第二版新規収録分を加え再編集した。
 本書は日本近代美術史研究の基礎資料としてのみならず、政治史、軍事史、経営史、地方史の重要史料でもある。ジャンルを超える史料集として、ひろく近代史研究者の方々にお勧めしたい。

複合的造型としての銅像     北澤憲昭(美術評論家・女子美術大学教授)

 日本で最初に建立された銅像は、兼六園にあるヤマトタケル像である。これは、西南戦争で没した石川県出身兵士たちの霊を慰め、武勲を讃えるモニュメントであり、当時、県令であった千坂高雅のもとで明治一三(一八八〇)年に建立された。千坂は、欧州に留学した経験があったから、彼の地に立つ銅像の数々を目の当たりにしていたのにちがいない。その経験が、おそらくヤマトタケル像建立の原点となったのだろう。しかし、ヤマトタケル像は西洋の銅像とは、そのおもむきを大いに異にしている。
 まず、玉眼が用いられていることが注意を引く。玉眼は仏師の伝統技術だからである。また、台座にあたる部分は、前田家の庭師であった太田小兵衛による石積で、盤座を想わせる形状を成している。しかも、その中央には有栖川宮熾仁親王による「明治紀念之標」の文字を刻んだ碑が嵌め込まれるようにして立っており、さらには群碑が―モニュメントの由来や、戦死者の名や、作成者の中などを記した石碑群が―石積と彫像を取り巻いているのである。
 ここには、たんに「銅像」と呼んで済ますことのできない在り方が認められる。一言でいえば、この日本最初の銅像へと至る古代からの歴史が集約されているおもむきなのだ。宗教的造型、文字による顕彰、そして人間像による記念という諸次元の集約的な混在である(ヤマトタケルは神話のキャラクターだが、この銅像は、儀軌に従う仏像に比べれば、ずっと人間の姿に近いといえるだろう)。
 このような混成的な在り方は、兼六園のヤマトタケル像ばかりではなく、かたちを変えて銅像一般に見出される。すなわち、石の台座、台座に記し付けられた銘文、そして彫像から成る複合性である。こうした銅像の混成的在り方は、「日本近代」の成り立ちと相即的な関係にあると考えられるのだが、複合されている諸要素のうちで最も近代性を帯びているのは、いうまでもなく彫像である。近代とは、ハイデガーが指摘したように「世界像の時代」、いいかえればイマージュの時代なのだ。石碑という―江戸時代までに確立され、明治以後に隆盛をきわめる―エクリチュールを従え、古代的な石積を踏まえて佇立するヤマトタケル像が示しているのは、まさにこのような時代の到来なのである。彫像は、絵画以上に現前性に強く傾くとはいいながら、それがイマージュにかかわる表現であることに変わりはない。それゆえに彫刻は絵画と共に「美術」としてひとまとめにされ、近代を代表する芸術ジャンルともなったのであった。
 以上に述べたように複合的造型としての「銅像」は、日本におけるモニュメントの在り方について、また近代造型史の始まりについて考えるにあたって決して避けて通ることのできないジャンルであるのだが、それについて知るうえで欠くべからざる資料がある。昭和三(一九二八)年に二六新報社から第一版が刊行された銅像写真集『偉人の俤』である。この資料集には、今は既に存在しない銅像の数々が収録されているのだ。さいわいヤマトタケル像は今に残ったものの、銅像の多くは、アジア太平洋戦争中の金属供出によって―あるいは、それを促す象徴行為として―多くが破壊され、また、敗戦直後にも占領軍のもとで軍国主義的な彫像の撤去が行われたため、現存するものはきわめて少ない。それゆえ、近代日本の銅像について考え、語るためには、どうしても、こうした記録に頼らざるをえないのである。
 類書がないわけではなく、また編集上のモデルとなったとおぼしき書籍もないわけではないものの、『偉人の俤』は収録数とデータの詳細さにおいて他を圧している。収録された写真はおよそ七〇〇点、基本データとして原型作者(彫刻家)名、鋳造家名、制作年、建立場所、施主などを記載し、さらに碑文も採録している。そればかりか像主の伝記も―すべてにわたってではないものの―本書には収められている。また、このたびの復刻では、第一版を基本として、そこに第二版で増補された写真を加え、さらに同書所収の銅像に関する統計表―ポーズ、服装、身分、職業などによる分類、建立数の変遷、第二版との異同などにかんする表が付載されることになっている。
 『偉人の俤』が刊行されたのは大正から昭和への変わり目の時代であり、つのりゆく社会的不安のなかで鶴見祐輔の『英雄待望論』が広く読まれるような状況であった。発刊の趣旨に「偉人傑士あれば其国必ず興り、之れなければ必ず衰ふ」とあるのが、刊行の動機を明確に物語っている。本書の成立には不明なところが多く、石碑や江戸時代の木像を含むなど杜撰なところもないではない。とはいえ、日本近代における銅像を知るうえで本書に勝る史料はない。本書は、まごうかたなく第一級の史料であり、日本近代美術史のみならず、政治史や思想史の研究にも資するところが大きいのにちがいない。銅像について考えることは「日本近代」を考えることにほかならないからである。

【本書の特色】

■「図版篇」の特色
●各界代表的人物の記念像・記念碑七〇〇余点を収録
政治家、軍人、軍事探偵、実業家、学者・教育家、医業界の人、各種教育家、小学校長、殉職訓導、俳人・文人、産業開発者、発明家、社会事業家、美術家、飛行家、地方政治家、地方的功労者、女流名家、神官、僧侶、能楽と梨園、侠客、従者、外人……(原本の分類に拠る)等々。

●貴重図版を多数掲載
収録された記念像・記念碑はアジア太平洋戦争中の金属供出や、戦後改革によって撤去されているため、貴重な記録資料となっている。

●各銅像の建設データ、銘文を網羅
銅像写真と建設データ、さらに各銅像の碑文を見開きに収録。銅像写真すべてに個別番号を付し、〈資料篇〉統計データ表に対応。

■「資料篇」の特色
●伝記資料「偉人伝」を収録

●詳細な分析データを附載
初版および第二版所収の銅像写真七〇〇余点に関する充実した統計データを作成収録。統計データを元にグラフ化して分析。▼タイトル ▼所在地 ▼建設年月 ▼原型作者・彫刻者 ▼鋳造者 ▼基石設計・石工 ▼構造 ▼工費 ▼建設者 ▼存失状況 ▼失われた理由 ▼現状 ▼性別 ▼像主身分・職業 ▼形式(群像・彫像・レリーフ・碑に分類)▼形態(全身像・半身像・胸像に分類)▼姿態(立像・騎馬像・椅像・座像に分類)▼着衣(和装・洋装に分類)など。

●各種グラフと一覧表
建設、形状、現状について、主要データを見やすいグラフや一覧表に。▼所在地別建設数 ▼建設件数と建設総数 ▼存失状況 ▼失われた理由 ▼現状 ▼像主男女比 ▼像主身分・職業 ▼像主身分・職業分類上位の建設件数推移 ▼形式(彫像・レリーフの形態・全身像の姿態・群像の形式・形態・姿態 ・着衣)など。

●便利な索引付き
▼像主索引 ▼製作者索引 ▼所在地索引

「シリーズ・近代日本のモニュメント」 今後の刊行予定

※以下続刊予定
●『京浜所在銅像写真(第1輯)附伝記』人見幾三郎著(諏訪堂 明治43年)
●『大日本銅像鑑(第1輯)』栗田清美著(大日本史蹟研究会出版部 昭和9年)
●『帝国銅像鑑(上巻)』栗田清美著(大日本帝国史蹟研究会出版部 昭和10年)