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四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 全10巻

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 全10巻

[監修] 吉岡眞之 [監修] 藤井讓治 [監修] 岩壁義光

揃定価275,000円(揃本体250,000円) 
ISBN 978-4-8433-5729-3 C3321
B5判/上製/函入

関連情報

本書の内容

『天皇皇族実録』の真の意味での完成を期し、『四親王家実録』をはじめて公刊。全57巻、いよいよ完結。

☆「四親王家」各実録をはじめて公刊。『天皇皇族実録』に記述のない部分を埋める唯一の資料。

本書の内容と特徴

●『四親王家実録』とは
伏見宮・桂宮・有栖川宮・閑院宮の四宮家は、それぞれ血統を天皇に承け、代々親王宣下を受けて宮家を世襲してきた。歴史的には、宮家より皇統を継いだ場合や逆に皇子にして宮家を継いだ場合もあり、四親王家と天皇家の関係はきわめて密接であった。しかしながら、『天皇皇族実録』に各宮家に属する皇族の事蹟を併載することは、困難かつ相応しくないと言うことで『天皇皇族実録』編修の際に別に『四親王家実録』の編修が予定され、四親王家に属する皇族の実録は省かれた。

●『四親王家実録』の成立
『天皇皇族実録』の印刷が完了した一ヶ月後の昭和一九年八月から『四親王家実録』の編修が開始されたのは、当初の意図から当然の成り行きであった。しかし、まもなく敗戦を迎え事業は中止となった。戦後『貞明皇后実録』、『昭憲皇太后実録』の編修完了を経て昭和四〇年四月に事業が再開されたが、『明治天皇紀』公刊事業によりまたもや編修が遅れ、ようやく昭和五九年三月編修事業が終了した。幕末維新の際に伏見宮家から独立した宮家の皇族については、『明治以後皇族実録』として後に編修された。

●『天皇皇族実録』を補完
『天皇皇族実録』で省かれていた、各宮家に属する皇族の事蹟である『四親王家実録』の公刊により、真の意味での『天皇皇族実録』の完成となる。

●近世公家社会研究に有益
近世に書かれた未公刊の日記を大量に含んでおり、近世公家社会研究にも大変有意義である。

●解説
『四親王家実録 第㈵期 伏見宮実録』の最終巻に解説を収録。

●特におすすめしたい方● 日本中世史・近世史・近代史、日本文化史・政治史などの研究者、大学図書館、公共図書館、関係研究機関など。

【閑院宮】
閑院宮は、近世の世襲親王家の内、最後に創設された宮家。享保三年(一七一八)、霊元上皇が直仁親王(東山天皇第六皇子、中御門天皇同母弟)に宮号と所領一千石を下賜したことに始まる。霊元天皇は、生後まもなく養父・後光明天皇が崩御し、元服後に兄の後西天皇(有栖川宮家当主から践祚)の譲位によって即位したことから皇統維持への強い意思を抱いており、閑院宮創設に先立ち、皇子の職仁親王および文仁親王をそれぞれ有栖川宮、京極宮(後の桂宮)の養嗣子として継承させている。安永八年(一七七九)、後桃園天皇の崩御に際し、閑院宮第二代・典仁親王の王子師仁親王(後に兼仁と改称)が践祚(光格天皇)、現在の皇室に直接続く皇統となる。四親王家では伏見宮とともに明治以降も存続したが、昭和二二年(一九四七)、第七代・閑院宮春仁王の皇籍離脱により宮家としては終焉した。

既刊
◆第Ⅰ期◆伏見宮実録 全19巻 既刊●揃定価:本体475,000円+税 ISBN978-4-8433-4791-1 C3321
◆第Ⅱ期◆桂宮実録 全7巻 既刊●揃定価:本体175,000円+税 ISBN978-4-8433-5102-4 C3321
◆第Ⅲ期◆有栖川宮実録 全21巻 既刊●揃定価:本体525,000円+税 ISBN978-4-8433-5319-6 C3321

刊行のことば      吉岡眞之/藤井讓治/岩壁義光

 さきに刊行された『天皇皇族実録』に引き続いて、その続編ともいうべき『四親王家実録』が復刻刊行されることとなった。
 四親王家とは、中世後期に創設された伏見宮家を始め、近世初〜中期にかけて設立された八条宮(後に常磐井宮、京極宮、桂宮と改称)、高松宮(後に有栖川宮と改称)、閑院宮を総称する名称である。四親王家は、当初必ずしも皇統維持の観点で設立されていたわけではないが、遅くとも近世中期ころから、皇位継承の危機に備えるためとする認識が次第に広まっていった。各宮家の代々当主は天皇の猶子あるいは養子となって親王宣下を受けて親王となり、皇位継承に備えつつ近世末期に及んだ。
 四親王家と天皇家の関係はこのように密接であり、『四親王家実録』もまた『天皇皇族実録』の一環として編修されるべき性質のものであった。しかし四親王家代々の親王およびその妃・王子女等の事蹟を、それぞれの祖に当たる天皇の実録に組み込むことになれば、実録の様態・内容がきわめて複雑なものになることは明らかであった。このため四親王家の実録については『天皇皇族実録』とは別に『四親王家実録』として編修することとなったのである。
 『四親王家実録』の体裁は『天皇皇族実録』にならい、親王家ごとに編年綱目体で編修されている。すなわち年月日ごとにまず綱文を立て、その後に綱文の根拠となる史料を配列する。引用史料は各宮家当主の日記、宮家の家職に関する日誌を始め、公家日記、関連寺社の記録類、また京都御所東山御文庫・宮内庁書陵部・国立公文書館内閣文庫・近衛家陽明文庫などに所蔵されている信頼性の高い史料を広く収集し掲載している。引用史料はこれまで知られていなかったものも多く含んでおり、『四親王家実録』がとりわけ近世を中心とする公家社会史研究に資する点は少なくない。
 『四親王家実録』は宮内省図書寮において一九四四(昭和一九)年当初の紀事本末体の体裁から編年綱目体への組み替え作業が始められたが、一九四五年の第二次世界大戦敗戦にともない、編修事業は中断を余儀なくされた。その後、一九六五(昭和四〇)年に宮内庁書陵部編修課は『四親王家実録』の編修を新事業として開始することを決定したが、翌年明治百年記念準備会議が『明治天皇紀』の公刊を決め、宮内庁編修課がこれに従事することになった。このため同課では二つの大きな事業を並行して進めることとなり、当初の編修計画は大幅に遅延したが、一九八四(昭和五九)年三月にいたり『四親王家実録』は完成を見たのである。
 『四親王家実録』には四〇七名の皇族の事蹟が二九四冊にまとめて収載され、総目次・系図一冊が添えられた。また別に実録本編より綱文を抄出した抄出本五部(一部三三冊)が作成された。宮家ごとの内訳は以下の通りである。

 総目次・系図 一冊
 伏見宮家   二四七名 一二九冊
 桂宮家    三七名 三五冊
 有栖川宮家  七五名 九〇冊
 閑院宮家   四八名 四〇冊

 『伏見宮実録』から順次刊行し、今回は第㈿期として『閑院宮実録』を二回に分けて刊行する。多くの方々に利用されんことを切に願っている。

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第1回配本 全6巻

刊行年月 2020年07月 揃定価165,000円 (揃本体150,000円) ISBN978-4-8433-5730-9

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第1巻・第2巻 直仁親王実録 全2巻

刊行年月 2020年07月 揃定価55,000円 (揃本体50,000円) ※分売不可 ISBN978-4-8433-5732-3

● 直仁親王〔なおひと・しんのう〕 宝永元年(一七〇四)〜宝暦三年(一七五三)
東山天皇の皇子。中御門天皇の同母弟。異母姉に秋子内親王(伏見宮貞建親王妃)。東山天皇は、直仁親王誕生直前に第一子である秋子内親王へ譲位を企図したとされる。宝永七年八月新宮家創設が決定され、八年後の享保三年、霊元上皇より宮号と所領一千石を下賜され閑院宮初代当主となる。同年親王宣下。王子淳宮は鷹司家を継承(鷹司輔平)、王女の倫子女王は将軍徳川家治室、室子女王は京極宮(桂宮)公仁親王(霊元天皇皇子・文仁親王の孫)妃。

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第3巻〜第6巻 典仁親王実録 全4巻

刊行年月 2020年07月 揃定価110,000円 (揃本体100,000円) ※分売不可 ISBN978-4-8433-5733-0

● 典仁親王〔すけひと・しんのう〕 享保一八年(一七三三)〜寛政六年(一七九四)
閑院宮直仁親王の第二王子。妃は中御門天皇の皇女成子内親王。寛保三年親王宣下。安永八年、後桃園天皇の崩御により第六王子師仁親王が践祚(光格天皇)する。寛政三年、光格天皇は典仁親王に太上天皇の尊号宣下を決定するが、これを認めない幕府と対立。追贈は御桜町上皇・鷹司輔平等の周旋により中止となり、典仁親王には一千石が加増された(「尊号一件」)。明治一七年、慶光院および太上天皇の号が追謚された。

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第2回配本 全4巻

刊行年月 2020年12月 揃定価110,000円 (揃本体100,000円) ISBN978-4-8433-5731-6

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第7巻・第8巻 美仁親王実録 全2巻

刊行年月 2020年12月 揃定価55,000円 (揃本体50,000円) ※分売不可 ISBN978-4-8433-5734-7

● 美仁親王〔はるひと・しんのう〕 宝暦七年(一七五六)〜文政元年(一八一八)
典仁親王の第一王子。宝暦一三年親王宣下。王女の貞子女王は田安斉匡室、宣子女王は有栖川宮韶仁親王妃。安永八年、後桃園天皇の崩御により異母弟の師仁親王と伏見宮家の貞敬親王が継嗣候補となる。朝廷内合議の末、師仁親王が儲君となり践祚(光格天皇)するが、両親王はともに未婚であり、継嗣の選考は生後間もない欣子内親王(後桃園天皇唯一の子女)の将来の入内を前提に行われたという。内親王の生母は関白近衛内前の娘であり、美仁親王御息所の妹にあたる。右の関係から美仁親王は早々に継嗣候補を外れた。後年、閑院宮が無嗣となった際に貞敬親王の孫載仁親王が閑院宮を継承する。

四親王家実録 第Ⅳ期 閑院宮実録 第9巻 孝仁親王実録(1)・第10巻 孝仁親王実録(2)/ 愛仁親王実録 全2巻

刊行年月 2020年12月 揃定価55,000円 (揃本体50,000円) ※分売不可 ISBN978-4-8433-5735-4

● 孝仁親王〔たつひと・しんのう〕 寛政四年(一七九二)〜文政七年(一八二四)
美仁親王の第一王子。文化五年親王宣下。文政三年に式部卿となる。妃は鷹司政熙(父は鷹司輔平、祖父は直仁親王)の娘吉子。第三王子教仁法親王は天台座主、第三王女光子女王は田安慶頼(父田安斉匡)室。第二王子愛仁親王が閑院宮を継承する。

● 愛仁親王〔なるひと・しんのう〕 文化一五年(一八一八)〜天保一三年(一八四二)
孝仁親王の第二王子。文政一一年親王宣下。天保一一年、仁孝天皇の第三皇女淑子内親王と婚約するが、婚儀前に薨去。淑子内親王は以後婚約せず、異母弟桂宮節仁親王の後を継いで桂宮一二代目当主となる。無嗣となった閑院宮家は、愛仁親王の実母鷹司吉子が当主格として遇された後、明治五年に伏見宮家から載仁親王を迎え六代目当主とした。

● 載仁親王〔ことひと・しんのう〕 慶応元年(一八六五)〜昭和二〇年(一九四五)
伏見宮邦家親王の第一六王子。明治五年、閑院宮を継承し、第六代当主となる。明治一一年親王宣下。陸軍幼年学校を卒業後、フランスに留学。日清・日露戦争に従軍し、大正元年陸軍大将、同八年に元帥府に列せられる。昭和六年に参謀総長就任。同一五年軍務を退き議定官となる。同二〇年五月に薨去し、国葬が行われた。