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FRANCE-JAPON 全7巻

FRANCE-JAPON 全7巻

[監修] 和田桂子

揃定価215,600円(揃本体196,000円) 
ISBN 978-4-8433-3695-3 C3321
A4判上製/クロス装
刊行年月 2011年10月

関連情報

本書の内容

近代日仏文化交流と満洲の実情を活写する第一級資料

※本書の本文は全てフランス語です。

<全7巻の構成>  ※各巻本体28,000円
●第1巻 FRANCE—JAPON 1 第1号(1934年10月)~第14号(1935年11・12月) 
 ISBN978-4-8433-3696-0 C3321
●第2巻 FRANCE—JAPON 2 第15号(1936年1・2月)~第20号(1937年5・6月) 
 ISBN978-4-8433-3697-7 C3321
●第3巻 FRANCE—JAPON 3 第21号(1937年7・8月)~第24号(1937年12月)   
 ISBN978-4-8433-3698-4 C3321
●第4巻 FRANCE—JAPON 4 第25号(1938年1月)~第30号(1938年6月)   
 ISBN978-4-8433-3699-1 C3321
●第5巻 FRANCE—JAPON 5 第31号(1938年7月)~第36号(1938年12月)   
 ISBN978-4-8433-3700-4 C3321
●第6巻 FRANCE—JAPON 6 第37号(1939年1月)~第42号(1939年6月)   
 ISBN978-4-8433-3701-1 C3321
●第7巻 FRANCE—JAPON 7 第43・44号(1939年7・8月)~第49号(1940年4月)  
 ISBN978-4-8433-3702-8 C3321


監修の言葉          清泉女子大学教授 和田桂子
 このたび日仏文化交流誌『FRANCE-JAPON』全49号を復刻・監修する機会に恵まれた。日本には全号揃っておらず、パリのコレージュ・ド・フランスの協力を得て全号を復刻することができた。10年ほど前に日本人とパリについて調べはじめた頃から気になっていた雑誌である。フランス語で書かれた月刊情報誌で、発行元は日仏同志会。ぱらぱらとめくると、満洲の記事と写真が多いことに気づく。発行所の住所はシャンゼリゼ通り136番地。満鉄パリ事務所の住所だ。創刊は1934年。日本が国際連盟を脱退した翌年である。これは一体何を意味するのか。
 国連脱退後、日本のプロパガンダをどのような形で行うかは日本政府にとっての大きな課題となった。国際連盟総会日本首席全権の松岡洋右は、満鉄パリ特派員だった坂本直道をそのままパリに残らせ、読売新聞社パリ特派員の松尾邦之助を編集長に据え、満鉄の事務所と潤沢な予算をあてて『FRANCE-JAPON』を発行させた。露骨な政治宣伝はかえって不利との判断から、まずは文化面を強調した日仏親善雑誌を目指した。
 目次を見ていただければわかるが、ここには与謝野晶子や萩原朔太郎らの詩、芥川龍之介や菊池寛らの小説が仏訳されているばかりではない。生け花、日本舞踊、日本の経済、そして満洲の資源、鉄道—。多種多様な文化の側面が、写真や図表とともにフランス語で提供された。フランス側執筆者にはポール・クローデルやミシェル・ルヴォンの名も見える。購読者にはアンドレ・ジッドもいた。編集には1938年から『ラ・バタイユ』の著者クロード・ファレルが、そして1939年には小松清が加わった。この奇妙な取り合わせも『FRANCE-JAPON』の魅力のひとつといえよう。
 近年、満鉄の研究とともに、近代日本の対外宣伝や国際交流事業についての研究は進んでいるようだが、『FRANCE-JAPON』についてはほとんど知られていない。このたびの復刻が、日本近代史研究に小さくても重要な貢献をなすことを願う。

◆『FRANCE-JAPON』とは……  
 1934年10月創刊、1940年4月終刊まで全49号(第49号)パリで刊行された、日仏の文化交流を主眼としたフランス語月刊情報誌である。
 読売新聞社パリ特派員の松尾邦之助と、民族史博物館員のアルフレッド・スムラーが責任編集者となり、日仏同志会より刊行された。創刊当時、満鉄パリ特派員であった坂本直道(坂本龍馬の子孫)は、松岡洋右の命により松尾邦之助とともに編集に携わった。発行所・日仏同志会の事務所はパリのシャンゼリゼ通り136番地にあり、満鉄(南満洲鉄道株式会社)の事務所と同じ住所にあったことからも分かるように、満鉄のバックアップの下、フランスの対日認識を編成すべく情報を発信した。政治的宣伝は避けて、日本文化や満洲経済事情の紹介記事、日仏両国の著名人の文章などを中心に編集を行った、日仏文化交流誌である。本誌は1940年、坂本直道が帰国するとともに終刊した。