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東亜時論 全3巻

東亜時論 全3巻

[監修] 有山輝雄 [解題] 加藤祐三 [編集] 髙木宏治

揃定価66,000円(揃本体60,000円) 
ISBN 978-4-8433-3421-8 C3321
A5判上製/函入り
刊行年月 2010年07月

関連情報

本書の内容

★2011年5月4日付「東京新聞」朝刊にて、「デスクの眼」欄に「多彩な執筆陣が中国やアジア情勢を論じた一級資料」と取り上げられました。

★「毎日新聞 2010年11月2日東京夕刊」の「毎日の本棚」にて「東亜時論:東亜同文会の機関誌、全26冊を復刻 加藤祐三・都留文科大学長の話」が掲載されました。

★2010年8月20日(金)付「東奥日報」にて、「東亜時論を完全復刻 東亜同文会 初期の機関誌 羯南研究促進に期待」として記事が掲載されました。

日清戦後の中国をめぐる日本の方策―
民間人、ジャーナリスト、学者等々の多様な論説や考察を掲載。

東亜同文会の機関誌『東亜時論』を復刻。同会は、20世紀前半、中国を中心とした、日本とアジアとの交流・政策の一翼を担った民間団体で、その設立直後の一年間に発行された全26号(全26冊 1898年12月~1899年12月)を収録。東アジア、特に対中国政策や文化交流等にかかわる民間団体の設立当初における活動を伝える雑誌史料であり、陸羯南ほかの未刊論説を多数掲載した希少文献でもある。

 『東亜時論』の内容は、日本の大陸政策や同時代の国際情勢を論評した「東亜時論」、「時論」、「世局概観」等の批評類と、中国や朝鮮等の時事的なニュースを紹介する「海外通信」(中国在住会員からの報告)、「中外時事」等から構成されている。前者の記事をいくつか紹介すれば、日清戦争後における朝鮮政策に対する批判、英露協商の中国に与える影響への意見等、山県内閣時代における民間人の外交議論を窺うことができる。また、後者に関しては、西太后や李鴻章らの動向を報道しており、これにより、戊戌変法から義和団事件へと至る近代中国政治史上の緊迫した流れを追うことができる。また、中国や朝鮮半島各地で発生した事件、例えば、新疆カシュガル地方におけるロシア軍と清国軍との紛争や、北京鉄道におけるイギリス人技師の解雇問題等についての解説が附せられている。こうした情報は、現在の中国においても公開が不十分であり、また、現存の文献から確認することも難しいため、日本外務省、清国の総理各国事務衙門、イギリス外務省等の各史料を解釈する際に有効な補助材料になると思われる。
 さらに、本誌には、国際な経済問題を扱う「通商貿易」の欄、アジアに限らず欧米の情報を速報する「外電日録」などの欄があり、本誌の多様な面をうかがわせる。

【東亜同文会】東亜同文会は、一八九八(明治三十一)年十一月、近衛篤麿が会長であった同文会と、陸羯南、三宅雪嶺、池辺三山らの東亜会との合同によって誕生した。同会の方針は、清国に対する外国の内政干渉を排除して、「支那の保全」を実現することにあった。一九〇一(明治三十四)年、同会は、上海に東亜同文書院を設立し、多くの人材を輩出する。一九四六年(昭和二十一)年三月に解散するまで、東亜同文会の活動は続いた。

【東亜時論】東亜同文会はその方針に基づき、清国の保全、清国の開発、局情の考査、国論の喚起の四大目標を掲げ、その具体的な活動を支える機関誌として発行したのが、本誌『東亜時論』である。『東亜時論』は一八九八年十二月に第一号を発刊後、月に二回のペースで一八九九年十二月まで全二十六号が発刊された。その後、同会の機関誌は『東亜同文会報告』〔一九〇〇(明治三十三)年四月~一九一〇(明治四十三)年六月〕、『東亜同文会支那調査報告書』〔一九一〇(明治四十三)年七月~一九一一(明治四十四)年十二月〕と題名を変えながら継承され、最終的には『支那』〔一九一二(明治四十五)年~一九四五(昭和二十)年一月〕に引き継がれ、太平洋戦争末期まで発行は継続された。

◆監修◆ 有山輝雄  東京経済大学教授
◆解題◆ 加藤祐三  都留文科大学学長 横浜市立大学名誉教授・元学長
◆編集◆ 高木宏治  陸羯南研究会
(※本データはこの書籍の刊行時のものです)

『東亜時論』復刻にあたって   有山輝雄

 雑誌『東亜時論』は、一八九八(明治三一)年一二月から翌一八九九年一二月二五日までの一年間しか続かなかった短命の雑誌である。東亜同文会の機関誌であったが、東亜同文会そのものは、一八九八(明治三一)年一一月二日に設立され、一九四六(昭和二一)年三月に解散するまで四六年も続いたのであるから、『東亜時論』は東亜同文会自体の長い歴史のなかでごく短期だけ機関誌としての役割をはたしただけである。
 しかし、この一九世紀最末期は、近代日本の対外関係、なかんずく対中国関係にとってきわめて重要な時期であった。西欧列強が中国大陸主要地に次々と利権を獲得し、一方では戊戌変法とその失敗による政治混乱という激変に対し、日本は主体的対応策をなかなか見いだすことができなかった。いうまでもなく、こうした東アジアの激変をもたらしのは、日清戦争であったのだが、その時点では戦勝の熱狂と三国干渉への憤慨によって日清戦争が東アジアあるいは日本に何をもたらしたのかははっきり見えていなかったのである。
 こうした状況において東アジア状勢に対して積極的に考究し行動しようとして生まれたのが東亜同文会である。しかし、多彩な人物が結集しただけに、必ずしも一貫した方向を提示できたわけではない。一例をあげれば、創刊号には近衛篤麿の論文とともに康有為、梁啓超の文章を掲載し、康らへの同情を表しているにもかかわらず、第三号には陸羯南が「社交上の日清」を書き、事実上康有為、梁啓超らへの縁切りを宣言している。恐らく羯南の論文は近衛の意向を体していたのであろう。それ以外にも中国認識、中国政策で互いに食い違ったり、一貫性のない記事が掲載されている例はある。むしろ、「支那保全」といったスローガンに掲げながら、その議論にかなり幅があり、また時間の経過とともに揺れ動いていったのが、東亜同文会の特徴と見るべきなのである。
 そして、中国観が揺れ動きあるいは変化していくのは東亜同文会に限らず近代日本の政財界人・知識人一般に見られることであったから、『東亜時論』はその揺れや変化のあり方を考えるうえで絶好の資料となっているのである。
 また『東亜時論』のもう一つの大きな特徴は、中国、朝鮮半島の動向に関する情報の詳細さである。その視野は、欧州列強の東アジア政策にまでおよんでいる。しかも、半月刊という刊行周期からして速報性ももっている。当時、日本の通信社・新聞社の海外情報入手ルートは限られていたから、『東亜時論』の情報収集は他のメディアを上まわっていた。
 雑誌掲載の情報は、海外メディアからの転載も多いが、それだけでなく現地会員からの通信など東亜同文会の組織によって独自に集めた情報が数多い。これら情報は、東亜同文会会員に限らず、多方面の人々の中国認識の基礎になったことは間違いなく、中国認識がいかにして形成されたのか考えるうえで得がたい資料となっているのである。
 一八九九年の『警視庁統計書』から算出すると平均発行部数は三四九六、東京府下一八六六(五三%)、他府県一五七四(四五%)、海外五五(二%)である。無論、官庁統計の数字の信憑性には問題はあるが、政教社の雑誌『日本人』の一回平均部数は約一八〇〇であるから、意外に多いといえる。これら読者層と影響の広がりも今後の研究課題であろう。
現在、日本の中国、朝鮮との関係研究は複層なものとしてとらえることが求められているのだが、『東亜時論』復刻版はその貴重な材料を提供するはずである。

本書の特色

●所蔵機関が極めて少ない、東亜同文会設立直後の一年間の機関誌『東亜時論』(全二十六冊)を復刻。

●日清戦争後の中国やアジアをめぐる情勢と、それに対する日本の方策について、近衛篤麿、梁啓超、陸羯南、池辺三山、内藤湖南、笹森儀助、奥村五百子など民間人、ジャーナリスト、学者らの多様な論説や考察を掲載。

●中国や朝鮮各地の記事、現地会員からの報告や、通商貿易に関する記事、欧米からの外電など、豊富な情報も掲載。

●解題として加藤祐三「東亜時論」(小島麗逸編『戦前の中国時論誌研究』一九七八 所収)を収録。また、原本に忠実な総目次を付す。

東亜時論 第1巻 第1号~第9号

刊行年月 2010年07月 定価22,000円 (本体20,000円) ISBN978-4-8433-3422-5

東亜時論 第2巻 第10号~第18号

刊行年月 2010年07月 定価22,000円 (本体20,000円) ISBN978-4-8433-3423-2

東亜時論 第3巻 第19号~第26号/解題・総目次

刊行年月 2010年07月 定価22,000円 (本体20,000円) ISBN978-4-8433-3424-9