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皇族軍人伝記集成 全16巻

皇族軍人伝記集成 全16巻

[監修・解説] 佐藤元英

C3323
A5判/上製/函入
刊行年月 2010年12月

関連情報

本書の内容

皇族軍人の伝記から見えてくる日本の軍隊の姿。

※刊行を予定しておりました別巻は諸般の事情により刊行中止になりました。申し訳ございません。

【監修のことば】
中央大学教授  佐藤元英
 皇族軍人の伝記を読むことに、どのような意義があるのだろうか。近代日本の陸海軍において、天皇および皇族軍人が重要な役割を演じたことは、誰もが否定しないところであろう。陸海軍は天皇を大元帥と仰ぎ、その天皇に最も近い皇族軍人が補翼体制にあった。それにもかかわらず、皇族と軍の関係についての研究は希薄と言わざるを得ない状況である。その理由は、皇族という特殊な地位によることから関係資料が個人のモノ、いわゆるプライバシーにかかわるとして各宮家に秘匿され、全くと言っていいほど皇族に関する情報が開示されていないことによる。
 しかし、幸いなことに多くの皇族は、非売品としながらも伝記を刊行している。歴史史料としての価値はもちろんのこと、エピソードを含めて、人間味あふれる魅力が伝わってくる。ここに『皇族軍人伝記集成』として体系的に読み取ることによって、過去への臨場感が立体的にいきいきと伝わってくる。『昭和天皇と戦争—皇室の伝統と戦時下の政治・軍事戦略—』を著したウエッツラー氏は、歴史を書くことを、人を裁く行為と混同してはならないと戒め、歴史家の仕事は、「歴史上の人物が実際どうであったか、それ以上にどうありたいと望んでいたか、何よりも、その人自身が自分をどういう人物として想定していたか」をつきとめようとすることであり、検察官や判事の役割をすることではないと述べているが、まさに伝記を通して、その人となりに触れることも面白みがあろう。
 明治六年一月一〇日に徴兵令が公布されると、皇族男子は、同年一二月九日付宮内省通達によって、陸海軍に従事することになった。また、明治一五年一月、軍人勅諭に「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」と規定され、大元帥天皇の軍隊が制度化され、明治二二年二月、大日本帝国憲法とともに発布された皇室典範では、すべての宮家を世襲皇族にした。そして、大元帥の最も信頼できる補佐役として、皇族男子が軍人となる義務が成文化されたのは、明治四三年三月施行の皇族身位令によるが、その第一七条には、「皇太子、皇太孫は満十年に達したる後、陸軍及海軍武官に任ず。親王・王は満十八年に達したる後、特別の事由ある場合を除くの外、陸軍又は海軍の武官に任ず」とある。
 明治の末には、以下の宮家がそろう(創立順)。
伏見宮.(貞愛親王)、有栖川宮(威仁親王)、閑院宮(載仁親王)、山階宮(武彦王)、華頂宮(博忠王)、梨本宮(守正王)、北白川宮(成久王)、久邇宮(邦彦王)、賀陽宮(恒憲王)、東伏見宮(依仁親王)、竹田宮(恒久王)、朝香宮(鳩彦王)、東久邇宮(稔彦王)
 大正二年には天皇の第三皇子光宮が有栖川宮の祭祀を継いで高松宮宣仁親王となり、成人式を機会に、第二皇子淳宮が秩父宮雍仁親王に、第四皇子澄宮が三笠宮崇仁親王になる。
 王政復古以後の戊辰戦争、日清・日露戦争、対独戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争という近代の戦争に、戦う天皇および皇族として関わることとなる。皇族軍人は大東亜戦争終結までに四八名(朝鮮王皇族三名を含む)を数え、そのうち陸軍が二八名、海軍が二〇名であった。また、明治・大正期の陸海軍に直宮は一人もいないが、昭和天皇裕仁には秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王、三笠宮崇仁親王の三人の弟宮がいた。
 明治一九年三月には参謀本部条例が改正され、参謀本部長には皇族が任命されることになり、参謀本部はその下に陸軍部と海軍部を並列させる組織で、日本軍全体の軍令を掌る組織の長(統帥部長)には皇族しか就任できないことになった。明治二一年五月の官制改定で、参謀本部長は参軍という名称になり、また、陸軍部は陸軍参謀本部、海軍部は海軍参謀本部と改称され、その長にはやはり皇族のみが就任した。しかし、この陸海軍双方を掌握する参軍制度は明治二二年三月に廃止され、参謀本部と海軍参謀部(のちに軍令部)の双立となり、参謀総長には有栖川宮熾仁親王が、海軍参謀部長には皇族外の伊藤雋吉少将がそれぞれ就任した。その後、小松宮彰仁親王が参謀総長に就くが明治三〇年代以後皇族の軍令部門の長は途絶えた。
 そして、昭和六年一二月に陸軍が閑院宮載仁親王を参謀総長にすると、昭和七年二月海軍は伏見宮博恭王を担ぎ軍令部長に就任させ、両皇族の対峙によって参謀本部と軍令部の統合が困難となっていた。また、制度上は海軍大臣が上でも、「宮様には絶対服従」で、昭和八年一月、海軍大臣になった大角岑生が伏見宮に挨拶にいくと、「君、こうしたまえ」と、軍令部の制度改正を求めるメモを渡されると、大角は即座に「かしこまりました」という状況であったという。永野修身もまた軍令部総長になる前も、なってからも伏見宮のいいなりになっていたという。政略・戦略に皇族軍人はどのように介在していたのか、興味のわくところである。
 皇族軍人の終焉は終戦とともに訪れる。昭和二〇年八月九日夜から一〇日未明にかけて御前会議が開催され、国体護持のみを条件としてポツダム宣言を受諾することが決定された後、一二日午前、昭和天皇は皇族たちを召集させ、この決断を下した理由を説明し、平和目的の達成のためにと協力を求めた。これに対して梨本宮守正王が代表して、「私ども一同、一致協力して聖旨を補翼します」と奉答した。そこに出席したのは、以下の一三名の皇族である。
 陸軍—梨本宮守正王(元帥、陸軍大将)、朝香宮鳩彦王(陸軍大将、軍事参議官)、東久邇宮稔彦王(陸軍大将、軍事参議官)、賀陽宮恒憲王(陸軍中将、陸大校長)、李王垠(陸軍中将、軍事参議官)、閑院宮春仁王(陸軍少将、戦車第四師団長心得)、竹田宮恒徳王(陸軍中佐、第一総軍参謀)、李鍵公(陸軍中佐、陸大教官)、三笠宮崇仁親王(陸軍少佐、航空総軍参謀)、盛厚王(陸軍少佐、第三十六軍参謀)、邦寿王(陸軍大尉、豊橋第一予備士官学校歩兵生徒隊付)
 海軍—久邇宮朝融王(海軍中将、第二十連合航空隊司令官)、高松宮宣仁親王(海軍大佐、軍令部出仕兼部員)
 〔秩父宮雍仁親王(陸軍少将)、伏見宮博恭王(元帥、海軍大将)、朝香宮孚彦王(陸軍中佐、岐阜飛行師団参謀)の三名は病気療養中などの理由により欠席〕
 これまでは、国際関係における天皇と皇族の活動、いわゆる「皇室外交」については多くの研究成果がある。しかし、日本の近代戦争における天皇と皇族の役割については、それほど研究の対象とされてこなかった観がある。そこで、この『皇族軍人伝記集成』が刊行されることによって、皇族がいかに軍事に携わってきたか、その〃姿〃を知る有用な史料となりえるであろう。




『皇族軍人伝記集成』の収録基準について   

収録にあたっては以下の基準を満たす伝記(自伝・回想録を含む)のみを精選しました。

1●伝記の人物とほぼ同時代に書かれたもの
であること。同時代に書かれた伝記がない場合は、やむなく、戦後に書かれたものから選択したものもあります。

2●できる限り全生涯を逐うことができる伝
記を収録(ただし伝記を補足する文献を収録した巻もあります)。

3●非売品であったり、絶版などで入手困難
な稀覯本を厳選し、現在流通している伝記は割愛しました。

皇族軍人伝記集成 第1回 全8巻

刊行年月 2010年12月 揃定価216,700円 (揃本体197,000円) ISBN978-4-8433-3551-2 C3323

皇族軍人伝記集成 第1巻 有栖川宮熾仁親王(上) 熾仁親王行実 巻上(高松宮蔵版 1929年)

刊行年月 2010年12月 定価24,200円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-3553-6

有栖川宮熾仁親王〔ありすがわのみや・たるひと・しんのう〕
天保六年(一八三五)〜明治二八年(一八九五) 有栖川宮第九代。幼名を歓宮。嘉永二年(一八四九)に親王宣下。皇女和宮の婚約者であったが、将軍・家茂への降嫁問題が起き沙汰止みとなる。幕末、国事に奔走し、禁門の変では孝明天皇から謹慎を命じられるが、王政復古で新政府の総裁に就き、戊辰戦争では東征大総督となる。明治天皇の信任厚く、元老院議長を務め、西南戦争では征討総督、西郷隆盛に次ぎ陸軍大将となる。左大臣も務め、明治一五年のロシア皇帝即位式に参列し、ヨーロッパを歴訪。近衛都督兼任で参謀総長に就き、日清戦争では陸海軍の総参謀長として広島大本営に出陣するが、腸チフスに罹り、神戸にて療養中に薨去。

■『熾仁親王行実』巻上・巻下(高松宮蔵版・一九二九年)本書は、「有栖川宮全伝」の一環として同宮家の祭祀を継いだ高松宮家が昭和四年に編修したものである。同名の伝記は明治三一年に一五冊の和装本として完成されているが、これは考証を旨とした資料集成であり、通読には向かない。そこで改めて前記の趣旨に即して編修された。薨去から日の浅い時期の伝記では遠慮された事実も本書には記載され、資料的価値にも定評のある伝記である。

皇族軍人伝記集成 第2巻 有栖川宮熾仁親王(下) 熾仁親王行実 巻下(高松宮蔵版 1929年)

刊行年月 2010年12月 定価26,400円 (本体24,000円) ISBN978-4-8433-3554-3

皇族軍人伝記集成 第3巻 北白川宮能久親王 北白川宮能久親王御事蹟(台湾教育会著・刊 1937年) 北白川宮御征台始末(吉野利喜馬著・刊 1923年・私家版)

刊行年月 2010年12月 定価24,200円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-3555-0

北白川宮能久親王〔きたしらかわのみや・よしひさ・しんのう〕
弘化四年(一八四七)〜明治二八年(一八九五) 伏見宮邦家親王第九王子、幼名満宮。安政五年に仁孝天皇猶子となり親王宣下、諱は能久。得度し法諱は公現。慶応三年に上野寛永寺門跡・輪王寺宮を継ぐ。戊辰戦争に際しては幕府方に奉ぜられ、上野戦争では彰義隊が擁立。幕府軍の敗走とともに東北へ逃れ、奥羽越列藩同盟の盟主にも仰がれた。維新成立後、京都蟄居を命じられ、処分が解けた後、復飾し伏見宮家に復帰、明治三年から一〇年までプロイセン留学。留学中に北白川宮家相続。日清戦争では近衛師団長として出征。講和後、新領土となった台湾にも出征し、マラリアに罹り現地で薨去。没後に陸軍大将。戦前、台湾各地の神社に祀られる。

■『北白川宮能久親王御事蹟』(台湾教育会著・刊、一九三七年)/『北白川宮御征台始末』(吉野利喜馬著・私家版・一九二三年)幕末から数奇な運命を辿り、台湾で陣没した能久親王は、その悲劇性から「近代の日本武尊」とも称され、このため伝記も数種刊行されている。森◆外執筆の『能久親王御事蹟』が特に知られるが、ここでは先行する文献を踏襲し、地の利を活かして台湾での事蹟を詳細に調べた本書を収録。なお、親王の通訳官として当時同行した吉野利喜馬が台湾上陸から陣没までを詳細に綴った手記も併録した。

皇族軍人伝記集成 第4巻 伏見宮貞愛親王 貞愛親王事蹟(伏見宮家蔵版 1931年) 貞愛親王逸話(伏見宮家蔵版 1931年)

刊行年月 2010年12月 定価30,800円 (本体28,000円) ISBN978-4-8433-3556-7

伏見宮貞愛親王〔ふしみのみや・さだなる・しんのう〕
安政五年(一八五八)〜大正一二年(一九二三) 伏見宮邦家親王第一四王子、幼名敦宮。万延元年に妙法院門跡になるが、伏見宮家相続のため、復飾し、親王宣下、諱を貞愛。伏見宮を一旦、父に譲った後、明治五年に再度相続する。明治六年陸軍幼年学校入学、八年に陸軍士官学校入学。西南戦争に従軍。日清戦争では部隊を率いて出征、その後の台湾平定にも赴く。また日露戦争にも出征する。明治二九年、ロシア皇帝戴冠式に天皇名代として参列。大日本武徳会をはじめとする各種総裁や日英博覧会名誉総裁など名誉総裁、名誉会員を多く務め、内大臣府出仕(実質的には内大臣)にもなる。元帥陸軍大将

皇族軍人伝記集成 第5巻 久邇宮邦彦王 邦彦王行実(久邇宮蔵版 1939年)

刊行年月 2010年12月 定価26,400円 (本体24,000円) ISBN978-4-8433-3557-4

久邇宮邦彦王〔くにのみや・くによし・おう〕
明治六年(一八七三)〜昭和四年(一九二九) 久邇宮朝彦親王第三王子。明治二四年父宮薨去に伴い、久邇宮家を相続。日露戦争に従軍。功四級金鵄勲章を受章する。聯隊長、師団長を歴任し、軍事参議官となる。陸軍大将、薨去後に元帥を賜る。なお、邦彦王の第一皇女・良子女王は、昭和天皇の皇后(香淳皇后)であり、その婚約時代に母方の島津氏に色神異常の疑いがあるとして、元老の山県有朋が皇太子妃に不適であると主張した「宮中某重大事件」の当事者のひとりでもある。

■『邦彦王行実』(久邇宮蔵版・一九三九年)久邇宮家編纂の伝記。徳富蘇峰が監修に当る。その経緯については末尾の蘇峰「謹述」の「欄外余言」に詳しい。そこでは先代の朝彦親王から説き起こされ、久邇宮家と天皇家との微妙な関係が暗にほのめかされているようである。皇太子妃内定をめぐる「宮中某重大事件」には直接触れないが、その内定から御成婚までの記述は間接資料として貴重である。また伏見宮貞愛親王とともに大正期の皇族軍人の典型的姿も本書から描かれる。

皇族軍人伝記集成 第6巻 有栖川宮威仁親王(上) 威仁親王行実 巻上・巻下・別巻(高松宮蔵版 巻上・下 1926年 別巻 1940年)

刊行年月 2010年12月 定価38,500円 (本体35,000円) ISBN978-4-8433-3558-1

有栖川宮威仁親王〔ありすがわのみや・たけひと・しんのう〕
文久二年(一八六二)〜大正二年(一九一三) 有栖川宮幟仁親王第四王子。幼名稠宮。はじめ宮門跡となる予定が明治維新によって、取りやめ。明治天皇より海軍軍人となるように命じられ、明治七年海軍兵学寮に入学。明治一一年、後継のいない兄・熾仁親王の希望で有栖川宮家の後継者として親王宣下。翌年英軍艦に乗り組み水兵とともに甲板任務に一年間就く。明治一二年から二年余、英グリニッチ海軍大学に留学。帰国後、千代田、高雄の艦長を勤め、常備艦隊司令長官。明治三七年に海軍大将に昇進し、薨去後に元帥。

■『威仁親王行実』巻上・巻下・別巻(高松宮蔵版・一九二六年・一九四〇年)薨去直後から伝記編纂が計画されながら宮家絶家のため長く中絶。有栖川宮家祭祀を継いだ高松宮家が編纂。「一般世人をして、我が親王の事績を知悉せしめむがため」「通俗易解の書を供せむ」目的から編纂。以後続く「有栖川宮全伝」の最初の行実。早くから欧米を訪れ、海外事情に明るく、大津事件にはロシア皇太子の接伴として遭遇。現場の緊迫する状況からその後の経過が詳細に綴られ、史実を伝える資料としても貴重。別巻に「威仁親王妃慰子略歴」を収める。


皇族軍人伝記集成 第7巻 有栖川宮威仁親王(下) 有栖川宮 全(帝国軍人教育会編・刊 1913年)

刊行年月 2010年12月 定価15,400円 (本体14,000円) ISBN978-4-8433-3559-8

■『有栖川宮 全』(帝国軍人教育会編・刊、一九一三年)談話調の語り口で読みやすく、薨去から葬儀までの状況が詳細に明かされ、またありし日の姿がエピソードで綴られる。その輔導的立場にあったため大正天皇に慕われた様子など、皇族軍人の模範的「御英姿」を描くところに力点が置かれた内容。

皇族軍人伝記集成 第8巻 東伏見宮依仁親王 依仁親王(東伏見宮蔵版 1927年) 故依仁親王と仏国海軍兵学校(東伏見宮家編・刊 〔1929年〕)

刊行年月 2010年12月 定価30,800円 (本体28,000円) ISBN978-4-8433-3560-4

東伏見宮依仁親王〔ひがしふしみのみや・よりひと・しんのう〕
慶応三年(一八六七)〜大正一一年(一九二二) 伏見宮邦家親王第一七王子。幼名定宮。はじめ長兄・山階宮晃親王の養子。英国留学後、明治一八年に小松宮継嗣となり、翌年、親王宣下。依仁と諱を改める。明治二〇年から三年間、仏国海軍兵学校に学ぶ。帰朝後、海軍少尉。明治三六年、小松宮薨去後、新たに東伏見宮家創立。横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任し、海軍大将。英ジョージ五世国王戴冠式に参列。大正一一年の薨去後、元帥。なお、秘話として明治一八年、日本を訪れたハワイ・カラカウア国王がアメリカの圧迫に対抗する手立ての一つに自分の姪と依仁親王の婚姻を日本側に提案したというものがある。

■『依仁親王』(東伏見宮蔵版・一九二七年)/『故依仁親王と仏国海軍兵学校』(東伏見宮家編・刊、〔一九二九年〕)親王妃より親王の生前、側近として奉仕していた海軍軍人に「親王事蹟の記述」が求められ編纂を開始。『此一戦』で有名な水野広徳に編集を嘱託するも、関東大震災で一時頓挫。態勢を立て直し昭和二年に完成。皇族軍人が軍務への精励とともに、当時の外交の重要要素である外国皇室との「社交」にも献身が求められていた様子が判読できる。また乗員だった軍艦浪速がアメリカのハワイ併合時に派遣された際の記述も興味深い。日仏海軍の隠れた親善交流を伝える『依仁親王と仏国海軍兵学校』も併録。

皇族軍人伝記集成 第2回 全8巻

刊行年月 2012年02月 揃定価201,300円 (揃本体183,000円) ISBN978-4-8433-3552-9

皇族軍人伝記集成 第9巻 閑院宮載仁親王・閑院宮春仁王(上) 私の自叙伝(閑院純仁著 1966年)

刊行年月 2012年02月 定価29,700円 (本体27,000円) ISBN978-4-8433-3561-1

閑院宮載仁親王〔かんいんのみや・ことひと・しんのう〕
慶応元年(一八六五)〜昭和二〇年(一九四五) 伏見宮邦家親王の第十六王子で幼名は易宮。明治五年(一八七二)に閑院宮家を再興し、仏国の士官学校、陸軍大学校に留学。日清、日露の戦役に従軍。最前線にも立ち武功を立てる。昭和六年(一九三一)、海軍の博恭王軍令部長に対抗する目的で参謀総長に置かれる。敗戦直前の五月に薨去。翌月に明治体制下、最後の国葬で送られる。最終階級は元帥、陸軍大将。

閑院宮春仁王〔かんいんのみや・はるひと・おう〕
明治三五年(一九〇二)〜昭和六三年(一九八八) 閑院宮載仁親王の第二皇子。大正十三年(一九二四)に陸軍士官学校卒業後、近衛騎兵聯隊に属し、終戦直前に少将昇進。終戦直後、南方総軍に降伏の聖旨伝達を行う。戦後の皇籍離脱後は名を「純仁」と改め、会社経営や社会活動に携わる。最終階級は陸軍少将。

■『私の自叙伝』(閑院純仁著・人物往来社・一九六六年)「ただ在りし日の陸軍の真実を明らかにし、かつ皇族の真姿を伝える意味において、多少なりとも役立つところがあれば望外の幸である。」と、「自序」で述べるとおり、皇族として生まれ、陸軍に奉職した前半生から皇族を離れ戦後社会に順応してゆくまでを述べる。閑院宮家創立に係る故事から説き起こし、父・載仁親王の事績を語り、近代日本の男子皇族の既定路線である軍人としての履歴を、自ら批評を加えながら描く。また、敗戦前後から急に訪れる数々の苦難に、著者が立ち向かう様も綴られる。


皇族軍人伝記集成 第10巻 閑院宮載仁親王・閑院宮春仁王(下) 日本史上の秘録(閑院純仁著 1967年)

刊行年月 2012年02月 定価26,400円 (本体24,000円) ISBN978-4-8433-3562-8

■『日本史上の秘録』(閑院純仁著・日本民主協会・一九六七年)『私の自叙伝』の姉妹編に当たる著作。前著では自らの体験を主としたものであるのに対し、本書は、旧皇族の体験に根ざしながら、戦前の皇室について、旧陸軍についてを回顧しつつ自らの皇室観と陸軍への考えを披瀝する。そしてこれを基にして今後の日本のあり方と皇室の将来について展望する。

皇族軍人伝記集成 第11巻 東久邇宮稔彦王 東久邇日記 日本激動期の秘録(東久邇稔彦著 1968年) やんちゃ孤独(東久邇稔彦著 1955年)

刊行年月 2012年02月 定価20,900円 (本体19,000円) ISBN978-4-8433-3563-5

東久邇宮稔彦王〔ひがしくにのみや・なるひこ・おう〕
明治二〇年(一八八七)〜平成二年(一九九〇) 久邇宮朝彦親王の第九王子。明治三九年(一九〇六)に東久邇宮家を創立。大正九年(一九二〇)にフランスに留学し、多くの著名人と交流する。大正一五年に帰国後、軍の要職を歴任し、日米開戦後は防衛総司令官を務める。終戦に臨んで皇族として、事態収拾が期待され組閣。皇籍離脱後は「ひがしくに教」を興すなど物議を醸す。百二歳の高齢で逝去。最終階級は、陸軍大将。

■『東久邇日記 日本激動期の秘録』(東久邇稔彦著・徳間書店・一九六八年)本書は、日米開戦の年の正月から敗戦の年の十月までの日記を刊行したものである。刻々と迫る対米戦争にどのように対応するか。その回避を模索する朝野の人々、開戦後の和平を模索しつつ戦局の悪化に深く憂慮する指導層の動向が浮き彫りとなる。敗戦前夜の日本の命運に心痛する姿を描き、敗戦直後の組閣の模様や占領軍との渉外などの記述も興味深く、皇族軍人資料にとどまらない、近現代史資料として定評のある日記の復刻。

■『やんちゃ孤独』(東久邇稔彦著・読売新聞社・一九五五年)洒脱な語り口でユーモアを交えて自らの半生を語る。子供時代の田舎や学習院でのやんちゃな思い出から陸軍幼年学校から始まる軍人としての窮屈な生活、七年に及ぶパリ留学でクレマンソーから聞いた「日米戦争論」など、貴重な体験が平易な口調で語られるが、その底に常にある皇族としての「孤独」の宿命が伝わる。『東久邇日記』で述べられる昭和の戦争時代のことも語られるが、明治天皇、大正天皇に関する皇族という立場からの思い出話も資料的に興味深い。

皇族軍人伝記集成 第12巻 秩父宮雍仁親王(上) 秩父宮雍仁親王(鈴木昌鑑監修、芦澤紀之編 1970年)

刊行年月 2012年02月 定価38,500円 (本体35,000円) ISBN978-4-8433-3564-2

秩父宮雍仁親王〔ちちぶのみや・やすひと・しんのう〕
明治三五年(一九〇二)〜昭和二八年(一九五三) 大正天皇の第二皇子で幼名は淳宮。昭和天皇に次ぐ皇子であり、成年式に際して秩父宮家を創立。親王妃は旧会津藩主家の松平恒雄の長女勢津子。英国オックスフォード大学に留学。二・二六事件の関係者と交流があり、その関与も取り沙汰される。昭和一五年に結核を発病。以後、療養生活に入る。戦後は積極的に自らの文章を発表し、「スポーツの宮様」としても親しまれる。最終階級は、陸軍少将。

■『秩父宮雍仁親王』(鈴木昌鑑監修・芦澤紀之編纂・秩父宮を偲ぶ会・一九七〇年)本書編纂の中心である芦澤紀之があとがきで「本書が、日本近代史研究の資料として、後世にも役立つことを願い、謹んで、秩父宮殿下の御冥福をお祈り申し上げて、擱筆する。」と述べるように、五年余りの独自調査に基づき、幼少時から薨去までを巨細に描く。特に秩父宮と二・二六事件への関わりを綿密な調査によって否定するなど、厳格な筆致を貫いている。生涯の最後を描いた後、「秩父宮御健在なりせば」の感慨を石原莞爾に託して記し、「秩父宮とスポーツ」の章も置く。実証を旨としながら秩父宮への愛惜の念も溢れる伝記。


皇族軍人伝記集成 第13巻 秩父宮雍仁親王(下) 我等の秩父宮殿下(姫野寅之助著 1928年)

刊行年月 2012年02月 定価14,300円 (本体13,000円) ISBN978-4-8433-3565-9

■『我等の秩父宮殿下』(姫野寅之助著・大日本皇道会・一九二八年)勢津子妃との婚約決定後にそれを奉祝して刊行された数種の書籍のひとつであるが、「東京大阪の諸新聞、大小の雑誌、単行本等、事苟くも殿下に関しまつるものは、悉くこれを挙げて読破し、以て本書の材料とした。」と、著者が述べ、二次的文献を総合したものであるが、皇室をめぐる当時の気運を証言する文献。その後の昭和の戦争期とは異なる皇室への国民的雰囲気を伝える。

皇族軍人伝記集成 第14巻 賀陽宮恒憲王・北白川宮永久王 賀陽宮殿下御在隊間の御盛徳(騎兵第三聯隊 1933年) 北白川宮永久王殿下(中島武編 1942年)

刊行年月 2012年02月 定価14,300円 (本体13,000円) ISBN978-4-8433-3566-6

賀陽宮恒憲王〔かやのみや・つねのり・おう〕
明治三三年(一九〇〇)〜昭和五三年(一九七八) 賀陽宮邦憲王の第一王子。大正九年(一九二〇)に陸軍士官学校卒業後、騎兵科将校として騎兵第三聯隊などに勤務する。陸軍大学校卒業後には参謀本部付、陸大教官などを経て、日米開戦後、中将に昇進し、終戦時は陸軍大学校校長。その後、御歌所所長に就く。皇籍離脱後は、民間会社の名誉職などにも就く。最終階級は、陸軍中将。

■『賀陽宮殿下御在隊間の御盛徳』(騎兵第三聯隊・一九三三年)賀陽宮恒憲王は、名古屋に本拠を置く第三騎兵聯隊に大正一五(一九二六)年七月から昭和三(一九二八)年七月まで、主に第一中隊長として勤務した。その恒憲王の在隊中の思い出を聯隊長以下が語ったもの。小冊子ながら、まだゆとりのある昭和初期の皇族軍人の地方勤務の姿を同じ部隊で接した人々の逸話から彷彿とさせる歴史資料。

北白川宮永久王〔きたしらかわのみや・ながひさ・おう〕
明治四三年(一九一〇)〜昭和一五年(一九四〇) 北白川宮成久王の第一王子。成久王が留学先のフランスで事故死したため、大正一二年(一九二三)に宮家を継ぐ。昭和六年(一九三一)に陸軍士官学校を卒業。砲兵科将校となり、昭和十五年に駐蒙軍参謀として赴任、張家口で演習中に事故死。北白川宮は三代にわたり当主が非業の死を遂げたため、「悲劇の宮家」と呼ばれる。最終階級は陸軍少佐。

■『北白川宮永久王殿下』(中島武編・清水書房・一九四二年)演習中の事故で不遇の死を遂げた北白川宮永久王の生涯を平易な読み物風にまとめる。「本書を全国民特に青少年諸君が挙つて拝読して、御高徳を追慕し奉ると共に、自己の修養錬成の鑑とせられんことを切望して止まないのであります。」と、序で文部大臣橋田邦彦が述べるとおり、戦時下を反映し、永久王の生涯とその「戦死」を国民教化の模範とし、「三代に亘り一すぢ道」の「君国」に献身した北白川宮家を代表する軍人として描く。

皇族軍人伝記集成 第15巻 伏見宮博恭王 博恭王殿下を偲び奉りて(御伝記編纂会 1948年)

刊行年月 2012年02月 定価26,400円 (本体24,000円) ISBN978-4-8433-3567-3

伏見宮博恭王〔ふしみのみや・ひろやす・おう〕
明治八年(一八七五)〜昭和二一年(一九四六) 伏見宮貞愛親王の第一王子。愛賢と命名される。当初、華頂宮家を継ぐ予定であったが、伏見宮家を継ぐ。日露戦争に従軍し負傷もする。皇族としては海上勤務も多く、軍令部長(後に総長)在任時には軍令部の権限強化に努める。海軍内で大きな影響力を持ち、総長退任後は海軍主要人事について、その諒解が慣行となったといわれる。最終階級は、元帥、海軍大将。

■『博恭王殿下を偲び奉りて』(御伝記編纂会編・刊、一九四八年)伏見宮博恭王は、日本海軍の創成期に海軍軍人としてキャリアを歩み始め、その興隆を共にしながら大正昭和に海軍の長老として要職を占めた。しかし、その薨去が昭和の敗戦直後であったため、本書はその生涯を海軍の終焉と共に回顧する皮肉な傾きをも併せ持つ伝記である。海軍にゆかりの深い「伏見、華頂両宮家」の「中心的存在であらせられた博恭王殿下」を描くことから皇族軍人と海軍の関係も明らかにする重要資料。

皇族軍人伝記集成 第16巻 高松宮宣仁親王 高松宮宣仁親王(「高松宮宣仁親王」伝記刊行委員会編 1991年)

刊行年月 2012年02月 定価30,800円 (本体28,000円) ISBN978-4-8433-3568-0

高松宮宣仁親王〔たかまつのみや・のぶひと・しんのう〕
明治三八年(一九〇五)〜昭和六二年(一九八七) 大正天皇の第三皇子で幼名は光宮。幼時には兄宮ふたり(昭和天皇と秩父宮)とともに養育される。大正二年(一九一三)に有栖川宮家の祭祀を継承するかたちで高松宮家を創設。親王妃は徳川慶久(慶喜七男で公爵)の二女・徳川喜久子。日米開戦後、早くから和平を模索し、反東條勢力とも接触する。戦後の占領期は直宮として兄の天皇を支え、後に福祉事業、文化、スポーツ振興にも尽力する。最終階級は、海軍大佐。

■『高松宮宣仁親王』(「高松宮宣仁親王」伝記刊行委員会編・朝日新聞社・一九九一年)「あとがき」に高松宮の薨去の四ヶ月後、「高松宮と深く関わりのあった方々を委員として発足」とあり、元侯爵・細川護貞や高松宮家関係者、朝日新聞皇室担当記者らがあたり、昭和天皇崩御のため、一時中断しながら、三年有余を経て、刊行する。「喜久子妃殿下のご好意により披見を許された門外不出の「お側日誌」、「武官日誌」、戦後の日々の動静を中心とした「日誌」などを基に、年譜にしたがって記述を進めた」正伝といえる伝記。特に戦時下から戦後にかけての記述は今後の近現代史研究においても大きく寄与する基本資料である。

皇族軍人伝記集成 第3回配本 全1巻 別巻 解説・参考資料

定価24,200円 (本体22,000円) ISBN978-4-8433-3791-2

※刊行中止 2019.9