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四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第2巻 智忠親王実録/穏仁親王実録/長仁親王実録/尚仁親王実録/作宮

四親王家実録 第Ⅱ期 桂宮実録 第2巻 智忠親王実録/穏仁親王実録/長仁親王実録/尚仁親王実録/作宮

定価27,500円(本体25,000円) 
ISBN 978-4-8433-5106-2
刊行年月 2016年10月

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本書の内容

● 智忠親王〔としただ・しんのう〕元和五(一六一九)年〜寛文二(一六六二)年
八条宮智仁親王の第一王子。母は丹後宮津藩主京極高知の娘常子。実弟に広幡忠幸(広幡家初代)。妃は加賀藩主前田利常の娘富子。幼称は多古麿。寛永元(一六二四)年七月、後水尾天皇の猶子となり、同三年一二月に親王宣下。同六年二月中務卿に任ぜられる。同年四月、父智仁親王の薨去により八条宮を継承する。同九年、将軍代替挨拶のため江戸に下向。同一一年、家光を二条城に迎えた際には、高松宮好仁親王(後陽成天皇皇子・有栖川宮初代)に次ぐ座順となる。正保二(一六四五)年二月より、父が造営した桂別業の増築に努め、和歌や能、幸若舞、蹴鞠の会を度々催した。男子はなく、承応三(一六五四)年、穏仁親王(後水尾天皇の第一〇皇子)を養子に迎え継嗣とした。
● 穏仁親王〔やすひと・しんのう〕寛永二〇(一六四三)年〜寛文五(一六六五)年
後水尾天皇の第一〇皇子。母は左大臣櫛笥隆致の娘藤原隆子。幼称は阿古麿。正保四(一六四七)年八月、青蓮院宮尊純法親王の附弟とされる。承応二年(一六五三)、尊純法親王が逝去したため、翌三年、継嗣のない八条宮智忠親王の養子となる。明暦元(一六五五)年一〇月に親王宣下、式部卿に任ぜられる。寛文二(一六六二)年、智忠親王の薨去により八条宮を継承。同五年三月、徳川家康の五十回忌法会(日光山)へ赴く途次、桑名で発病。帰京するが同年一〇月三日薨去。
● 長仁親王〔おさひと・しんのう〕明暦元(一六五五)年〜延宝三(一六七五)年
後西天皇の第一皇子。母は明子女王(高松宮好仁親王の王女)。異母弟に有栖川宮幸仁親王、八条宮尚仁親王。幼称は阿茶麿。寛文六(一六六六)年一二月、前年に急逝した八条宮穏仁親王の継嗣となる。同八年、幕府より旧領安堵を受け、翌九年二月に親王宣下、同年一一月中務卿に任ぜられる。延宝三年六月薨去。
● 尚仁親王〔なおひと・しんのう〕寛文一一(一六七一)年〜元禄二(一六八九)年
後西天皇の第八皇子。母は摂津国光源寺の僧智秀の娘藤原定子。幼称は員宮。延宝三(一六七五)年六月、異母兄八条宮長仁親王の遺言により、同年八月、八条宮を継承する。同年一一月、京都大火により宮邸が類焼。翌四年、幕府より宮邸の造営料として二千両が献じられる。貞享元(一六八四)年一一月に親王宣下。同三年、弾正尹に任ぜられる。元禄二年八月六日、腹痛を訴え直後に急逝。親王の侍読を務めた儒者栗山潜峰(後水戸藩士)は、その死を悼み「尚仁親王行状」を著している。
● 作宮〔さくのみや〕元禄二(一六八九)年〜元禄五(一六九二)年
霊元天皇の第一〇皇子。母は権大納言五条為庸の娘菅原経子。幼称は正宮(まさのみや)、元禄四年に作宮と改称。元禄二年七月、大覚寺宮性真法親王の附弟とされるが、同年一〇月、霊元天皇の命により八条宮尚仁親王の継嗣となる。同年一二月七日、新たに常磐井宮の宮号を賜るが、当主として宮邸に入ることなく、元禄五年四月二三日薨去。