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『少年倶楽部・少年クラブ』総目次 全3巻

【オンデマンド版】書誌書目シリーズ84
『少年倶楽部・少年クラブ』総目次 全3巻

[監修・解説] 黒古一夫

揃定価123,750円(揃本体112,500円) 
ISBN 978-4-8433-4156-8 C3300
A5判/上製
刊行年月 2013年04月

本書の内容

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創刊号から終刊まで、全611冊の目次を網羅!1914(大正3)年11月創刊、1962(昭和37)年12月まで、大日本雄弁会講談社、講談社によって発行された月刊少年雑誌『少年倶楽部』『少年クラブ』の総目次。執筆者索引と解説を付す。

【本書の特色】
●近代日本における少年雑誌の中心的存在であった『少年倶楽部』の総目次であり、少年児童文学の発展の道程を見ることができる。
●48年2ヶ月、全611冊の全貌を示し、大正、昭和戦前・戦中・戦後期を通して、雑誌メディアとしての成長、変遷をたどることができる。
●一般的な図書館や機関には所蔵されていない号についても、鋭意調査した。
●解説を付す。
●執筆者索引を付すことで、少年児童文学ばかりでなく、執筆している広範な作家の活動が把握でき、また寄稿している政治家や軍人など多様な人物を検索できる。


■『少年倶楽部』『少年クラブ』について 
日本近代の少年雑誌の中心的存在であり、高垣眸、吉川英治、大仏次郎、佐藤紅緑、佐々木邦、江戸川乱歩などが、多くの少年児童文学の傑作を連載し、1930年代には100万部の発行部数を誇った。また、多くの挿絵画家が活躍するとともに、田河水泡などの漫画家も育てた。さらに、多数の文学者をはじめ政治家・軍人などの作品・論説もあるほか、付録や別冊、懸賞なども多く、雑誌メディアとしてさまざまな側面を持っていた。なお、1946(昭和21)年4月、『少年クラブ』と改題し、戦後も継続して刊行されたが、漫画雑誌の台頭により、1962(昭和37)年12月に読物雑誌としての歴史を終えた。

『少年倶楽部』・『少年クラブ』の歩み   黒古一夫 筑波大学大学院教授

 日露戦争から明治末を挟み第一次世界大戦にかけて資本主義が発展・成熟し、それに伴って「児童向け雑誌」が相次いで創刊され隆盛を極めるようになった。この事実は、別な言い方をすれば、一つは欧米並みの「国民皆教育」が実現したことの現れを意味すると同時に、もう一方では資本主義体制が整備されるにつれて、それまでこの国では存在しなかった「労働者階級」が生まれ、その労働者の子女が「児童向け雑誌」の読者になったということも意味していたということである。農民や労働者の子女を主な読者対象とする雑誌が相次いで創刊されるようになったということは、すなわち遅れて出発した日本の「近代」が順調に進化=深化しつつあったということに他ならなかった。この時代、本や雑誌を読む人が子供もふくめて急激に増えてきたのである。文化の「大衆化」現象が起こっていた、と言っていいかも知れない。一九二一(大正一〇)年に編集長となった加藤謙一の回想『少年倶楽部時代—編集長の回想』によれば、『少年倶楽部』の創刊時部数は三万部で、加藤が編集長になって八万部(大正十一年)、一二万部(同十二年)、三〇万部(同十三年)と増え続けたという。これは、明らかに「大正デモクラシー」の進展と軌を一にしていた。
 ところで、『赤い鳥』や『金の船』(後『金の星』)がそうであったように、『少年倶楽部』も当時活躍していた多くの文学者を執筆者として迎え入れることで、「大衆的」とは言え文学雑誌としての体裁を整えていた。土田杏村、桜井忠温、谷崎精二、小川未明、秋田雨雀、与謝野晶子、沖野岩三郎、宇野浩二、佐藤春夫、大町桂月、高垣眸、三木露風、西条八十、野口雨情、島木赤彦、中条(宮本)百合子、山村暮鳥、岡本綺堂、室生犀星、堺利彦、尾崎士郎、金子光晴、吉川英治、直木三十五、サトウハチロー、中河与一、萩原恭次郎、佐藤紅緑、大仏次郎、島崎藤村、菊池寛、竹下夢二、川端康成、久米正雄、山中峯太郎、江戸川乱歩、武者小路実篤、子母沢寛、小牧近江、南洋一郎、井伏鱒二、獅子文六、山川惣治、等々の作家・詩人たちが『少年倶楽部』に登場し、雑誌の発展に大いに寄与した。
 また、「漫画」のページを増やすことで、江戸時代以来の絵双紙の伝統を引き継ぎ、読者の幅を広げていったことも特筆に値するだろう。田河水泡の「のらくろ」シリーズ、あるいは島田啓三の「冒険ダン吉」は、読者の人気を博し、「漫画」という表現の市民権獲得に大いに寄与した、と言える。この漫画に関して言えば、戦後になると『少年クラブ』や『少女クラブ』は、本格的な漫画雑誌『少年』や『冒険王』などに取って代わられ、一九五九(昭和三四)年三月の『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』の登場によって、子供文化の様相ががらりと変わったことを思いしらされることになる。「読物」よりも「漫画」が珍重される時代になったのである。
 多くの人気作家を抱え、順調に発行部数も増加させてきた『少年倶楽部』であったが、日中戦争(日支事変 一九三七年七月)の頃はまだしも、太平洋戦争が開始された一九四一(昭和一六)年になると、ページ数も二〇〇ページ余りと最盛期の半分ほどになり、その反面で一挙に「少国民・軍国少年」養成のための雑誌と化すようになる。敗戦まで『少年倶楽部』の大半は、「戦争」や「軍隊」に関する記事で埋められていた。
 このように『少年倶楽部』の変遷を足早に見ただけでも明確になるのは、「大衆化」したメディアは多くの国民(児童)に対して知的啓蒙活動を行うと同時に、「体制・権力」の意図を代弁する格好の宣伝媒体の役割を果たす、ということである。このことを別な角度から言えば、メディアの「大衆化」は「体制・権力」に媚びることによって実現し、マスコミ・ジャーナリズムが本来的に内在させているはずの「反権力」とは全く無縁であることによって、その存在意義を見出すということである。
 そのような考えに立てば、『少年倶楽部』が日中戦争から太平洋戦争にかけて多くの雑誌が休刊や廃刊に追い込まれていくのを尻目に、ページ数こそ六〇ページそこそこから三〇ページ程になったが、戦時下から戦後へ切れ目なく発行することができた意味も、自ずから判明するだろう。戦後に誌名こそ『少年クラブ』となったが、創刊から廃刊になる一九六二(昭和三七)年一二月まで、関東大震災で一度、敗戦後の紙不足時代に一度休刊を余儀なくされた以外、『少年倶楽部』は臨時増刊号を含めて四八年間で全六一一冊、見事に刊行され続けてきた希有な児童文学雑誌だったのである。 (本書「解説」より抜粋)

【オンデマンド版】書誌書目シリーズ84 『少年倶楽部・少年クラブ』総目次 上巻

刊行年月 2013年04月 定価41,250円 (本体37,500円) ISBN978-4-8433-4157-5

『少年倶楽部』総目次(創刊号~第19巻第12号:大正3年11月~昭和7年12月)

【オンデマンド版】書誌書目シリーズ84 『少年倶楽部・少年クラブ』総目次 中巻

刊行年月 2013年04月 定価41,250円 (本体37,500円) ISBN978-4-8433-4158-2

『少年倶楽部』『少年クラブ』総目次(第20巻第1号~第36巻12号:昭和8年1月~昭和24年12月)

【オンデマンド版】書誌書目シリーズ84 『少年倶楽部・少年クラブ』総目次 下巻

刊行年月 2013年04月 定価41,250円 (本体37,500円) ISBN978-4-8433-4159-9

『少年クラブ』総目次(第37巻第1号~第49巻12号:昭和25年1月~昭和37年12月)/解説/執筆者索引