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日米関係戦時重要事項日誌

日米関係戦時重要事項日誌

[監修・解説] 佐藤元英

定価30,800円(本体28,000円) 
ISBN 978-4-8433-2282-6 C3321
A5判上製/約800頁/函入
刊行年月 2007年06月

本書の内容

世界経済調査会がまとめた、日米開戦直前から戦中(昭和15-18年)に至る、緻密な『日米関係重要事項一覧表』(後『戦争関係重要事項日誌』等に書名変更)を復刻。刻々と悪化する日米経済摩擦、そして日本を包囲する米・英・中の動き、生々しく臨場感をもって伝わる、同時代の一級資料。

刊行によせて      佐藤元英
 本書は、日本経済連盟会対外事務局米国経済研究部が刊行した「日米関係経過日誌」(昭和十五年一月~十七年二月)、および財団法人世界経済調査会に引き継がれ、改題された「戦争関係重要事項日誌」(昭和十七年三月~十八年九月)を集成したものである。
日誌形式に編集された日米関係重要事項一覧であり、アメリカ合衆国内の出来事および日米関係の事項を中心に、その他の世界における重要な出来事を採録している。昭和十七年三月以降も採録事項の選択ならびに配列順序は従来どおりではあるが、大東亜戦争関係事項に重点を置き、合衆国内の問題を細目にわたり収録し、その他諸外国および日本国内の事件中とくに重要と思われるものも併せて掲載している。
 日本において入手可能な各種新聞紙記事およびその他の公刊物を材料とし、その中でも「成るべく確実と認められるもののみを採択した」というが、編集に携わった研究部員の情報分析能力は高く評価されるべきであろう。当時、内閣情報局を中心機関として言論・出版・集会結社等臨時取締法などで、言論報道機関の全面的な戦争協力体制がつくられていたが、そうした状況下にもかかわらず、日々の情報を集積するという膨大な作業を通して見えてくる日米関係を中心とした国際関係の実態は、きわめて生々しく臨場感を持って伝わってくる。また、「対米資源獲得戦争」と位置づけた戦争経過という視点からも、斬新な情報を得ることができる重要資料といえる。こうした精緻な日誌を作成することができたことは全くの驚きである。
 ここにその一端を紹介したい。昭和十六年十二月七日から八日の日米開戦の記事である。「日本海軍航空隊爆撃機大編隊はハワイ時午前七時三十五分(日本時八日午前三時五分)ホノルルに空襲を開始した。真珠湾海軍軍管区司令官ブロック提督は『ホノルルと真珠湾海軍基地に対する日本空軍の爆撃は甚大なる損害を生ぜしめた』旨発表した」。…「野村・来栖両大使、ハル長官に対米通牒手交 野村・来栖両大使は午後二時七分(日本時八日午前四時七分)国務省にハル国務長官と会見、帝国の対米通牒を手交した」。…「東郷外相は外相官邸に午前七時半グルー米大使を招致、対米通牒写を手交、同八時クレーギー英大使にも対米通牒の写を参考として手交した」。…「午前十一時四十五分、米・英両国に対する宣戦の大詔が渙発せられた」。…「外務省は在日米・英・加・濠四箇国大公使館に戦争状態に入れる旨を通告」、そして午後零時二十分「支那事変の完遂と東亜共栄圏確立の大業は米国を主軸とする一連の反日敵性勢力を東亜より駆逐するにあらざれば到底其の達成を望み得ざる所以を述べ国民の決意を促した『帝国政府声明』」が発表された。…「ロ大統領は午後二時半、米は日本と戦争状態に入った旨宣言した」。以上のように開戦日の状況をまさに分刻みで克明に描写している。そこには、開戦後に日本の対米通牒が手交され、それとは別に宣戦の大詔が渙発された後に、開戦通告を行っていることが明確に記されている。戦後定説化された日米開戦の経緯を、改めて問い直す重要な資料となりえる。
 戦後六十二年の歳月がながれ、二十一世紀に入った現在も「戦争責任」が問われ続けている。それぞれの国および人々の立場によって取り上げ方が異なり、難しい問題を含む。しかし、重要なことは、史実の解明なしに戦争の反省は生まれないということである。本書の刊行によって、戦前・戦時下における日米間の比較、各国の動向および国際情勢に関する様々な現状認識を読み取ることができ、その意味においてきわめて貴重な資料であり、日米関係の研究はもちろん第二次世界大戦の研究進展に裨益するところ大なるものがあると確信する。

【推薦文】
「戦争関係重要事項日誌」の価値  波多野 澄雄
 世界経済調査会は、昭和16年5月に、日本経団連の前身である日本経済連盟会の対外委員会が衣替えして設立された調査機関である。日本経済連盟会の対外委員会は悪化する一九三〇年代の日米関係の打開工作の一翼を担った組織として知られているが、世界経済調査会は、その活動を継承発展させ、海外情報の収集が日ごとに困難となるなかで、経済情報を中心に世界各地の重要情報の収集・分析・発信の基地となる。その調査活動と発信能力は満鉄調査部や東亜研究所に匹敵するものであった。同調査会の多くの出版物のなかで、とくに本編に収録された「戦争関係重要事項日誌」は内外情勢に関する膨大な情報を選別して日暦順に配列し、しかも、事項の相互関連を確認できる工夫がほどこされ、その利用価値は高い。戦況情報は当時の公表情報に限定されているが、国際政治や国際経済、各国事情に関する情報の質は極めて高い。例えば、昭和17年3月のインドの独立に関するクリップス使節団の動静に関する情報は、今日の詳細年表に勝るとも劣らない精度である。

世界経済調査会発行「戦争関係重要事項日誌」等について
 世界経済調査会とは、一九四一(昭和一六)年五月、日本経済連盟会(日本経団連の前身)内の対外委員会が改組、独立した財団法人の調査機関。
 当初の対外委員会は、中国大陸の日本勢力圏内への米資本導入を図ったが、日米開戦が不可避となると、戦時下の海外情報、特に経済実情を国内及び「満洲国」の官民に提供することを目的に、日満両政府及び財界の支援のもと、「世界経済調査会」として独立した。その活動内容ゆえ大戦末期の「横浜事件」で職員の一部に特高の弾圧も及んだ。
 『日米関係重要事項一覧表』(末尾の資料〈1〉)及び『大東亜戦争関係重要事項一覧表』(同〈4〉)は、同調査会の「米国経済研究部」が、部内「関係者の便宜の為に」「日米両国関係事項を比較的詳細に取上げ其の他諸国の主要事項も併せて収録」作成したもの(凡例)。また増刷版の一九四一年分『日米関係重要事項一覧表』(同〈2〉)の例言には、「少部数印刷し手頃な方面に頒布」したところ、好評のため増刷されたとある。戦争前の一九四〇年分(後に遡って作成。同〈3〉)、一九四一年のものを〈2〉、開戦後(一九四三年三月まで)のものを〈4〉にまとめる。またこれとは別に、同調査会発行の雑誌『彙報』(一九四二年一月創刊? その後、同年五月号から『世界経済彙報』と改名)に、「日米関係経過日誌」(同〈5〉一九四一年一一~四二年二月)、開戦後は「戦争関係重要事項日誌」(同〈6〉)と改め、一九四三年五月号まで掲載されているが(四二年三月~四三年三月分)、これには先の『一覧表』より詳細に記事が拾われている。この他に雑誌の連載が終わった後、同名ながらこれと別に独立して作成された「戦争関係重要事項日誌」もある(〈7〉、〈8〉)。『一覧表』の凡例に「本表は……米国経済研究部に於て毎週頒布せる週報を抜粋せるもの」(〈1〉)との記述も見られるため、『一覧表』「日誌」の基礎となった部内「週報」があったことがうかがわれる。
 今回の復刻に当たっては、もっとも詳細に記事が拾われている〈5〉、〈6〉を軸に〈1〉、〈3〉、〈7〉、〈8〉を前後に配し編年順に編成した。

※世界経済調査会発行「戦争関係重要事項日誌」関係資料
〈1〉『日米関係重要事項一覧表』(一九四一年各四半期ごとにまとめられた四編)
〈2〉 同 右(一九四一年分増刷。一年分としてまとめられたもの)
〈3〉 同 右(一九四〇年分。後にさかのぼり作成された一年分)
〈4〉『大東亜戦争関係重要事項一覧表』(一九四二年一月~四三年三月。四半期
 分9編)
〈5〉「日米関係経過日誌」(一九四一年一一月~四二年二月)
〈6〉「戦争関係重要事項日誌」(〈5〉の継続、一九四二年三月~四三年三月)
〈7〉 同 右(一九四三年八月)
〈8〉 同 右(一九四三年九月)

【本書の特色】
●日米開戦前夜から第二次大戦中の出来事までをリアルタイムで伝える基礎資料。
●当時公表されていた情報を最大限に網羅した詳細な年表。ある事件・出来事の結果まで簡単にたどりつける、画期的な年表。
●当時のシンクタンクと言うべきものの戦争情報の確認。世界経済調査会は、当時満鉄調査部、東亜研究所に次ぐシンクタンク。
●詳細な解説つき。