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皇族軍人伝記集成 第1回 全8巻

皇族軍人伝記集成 第1回 全8巻

揃定価216,700円(揃本体197,000円) 
ISBN 978-4-8433-3551-2 C3323
刊行年月 2010年12月

本書の内容

皇族軍人伝記集成 第1巻 有栖川宮熾仁親王(上) 熾仁親王行実 巻上(高松宮蔵版 1929年)

刊行年月 2010年12月 定価24,200円 (本体22,000円) IISBN978-4-8433-3553-6

有栖川宮熾仁親王〔ありすがわのみや・たるひと・しんのう〕
天保六年(一八三五)〜明治二八年(一八九五) 有栖川宮第九代。幼名を歓宮。嘉永二年(一八四九)に親王宣下。皇女和宮の婚約者であったが、将軍・家茂への降嫁問題が起き沙汰止みとなる。幕末、国事に奔走し、禁門の変では孝明天皇から謹慎を命じられるが、王政復古で新政府の総裁に就き、戊辰戦争では東征大総督となる。明治天皇の信任厚く、元老院議長を務め、西南戦争では征討総督、西郷隆盛に次ぎ陸軍大将となる。左大臣も務め、明治一五年のロシア皇帝即位式に参列し、ヨーロッパを歴訪。近衛都督兼任で参謀総長に就き、日清戦争では陸海軍の総参謀長として広島大本営に出陣するが、腸チフスに罹り、神戸にて療養中に薨去。

■『熾仁親王行実』巻上・巻下(高松宮蔵版・一九二九年)本書は、「有栖川宮全伝」の一環として同宮家の祭祀を継いだ高松宮家が昭和四年に編修したものである。同名の伝記は明治三一年に一五冊の和装本として完成されているが、これは考証を旨とした資料集成であり、通読には向かない。そこで改めて前記の趣旨に即して編修された。薨去から日の浅い時期の伝記では遠慮された事実も本書には記載され、資料的価値にも定評のある伝記である。

皇族軍人伝記集成 第2巻 有栖川宮熾仁親王(下) 熾仁親王行実 巻下(高松宮蔵版 1929年)

刊行年月 2010年12月 定価26,400円 (本体24,000円) IISBN978-4-8433-3554-3

皇族軍人伝記集成 第3巻 北白川宮能久親王 北白川宮能久親王御事蹟(台湾教育会著・刊 1937年) 北白川宮御征台始末(吉野利喜馬著・刊 1923年・私家版)

刊行年月 2010年12月 定価24,200円 (本体22,000円) IISBN978-4-8433-3555-0

北白川宮能久親王〔きたしらかわのみや・よしひさ・しんのう〕
弘化四年(一八四七)〜明治二八年(一八九五) 伏見宮邦家親王第九王子、幼名満宮。安政五年に仁孝天皇猶子となり親王宣下、諱は能久。得度し法諱は公現。慶応三年に上野寛永寺門跡・輪王寺宮を継ぐ。戊辰戦争に際しては幕府方に奉ぜられ、上野戦争では彰義隊が擁立。幕府軍の敗走とともに東北へ逃れ、奥羽越列藩同盟の盟主にも仰がれた。維新成立後、京都蟄居を命じられ、処分が解けた後、復飾し伏見宮家に復帰、明治三年から一〇年までプロイセン留学。留学中に北白川宮家相続。日清戦争では近衛師団長として出征。講和後、新領土となった台湾にも出征し、マラリアに罹り現地で薨去。没後に陸軍大将。戦前、台湾各地の神社に祀られる。

■『北白川宮能久親王御事蹟』(台湾教育会著・刊、一九三七年)/『北白川宮御征台始末』(吉野利喜馬著・私家版・一九二三年)幕末から数奇な運命を辿り、台湾で陣没した能久親王は、その悲劇性から「近代の日本武尊」とも称され、このため伝記も数種刊行されている。森◆外執筆の『能久親王御事蹟』が特に知られるが、ここでは先行する文献を踏襲し、地の利を活かして台湾での事蹟を詳細に調べた本書を収録。なお、親王の通訳官として当時同行した吉野利喜馬が台湾上陸から陣没までを詳細に綴った手記も併録した。

皇族軍人伝記集成 第4巻 伏見宮貞愛親王 貞愛親王事蹟(伏見宮家蔵版 1931年) 貞愛親王逸話(伏見宮家蔵版 1931年)

刊行年月 2010年12月 定価30,800円 (本体28,000円) IISBN978-4-8433-3556-7

伏見宮貞愛親王〔ふしみのみや・さだなる・しんのう〕
安政五年(一八五八)〜大正一二年(一九二三) 伏見宮邦家親王第一四王子、幼名敦宮。万延元年に妙法院門跡になるが、伏見宮家相続のため、復飾し、親王宣下、諱を貞愛。伏見宮を一旦、父に譲った後、明治五年に再度相続する。明治六年陸軍幼年学校入学、八年に陸軍士官学校入学。西南戦争に従軍。日清戦争では部隊を率いて出征、その後の台湾平定にも赴く。また日露戦争にも出征する。明治二九年、ロシア皇帝戴冠式に天皇名代として参列。大日本武徳会をはじめとする各種総裁や日英博覧会名誉総裁など名誉総裁、名誉会員を多く務め、内大臣府出仕(実質的には内大臣)にもなる。元帥陸軍大将

皇族軍人伝記集成 第5巻 久邇宮邦彦王 邦彦王行実(久邇宮蔵版 1939年)

刊行年月 2010年12月 定価26,400円 (本体24,000円) IISBN978-4-8433-3557-4

久邇宮邦彦王〔くにのみや・くによし・おう〕
明治六年(一八七三)〜昭和四年(一九二九) 久邇宮朝彦親王第三王子。明治二四年父宮薨去に伴い、久邇宮家を相続。日露戦争に従軍。功四級金鵄勲章を受章する。聯隊長、師団長を歴任し、軍事参議官となる。陸軍大将、薨去後に元帥を賜る。なお、邦彦王の第一皇女・良子女王は、昭和天皇の皇后(香淳皇后)であり、その婚約時代に母方の島津氏に色神異常の疑いがあるとして、元老の山県有朋が皇太子妃に不適であると主張した「宮中某重大事件」の当事者のひとりでもある。

■『邦彦王行実』(久邇宮蔵版・一九三九年)久邇宮家編纂の伝記。徳富蘇峰が監修に当る。その経緯については末尾の蘇峰「謹述」の「欄外余言」に詳しい。そこでは先代の朝彦親王から説き起こされ、久邇宮家と天皇家との微妙な関係が暗にほのめかされているようである。皇太子妃内定をめぐる「宮中某重大事件」には直接触れないが、その内定から御成婚までの記述は間接資料として貴重である。また伏見宮貞愛親王とともに大正期の皇族軍人の典型的姿も本書から描かれる。

皇族軍人伝記集成 第6巻 有栖川宮威仁親王(上) 威仁親王行実 巻上・巻下・別巻(高松宮蔵版 巻上・下 1926年 別巻 1940年)

刊行年月 2010年12月 定価38,500円 (本体35,000円) IISBN978-4-8433-3558-1

有栖川宮威仁親王〔ありすがわのみや・たけひと・しんのう〕
文久二年(一八六二)〜大正二年(一九一三) 有栖川宮幟仁親王第四王子。幼名稠宮。はじめ宮門跡となる予定が明治維新によって、取りやめ。明治天皇より海軍軍人となるように命じられ、明治七年海軍兵学寮に入学。明治一一年、後継のいない兄・熾仁親王の希望で有栖川宮家の後継者として親王宣下。翌年英軍艦に乗り組み水兵とともに甲板任務に一年間就く。明治一二年から二年余、英グリニッチ海軍大学に留学。帰国後、千代田、高雄の艦長を勤め、常備艦隊司令長官。明治三七年に海軍大将に昇進し、薨去後に元帥。

■『威仁親王行実』巻上・巻下・別巻(高松宮蔵版・一九二六年・一九四〇年)薨去直後から伝記編纂が計画されながら宮家絶家のため長く中絶。有栖川宮家祭祀を継いだ高松宮家が編纂。「一般世人をして、我が親王の事績を知悉せしめむがため」「通俗易解の書を供せむ」目的から編纂。以後続く「有栖川宮全伝」の最初の行実。早くから欧米を訪れ、海外事情に明るく、大津事件にはロシア皇太子の接伴として遭遇。現場の緊迫する状況からその後の経過が詳細に綴られ、史実を伝える資料としても貴重。別巻に「威仁親王妃慰子略歴」を収める。


皇族軍人伝記集成 第7巻 有栖川宮威仁親王(下) 有栖川宮 全(帝国軍人教育会編・刊 1913年)

刊行年月 2010年12月 定価15,400円 (本体14,000円) IISBN978-4-8433-3559-8

■『有栖川宮 全』(帝国軍人教育会編・刊、一九一三年)談話調の語り口で読みやすく、薨去から葬儀までの状況が詳細に明かされ、またありし日の姿がエピソードで綴られる。その輔導的立場にあったため大正天皇に慕われた様子など、皇族軍人の模範的「御英姿」を描くところに力点が置かれた内容。

皇族軍人伝記集成 第8巻 東伏見宮依仁親王 依仁親王(東伏見宮蔵版 1927年) 故依仁親王と仏国海軍兵学校(東伏見宮家編・刊 〔1929年〕)

刊行年月 2010年12月 定価30,800円 (本体28,000円) IISBN978-4-8433-3560-4

東伏見宮依仁親王〔ひがしふしみのみや・よりひと・しんのう〕
慶応三年(一八六七)〜大正一一年(一九二二) 伏見宮邦家親王第一七王子。幼名定宮。はじめ長兄・山階宮晃親王の養子。英国留学後、明治一八年に小松宮継嗣となり、翌年、親王宣下。依仁と諱を改める。明治二〇年から三年間、仏国海軍兵学校に学ぶ。帰朝後、海軍少尉。明治三六年、小松宮薨去後、新たに東伏見宮家創立。横須賀鎮守府司令長官、第二艦隊司令長官を歴任し、海軍大将。英ジョージ五世国王戴冠式に参列。大正一一年の薨去後、元帥。なお、秘話として明治一八年、日本を訪れたハワイ・カラカウア国王がアメリカの圧迫に対抗する手立ての一つに自分の姪と依仁親王の婚姻を日本側に提案したというものがある。

■『依仁親王』(東伏見宮蔵版・一九二七年)/『故依仁親王と仏国海軍兵学校』(東伏見宮家編・刊、〔一九二九年〕)親王妃より親王の生前、側近として奉仕していた海軍軍人に「親王事蹟の記述」が求められ編纂を開始。『此一戦』で有名な水野広徳に編集を嘱託するも、関東大震災で一時頓挫。態勢を立て直し昭和二年に完成。皇族軍人が軍務への精励とともに、当時の外交の重要要素である外国皇室との「社交」にも献身が求められていた様子が判読できる。また乗員だった軍艦浪速がアメリカのハワイ併合時に派遣された際の記述も興味深い。日仏海軍の隠れた親善交流を伝える『依仁親王と仏国海軍兵学校』も併録。