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近代日本アート・カタログ・コレクション 第1回配本 内国絵画共進会/観古美術会/明治美術会/太平洋画会 全12巻

近代日本アート・カタログ・コレクション 第1回配本 内国絵画共進会/観古美術会/明治美術会/太平洋画会 全12巻

揃定価184,800円(揃本体168,000円) 
ISBN 978-4-8433-0285-9 C3371
A5判上製/函入
刊行年月 2001年05月

関連情報

本書の内容

■内国絵画共進会
 明治政府は、明治六年のウィーンの万国博に参加し成功を納めた。この経験から、産業政策の一環として、伝統美術の振興を奨励することになる。『内国絵画共進会』は、明治維新以降、衰退した日本美術を振興するために創設された官催の日本画展である。太政官令第十三号により、明治十五年(十月一日より十一月二十日まで)と、明治十七年(四月十一日より五月三十日まで)の二回、農商務省を中心に東京上野公園に於いて開催された。十五年のフェノロサの講演(『美術真説』)をもって洋画の出品拒否を決定した文字通り国画のための展覧会であった。
 『内国絵画共進会』は、絵画だけの共進会という初めての場で、伝統的日本画の復活をめざしたこと、そして、各地に孤立分散していた各流派の相互交流によって新しい段階を迎える起動力となったことに意義がある。

■観古美術会・・・一部品切れ
 『観古美術会』は、内務省博物局により開催された。博覧会事業と、それに絡む欧米でのジャボニズムの購入力をあてこんだ輸出を前提とした古器物保獲および殖産興業政策の一環であった。しかし、明治十三年に第一回展が開かれたその翌年、十四年の第二回展から明治十九年の第七回展(最終回)までは、この官設の美術展は、日本で最初の私設の美術団体である”龍池会”に継承されることになった。
 ”龍池会”は、芸術思潮を標榜し作家を中心に組織される現在の美術団体とはだいぶ性格が異なる。結成メンバーは、大蔵省、内務省の官僚らが中心となり、輸出業者・起立工商会社がこれに加わるかたちで編成され、ことに、龍池会の中心であった会頭の佐野常民は、大蔵卿で、殖産興業政策の中で重要な位置を占めた内外博覧会事業の最大の大立役者であった。『観古美術会』展の継承はパリでの日本美術縦覧会の開催等、”龍池会”の活動の拡大発展に大きく貢献することになった。私設とはいいながら、国家の経済を賭けた政治性の強いその活動は、十九世紀末の日本とヨーロッパの美術産業事情を映し出す鏡といえよう。

■明治美術会・・・オンデマンド
 『明治美術会』は、明治二十二年に結成された日本最初の洋画家団体である。会頭に、東京大学総長渡辺洪基(のち枢密顧問官田中不二麿、宮内次官花房義質が継ぐ)をむかえ、浅井忠、山本芳翠ら美術家=通常会員と、外山正一、林忠正、田中芳男らの賛助会員で構成された。第一回展を同年十月、東京上野公園池の端競馬場の馬貝処で開催した。この展覧会は、森鴎外などの本格的な美術評論を誘発した展覧会として記憶されている。『明治美術会』の一回展は秋に開かれ、以後は毎年春に開かれるのが慣例となり(第六・七回は秋)、二十九年は開けなかったが、三十三年の十一回展まで続けられた。また第一回展からの各国、各時代にわたる参考品の陳列は、その後の各団体展にあまり見ないところであり、毎年入場者を啓発するものであったらしい。

■太平洋画会・・・オンデマンド
 『太平洋画会カタログ』(画報社 明治三十五年十月)編者叙言の冒頭は、
 我太平洋画会は明治美術会の後身也。人も知る如く明治美術会は、一時非常の盛況に達して、雄然斯界の覇を称せしに、近年種々の情実を生じて、其曲折に堪へず、会運一蹶、復た振ふ能はざるに至りぬ。会員の一部此に慨するあり、昨年の秋、根本的改革案を提出して、会の容るる所となりしを以て、先づ会名を改めて、従来の積弊を一洗し、奮て会務の伸張を図らんとす、我太平洋画会即ち是れ也。
とある。もちろん会頭などのいない年齢も若い三十名の作家のみによる美術団体である。構成は旧通常会員から石川寅治・都鳥英喜・吉田博・丸山健作(晩霞)・満谷国四郎・新海竹太郎ら十五名、旧準通常会員から石井満吉(拍亭)・大下藤次郎・中川八郎・長尾黙・庄野宗之助ら十名、まだ会員ではなかった磯部忠一・高村真夫・藤島英輔ら五名であった。第一回展を上野公園第五号館において開催、明治三十七年、谷中清水町に洋画研究所を開設し、翌年研究所を谷中真島町に移し後進の育成に努めたが昭和四年同研究所を太平洋美術学校と改め、初代校長に中村不折氏を推し、官立美術学校と対抗して名実共に在野における唯一の存在として幾多の英才、鬼才をわが洋画壇に送り大いに活躍した。
 大正十五年五月、東京都美術館が創立、同館記念聖徳太子奉賛美術展開催、本会より中村不折氏他多数が出展する。この年は竹ノ台陳列館にて第二十二回展。昭和二年二月第二十三回展を東京都美術館にて開催。以来休むことなく同館にて開催を続け今日に至っている。